839◇臨界の壺に張り付く蛇王
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うげぇ、と半分死にかけのグロッキー状態で『少世界』に転がり込んだ私は、誰かが来るのをひたすら待つ。
……ここまでの行動による好感度次第でくる人が変わるあれ。恋愛ゲーとかでありそうなやつ。
サイケデリック視界とかいう地獄を見ながら、足音とかで誰か来ないかなと……ふーん。
「ハンッ、無様ね。ぽっと出の“救世主”ごときにそこまでボコボコにされるなんて。アンタならあそこまでしなくても殺せる方法、いくらでもあったんじゃない?」
ガツン、と蹴り飛ばされる。どこから来るのかわからない以上、私にそれを拒絶する権利はない。
「そういう所が手ぬるいのよ。やるならもっと過激に、悪辣に。徹底的に根底を折るくらいにやりなさい?」
見えないけれどhpが削れていっている感覚はする。
誰か来い、とは言ったもののリルトンはちょっと予想外だなぁ。
「ノアを殺すのが、目標じゃないからね……」
「言い訳?随分と上から目線な対応ね。そんなんじゃお姉ちゃんを──救えない。また無駄な命が散ることになるわよ」
「また、ってどういうこと?」
「私、今かなりイラついてるの。わからない?」
わからないが……
突然現れて「私怒ってます宣言」されても、普通の人は何もわからない。ましてや視界が封印されている私にわかるわけがない。せめて平常時にその無茶振りはふって欲しい。
「お姉ちゃんの期待、それを貴女が裏切ったからよ。悪い意味でね」
「え……?」
「お姉ちゃんは、一人で何とか出来ると期待したからこそ、貴女を一人にした。それでこの結果、この体たらく、この無様!挙句の果てに『自分で縛りを設けてたから仕方ない』なんて言い訳!?見苦しいにも程度ってもんがあるでしょ!」
視界情報が完全に封印されている私には、リルトンがどんな表情をしているかを読み取ることは出来ない。声色で詳細な分析が出来る程、正確性もない。
「お前が、貴女が失敗すればするほど!お姉ちゃんは自分を嫌う!そんなこともわからないの!?」
「確かに貴女の『観測』は協力して解決すべき事案かもしれない。それは認めたとして。その上で、お前だけ解決して貰いっぱなし。その為ならいくら迷惑をかけてもいい、って態度は許さない」
「結果良ければ全て良し?そんなわけないでしょう!お姉ちゃんが幸福になるための最小限の犠牲はわかる。その為に必要な苦労は割りきれる。でもっ、お前の傲慢がなければ、或いはお前が努力すればどうにかなる苦労を背負わせるのは意味がわからない!甘えるなよ一般人風情が!」
より一層強い蹴り。
どこかの壁に衝突した感覚、そして痛みがする。
本来全力でやっていたならば、当の昔に私は死んでいるはずなのだから……今死んでいないということが、逆説的に叱咤激励であることを証明している。
「確かに私は貴女の天敵。貴女は私の天敵でもある。だから普通ならこんなことしないし、したくもない。反吐が出る!でも、それ以前に私はお姉ちゃんの……お前の婚約者、その妹なのよ。姉を苦しめ続けるヤツを糾弾する権利のひとつやふたつ、あってもおかしくないわよね?」
リルトンの言うことは今のところ正当なもの。
確かに姉の婚約者がろくでもなし、ろくではないクズだったとしたら妹は糾弾……或いは説得の権利くらいはあるはず。私だって仮に姉がいたら、説得を試みるくらいはしたかもしれない。
ああ、それこそセリアの彼氏がクズだったら全然キレるのと同じ理屈。
今、リルトンの語った話における唯一の問題点。
それはアリス側の意見。本当にアリスがどう思っているか──
「お前が勝手に野垂れ死ぬなら勝手にしろよ。でも、それはお姉ちゃんにどんな苦労も心労もかけないで、よ」
「そんなの──」
「そんなの無理って言うなら、死ぬなよ。生き続けろ。お姉ちゃんの幸福を生み出し続けてくれる?」
極論を言えば、今の言葉はアリスに好かれ続ける努力をしろ。愛想を尽かされないようにしろという話でしかない。
わかる、言いたいことはわかる。
「でもね、ノアは別にぽっと出の“よくわからない人”じゃない。端役じゃおさまらない──」
