帝歴284年・春 13話
2022年11月11日、一部文章を修正しました。
「アンジェ先生の住んでる小屋、家具が入ったとはいえどことなく殺風景やな」
ラバトは相変わらず煙草を吹かしながらワインを啜っていた。
「ごちゃごちゃしてる部屋は落ち着かんからな、僕はこれぐらいが丁度良いんだ。本棚があと一個あれば納められるのが増えるから嬉しいんだがな……」
僕はテーブルで書き物をしながら答える。
「でも今のが掃除するとき楽だから、今は増やす予定、無いかな」
書き物に疲れたので、右手をマッサージしながら言った。
「ふうん、森の賢者様の部屋みたいなのがアンジェ先生に合ってると思うけどなぁ」
「逆に落ち着かんのよ、それ」
森の賢者とは寓話に出てくる人物で、万物の知恵が納められる本たちから子どもたちに生活の知恵や馴染み深いことを例え話で教えてくれる語り部役のことだ。
挿絵での賢者は本に埋もれるかのごとく描かれてるために、小さい頃はこんなに本や本棚があったら掃除が大変だろうなと思ってた。
「それより……、この本、どこで見つけた?」
本棚を眺めてたラバトが一冊引っ張り出す、かなりくたびれた表紙だ。
「ここに越してきたときに見つけた奴だよ。古ストリバ語で、しかも鏡文字で書かれてたからなんとなく取っておいたんだよ。きっと面白い本だろうな思ってね」
「こんなとこに置いてあったんだな、これ」
ラバトがそっと表紙を手で払うと再び本棚に戻した。
「知ってるのか? まだ読んでないんだよ」
「エルフ酒のレシピ集だよ」
「まじかよ!」
エルフ酒、もはや伝承でしか残ってない魔法酒だ。
過去幾度となく再現を試みられたのだが如何せんエルフは過去の大戦以降姿を消してる。
そのため再現しては批評家を称する輩が批評するまでがベタなお約束事となっている。
その伝承を知ってるのが僕の目の前でワイン飲んでるが。
「……と言っても、僕、飲めんしな」
ふぅと溜息をついて、マグのコーヒーを飲む。
「なぁアンジェ先生、再現してみん?」
「再現しようにも、僕、味見も出来んし、それ以前に法令違反だ」
「そっか、密造酒になるもんな」
酒造業者の保護と安全な造酒、酒税の確保を目的とするために酒税令が定められている。
密造しようものならすぐに裁判権を持つ官憲が踏み込んでくるらしく、年に数件ほど新聞沙汰になっている。
「で、再現してみん?」
「また学院長に叱られるぞ」
「話は聞かせてもらった!」
床下から開口部を跳ね上げてカオリルナッチが飛び出してきた。「作るぞ! 密造酒!」
「作りません、帰ってください」
「ねぇねぇ、作ろうよー」
床にごろごろと転がって駄々を捏ね始めた。
これが礼法の先生と思うとこの学院は本当に大丈夫なのかと心配になる、気にしたら負けだが。
「カオリル先生、この本差し上げますからご自身で翻訳してお造りくださいな」
僕は本を取るとカオリルナッチに差し出した。
「僕は係わりませんからね」
「えー? 私、古ストリバ語なんか翻訳出来ないわよ」
「勝手に人にあげないでよ! エルフの秘伝書よ!」
と、ラバトが噛みつく。
「あんたのじゃないでしょー! あんただって、古ストリバ語なんかわかんないでしょ」
「わかんないわよ! でもエルフの秘伝書なの!」
「ってことで翻訳して!」「翻訳しなさいよ!」
あぁ……うぜぇ。
「これ翻訳しないと毎晩騒ぎます?」
「夜じゃなくても騒ぐわよ!」「私は下に住んでるからすぐ行けるわ!」
「わかりました、暇なときやりますから」
溜息をつく。なんかこの二人が居るときなぜか溜息の回数が増えてる気がする。
「やったー」「いえーい」
と、二人でハイタッチ、なんだ、仕込みなのか? 酒だけに。
ところでこれ誰書いたんだろう。奥付を見るとボウモーレ・ルルシュリンク・トゥルリーセンと書かれていた。
ボウモーレってどこかで聞いたことがある……、あれ? あ、ひょっとして。
「このボウモーレさんって、ひょっとしてラバト嬢のお父さん?」
「そうそう。よく覚えてたなぁ。てか、人の父親の名前まで覚えるか普通」
いやいや、あなたの本名に父名入ってるでしょ?
