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04話

 自室であるあの小屋に半年以上住んで思った事は、こじんまりしてる割には何でも揃ってる事だろう。水廻りも揃ってるので洗い物も出来るし簡単な食事も作れる、風呂やシャワーは無いがトイレはある、家主の許可無く誰彼と無く酒盛りを始める。



「なぁアンジェー先生、なんか漬物無い?」


「おいくそアンジェ、寒いンやからストーブ付けぇや」


「ねぇアンジェリカー、コルク抜きどこー?」


「アンジェ先生、私ちょっと酔ってきちゃったぁ」


「あー、カロリーナ先生が酔ったフリしてまーす」


「(小声で)こらカリナちゃん、そこは察して、もぉ!」



「てか、人ン家で何してるんですか」


 溜息を付きながら僕はキャベツ漬け(ザゥワクラウト)を皿に出してテーブルに置き、ルーチェにあなたの右手に持ってるのは何だと言い、ラバトには頭から毛布をかぶせてやった。カロリーナについては……放置した。



「人が定期考査の問題作ってる側でよくもまぁ飲み会打てますねほんと」


「おー! アンジェー先生に褒められたぞ!」


「カオリル先生。全く褒めてません、俗に言う皮肉ですよ」


「言うようになったねぇーアンタも! お、このキャベツ漬け、美味いな、さては大将、腕を上げたね?」


「あぁ、デリッカ君から頂いてな」



 夏季休暇明けからデリッカが寮生活を始めたのだが、自宅から学院は別に歩いて通えない距離では無いから週に一度は実家に帰ってるらしい。で、寮に戻ってくるときに母親から色んな食材を渡されるのだという。一人暮らしあるあるだろうか。

 この前は多く貰ったからお裾分けですとホールトマトの瓶を貰ったし、その前はダイストマト瓶、またその前はトマトジュースだった。彼女の一族は郷紳階級(ジェントリ)だが僕の家と一緒、大農家でもある。で、今年の夏は少雨で晴天が続いたのだろうか、お裾分けを見たらトマト豊作だったんだろうな。トマト瓶は残り物と混ぜて炒めたら旨いから貰っても困らない。なおキャベツ漬けは晩秋に大量製造するからと言って残り物を渡されたのだが。



「ふぅーん、デリッカちゃんってホントにアンジェリカに懐いてるわねぇ」


「そんな事はないと思うぞ、ルーチェ嬢が変なことばっか言うから歯を剥き出しにするんだろ?」


「私がいつ変なこと言ってるのよ」


「少しは自分で考えろ、むしろ少し考えてから喋ったほうが良いぞ」


「思ってる事言わないと勿体ないじゃない!」



 たまに居るよな、言わないと気が済まないって人。僕は別におしゃべりな人種じゃないので脊髄反射で物を言う人の気持ちがいまいち判らない。なお、ルーチェと初めて会った頃は口下手と思われてたらしいが。



「でー、アンジェ先生、試験問題デキましたぁ?」


「カロリーナ先生、大丈夫ですか? 顔真っ赤ですけど」


「えへへー、少し酔っちゃったんですけろー、だいじょうるらのれす」


 そう言って両人差指を自分の頬に当てて首を傾げるカロリーナだが、あまり大丈夫そうには見えない。この前の領都大会遠征では泥酔して絡み酒を演じてたがラバトやカオリルナッチ曰く『相当の酒豪』らしい。どこまでが演技なのか判らない……ということにしておいた、センシティブなことだからな。カロリーナは胸元の眼鏡を掛け、手渡した試問を見る。ただ、胸元のボタンをわざと外してるのか、胸の谷間がちらりと目に飛び込んできたが。



「へぇー、先生の想定平均点はどれぐらいでしゅのー?」


「ん? 七十点程度で考えてるんだが」


「あのルーチェ先生、これ解いてみてくださいー」



 カロリーナは掛けてた眼鏡を外すと胸元に差し込み、試問をルーチェに手渡した。

 これは解る、胸の薄いルーチェに自分の厚みを見せびらかせてるのだ。むっとしたルーチェと勝ち誇った顔をするカロリーナが対照的である。ルーチェはワインをがぶがぶ飲んでから試問に目を落とす。



「え? 下図のように初期に高さhの平面を速度Voで走行……解るわけ無いじゃん!」


「おい、それ一問目! しかもけっこう基本的な良問だぞ?」


「てかなんで法物理学ってヤツは『高さh』とか、『速度Vo』とかヘンテコ単位を使うのよ! そんなもん出されたら解く気失せるわよ!」


「あのなぁ……じゃあ『高さT』だったらそのTは何だよってなるだろ?」


TAKASA(たかさ)じゃダメなの? というか『高さ』だけでいいでしょ?」


「ダメだ、高さがあれば位置エネルギーがあると見做されるからな!」


「もうわかんない! アンジェリカの頭の中、どうなってるのよ!」



 本当どうなってるんだろうな。まぁ同じことジェイリーやミノンに前にも言われたんだがな。……僕自身、世界の真理は法物理学だと思っているんだがな。それを言ってうんうんと頷いたのはジョルジェとデリッカとポーリァだけだったが。



「その一問目、実はこの前やった小テストなんだよ。皆んな解けてたし、授業態度も良いからサービス問題でこれを出すぞっていう指名問題なんだよ」


「やっぱり前にミモーゼン先生が仰ってたのは本当だったんですね。――アンジェ先生が赴任してから理系科目の成績が伸びたそうですよ、学生全体で」


 カロリーナのところへ戻ってきた試問を再び胸元から眼鏡を抜いて掛け、人差指で追いながら何度もそれを眺める。ミモーゼンと言えばこの学院の算術一般の教師だ、四年次からは簡易な帳簿記入法も指導しているが。


