838◇虚ろな観測、跳ねる彗星、夢との心中
──移り変わる、移り変わる、移り変わる。
戦況が、状況が、空間が、世界が移り変わり続ける。
一瞬たりとも不変の世界が存在しない。まるでそうあれと調整し続けているかのごとく、変わり続けている。
事実、それは正解でも不正解でもある。
確かに、片瀬花奈は世界へと刹那における切り替えを強制し続けている。
数千年前の文明を殺した金属の槍、人間が生きていた頃の古代神秘、仮定された架空存在の顕現。
それらを豪勢に使い捨て、有象無象の如く砕け散らせる。
それは確かに世界を変動させ続ける行為である。されど、それが目的ではない。悠久の不変を否定する為に彼女は動いているのではない。
──『希望の方舟』に巻き込まれないが為に、変動を強制しているのである。
「どんどん行くよーっ!」
数秒前に放たれた掛け声。それからの攻撃はまさに猛撃と呼ぶのに相応しい──連撃であった。
秒間に50を越える転移、すなわち死角への移動。そこから放たれる魔術と打撃。素早い身のこなしとそれらが組合わさったノアの攻撃に、花奈は防御することで精一杯であった。
いや、防御すらも怪しいものである。
世界を観測する視線も、素早さすらも前回の五百分の一である。五百倍の差、それは歩行速度と地球の自転の速度程度の比率にも昇る。
或いは歩行速度とマッハ1.5弱との比較、と考えても大差はない。
「ふふーんっ、どうだ!」
ノアは余裕綽々、天衣無縫、縦横無尽と世界を駆け回る。
対する花奈は後手に後手にと回らざるを得ず、世界を変えているのすらも次善的対応策にしかならない。
縛りプレイじゃキツいなぁ……!
そんな本音を表に出さぬように、神話における絶対的回避不能の槍──即ち、隻眼の神槍を模倣した武具による攻撃を試みる。
「うわぁっ!?」
だが、決して逃れられぬ槍というのは必ず当たる槍とは異なる。
それは今回のように時間制限がある模擬戦であればなおのことである。
何故ならば、回避し続ければそれただの追跡弾と変わらず、同時にノアはそれを可能にするだけの移動能力を獲得してしまった。
自由な空間転移とは、自在な移動手段とはかくも強力なものである。
ノアでこれなら本家本元の『空域歪極』はどれだけヤバかったんだろう、と既に潰えたエネステラに思考を馳せるほどには現実逃避したくなってくる花奈。
「この槍物理法則無視してない!?まあいいけど──ねっ!」
神話に語られる主神の槍すらもただの障害物になり下がる戦闘。これこそまさに神話時代の……もとい、魔法文明の戦闘だろうなぁ。
「危ない危ない、『観測』も切れかけてるって!」
思考の整理、状況の分析、圧倒的不利からの逆転劇。
世界を巨大な──そして何度でもやり直せる──実験装置だと捉える『観測』の描くプロットをなぞるように劇を進めていく。
追い詰められる、防ぎきれなくなる、攻撃があたり始める。
完全に追い詰められ、『定義』以外の撃破方法を既出法則以外では見いだせなくなってくる。
「定義──」
踏み込む一歩。世界を塗り替え、思うがままの法則を一つ創り出すルール違反を越えたルール創造。
自分にとって都合良い面しか持たない『観測』の誇る通常技の準備をする。
一瞬にして魔素を支配下に置き、十三個の異常素粒子に観測の浸潤を届かせる。
「っ!」
刹那、全否定の前兆に気づいたノアが距離を取る。
ああもうこれが面倒臭い!勝てない要因じゃん!という思考と同時に溢れてくる『予定通り距離を稼げた』という安堵。
これ以上代償を重ねると詰みに向けて加速するだけ。
例えノアに追い付くほどの加速をかけたとしても、倒しきれるまでに解除されるのが目に見えている。
故に『叡知の図書』は不必要。
手札が一つかける。
温度変更を始めとした損傷共有などなど、つまるところは小回りの効く魔法群体は小回りが効くが故にノアには通じない。
小手先のテクニックでは、大味に大味を付け加えて無双してるノアには当てることすら出来ない。
さらに言えば、イシュタムが使っていた魔術法を使える可能性がある。たったその一要素を思考に挟み込むことによって、遠距離を保ち続けるというのが得策ではなくなっていく。
従って、『渾然の夢狭間』は不必要。
手札がまた一つかける。
「ふっふーんっ!前はもっと速かったよね!まだまだ全力を出してはくれないってこと!?」
全力を出さないんじゃなくて、全力を出せないのよね、と悪態を付き思考を回し残りの手札の欠損……或いは不必要性を証明する。
ノア=エフティという人物が持っている危険視すべき能力は空間転移のみ。しかしその空間転移が全てを壊滅に追い込めるほどの能力でもある。
いや本当に正面きっての私との戦闘でこれなんだから、手段とか一切選ばなければ初見殺しフェスティバルとか開催出来るんじゃない?
「あれ……少しずつ対応出来るようになってる?」
それはそれとして、長時間『観測』で対応し続けているんだから多少は対処できるようにはなる。
要は速さに目が慣れてきた、ってことだけど……うーん、正直ダメダメのダメ。
ミスらないとかそういう理論値の話ですらなくて、単純にこの対応策を続けると先に燃料切れするのは私の──花奈のほうであるからだ。
集中力が切れかけて『観測』の客観分析すら崩れかけ、大体全ての手札が品切れか不必要、或いは無力化される。
夢幻を誇る千変万化たる手札、その手札が悉く潰える。
へぇ、面白いじゃんという本物の『観測』がアップを始める。
──そしてこの瞬間、残存mpが0になる。
「うん……?」
手札が完全に尽きた。それが意味することは観測不可能。
これ以上観測が不可能である。手段が消えたが故にこれからの未来を観測することが──『観測』の存在意義が達成不可能になる。
まああくまで模擬だから全解放ではないけれど、それでもノアが決戦って言ってたからね。
ここからは、完全に違うターン。
『観測』の終焉によって始まる……非論理性の力のターン!
