都市 プロローグ12 洞穴
「もうかれこれ十五分も経ったわ」
彼女はそう言った。
「いやまだ五分程度だ」
俺はそう言った。
「あなた時間が測れるの?」
彼女はそう言った。
「大雑把だがな」
俺はそう言った。
時を刻むくらい簡単だ。自然現象、あるいは時計のような道具に頼らなくたって、時間を測れるものなどいくらでもある。
俺自身の身体からの信号だ。俺は無意識に、脈拍をほぼ正確に数えることができる。
そして脈拍から時間への変換も簡単な計算によってすぐにできる。
俺はまさしく今いるトンネルのような閉ざされた空間に入り込むときはきまってその信号によって時を測っている。
無論、普遍的なものではない。
誤差はある。酷く動揺すればその分、乱れてしまうだろうし、いつも回数を完全にカウントできるわけでもない。
しかしおおよそ間違っていない。秒単位ならともかく、分単位では間違えないだろうという自信がある。
「あなた。なんでもできるのね」
彼女はそう言った。
「そんなものは、できるうちには入らない」
これは技術と呼べる代物ものではない。
こういうのは生きていく中で、自然と身につくものだ。
「そろそろ進むべきよ」
彼女はそう言った。
「そんな状態で進んでも、すぐに倒れてしまうぞ」
俺はそう言った。
「大丈夫よ。出口は近いのよ。少しでも進んでいきましょう」
彼女はそう言った。
結局、二人で籠を持ち上げた出口の方へと進もうとしたのだが、
案の定彼女のペースはひどくゆっくりで、到底このままでは出口へ到達するのは不可能に思えた。
というより彼女は歩くこと自体が、限界のように見えた。
それでも、俺たちはなんとかブロアーの回る音が間近で聞こえてくる地点まで到達した。
出口はもうすぐ近くのはずだ。
しかし彼女は突然俺に籠をおろすよう促して、罰が悪そうな雰囲気で俺にこういった。
「あなたに謝らなくてはいけないわ」
彼女は籠をゆっくりとおろしながらそう言った。
「いったいどうしたんだ」
俺は、置き終わった籠をみながらそう言った。
彼女は、ごそごそと防護服の胸ポケットから何かを探すしぐさをした。
そしてそこから一枚のカードを取り出した。
「これをあなたに預けておくわ?」
「どういうつもりだ?」
「これはこの籠を開けるキーよ。連中からこっそり盗んだものを実は持ってたの」
「なんだって?」
「いい。よくきいて。このキーは非常用よ」
「どうしても籠を持ったままその先には進めないと思ったら開けるの。そして籠を置いて、中に入っている子を連れて逃げるのよ」
彼女は早口で続けてそう言った。
「おいちょっと待て!」
俺は取り乱したような口調でそう言った。
「いいから聞きなさい」
彼女は落ち着いた声でそう言った。
「このトンネルを出たら、この先が大体どうなっているかわかるわね?」
「ああ」
「トンネルを出たら籠は要らないわ。キーを使ってこの籠を開けなさい。
そして入っている子を連れて逃げるの」
「あなた。村の外から来たのよね。山道を知ってるわね」
「ああ」
「村には絶対近づいちゃだめよ。村の人にも見つかってはダメ。とにかく山道から村の外へ出なさい」
「話はそれだけか?」
「ええそうよ」
俺は彼女の背中を思いっきり叩いてやった。
「ちょっと!? なにする気?」
「ふん。えらそうに命令しやがって。ここを出たら、お前が自分で入ってるやつを連れていけ」
「なっ!?」
「大切な人なんだろ」
「あなた、気づいていたの?」
「気づかないほうがおかしい」
「そんなものをむやみに他人様に預けるな。お前は俺を信用しきっているみたいだが、俺は他人のためにそんな大層な事をやってやれるほどお人よしではない。
第一、無事外まで届けだしたとしても、何するかわからないぞ。俺は」
「そう? とにかくあなたにまかせるわ」
「馬鹿言うな。お前が自分の足で外に出て、そいつを背負ってくんだよ」
「ええ、そうね。頑張ってみるわ」
そう言う彼女からは、何かを成す気力が失っているように見えた。
