帝歴284年・春 14話
2022年11月11日、一部文章を修正しました。
かぽかぽと蹄を鳴らして街道を歩く。
僕は見渡す限りに広がる黄金色の絨毯を眺めつつ馬に跨っていた。
もうじきウィヒャフ、朝晩は時折寒いが昼間は随分と汗ばむほどになってきた。
「アンジェ先生、乗馬上手いですね、小さい頃から鍛錬してたんですか?」
カロリーナが訊く。僕は幼い頃、必要があったので覚えた程度ですよ、と答えた。
僕の実家は広大な農村地帯の中にあり、敷地内に住む祖父母の屋敷へ行くなら馬が必須だった。
よく田舎で「隣家がとんでもなく遠い」という話を聞くが、我が家は敷地内を馬で行かないといけないほど広大だったのだ。
幼い頃は友人たちと遊ぶと言えば馬に乗って河原までひとっ走り。
まずはこんな言葉が出てくるほど田舎ともいえる。
「それよりカロリーナ先生もなかなかの腕前じゃないですか」
僕の実家付近では女性が乗馬をするなんてと未だに言われる土地柄だ。
そのため母や姉たちは移動の際は馬車を利用するのだが、いかんせん馬車と言うのは非常に面倒な乗り物だ。
まず御者が必要だし、田舎道を走るといつもどこかが壊れるのだ。
車輪が飛んだ、車軸が折れた、こんな話ばかりだから金もかかる。
お転婆だったし乗馬の覚えがあった二番目の姉は何度も馬を出そうとして叱られてたもんだ。
なおそんなお転婆な二番目の姉は父の馬を盗んで家出をしたことがある。
原因は確か夕飯に人参が付いてたことで腹を立ててだったと思う。
「私は小さい頃、家の仕事で覚えたんですよ」
聞けばカロリーナの実家は馬宿だそうだ。
生まれた頃から馬と本に囲まれた生活をしていたという。
この国では駅馬制と呼ばれる駅伝制度があり、要するに早馬の交換ができる馬宿だ。
なお駅馬制は国家事業のため家主は駐在公僕である。
その娘として生まれたカロリーナは幼い頃から家業の手伝いとして給餌や世話、隣の馬宿へ馬の輸送をもしていたそうだ。
「ってことは僕よりも遥かに手慣れてるってわけですよね」
「まぁ家族総出で馬の世話をしてた家ですからね。ただ、私は馬が好きなんですよ」
「その馬好きな司書さんよー、馬車借りれなかったのかー?」
後ろからカオリルナッチが文句を垂れる。
「さすがに学院で使ってる馬車は使えませんよー、まだ馬を借りれただけでもよかったじゃないですか」
安息日早朝、カロリーナが突然「苦艾採りにいきましょう!」とやってきたのだ。
彼女が言うには学院には調教と称して馬を借りてきたのだ、もちろん本音は苦艾探しだが。
それを階下で聞いてたカオリルナッチが飛び出してきて割り込んできたって形だ。
ただ彼女は馬に乗れないため、ラバトを呼んで二人乗りをしてるが。
というか彼女たちにとって僕の予定ってどう思われてるのだろうか。
なお、学院で使ってる馬車は領主館に招かれた際に学院長が使用するものだ、普段使いなんか出来るわけがない。
「なぁ、小麦って秋に収穫するんじゃないのか?」
ラバトは訊く、もうじき夏至祭なのにこんな黄金色に輝く麦なんか見たことないぞと言った。
「ここは冬播き小麦なんです。それにここら辺りはもうそろそろ雨季なんで夏至祭前に小麦を収穫しちゃうんですよ」
とカロリーナは応えた。
そういえば前に麦は寒くならないと出穂しないと聞いたことがある。
僕の地元や帝都周辺は寒冷地ゆえ麦が寒さに耐え切れず冬播きができないのだ。
しかし春播き小麦は収穫前の晩秋の朝晩が急に冷え込むため、麦は出穂する。
ただし収量だと秋播きや冬播きのほうが春播きより多いらしい。
春播きはグルテンが多いので白パン向きの小麦が生産できるとカロリーナが言う。
「で、ここら辺りは小麦を収穫してからは、すぐに大豆を生産し収穫したら冬は甘藍や大根などを育て、来春は稲作なんです。二年で四つの作物を生産するので効率がいいそうですよ」
とカロリーナは続ける、二年四毛作という農法らしい。
とにかく田畑にひたすら作付けして生産しまくるのだ。
「土地が瘦せそうな気がするんだけどな」
と僕は言った。
こんなに作付けしまくれば地力を失い土地が死ぬこともあるだろう。
それについてカロリーナは応えてくれた。
「安心な点がいくつかありまして、一つはこのトラペ川、今も定期的に氾濫します」
古代文明が栄えた理由は大河が定期的に氾濫して上流域から肥沃な土壌を運んでくるためというが、それを未だに利用しているのかこの土地は。
「あと、効率的な肥やしの研究成果が功を奏したというのもあるんですよ」
農業の歴史と言えば、いかに美味しくて手間のかからない農作物を産出して効率よく生産するか、言わば品種改良と肥料研究の賜物だ。
「シュトレーメには農業の研究をしてる専科学院がありますから」
「西街のあれですよね、ギルド連合実科学園って名前の」
「そっちは工業系や商業系のギルド学校なんですよ、農業専科学院は中街八番町にぽつんとあるんです」
そうカロリーナは応えた。
