五話【お酒の席】
魔王(父さん)という共通の敵を持った僕とマスターの結束は強くなった。下手な魔物より怖そうなこの大男も、味方となると心強い。なんなら、名枕をマスターに預けて闘ってもらうのがベストではないかと考えてしまう。
「じゃあ、具体的な仕事の流れを教えるぞ」
小さなスツールの上で、僕は背筋を伸ばした。
「戯流堵の開店時間は、午後五時から午後十一時までだ。お前は店に来たら制服に着替え、適当な客に近づいて行け。そして出来うる限り、魔物に関する情報を仕入れるんだ。そして手に入れた情報を元に、魔物の討伐に向かう。ここまでできたら、ようやくバイト代が入るわけだ。
そうそう、他のスタッフには、お前が何を調べているのかは秘密にしておけ。好奇心旺盛な連中だからな、首を突っ込んで怪我でもしてもらっちゃ困る」
マスターは「新入り(叶銘)には、お客様からお店の発展につながる生の声を聞くため、一緒に飲み食いする使命を与えた。だから、お前たちは気にせず仕事に励んでくれ」という趣旨の指示を既に出しているらしい。果たしてそれが素直に受け入れられたのかは不明だが、お膳立ては完了していたのだ。
「オレとしても、こんなやり方が上手く行くのかはわからん。プレッシャーをかけるわけじゃないが、お前が自力で何とかしていくしかないだろう」
「はい。頑張ります!」
虚勢を張った返事だったが、それでも、マスターは満足そうな顔でうなずいてくれた。
「よし。そうと決まれば、さっそく仕事だ。ついてこい!」
ホールの熱気たるや、まるでサウナだった。
店員という視点を手に入れたためか、客として来た時とは見える景色が同じようで少し違う。一言でいえば、人の動きが良く見える。腕を振るうキッチンスタッフ、魚のように店内を滑らかに巡るホールスタッフ、あちこちでジョッキを傾ける男たち女たち。
それぞれの動きが調和し、居酒屋という劇場で酒飲みたちが演劇をしているようだ。こんな感想、働く側に立たなくては抱けなかっただろう。
しかし感心しているばかりではいられない。なぜなら僕もまた店員であり、この渦の中に飛び込んでいかなければならないのだから。
とはいえ、尻込みしてしまう。よほど陽気な人間でも、いきなり他人の酒の席に飛び込んでいくなんて経験はほぼ無いだろう。テレビではお馴染みの光景ではあるが、あれだって「芸能人としてのネームバリュー」と「テレビ収録」というバックがあるからこその芸当だ。
あいにく僕にあるのは「仕事という使命感」くらいだ。引っ込み思案な僕の背中を押すには、もう一歩力が足りない……
「まったく、仕方のない奴だな。お前には、元気が出る魔法の水をくれてやろう」
そんな現状を見かねてか、マスターはカウンターの中に入り、その“魔法の水”を入れてきてくれた。大ジョッキになみなみ注がれた、泡立つ琥珀色の液体――ビールを。
「ほらよ」ずいと差し出されたそれを、僕は受け取ることができなかった。これは、尻込みとか腰が引けたとかそういう問題じゃない。だって、僕はまだ未成年なのだから。堂々と酒を呑むわけにはいかない。
「だ、駄目ですよ! まだ未成年なんですから、こんなの受け取れませんって!」
マスターはにやりと笑った。その言葉を待っていたかのように。
「ほう? でもお前、新歓コンパの時に酒飲んでたよな?」
「そ、それは……僕じゃなくて先輩が……」しどろもどろになりながらも、何とかごまかす。
まさか、あの時の光景をマスターに見られていたのか!? こんな眼光鋭い男が覗き込んでいたら、すぐに気づきそうなものだが。
「こんなナリだが、オレだって居酒屋のマスターだ。成人済みかどうか怪しい連中を知らんぷりしているわけねぇだろ? まあ、儲けになるから見て見ぬふりを決め込んでたんだが」
そこでたっぷり溜めを作って、マスターは僕を見下ろした。「この先はもう、言わなくてもわかってるよな?」と、その目が雄弁に語っている。まさにまな板の鯉。もう、煮るなり焼くなり好きにしてください――だ。
「飲酒を黙っていて欲しかったら、ビールを持って、とっととご相伴にあずかってこい!」
何が「オレだって居酒屋のマスターだ」だ。「飲酒を秘密にするから飲酒しろ」とはどういうことだ。
やはり僕は、組む相手を間違えてしまったのかもしれない……。
蹴飛ばされるようにして、僕は大ジョッキ片手にホールに飛び出した。傍から見れば「注文されたビールを届ける店員」だが、その実は「一緒に酒を飲む相手を探す珍妙な店員」だ。
しかし、さてどうしたものか。やるからには最善を尽くさねばならない。
まず、テーブル席と個室は論外だろう。どちらも数人のグループで来ているわけで、その中に飛び込んでいく勇気は悲しいことに僕には無い。そうなると狙いはカウンター席。一対一ならハードルは低めだ。
カウンター内で調理をするスタッフが「頑張れよ」と、そっと目配せをする。マスターの言うとおり話は通っているようだが、あまり意識されると逆にやりづらさも感じる。肝っ玉が小さいのだ。
軽く十人は座れるカウンター席に、端から端まで視線を滑らせる。二人組の女性や、一人でぐいぐいと酒を呷るおじいさん。マスターの言うとおり、客層は幅広く席もほとんどが埋まってしまっている。
しかし壁際にほど近い隅の席に、一つ空席を発見した。さらに幸運なことに、隣に座るのは二十代前半と思しき青年。金色に染めた髪と薄い眉は軽薄さを感じさせるが、逆に言えば警戒心は薄そうに見える。ベストとは言えないが、かなりベターな相手だ。
「――よし!」
気合一発、すっかり泡が無くなったビールを流し込み、その席に座った。ちらりと横目で左に座る彼を覗き見ると、彼は首を向け、眉根を寄せて遠慮なく僕を見ていた。いきなりビールを持った店員が隣に座ったのだから、不審に思うのも致し方ないだろう。
疑われるのは百も承知で、なんとか自分から話を切り出した。
「……えっと、一緒にお酒でも飲みませんか?」
「……?」
「…………」
寒々しく流れる沈黙。
無理に釣り上げた口角がぴくぴく震える。慣れない作り笑いが凍り付きそうだ。
「……まあ、暇だしな。いいよ」
そう言って彼は、手元の枝豆の乗った小皿を、ちょうど僕との間の位置に滑らせた。
「あ、ありがとうございます」せっかくの厚意を受け取らないわけにはいかない。急いでぷちぷちと鞘から豆を取り出し、せっせと口に運んだ。彼は依然として訝しんでいるが、それでも警戒心は和らいだように見える。
なんだ、案外簡単かもしれないぞ。酒と食べ物の力を、枝豆と一緒に噛み締めた。