帝国史学を専攻していた友人ピルスが言うには、古来、鏡文字で書かれた文献は二通りの意味を成すという。
一つはそれっぽく見せた偽書、もう一つは何らかの理由で鏡文字として残したものである。
ぱっと見何が書かれているかわからないために、仮に盗み見ようとしても解読に時間がかかるので情報の漏洩の一助になるかららしい。
そのため、秘密文章や恋文などに活用された歴史がある。
他にも書き手が脳卒中を起こし完治した場合も鏡文字になると聞いたことがある。
鏡文字を書き戻すが、いくつかのスペルは正文字だったり誤字があったりする。
が、書き戻して思ったのが翻訳出来ないのだ。
現在使用されるストリバ語とは違って主語述語を倒置させると単語が現在と違って変格するようだ。
しかもその変格方法が複雑怪奇だし、変格内容によって意味が変わるようである。
それよりもストリバ古語辞書が無い。
「ダメだ、まったく解らん……」
「先生、どうかなさったんですか?」
職員室での休憩時間、司書であり化学教師のカロリーナが声を掛けてきた。
「すごい難しい顔してましたよ?」
「ちょっと古ストリバ語の翻訳で悩んでるんですよ」
「ふぅーんどれどれ……、蒸留したお酒を、清潔な樽に浸漬して冷暗所に寝かす、と」
カロリーナが少しずつ読み上げる。なんですか、これ? と訊いた。
「ラバト嬢の父親が書かれた文章っぽくて」
「へぇ、ラバトさんのお父様が書かれたんですねぇ」
とカロリーナが確認するように言う。
「でもこれ、古ストリバ語ですよね? この単語やこの文法、変格の特徴、前綴りの扱いをみると約三百年以上前のものですよ、これ書かれたの」
「へぇ、そこまで判るんですか……」
さすがカロリーナ、彼女の知識量にはいつも舌を巻く。
「当時のストリバ語は今と変格が随分違うんですよ。この時代はこれみたいに子音が三つ続くと省かずに使うんです、今は省きますが。他にも前綴りの扱いが今と違って、ほら、ここにありますよね」
「なるほど、これ分離動詞の前綴りだったんですね」
「そうですそうです、で……」
カロリーナが咳払いをして一言。
「ひょっとしてラバトさんって、エルフなんですか?」
「だははははは! カロたんも面白いこと言うなぁ」
煙草を咥えながら笑うラバト。
「それともアンジェ先生のギャグセンスが上がったんかな?」
「てか、ラバト嬢ってエルフだって知ってる人、少ないんですね」
「まぁペラペラ話す必要ないからな。知ってるのはカオリル先生と霊体カリナちゃん、衛士のレック、そして学院長ぐらいだよ」
カロリーナから訊かれたので違うんですかと応えたら、そんな冗談は嫌いじゃないですよと笑いながら言われたのだ。
「エルフなんているわけないだろ? ってかアンジェ先生だっていままで会ったこと無いだろ?」
「まぁ無いですよね。目の前にそれっぽいの居ますけど……」
「人をインチキみたいに言うな」
歴史から消えたはずのエルフは飲んだくれのヘビースモーカーだった。
まぁカロリーナはそれ以上追及することなく手の空いた時に翻訳しますよと言ってくれた。
僕は彼女に原本と一緒に預けたのだ。
翌日、翻訳したものをノートに認めて持ってきてくれた。
「アンジェ先生、間違いなくこれ、エルフ酒のレシピですよね」
「……その通りです」
「なんでこんなもん持ってるんですか」
「あの小屋にあったんですよ。ほら、僕が越してくる前まで物置みたいでしたし」
「まぁ物置でしたからね、実際」
カロリーナは僕の机に寄りかかり、見下ろすように僕を見て「作ります? これ」と言ってにっこりと微笑んだ。
「ふざけんな! まじふざけんなカロたん!」
カオリルナッチは荒れた、床をごろごろと転がりながら暴れたのだ。「あたしのエルフ酒ぇ!」と叫びながら。
「とはいえ翻訳してくれたのはカロリーナ先生ですよ、きっと僕だけじゃ絶対無理でした」
ですので転がらないでください、汚いですからと声を掛けた。
「カオリル先生の酒じゃねえよ! んでもこれって作ったらダメなんだろ? 学校に官憲が飛んでくるなんて大問題どころか学院レベルの不祥事物だぞ」
とラバトが言う。
「そこなんですが、カロリーナ先生が言うには問題無いそうですよ。季節の果実酒と同じだそうで」
