都市 プロローグ13 洞穴
「よう」
この冷気に満ちた密室を出ると、そこはさっき俺たちがいた暗闇のトンネルだった。
そこには白い防護服の抜け殻と、少女の裸体があった。
「なにをしにきたの?」
少女はそう言った。
「そりゃお前。籠を運びに来たに決まってんだろ」
俺はそう言った。
「まだ出ては…駄目よ、ゴホッゴホッ」
彼女は咳き込みながら、そう言った。
「俺がいったん気絶するのを待ってたわけか。あんたには一杯食わされたぜ」
俺はそう言った。
「あなたがいう事を聞かないからよゴホッゴホッ」
「私に構わず、黙って一人で籠を運んでいればよかったの。それに私はもうすぐ死ぬのよ」
彼女は続けてそう言った。
「ああ。見ればわかる」
俺はそう言った。
さっき見たときに彼女のへそのあたりまできていた黒くもやもやしたものは、今では胸のあたりにまで到達していた。
これでは、まるで黒装束を纏っているように思えた。
やがて、その華奢な身体全体を覆いつくし、彼女は絶命してしまうだろう。
「どうして脱がせたりなんかしたのよ。あれほど危険だと言ったでしょ」
「俺は自分で行動してから、考えるたちなんだ」
「そんなことより、お前こそどうして俺を籠に入れて助けたりなんかした?」
俺はそう尋ねた。
「運ぶ人間がいなければ、あの子が困るもの」
彼女はそう言った。
「そうか。なら今度は俺の言うことを聞け」
俺はそう言った。
「もう脱ぐものがないわ」
彼女はそう言った。
「あいつのところ(籠の中)にいけ」
俺はそう言った。
「それだけはだめよ」
「タタリを纏った者が入ったらなにが起こるかわからないわ。それにあの子にも危険が及ぶかもしれないもの」
彼女はそう言った。
タタリというのはあの黒くもやもやしたもののことだろう。
「やってみなければわからん」
俺はそう言った。
「駄目よ」
彼女はそう言った。
「逆らうなら、俺はあいつを外に連れていかんぞ」
その時だった。
籠が内側からゆっくり開く音が聞こえた。
そこから幼女がひょっこりと顔を出した。
同時に籠の中からの冷気が漏れでた。
「なんですか?これ」
顔以外のほぼ全身が黒で埋めつくされた少女の身体をみてそう言った。
「お前中に入ってろって…」
俺は幼女にそういいかけた。
「なに…これ?え…。おねえちゃん?」
俺の声を遮って、幼女は声を上げた。
「嘘、いや」
「嘘。こんなの嫌、いや嫌、嫌、嫌ああああああああああ」
幼女のその目は、絶望や嘆き、憎しみというより深い哀しみに満ちていた。
すると幼女の身体から、白みを帯びた手や羽のようなものが、もやもやと湧き出た。
或いはそれは俺の幻覚かもしれない。
それと同時に、トンネル内に凄まじい風が吹き、轟音が響き渡った。
それは、まるで崩落してしまうのではないかというほどの音だった。
すると、突然闇の中から、一つの白い光源が、空中に現れた。
それはやがて白い球体へと広がりを帯びていき、俺らのいるところは、白い光に埋め尽くされた。
一様に広がった白い光は、少しずつ弱まっていき、しばらくして元の暗闇のトンネルへと戻った。
しかし、おそらく本質的には元のトンネルとは何から何まで違っているだろうと思った。
俺はゆっくりと目を開けた。
すると近くで話をしている少女二人の姿が目に入った。
「おねえちゃん。どうして?」
幼女は、彼女の黒く焦げたような身体を見てそう言った。
「わたし、直せるよ。これくらいのケガ」
幼女は続けてそう言った。幼女はひどく泣いていた。
「大丈夫よユス。大丈夫」
少女は幼女の髪を撫でるような仕草をした。
「おねえちゃんはここで眠っていったらすぐ戻るよ」
少女はそう言った。
「嘘だよ。おねえちゃん嘘をつくとすぐわかるもん」
少し怒り気味でそう言った。
「あなたにも見破られてしまうとはね」
少女はそう笑いながら言った。
「いい?ユス。よくきいて」
「嫌だ。おねえちゃんを連れて帰るよ。本当に治せるんだよ。おねえちゃんのケガ」
二人とも、もう彼女の身体がどうにもならないということを知っていた。
それでも幼女は少女の胸をさすった。
するとガリっという音が聞こえて、彼女の身体の一部がボロボロと崩れ落ちた。
まるでトーストの焦げた部分のように粉々に崩れた。
「え?」
幼女はすっかり脆くなってしまった少女の身体に驚きを隠すことはできなかった。
「大丈夫。大丈夫よ」
少女はそう言った。
むしろこれほど全身が脆くなってしまっては、どこから話す気力が湧いてくるのだろうと思った。
「あなたは何の心配をする必要もないわ」
少女は続けた。
「治せるんだよ。さっきあの人のケガも治したもの」
幼女は、そう泣きながら言うと、今度は少女の手を強く握った。