さっきまで、俺と会話していた彼女とは何から何まで違っているように見えた。
でも、俺には彼女の身に何が起こっているのかこのままではわかりようがなかった。
もしわかろうとするなら、俺にできることは一つしかない。
「お前。防護服を脱いでみろ」
「やめて」
彼女は力強くそう言った。
「やはりな」
俺はそう言った。
そして彼女はふらつき、その場に倒れこんだ。
もう満足に立つこともできなかった。
「ならば脱がせるまでだ」
「絶対しないで。そんなことしたらあなたは間違いなく死んでしまうわ」
彼女は手で俺を追い払い、目でそう訴えた。
「やってみるまではわからない」
「脱がせたら殺すわ」
しかし、彼女の目にはそんな抵抗できる気力もなにもなかった。
「つべこべ言うな」
俺は彼女の手を押さえて、首の留め金を幾つか外して、被っているものを剥いで、顔を出させた。
彼女は声の口調やトーンとは裏腹にかなり幼い顔立ちをしていた。
おそらくあの巫女と同じくらいだろうと思う。
巫女と同様、整った顔立ちをしていた。
巫女と違うのは一切、無駄な飾りがなく、少し丸みを帯びた目をしていたところだ。
また、本来なら長いであろう黒髪は、途中でばっさりと、きられていた。
しかし暗闇の中でもつやが見て取れる綺麗な髪をしていた。
彼女は俺をみると、きまりが悪そうな顔をした。
しかし、もう何も言わなかった。
おそらく言う気力もないように見えた。
今度は丸く大きなホックを上から一つずつ外していった。
彼女は俺の事をじっと睨むだけで、もう何も抵抗しなかった。
防護服のそれはかなり頑丈で、一つ外していくごとにカチッという音がした。
彼女は、その防護服の下には何も着ていなかった。
必然的に胸元の一部分が露わになった。
俺はそのまま胸元からへそに至るところまでホックを外していった。
しかし、そこで俺は彼女の華奢な身体に起きている異変に気付いた。
「なんだ、これ」
俺はおぞましいものを見るような声でそう言った。
彼女のへそのあたりからその下まで、黒くもやもやとしたものが、へばりついていた。
どこまでへばりついているかはわからない。
もしかしたら足まで、そのもやもやが続いているのかもしれない。
そして、その黒色は、この暗闇でも認識できるほどの明確な黒だった。
そのもやもやしたものから、おびただしいほどの視線を感じた。
瞬間、俺の頭の中に焼けるような熱さが襲ってきた。
俺はこうして気を失った。
「ほら、またアッタネ?」
彼らはそう言った。
「お前らなにしてんだ」
「随分簡単なことを聞くね。食べてたんだよ?」
「彼女、もう駄目だよ。僕たちに取り込まれちゃったから」
彼らはそう言った。
「まあ君ならわかるよね。というかわかってたよね。ずっと前から」
俺は刃物を取り出した。
「そうそう。それだよその目。その目が見たかったんだよ」
「お前の言ってることが本当なら、手加減はできそうにないぞ」
「いいよ。でもわかってるでしょ。そんなの効かないって。だって君かしこいもん」
俺は構わず刃物を振り回した。
「あ、ああああああ!?」
突如、下腹部に焼けるような激痛が走った。
「わかったろ?君にはなにもできない」
「俺には何もできない」
俺は反復してそう言った。
「そうだよ」
彼らはうなずいた。
「でも正しいよ。君のしていることは」
「正しい」
「そうだよ」
「憎いだろ」
「憎い」
「そうだよ」
「だったら殺さなきゃだめだよ?みんな殺さなきゃ」
「殺さなきゃ」
「そうだよ」
気づけば俺の胸部のあたりまでもやもやとした黒いものがへばりつこうとしていた。
あるいは、それは幻覚なのかもしれない。
もう最初から最後まで悪い夢をみていただけなのかもしれない。
「ああ。殺さなきゃな。でも、まずはお前だ」
「どういうことだい?」
しかし、ここは現実だ。
夢とは違う。俺が何かをしなければ変わりやしない、そんな世界だ。
俺はずっとそんなところで生きてきた。