帝立学院の同期ツァルカの地元、カナウジィ国のジーゲンシュタペルではカラモモの蒸留酒漬けを家庭で生産して愛飲する伝統がある。
ただ帝国内の酒造ギルドが『それは酒類製造行為だろ』と嚙みついたのだ。
帝国内でもジーゲンシュタペルはカナウジィ国の一都市、すごく小さなコミュニティである。
そこで起きた、伝統か酒造ギルドの利権かで国家を二分する論争となったのだ。
これを『季節の果実酒騒動』という。
法律学者や元裁判官などが新聞や吟遊詩人などのメディアを使って様々な法解釈を発し、国民は伝統は権利だと暴れ、酒造ギルドはおまんまの食い上げだと怒る。
いい加減収拾がつかなくなったためにこの件を諮問された当時のアルファンゼ一世が
「販売せず家で飲む分なら文句ないんじゃない?」
と発言する。
その後立法府が細かいルールが策定して国家が認めたために季節の果実酒騒動は収束するのだ。
他にも酒税令がらみの騒動はいくつかあり、エール税値上暴動やビール純粋法論争などここの国民はどれだけ酒が好きなんだろうかと思う。
「で、何が要るんだ?」
とカオリルナッチが食い気味に訊いてきた。彼女は酒が絡むと目つきが変わる。
いい加減依存症外来に連れていくべきだろうか。
「主原料に『もじゃ毛虫の木』ってのがいるって書いてあって、カロリーナ先生もこの単語が何を意味するか全く分からないって言うんですよ。で、植物誌や博物誌など読んでも一切載ってない、謎の名詞なんだそうです」
僕がそう言うと、「なんだよ使えねぇなぁ!」とカオリルナッチはまたゴロゴロと床を転がった。
「いえいえ、このもじゃ毛虫の木の謎が解ければ、あとは製法の単語でいくつか不明なものがあるだけなんです。これが製造の最大の謎だとカロリーナ先生は言ってました」
「んー、もじゃ毛虫の木って、たぶん苦艾の事だと思うよ。もじゃ毛虫はあたしらエルフは色々と生活に使ってたからな」
と、排気口の下でワインをなめつつ煙草を吹かしてたラバトが言う。
「苦艾ですか。初めて聞くもんですね。それってどこらへんで売ってるんですか?」
僕がそう訊くと、ラバトは
「あんなもん売ってねぇ、そこらへんに自生してる雑草のひとつだよ」
と言う。
「例えば、あたしらは伝統的に苦艾を揉み乾かして肌の上で焼くって療法があるんだよ」
「なにそれ、火傷しそうな民間療法ね。根性焼きみたいなもん?」
そうカオリルナッチが言うと、ラバトが飲んでるワインをグラスに移して飲む。
「違ぇよ! 肌で焼いて体の芯を温めて血行を良くして疲れを取り除くんだよ! しかもそこまで熱くねぇよ!」
とラバトがワインを荒く手にするとカップに注ぎ込んだ。
「エルフの伝統療法をチンピラのクソ行為と一緒にすんな!」
しばらくラバトとカオリルナッチは口論を繰り広げてた。
きっとこの二人はこうやって飲んで騒いで日頃の鬱憤を晴らしてるのでは、と思ってしまう。
「苦艾だったんですね、もじゃ毛虫の木って。みたまんまをそのまんま名詞形、ですかね」
翌日、カロリーナに報告するとそう言った。
「みたいですね。ラバト嬢がこの苦艾を肌の上で焼く治療法があるって言ってまして」
「それ、帝都付近に昔からある民間療法ですね。膝や腰、首肩の痛みや頭痛に生理痛、疲れに良いと聞いたことはありますよ」
カロリーナが言うには、気と血の通り道を苦艾を使って治療するという温熱療法が伝統的にあるそうだ。
なお苦艾は帝都近くのルキュレ山中腹が名産地らしい。
しかし、そんな効用があるなんて知らない人にとってはただの雑草と扱われているらしいが。
「ただ問題なのは、この苦艾はここらへんじゃどこも売ってないみたいなんですよ。なんか、そこらへんに生えてる雑草とも言ってまして」
「それでしたら、トラペ川上流域のテューバー平原に生えてると思いますよ」
そこは学院がある中街を南下した穀倉地帯でトラペ川側をテューバー平原とも言い、冬播き小麦と大豆と一般米の産地である。
逆に山がちなトロボ川側はユーフォニア山地と呼ばれ上質米の産地である。
このシュトレーメが非常に豊かな土地とも言われる所以だ。
「本当に詳しいんですね、カロリーナ先生」
「えぇ」
そう笑顔で応えながらカロリーナは言った。
「司書ですから」
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