すると少女の手をボロボロと崩れ落ちた。
「そんな」
幼女はもう彼女に触れることはしなかった。
それでも少女は幼女の顔をみながらにっこりと笑っていた。
俺たちは、あのトンネルを抜けて、森を出て、二人で崖の上で座っていた。
洞穴を出たときには、ここもちょうど朝になっていた。
崖下には、集落、そしてそれらを取り囲む、森、遠くにはほのかに山の尾根が見えた。
「いったい私、どうすればいいんでしょう」
幼女はそう言った。
「じっくり考えてみろ。まだ時間はある」
俺はそう言った。
「そう言われましても。私、わからないです」
幼女はそう言った。
「私、ずっと前から探していたんです。お姉ちゃんの事を」
「随分前になりますけど。私と同じように、お姉ちゃんも籠に乗せられたんです」
幼女はそう続けた。
「そうか」
俺はそう言った。
「驚かないんですね?」
幼女はそう言った。
「ああ。それにもう昔の話だろう?」
俺はそう言った。
「私たち、あの檻で知り合ったんです。あなたがあの時入っていた檻におねえちゃんはいました」
「いつも険しい顔をして、話しても難しいことばかりで、最初は苦手だったんです」
そう言って幼女は、俺にあの少女の事を話した。
「あなた名前は?」
あの人はそう言いました。
「えっ。なまえですか? えっと」
私はそもそも名前がどういうものなのかわかりませんでした。
「あなた名前もわからないの?」
いつもの顔と違ってどことなく温かったことを覚えています。
その目は他の人が私に向けるものと違っていました。
「ちょっと、難しいことはよくわからないです」
私はそう言いました。
「ふふ。あなた面白いわね」
このときあの人はくすくすと笑ってそう言いました。
「むう。馬鹿にしました?」
私はそう言いました。
「もちろん」
「あなたはなまえ、あるんですか?」
私はそう尋ねました。
「ないわ。必要ないもの」
「わたしと同じですね」
「あなた欲しいと思ったことある?」
あの人はそう言いました。
「なまえ、ですか?」
「そう」
「うーん。よくわからないです」
私はそう言いました。
「じゃあお互いに名前を考えてみない?」
「そしてお互いに呼び合うの。他の人にも教えない、わたしたち二人だけで呼び合う名前」
彼女はそう提案しました。
「なんだかおもしろそうです。なまえってどうつけるんですか?」
「なんでもいいわ。でも、あんまり変なのはいやだけど。次会う時までに考えておきましょ?」
そして、次の日の事です。
「決まった?」
彼女は私の顔をみるなり、私にそう尋ねました。
「はい!」
私はそう言いました。
「じゃあ、お互い同時に言いましょう。いっせいーのせいっ、で」
「はい」
「それじゃあいくわよ」
「いっせいのせっ」
「ユス」「おねえちゃん」
「ふ。ふふふふ」
「ユスなんだかいい響きです。わたしのはどうです?」
「ふふふ。気に入ったわ。今日からあなたはユスで私は"おねえちゃん"よ」
「はい!」
この時、名前がどういうことなのか、お姉ちゃんがどういう意味なのかも全然わかっていませんでした。
でも、彼女はその名前に満足しているようでした。
とにかく、その日以降、私たちはお互いの名前を呼び合いました。
私たちは檻で長い間、生活していくうちにすっかり姉妹のように仲良くなっていました。
今思えばあのころが一番楽しかったと思います。
ある日の夜、寝れなくなった私は、隣の檻に目をやりました。
彼女も、目を開けて何だか難しそうな顔をしていました。
「お姉ちゃん、起きてる?」
「起きてるわ。ユス」
「どうして、私たちは閉じ込められているのかな」
私はそう言いました。
彼女はその答えをなんとなく知っている気がしました。
「わからないわ。でも出られるのも時間の問題だと思うの」
「私、ここから出たくない」
私はそう言いました。
「あなた、帰る場所があるんでしょう?」
「ないと思います。気がついたらここにいました。昔のことは全然思い出せないです。おかしいかな?」
「よくあることよ。でも帰るところがないのは寂しいわね」
「そうだよね」
「今度私の家に呼んであげるわ」
「おうちに行っていいの?」
「もちろんよ」
彼女はそう言いました。
でも、結局彼女の家に行けることはありませんでした。
二人で過ごす時間も終わりを迎えていました。
夢のような時間はあっという間に過ぎ去ってしまったのです。
「ユス。どうやら私、出られるみたいよ」
「よかった」
私はそう言いました。
「嘘いわないで。目が滲んでいるわよ」
彼女はそう言いました。
「これはね、うれしいから泣いてるの」
私はまた嘘をつきました。
