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親愛なる勇者へ 親愛なる魔王へ  作者: 望月 幸
第三章【酒の席、勇者の堰】
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六話【酒飲みたちの宴】

 もらってばかりでは申し訳ない。僕はカウンター内のスタッフにだし巻き玉子を注文した。それが差し出されたときに耳打ちで「注文した分はバイト代から引かれますので、ご注意ください」と告げられた。えっ?

 お店と世界のために戦うというのに、少々ケチなのではないか? ムカッと来て、ビールをまた一口。いつの間にやら、大ジョッキの半分ほどにまで水面が下がっていた。

 左の金髪青年は、相変わらず遠慮なしに僕を見ている。しかし互いに料理をおすそ分けするうちに、徐々に彼の視線は和らいで行った。

 そうして「そろそろ頃合いか」と思い、本題を切り出すことにした。

 

「どうです? 最近何か、変わったことはありませんか?」

「変わったこと?」薄い眉が片方吊り上がった。

「例えば、最近変な生き物を見かけたとか、そう言った話を聞いたとか――」

「あー、アレな。最近話題になってる、アレのことか? 魔物とか、なんとか」

「そう、それです。何か知ってることはありませんか?」

「あー、ちょっと待ってな。まだ、ちいっと食べ足りないのよ」

 そう言って、ちらちらとメニューに目配せする金髪青年。沸き立つ腹立たしさをビールと共に飲み下し、手を上げる。

「すいませーん。刺身の三点盛り一つ!」

「おっ、気が利くねェ!」

 ほどなくして、瑞々しい刺身の乗った皿が出される。持ってきた店員は心配そうな目だが、僕にだって意地がある。やり始めたら、とことんだ。

「で、どうです? 何か心当たりはありませんか?」

「待て待て。今思い出してる最中なのよォ」

 ひょいぱくひょいぱくと、刺身が次々と彼の口の中に放り込まれていく。その光景を見守り、結局僕は一切れも口にすることはできなかった。

 満足そうな顔をして腹をさする男。徳利に入った日本酒を最後の一滴まで飲み干し、ポケットから財布を取り出した。

 帰る気か!? 慌てて前のめりになった。まだ何も話を聞かせてもらっていないじゃないか!

「ちょ、ちょっと! どんな些細な情報でもいいんです、何か知らないんですか!?」

 男は財布の中身を確かめながら、ハッとした表情になって言った。

「――おお! そういや俺も、一個だけ魔物の話を知ってるぜ。まあ、あくまで噂なんだがな」

「えっ!?」まさか、一人目でいきなり情報が手に入るとは。高い料理を自腹で注文した甲斐はあったのだ!

「それで、どんな話なんですか?」

「へへっ、これがまた奇妙なもんでよ。聞いて驚くなよォ」

 焦らすように間を空けて、ひそひそ声で彼はその内容を耳打ちした。

「湊小学校ってあるだろ? あそこに、なんかでっけぇゼリーみたいなのが出たらしいんだよ。なんでも若い女が録画までしたらしいんだけどな……っておい! どこ行くんだよ!?」

 期待して損した!




 怒りに燃える頭をビールで紛らわし、二杯目を注いでもらった。これも自腹らしいが、今は気にしない。

 今度はもう少し、真摯に話を聞いてくれそうな人物を探そう――というのも難しい話だ。酒を飲んで赤ら顔になっている人々の、どこにそんな真摯さの一面を見出せばよいのだろうか。

 再び店内を見渡す。窓の外は暗く、暗がりの奥で別の店舗の明かりがぼんやりと灯っている。すっかり夜も更けてきたようだ。

 気づけば、ほとんどの席が背広姿のおじさんたちに占拠されている。中には、ぼーっと突っ立ている店員(僕のことだ)を見て、睨むような視線を投げかけている人までいる。「何してるんだ、キビキビ動きなさい!」と。

 その視線に押されて縮こまっているところに、ポンと肩を叩かれた。思わずビクッと体を震わせ、注がれただばかりのビールの泡が床にこぼれた。

「おっと、悪いね。でも、男の子がそんなにびくびくしてちゃ、カッコ悪いぞ」

 振り向くと、一人の中年男性が立っていた。顔の肉は薄いが、その中央にはナスのように張りのある鼻が膨れている。その逞しい鼻を中心に、肌に赤みが差していた。口調ははっきりしているが、かなり酔っているのは間違いない。

「えっと、どうかされましたか?」

「さっきの、見てたよ。災難だったなぁ」

 その言葉で気づいた。先ほどの金髪青年の、二席奥に座っていたのがこの男ではなかったか。

 そしてこの男は、思いがけず魅力的な提案をしてくれた。

「私はね、持ってるよ」

「何をですか?」

「決まってるじゃないか。魔物の情報だよ」

「本当ですか!?」

「ああ。だけどな、一つ条件があるんだ」

 条件? 店員という立場を忘れ、眉間に深い皺を寄せてしまう。

「私と飲み比べしないかね? 君の飲みっぷりは、なかなかのものだった。私はね、ふふっ、ちょうど退屈してたところなんだよ――」


 闘いの舞台は、ホール中央の大型の丸テーブルに決められた。

 ここは他のテーブルとは違い、団体客ではなく個人の客たちが酒を楽しむ席だ。互いの顔が少し見やすくなっているため、自然とこの席では見知らぬ酒飲みたちでも話が弾む――と、アキトが以前教えてくれた。