「それが?だからどうしたのよ。端役じゃないなら苦戦してもいい?苦労に繋がってもいい?アホじゃないの?」
「──如何なる相手を前にしても、お姉ちゃんの幸福の為に完勝しなさい。お前とお姉ちゃんの間の物語以外での余分な苦労なんて論外よ。そういうのは聖女や機人類にさせときなさい?」
「やっぱり狂ってる、って……!」
「本当に今更ね。私は──リルトンは、お姉ちゃんの為に国を滅ぼす女よ?無理難題を押し付けた位で狂ってるなんて頭沸いてるのかしら?」
くらくらと揺れる視界の中で、ぼんやりとリルトンの輪郭が見えるようになってくる。
奇跡でも気合いの結果でもなく、ただの時間経過による症状回復。
「文字通り、よ。文字通り私はお姉ちゃんの為なら全てを犠牲にしてみせる。だからこそっ、それを阻むゴミがいたなら──例え神ですら殺してあげるわよ」
他でもないアリスに関すること。私ではない、アリスに関することである。たったそれだけの理由で私は立ち上がる。
事実として立ち上がれているかは関係なく、立ち上がるという動作そのものが重要となる。
「そう、ね。随分と完璧主義じゃない。リルトンにしては」
「当たり前よ。そんなの当たり前でしょう?お姉ちゃんの為には如何なる誤謬も過誤も許されない。たとえ神が許しても、人間が許さない。甘ったれるなよ。お姉ちゃんに何も教えて貰ってない余所者の分際で」
最近徐々に明確になっていた言葉の槍がハッキリと形を得て突き刺さる。
私がアリスに何も教えて貰っていない。教えて貰うまでに辿り着いていないということを突きつけられる。
だから、だから私は早急に『観測』についての問題を解決しなきゃいけなくて。それがなければ資格がないも同然だから……
「お前は何度言われればわかるの!?お前の思い込みがお姉ちゃんを傷つける!『観測』だの何だの言い訳なんかせずにっ、まずは一人の人間としてお姉ちゃんに──ッ、アリスに接しろよッ!」
立ち上がった。確かに私は立ち上がったはずなのに、途端に地面がくずれていくような感覚を抱く。
「お前はさぁ、無理すれば誉められる幼稚な立場じゃないのよ!『観測』を崩す為に色々頑張りました、自分の限界を越えて何とかギリギリ成長しました?頭可笑しいんじゃない?お姉ちゃんはそんなギリギリで死にかけのお前が好きなわけじゃないでしょう!?」
「それともお姉ちゃんは“すぐ死にそうで目を離せない花奈”が好きだと本気で思ってる?だとしたら、この場で冥土への片道乗車券を発行してあげる」
──目を閉じる。虹色の世界と自分とを一度隔絶させる。
隔絶した空間と空間、増殖機能、エネルギー変換能力、一定値保存の性質。それらをもう一度脳内で確認し、自身の生物性を確認していく。
「要は無理するな、って忠告でしょ?有難いお言葉結構、お蔭で目が少しだけ覚めたことには感謝してあげる」
──その上で、だ。
「その言葉、そっくりそのままリルトンにも返せるよね?」
瞳を開ける。一時的に戻った視界が、死にかけのリルトンを網膜に映してくる。
「……」
言われるまでもない。誰が言ったか、と何を言ったの正統性については完全な相関性というのは存在しない。
犯罪者の言ったフェルマーの最終定理が嘘になることもなければ、数学者の言った1+1=3が真実になるともないのと同じように。
真理というのは発信手に関わらず一定であるのだから。
それはわかる。理論上の話ね。
でも、それはそれ。
「それで、何でそんなボロボロなのよ。リルトンこそ無理したんじゃないの?」
「
「貴女達のいない隙を狙って王都での大虐殺を済ませてきた、とかだったら?」
「そんなわけないでしょ?」
うん、そんなわけない。リルトンはアリスが壊れない限りアリスの創作物を壊したりしない。そもそもの話として、仮にそんなことが起こってたらアリスから私に何かしらの連絡が来る。
焼け爛れた皮膚、赤黒く残った衣服の染み。
尋常なことでは発生し得ない致命傷を負っているようにしか見えないリルトンは、それでもなお最大に見える。
「言いなさいよ。私はね、アリスの幸福の為には間違いなくリルトンが必須だと考えてる。だから、内容次第では──それこそ、無理を通すことになる」
「はぁ、わかったわよ。なら教えてあげる」
「──次の貴女達の相手は『賭博の神王』。古代人類の抱えた妄念の怪物よ」




