都市 プロローグ9 洞穴
そこに洞穴があるということに、俺は不思議と違和感を覚えなかった。
あるいは俺は無意識に当然そこに洞穴があるはずだという風に思っていた。
あの井戸のような構造物も、森の中に漂っている空気の違和感も、今感じた何やら奇妙な数々の視線だって
この穴から来ていると考えていいだろうと思った。
これもまるっきり根拠と言うものはなかった。
あえて根拠のようなものを挙げるとすれば、森の中の空気の質を連続的に読み取って、より濃い方へ、あるいは"たいそうおかしな生温かさ"をより強く感じられるほうへと進んでいったに過ぎない。
その過程で、井戸のような構造物もあったし、今度は人が十分に入ることのできる洞穴(というよりそもそも人が入るように設計されたのかもしれない)にたどり着いただけの話だ。
森の中をもっと探索すれば、井戸だってこれに似たような洞穴だって、あるいはもっと別なものをみつけることができるのかもしれないが、そうするのはあまり得策でないと思った。
一度この洞穴に入るべきだと考えたからだ。
案外、この洞穴は実はただの生き物か何かの巣で大した手がかりがないかもしれないし、
すぐ近くで行き止まりだったなんてこともあるだろう。
逆に、毒ガスが充満しているような危険な場所であるかもしれないし、どこまでも無限に続く要塞なのかもしれない。
こればっかりは入ってみるまでは何もわからない。
しかし行き止まりならば、戻ってまた森の中を探索すればいいだけの話であるし、危険を感じたならすぐに引き返せばいい。なにか仕掛けのようなものがありそうな予感があればどこまでも進んでいくだろう。
どのみち何の問題はない。
俺は考えうるさまざまな想定を脳内に張り巡らしながら、一度深呼吸をした。
そしてその洞穴へと足を踏み入れた。
内部は当然月明かり1つ射さない暗闇で何から何まで見えなかった。
なので俺はこれまで以上に、慎重に進んでいく事にした。
俺は基本的にさっきのように夜に行動するたちなので、暗闇には相当慣れていたが、この洞穴のように何も見えないところでは、さすがにどうしようもなかった。
足場は岩場のようにゴツゴツとしていたが、路は不自然なほど平坦で歩きやすかった。
洞穴に入って三分程経過したが、それほど進んではいないだろうと思った。
おそらく五十メートルも歩いていないはずだ。
直線的なのは入り口だけで、路はすぐにグネグネと曲がるようになった。
用心していないとすぐに硬い岩肌にぶつかってしまうほどだ。
そこから三分程経過した地点で、トンネル内部に大きな変化があった。
その地点から、奥にかけてずっと白色の蛍光灯が等間隔で設置されているのだ。
ここで俺はそれが人が入ることを想定された、人の作った洞窟であることを確信した。
そうなると、どこかで人の気配も出てくるかもしれないと思った。
俺は籠を抱えた白い防護服の集団を思い出した。
彼らも今この中に入って俺の先を歩いているのかもしれない。
その時、俺は突然、闇の中からの視線を感じた。
そしてそれは複数によるものだった。それは洞穴の入口で感じたのと同じく奇妙なものだった。
俺は腕のあたりに忍ばせていた歪な刃物を手に取った。
さっき気絶させたうちの一人の兵士が所有していたものだが、俺の使っているものよりも一回り大きかったし形も歪だったので、正直な所、気に入らなかった。
しかしないよりはましだ。
俺はとうとうその刃物を手に取らずにはいられなかった。
視線を向けている彼らは、俺のことをじっと窺っているのだろう。
俺の行動をどこか大きなところから見ていて、どこかへと引きずりこもうとしているのかもしれない。
あるいは、これといった危害を加えるつもりはさらさらないのかもしれない。
何もわからない。
そもそも俺は、その目線が誰によるものなのか、どこから向けられているのかすらわかってはいないのだ。
距離がどれほどかもわからない。
わかるのは俺が今、蛍光灯が十メートル間隔くらいで設けられた闇の洞窟を歩いている中で、闇の中からの数々のおぞましい視線を感じているということだけだ。
そこらに大勢いるであろう相手の事などこれっぽちもわかりやしない。
刃物を手に取っても辺りの状況はまるで変わらなかった。
彼らは気配を変えずにそのままじっと俺のことを窺っているようだった。