「私の化学一般も今まで通りの授業だと学生たちから文句が来るようになりましたからね。この前なんか初等学校みたいな授業しないでくださいって言われちゃったんですから」


「僕はただ単にレジュメ通りの授業をやってるだけなんですけどね」


 僕がそう言って手を伸ばす。試問を返してもらおうと思ったが何故かカロリーナは両手で僕の手を包むように握った。


「この学校って残念学院(シュルードリヒ)と言われてましたからね。少しでもこの学院に来たことを嬉しいと思ってくれたら、教員冥利に尽きると思うんですよ」


「そ、……ソウデスヨネ」


 とは言っても妙齢のカロリーナにこのように手を握られるとドキドキが止まらなくなる。しかもその手が徐々に彼女の胸元へ引き寄せられてるし、うっとりと蕩けそうな瞳に、つやつやの唇、ドキドキが加速する。


「ところでカロリーナ先生、滑舌が良くなりましたから、もう酔いが醒めちゃいましたー?」


「―――ッ!」


と、ルーチェの言葉にカロリーナは桃色の頬が徐々に紅潮していくと、きゃーと言いながら部屋を出ていった。走り去っていった後ルーチェは手にしたワインをくいっと一口飲んで、


「ほんとあの小娘、タヌキよねぇ」


と呟いたのだった。


 なお、試問はカロリーナが持っていってしまったのでまた作り直したのだが。




      ★  ☆  ★




 教師の役割とはなんだろうか?

 この学院で実際の学院長となるカオリルナッチ曰く『カリキュラム通りに授業をやれば良いんだよ』という。そのカリキュラムもシラバスに沿ってやれば良いと言う。そのシラバスは中央省庁が発行する学習指導要領に添って学院長が作ると言う。それだったら教師って誰でも出来るんじゃなかろうかとカオリルナッチに聞いた所、


「そりゃそーよ。アンジェー先生って教員免許持ってるだけでしょ?」


と言う。この国では高等学院で規定科目を取得すれば教員免許がついてくるのだ、別に実務経験は不要だし特別な才能も要らない。


「んまぁ、教員って一口に言っても向いてるヤツとダメなヤツ、クソなヤツと何種類も居るからね。アンジェー先生は『向いてないかも』と思ってたけど評価は変えさせてもらったわよ」


 とはいえまだ教師一年目、まだまだ勉強しなければ。


 さて、ついに僕は帝立学院に戻りたくなくなったのだろうか。




      ★  ☆  ★




 定期考査は無事に終了した。

 赤点落第者は剣闘術会には居なかったし、僕が担当する科目でも居なかった。ただ一回生の成績順列はデリッカが首席、次席にジョルジェ、三席にポーリァと変化が生じたが。しかしその点差もほぼ誤差レベルで別に一喜一憂するものじゃないだろう、主要科目は三人とも満点なのだから。なお差が出たのは声楽の授業だったそうだ、実はジョルジェは音痴らしい、ちょっとかわいい。



「この道場での会も久しぶりだな、今日のリーダーは?」


「ラフェルです。皆体調問題なしです」


「ありがとう。では三日後の昇級試験に向けて全員頑張って貰うぞ」


「はいッ!」「はい」「はいーっ!」


 剣士二級を目指す乙女たちはルーチェが面倒見てくれた。そういえば彼女は教士二級だったな、地味にすごい級数である。なお、あのエドヴィシュ(エド姉ちゃま)は教士一級、帝立武芸館出身者か軍人でないと取れないって噂の級数だしな。


 ジェイリーはひたすら母・キュリルと懸かり稽古したのを思い出しながらの形の稽古だ。あの時のキュリルは形稽古での教則通りの仮想敵を実際に演じてみせ、それに対してジェイリーに無理や無駄が無く徹底的に洗練された演武が出来るように叩き込んだのだ。つくづく、あの小柄な女傑はバケモノである。


 そんな僕も、いくつかの形を使った演武も課題に有るし、他人が行う演武を見て仮想敵の攻撃手数の分析をしなければならない。他にも審判をするための競技規則の暗記や公式指導要領に関する論文も出る。随分前にキュリルやホルヘが『覚えるのが大変』と言ってたが、確かに大変だった……、かな?


 初心者ポーリァにはラバトが付いてくれた。倉庫から出してきた打込台の防面部分に教頭レオスの似顔絵が貼り付けられてたが。


「いいか? 今からの稽古はレオスをブチ○す練習なんだからな、この打込台を破壊するぐらい叩き込んでやれ」


と言うラバトだが、異常なまでに真面目腐った顔だ、きっと本気で言ってるのだろう。まぁレオスは今朝しがた、新聞に折り目が付いてたとラバトをこれでもかと怒鳴りつけてたからな。相当腹わたが煮えくり返ってるのは見て取れる。


「はい、一振一殺の気持ちで打ち込むんですね、解ります。私も今朝、レオスハゲにお尻触られたんで!」


 そう言って規定箇所を大声で叫びながらきっちり打ち込んでいくポーリァも相当だろう。てか小柄で子どもにしか見えないポーリァの尻を触るなんて、ただの変態だ。中にはそういうのがお好みという性癖の方もいらっしゃるそうだが。


「みんな、合格するといいよな」


 そう思いながら僕も形の稽古をするのだった。

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