 僕と対戦相手の那須なすさんは、ちょうど円の反対側に陣取るように座った。噂を聞きつけたのか、客たちが僕らを囲むように次々と集まってくる。中には料理を片手に見物する者までいる。スタッフは邪魔そうに彼らを避けながらも、その視線は子供のように好奇心を漲らせていた。

 ルールは単純。“先に大ジョッキのビールを飲みきった方の勝ち”だ。「じゃあ妨害でもなんでもしていいんですね?」と思う人がいるかもしれないが、それは大人ぶったお子様の考えだ。「細々した言葉はいらぬ! 互いに正々堂々と戦おうぞ!」互いの目はそう叫んでおり、それだけで十分なのだ。わかりにくいなら、“スポーツマンシップ”と言ってもいいかもしれない。正々堂々闘うからこそ、勝者と敗者がはっきりするのだ。

「随分ギャラリーが増えてしまったね。アガっていないかい?」

「――那須さん。僕は、ここで働き始めたばかりです。そうでなくとも、実は客商売に向かない性格です」

「ほう?」那須さんの唇が片方つり上がる。深い皺が二つほど刻まれた。

「でも――腹を決めたら、一直線です!」

「結構だ!」

 同時に大ジョッキの取っ手を握り、胸の前に持つ。ジョッキの表面で結露して落ちる水滴は、まるでビールまでもが緊張して汗を流すかのようだ。那須さんも似たようなことを考えたのか、ふっと軽い笑みを浮かべた。

「お二人サン、準備はOKデスネ!?」

 この勝負の審判はジョンさんが務めるようだ。どこから引っ張り出したのか両手に紅白の旗を持ち、僕と那須さんの中間に陣取っている。紅色は僕の側、白色は那須さんの側だ。他のスタッフたちは、目立ちたがりな男だなと笑い合っている。

「おう、いいぞ!」

「いつでもどうぞ!」

「了解しましタ! それでは、見合って見合って~……」

 ゴクリと、男たちの唾を飲む音が聞こえた気がする。この一画だけ空気が圧縮され、居酒屋に似つかわしくない緊張感が人々を囲む。


「スリー!」


 汗が額を流れる。


「ツー!」


 シャツの袖をまくる。


「ワン!」


 静かに息を吐いた。


「……GO!」


 ワァッ! と、凝縮された空気が弾けた。その衝撃波が目に見えるようだ。

 互いの目を睨みながら、ジョッキを口につける。タイミングは全くの互角。これは接戦になると感じ取ったのか、観客たちは瞬時に色めき立った。

 ゴクッゴクッゴクッゴクッ!

 ビールの強烈な炭酸が喉を突き刺す。まるで、あのスライムを飲み込んでいるようだ。シュワシュワ……ジュワジュワ……むせ返りそうになりながらも、流し込むビールで吐き気に蓋をする。

 喉の真ん中で戦争でも起きているようだ。もしも今鏡を見たら、喉にいくつも穴が開いて、そこからビールと炭酸ガスが噴き出しているかもしれない。そう錯覚するほどには、アルコールに呑みこまれていた。

 ゴクッゴクッゴクッ……!

 ジョッキを持つ右手が震えだす。ビールの量は減っているはずなのに、量に反比例して腕を持ち上げるのが辛くなってきた。左手でジョッキの胴体を鷲掴みにして、ラッパを吹くような形で飲んで飲んで飲み続けた――!


 那須さんは……なすさんはどうだぁ? まだのんでるのら?

 はれ、なんでなすさんが何人もいるんれすか? めのまえに一人、ぼくのまわりにたくさん……。

 ダメじゃないれすか。すうにんがかりならんて、ひきょうれすよ……。




 背中と後頭部がひんやりと冷たい。視線の先ではシャンデリアが分身し、万華鏡の内部のような光景を映している。起き上がろうと床に手をつくが、力の向きがねじ曲げられたような感覚と共に、ゴツンと後頭部をしたたかにぶつけた。それを三回ほど繰り返して、僕は諦めた。

 誰かが顔を覗き込んだ。ぼやける視界でも、その金髪で誰かわかった。ジョンさんだ。

「何をそんなに、笑ってるんれすか?」

 彼は満面の笑みを浮かべていた。その右手、紅色の旗を僕の顔の前でちらつかせる。色褪せたその旗は、ほんのりかび臭かった。

「カナメさん、お見事デシタ☆」

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