「ちなみに私の出身校なんですよ」
実家を思って馬の研究をしに農業専科へ入ったのだが、残念ながら専攻はそっちには行けずに化学を専攻したのだという。
司書なのは本に囲まれてると幸せだからって理由ってだけでやってるのだという。
「道理で農業についてお詳しいんですね、カロリーナ先生は」
「えぇ、農業も好きですよ、馬と絡みますから」
「ごめん、休憩させて……」
カオリルナッチは木陰でうずくまってた、酔ったらしい。
「大丈夫かーカオリル先生、火酒なら持ってきてるぞ」
スキットルをそっと渡すラバト、それを一口飲むカオリルナッチ。
そんなもん飲んだら尚の事気持ち悪くなりそうな気がするのだが。
「そろそろ休憩させませんか? カオリル先生らが乗ってたお馬さん、すこし疲れてるみたいですし」
「ですね、木陰で休むと気持ちよさそうですし」
ラバトは手拭いで汗を拭くと煙草に火をつけた。
さすがに馬の近くで喫煙すると嫌がることを知ってるのか随分と離れたところで休憩をしてる。
カオリルナッチはその横でいびきをかき始めた。
明け方まで飲み歩いてたぽいので寝不足なのだろう。
僕は水筒に汲んだ水を飲む。
「カオリル先生らが乗ってた馬、けっこう疲れてるっぽいですね」
「えぇ、きっと彼は二人乗りに慣れてないからでしょう。私の乗ってた子はおとなしいみたいですので替えてみましょうか」
そう言うとカロリーナは馬具をてきぱきと外し、話しかけながら身体をブラッシングし始めた。
「そういえば昔、馬丁から聞いたことがあるんですが、馬って言葉が判るんですか? 馬に話しかけてあげると機嫌がよくなったりするって言ってたんで」
前々から疑問だったことをカロリーナに聞いてみた。
「えぇもちろんです。馬って私らが思ってる以上に利口な動物ですよ。イライラしながらブラッシングすると怒り出したり怯えたりする子もいますし、嫌なことがあったら慰めてくれる子もいるんですよ。あと馬も人間の好き嫌いがあったりします。嫌な人がヤネに乗ると振り落とす子もいますし、嫌がらせされたら死ぬまで忘れないって言いますからね」
と応えてくれた。
馬ってそんな高度な感情を持ってるんだ。
「じゃあこの子は僕の事嫌いですかねぇ? このへたくそが、みたいに思ってたりして」
「ん? この子ですか? アンジェ先生の事は興味津々みたいですよ? ほら、耳を立てて先生を見てるじゃないですか。行きがけに渡した氷砂糖、あげてみてください」
「ん? これ?」
出発前にカロリーナから貰った氷砂糖をポケットから取り出すと、その馬は首を伸ばして見つめて前足で地面を掻いていた。
手を差し出すと長い舌で巻き取るように氷砂糖を取り、ぼりぼりと食べたのだ。
「え? 馬って砂糖食べるんですか? 人参だけだと思ってた」
「食べますよ? 馬たちは人参が甘いと思うから食べるんです」
とカロリーナは応えた。「でも、馬にも実は好みがあるんですよ」と微笑みながら続けた。
「私の知ってる馬に、大根が好きな子が居ましたね。しかも春先の辛い大根ですよ」
「そうなんですか、大根食べる馬って変ですよね」
「人間だって辛い食べ物好きな人いるじゃないですか、例を挙げれば算術のミモーゼン先生は激辛好きなんですよ。それと一緒で馬だって辛いものが好きな子もいます。他にも偏食な子や大食いな子、食の細い子、ビール飲む子など色々ですよ」
ビール飲むんですか! なんかカオリル先生たちみたいで人間臭いんですね、そう言い僕たちは思わず吹いてしまった。
「えぇ、馬と犬って人類の歴史上密接に繋がってる動物ですから、その分人間臭いんだと思いますよ。昔話なんですが、こんな話もあるんです」
急ぎ伝令のために酷使したのだろう、馬が転倒したそうだ。その伝令員は路外に放り出されて気を失ったのだが、馬は放り出された伝令員を舐めて看病していたという。カロリーナたちが慌てて駆け付けた時にはその馬は足から出血してもう助からないだろうと思うほどの骨折だったが、馬は自分の事よりも伝令員を心配していたのだという。
「可哀そうですね、その馬」
「えぇ、私たちはそういうことを理解したうえで馬を扱ってますから大丈夫です、きっと彼も幸せだったと思いますよ、えぇ」
とカロリーナは遠い目をしながら言った。僕は心の中で聖句を捧げる。
「そのあと鍋になりましたからちゃんと供養されたと思いますよ」
逞しいな、カロリーナ先生一家は!
※参考
・大根を食べてた馬
サイレンススズカ(カイワレ大根が好きだったと聞きます)
メジロライアン(硬いから、らしいです)
・ビールを飲む
ゼニヤッタが有名ですが、欧米の競走馬には炭酸を抜いてよく与えると聞きますね。
・騎手を舐めて看病してた
キーストン(65年のダービー馬、67年の阪神大賞典で故障安楽死となったが、落馬して気を失ってた騎手の山本正司を看病してた話がある)
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