彼らは、俺の行動を逐一監視しているはずだというのに、俺の攻撃的な姿勢にこれっぽちも動じていないということがわかった。
この状況では、いくら大目に見ても今分が悪いのは俺の方だといわざるを得なかった。
しかし、それでもいいと思った。
相手は特に俺を咎めている様子でもないし、手を出してこないなら一向に構いやしないのだ。
俺はなるべく恐れを全体に出さずに、ペースを上げて突き進むことにした。
--------。
俺の足はとまった。
突然、トンネル中、音が響いたのだ。
それは我々が発する言語と同様のものにも聞こえたし、そうでないのかもしれない。
我々の言語に直すとそれはこう聞こえた。
--------テ------ル。
これくらいのことしかわからない。
視線はこれまで以上に強まり、突如強い熱気に襲われた。
それは森の中で感じたような生温かいものでなく、明らかに俺を殺そうとしている高温だった。
今の熱気で俺はやけどをしたのかもしれない。
すると、いたるところからヒューヒューと、風が吹く音が聞こえた。
その風によってやや熱気は弱まり、暖かい風がトンネル中に吹き付けた。
しかし、視線の方はどんどん強まっていった。
このままだと俺はわけのわからないまま、このわけのわからないものに殺されてしまうのではないかと感じたので、引き返そうと思った。
しかし、俺は金縛りがあったようになり、このまま足が一向に動かなかった。
そんな俺を捕まえるかの如く、視線はどんどん強まっていった。
どこか遠いところから見ていたであろうその主は、もう俺の前にいたような気がした。
俺は、刃物をその気配に向かって、一度突いてみることにした。
しかし、何の手ごたえもなく、視線は強まっていった。
コ---テ---ル。
コオ--テ----ル。
その声はもう全体に響くことなく、俺の耳元に直接聞こえた。
コ--オ--ヒ--テ---ル。
コ--オ--ヒ--テ--ヤ--ル。
俺はこの時、彼らが何を言っているのかを文字列としてでなく、直感で理解した。
コ--オ--ヒ--テ--ヤ--ル。
コ----ロ----シ---テ----ヤ-----ル。
コロシテヤル。コロシテヤル。
俺のことなど構いもせず同じ声がもう何度も耳の中で繰り返された。
声のなすがままにその場に立ちつくし、少しずつ意識のようなものを失った。
「憎いのダロウ?」
彼らはそう言った。
「誰だ、お前」
俺はそう言った。
「そうじゃないダロ?」
彼らはそう言った。
「言いたいことがあるなら、出てこい」
俺はそう言う。
「ソウヤッテハナシをソラスナヨ」
「ニクイダロウ。コロシタイダロウ。ナア」
彼らはそう言う。
「は。ははははは」
俺は笑った。
「オカシイカ」
彼らはそう言う。
「誰だか知らないが俺の事よくわかってるなお前。お前の言ってることは確かに一つは正しい」
俺はそう言う。
「しかし、もう一つは間違いだ」
俺は続けてそう言う。
「ナンダト?」
彼らはそう言う。
「憎いってのは正解だ。今でも死ぬほど憎いね。思い出しただけで憎いさ。
でも殺したくはない。いや逆だな。もう俺は飽きるくらいに、片っ端から殺し過ぎたのさ」
俺はそう言う。
「それがなんだっていうんだ?いまもニクイダロ。コロシタイダロウ。ニククテ、コロシタクテウズウズしているだろう」
彼らはそう言う。
「お前ら耳付いてんだろ。なら同じことを何度も言わせるな阿呆。俺はもう殺しはやらん。憎悪もない」
「否定するなよ。憎しみを」
「否定はしない。確かにそれを否定したら、今の俺がなくなってしまうようなもんだ」
「またすぐ来るよ。だって君は嘘をついているからね」
彼らはそう言い残すと、闇の中に消えてしまった。
俺はふと目を覚ましたかのようになり、視線は消えていた。
トンネル中、生暖かい風が吹いていて、頭上からゴーゴーとタービンの回る音が聞こえた。
気づくと、腕も足も動かすことができた。
目立った外傷も無いように思われた。
どれだけの時間ここで立ち尽くしていたのかと、実際気が失っている間にここで起こっていたかはまるでわからなかった。
俺は結局、ここから進んでいくことにした。
今の俺は不思議と恐怖のようなものはこれっぽちもなかった。
そのまま熱風の吹き荒れる、蛍光灯の設置されたトンネルを直進すると、
前方に、地面に置かれた籠と白い防護服を来た集団が立ち尽くしているのを見かけた。