「──観測の終焉」
アリスとの連絡が途絶える。それは外界の観測手段が途絶えたから。
セリアとの花弁による報告が途絶える、ラスティとのリンクが途切れる。
「はい、こっちっ!」
直感と幸運だけを信じて、ノアの来る方向を正解させる。
1回あたり10%の幸運も100回続けば、まるでそれが必然かのように感じられる──なんだっけ?正常性バイアスみたいな感じのやつよ!
「さ、こっからは魔素も神素も関係ない……私のターン!」
背後に開くは巨大な『天異境』への扉。
それが果たす機能、それ即ち花素の半永久的無限供給。
「未来予知なんて知ったことか!花素の本領、“あり得ない”の集合を見せてあげる!」
僅かに残った正常な『観測』が分析を始める。それはまるで最後の意思だとでも言うようで。
──花素。
非論理的概念を論理的概念に接着する為に存在する唯一の例外異常素粒子……それが純粋化したもの。
これがなければ世界は世界として機能し得ない、故にどの世界においても『異法』があるならば存在しなくては──
ああもういいや、と発動させる。無法の力が何か知ってる?ってやつよ!
手を握りしめる。それだけでそこにあった空間が抉れ、ボール状になる。
「えっ!?」
勿論、現実はそんなこと起こっていない。
ほとんど何の代償もなく、空間の抉り取りなんて出来るわけない。
「よいしょ、っと!」
そして、その抉り取れたボールをノアに向かって投げる。
当然、考えるまでもなく“空間”は投げられるものではない。
「うわぁっ!?」
避けようとしたノアが引き寄せられ、同時に転移で逃げようとして──想定と異なる場所に出たことに驚き、転びそうになる。
最早言うまでもないけれど、“投げられた空間”には人を引き寄せる力なんてない。空間転移の計算をバグらせる能力なんてなおさらあるわけがない。
あったら私が欲しいところだよね。
ふわり、と腕を振りかぶるだけでパラパラと空間の破片が落ちていき、そこに飛べないと認識したノアの顔が驚きに染まる。
次の瞬間、転がり落ちる破片が列をなしてノアに襲いかかる。
攻撃の自動追尾機能、あったら本当に便利だよね。mpの無駄とかなくなりそうだし。
……個人的には、この状況においても空間転移を発動出来ていることが何よりも驚きではあるんだけど。
「『夢幻空間』の力、見せてあげようじゃない」
割れた観測が最大出力じゃないから、こっちも最大じゃないのは許して欲しい。
そんなことを考えていると、自然に重力の倍率が変動していく。変動し、変動し、変動し続けて──ロジスティックス写像だな、と紛れが入る。
その瞬間、重力が通常のものに戻る。
そして、こういうタイミングだからこそ最大の反逆も自在に混沌を主張してくる。
時間の流れがおかしくなり、ノアの見ている時間……私の感じる時間、ソフィアさんの感じる時間、そしてそれ以外から見える時間が歪む。
思いつきひとつ、ハッタリの二つでノアの周囲に摩天楼が生え、枯れる。
縮尺も常識もかなぐり捨てた魔境に対して、困惑が完全勝利を果たしたノアがいる。
「なに、これ……?」
ハッタリをかます。それを極限まで拡大解釈するとこうなるのよ。
騙すという行為の先鋭化。他人を騙す、自分を騙す、世界すら騙す。そこまで言ってしまえば最早真実と変わらない。
花素とはそういうもの。万人が信じているならば、それが真実かは一切関係なく現実にしてしまう働きを持つ素粒子。
逆説的にこれが偽物だと気付ければ、私側からはどうする術もなく解除される脆弱の塊。
大胆不敵に、余裕綽々に、絶対的自信を構えて──そういう認識すらせずに、自然とそれらを行うことを要求してくる異法。
究極の自己暗示であり、臨界の世界詐称。
──全員がそう思っている限りは、それを真実とする。
全能神を騙ることにより森羅万象を成し遂げる。
だって『観測』を持ってるのだもの。たったそれだけの因果にすらならない理論で宇宙の全権を引き出していく。
「私の職業を忘れて貰っちゃ困るよね、ってこと」
表向きには『夢幻空間』という宮廷魔術師。
裏向きには【不思議之住人】という役職。
「それで、まだ続ける?」
早く終わってくれ、と心の中で祈りながら問いかける。
視界が薬打ったのか?ってくらいぐちゃぐちゃになってるから、これ以上はやってられない。
サイケデリック世界になってるって。
「……う、うぐぐぐぐ。だーっ、今回はわたしの負け!」
正直なところ、観測が機能しないとか以前に視界がゲーミングしてるからとても困る。
いるであろうノアもソフィアさんも草木も識別出来てないから、相当に不味いのよね。
まあいいや、もうひとハッタリかましますか。
「それじゃあ私はここら辺で失礼させていただきます。今日のことはお互い内密に。そっちのほうが王女様にとって得でしょうからね」
そう言って、私は開いているはずの『天異境』に転がり込む。
二人の声や草木の音がしなくなった、ということから確かに逃げ込めたことを確認する。