ここは、良くも悪くもそういうところだ。
「俺は先に進みてえんだ」
「というと?」
「俺は籠持って先に進むんだ。邪魔すんな」
「どうして運ぶんだい?君には何の得もありやしないよ。彼女は君を利用しようとしてるんだよ?それとも彼女に惚れたかい?」
「惚れるかボケええ。運びてえから、運ぶんだ。文句あるかあ?」
俺はそう言って勢いよく刃物を振った。
そこはひどく冷たい密室だった。
まるで巨大な冷蔵庫の中に閉じ込められたみたいだった。
辺りはもわもわと曇っていて何も見えなかった。
さっきまで俺らのいた、ひどく生あたたかいトンネルとはおおよそ正反対だった。
「なんだあ?ここは」
俺の声はその密室中に響き渡った。
「動かないでください」
そう少女が言う声がした。
そしてそれは聞き覚えのある声だった。
「ええと、もう大丈夫ですね」
続けて、そう独り言が聞こえた。
なにやら暖かい手が俺の腹の辺りをうごめいていた。
「わはは。ははははは」
俺はあまりのくすぐったさに耐えられなかった。
「だから動かないでくださいっ」
すぐそこにいるであろう少女は大声でそう言った。
「いや、今のはどう考えてもお前が悪い」
俺はそう言った。
「それよりここはどこだ?」
「えーと。うーーん」
しばらく考える素振りをして見せた。
「えっと。多分」
またしばらく考え込んだ。
「わかりません」
彼女はそう言った。
「じゃあ、お前はいったい何をそんなに考えてたんだ」
「考えることは多いのです。あなたののような残忍な人にはわからないです」
「俺の事、そんなに知らないだろ。大体誰だお前」
「知らないで話してたんですか?」
とはいえ、この時点ではもうおおよその察しがついていた。
もっとより強く言えば、その声の主が誰なのかを確信していた。
俺は仰向けになっている体を起こして、顔をその声の方へと向けた。
「ち、ちっ近すぎです!」
そこには、さっきの檻にいた幼女の顔があった。
「一体全体おまえはここで、俺になにしようとしてたんだ。解剖か?」
俺はそう言った。
「ひどいですっ。あなた、いきなりここに来て、痛そうにしてて、えっとあとその私がみてて…」
「もう少し整理して言ってくれ」
「私の目が覚めたら、いきなりあなたが、その、となりに眠っててですね」
「それで?」
「何か寝言を言ってて」
「どんな寝言だ」
「俺は運ぶんだー。運んでやるんだー、みたいな」
幼女は俺の声真似をしていた。
「わかった。もうやめろ」
「ええーー?言えって言われたから言ったんですよ」
幼女は戸惑ったような口調でそう言った。
「再現しろとは言ってないんだ」
俺はそう言った。
「難しいことはわかりません」
「声真似の方がよほど難しいわ。続けろ」
「絶対なんとしてでも運んでやるんだああ」
幼女は再び俺の声を再現してそう言った。
「そっちじゃねえよ。声真似はもういいんだよ。寝言ももういいよ。はやく本題続けて?」
「ううう。難しいことを言いますね」
「それでですね。おなかの辺りが痛そうにみえたので、少し触れてみたんです」
「それで?」
「なんかそしてジューって音がしてですね。すると私の手が突然光ったのです!」
「お前、頭大丈夫か?」
「ひどいです!全部本当の事です」
「わかったわかった。それでどうなったんだ、俺の腹は」
「そしたらなんだか落ち着いた顔をしてて、そのまま寝ていました。多分お腹の痛みも引いてると思います」
「確かに何もなかったかのように無傷だな」
俺は自分の腹をみてそう言った。
「それでも心配になって何度か確かめようとしてたところで、あなたが起きてしまったのです」
「そうか。お前に助けられたわけだな」
「そうですよ。もっと褒めてください」
幼女は胸をはってそう言った。
「ああ。礼を言う」
俺はそう言って立ち上がった。
「えええ?どこに行くのですか?」
「少し外に出てくる。やり残したことがあるんでな。お前はここで待っていろ」
俺は手探りでこの霧に覆われた密室の出口へと向かった。