「嘘が下手ね。大丈夫、また必ずユスと会える日がくるわ」
彼女はそう言いました。
「ほんとう?」
「お姉ちゃんが嘘をついたことあるかしら?」
「たくさんあるよ」
彼女は檻の向うから、私の額を突こうとしました。
「また必ず会いましょう。その時は私の家に呼ぶわ」
「本当?」
「ええ、約束しましょう」
それから長い時間が経ちました。見ることはありませんでした。
風の噂によれば、もうこの村にはいないとのことでした。
おねえちゃんはどこか遠くのところに行ってしまったのです。
おねえちゃんがいなくなって以降、隣の檻の中にはたくさんの男の子や女の子がきました。
でも私はもう人と話しませんでした。
みんな、どうせ私の前からいなくなってしまうからです。
私はその日から穴を掘るようになりました。
「ごめんなさい。結構長く話し込んじゃったみたいです」
幼女は我に返ったようにそう言った。
「構わない。時間はいくらでもあるんだ」
俺はそう言った。
「私、外から出してもらったとき、もしかしたらおねえちゃんと会えると思って、嬉しかったんです」
「でもあれは、あれは…。あまりにもひどすぎます」
幼女はそう泣きながら言った。
「皇太子様、これ以上の深追いはおやめください」
彼女はそう言った。
「大丈夫だ」
私はそう言った。
「だめです。死にたいのですか?ここから先は安全区域外です。私が先に行って確かめてまいります」
いつも淡々としている彼女が、ここまで声を荒げるのは珍しかった。
「それはならん。これはお前には関係がないことだ。一人で行く」
「おやめください」
彼女はそう言った。
「これは」
その時、私は異臭を嗅いだ。
これは死体が焦げつき、腐り始めた匂いだ。もはやここにおいてその匂いは日常茶飯事であったが、
いつもこの悪臭だけは我慢ができなかった。
これなら王宮で、国事をやっている方が何倍もましだ。
近づいてみると、白い防護服を着たまま倒れている者を見つけた。
この白い防護服は、決して自分の身を守るためのものではない。
中身の肉体はとうに腐っているのだ。
「あの者達が運搬中に襲われたのでしょうか?」
もう一人の兵士がそう言った。
「うむ。しかし、遺体が一人だけというのが妙だな」
私はそう言った。
「やはり先に進んだ方が良いな」
私は続けてそう言った。
「だめです。焦ってはいけません。まだ時間はあるのでしょう?少し様子を見てから向かいましょう」
彼女はそう言った。
ここは彼女の言うとおりにした方が良いと思った。
「そうか。そうだな。やつらの気配をいつでも察知できるか?」
私はそう言った。
「はい。しかしとにかく今は危険です」
彼女はそう言った。
その時だった。
トンネル内がガタガタと揺れ始めた。
「じ、地震ですか!?」
兵士は動揺してそう言った。
彼女は、剣を抜く体勢をとっていた。
私はトンネルの奥の方をみていた。
「こ、これは」
私はトンネルの奥の方に、ほのかに白い光源をみた気がした。
「どうかしましたか?」
彼女はそう言った。
「いや、なんでもない」
私はそう言った。
「準備が整い次第、先へと向かうぞ」
私は続けてそう言った。
あの白い光。こんな暗闇のトンネルで突如光出した強い光源。
連続的に設置された、蛍光ランプと見間違えた可能性もあるが、それならあの揺れとともに突然光出すようなものではない。
トンネルの奥で、間違いなく何かが起ったのだ。
そしてあの白い光が、もし、あの時みたもの、と同じだというのなら。
"あの15年前"に俺の前に舞い降りた、奇跡の光。
「気が済んだか」
俺はトンネルで死ぬ前の少女に、そう言っていた。
幼女は、衰弱している少女を目の前にして、遠くの暗闇で泣いているだけだった。
「ええ。満足だわ。ここまで良い死に際を迎えられるとは思わなかったもの」
「そうか」
俺はそう言った。
「私ね」
「うん?」
「あの子をずっと見捨てようとしたわ」
彼女はそう言った。
「籠の中にあの子がいるって知ったうえで、仕事も引き受けたのよ。
実際あなたがここに来なかったら、籠を持って引き返そうなんて考えなかったもの」
「ああ。ところが俺が来てしまって気が変わったと?」
「そうね」
「おかげでアンタは死んでしまうけどな」
「ふふふ。まあそうなるわね。でも私すごく幸せよ」
「それならよかった」
「お前、名前は?」
俺はそう尋ねた。
「ないわ」
彼女はそう言った。
「嘘つけ」
俺はそう言った。
「あの子が知っているわ」
「あなたの名前は?」
「キル」
俺はそう言った。
「ほんとは?」
「アイン。アイン=エマールだ」
「そう。素敵な名前ね」
少女はそう言うと、ゆっくりと目を閉じた。




