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親愛なる勇者へ 親愛なる魔王へ  作者: 望月 幸
第三章【酒の席、勇者の堰】
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四話【マスターの本音】

 陽が落ちたばかりの戯流堵は早くも賑わいを見せていた。こうして道を挟んで見ている間にも、次々と背広姿の男たちや二十歳そこそこの男女が店内に入って行く。彼らが入口の扉を開けるたびに、その隙間からぼんやりした明かりと陽気な笑い声が漏れてくる。その周囲がお花畑という点を除けば、戯流堵はちょっと洋風な普通の居酒屋と言えた。

 と、いつまでもこんなところで油を売っているわけにもいかない。僕はそそくさと裏口に回り込み、花壇の切れ間から店内に潜り込んだ。今日から僕も、ここの一員なのだから。


 欧米の趣漂うホールとは異なり、スタッフルームはビルの一室のような真っ白で面白みのない空間だった。スタッフそれぞれにあてがわれたロッカーに、カーテンで仕切られただけの簡素な更衣室。作業机には日誌やお菓子が無造作に置かれている。小さなスチールの書棚には、漫画雑誌やコミックがぎゅうぎゅうに押し込まれていた。

 そんな散らかりっぱなしのスタッフルームの真ん中に、マスターは仁王立ちしていた。僕は座った状態のマスターしか見たことが無かったが、こうして正面向いて立ち並ぶと、熊と対峙している気分にさせられる。

「おう、叶銘。ちゃんと来たな」

「は、はい。もちろんです」

 一分でも遅れたら、恐ろしい目に遭いそうですから。視界の端に、血管がくっきり浮き出たマスターの太腕が映る。

「仕事内容は前回渡したプリントの通りだが、いろいろ質問もあるだろう。しかしとりあえず、この制服に着替えてこい。靴もこちらで用意しておいたぞ」

 そう言って、脇に抱えていた黒いものをずいと突き出した。ビニール袋に入ったそれは真っ黒でわかりづらいが、確かにこの店の制服だ。もう片方の手には、黒の編み上げブーツがぶら下がっている。

 僕も何度か見たことがあるのでわかる。黒のワイシャツに、黒のズボン。これ以上なくシンプルで、ほのかに上品さを匂わせるその制服が、割と気に入っていた。

 そそくさと更衣室に入り、着替え始める。外でマスターが待っているぞと考えると、自然と脱ぎ着する動きが早くなった。

 服に手足を通しているうちに「あれ?」と思った。サイズがぴったりなのだ。無論、マスターに自分の服のサイズなど話したことは無い。僕の背丈から推測してあてがったにしても、あまりに適切だ。

 それに、これは僕の気のせいかもしれないが、着ている内に服が“大きさを変えた”ように感じた。僕は体つきの割に手足が少し長いため、服を買うとつんつるてんになるか全体がダボダボになることが多いのだが、いざ着終わってみると気味が悪いほどに体にフィットしている。試したことは無いが、オーダーメイドの服ですらこうはいかないだろう。しゃがんだりひねったりしても、窮屈さは一切感じられない。まるで皮膚をもう一枚纏ったようだ。

 カーテンを開けると、マスターはこちらを見ていた。上から下まで僕の制服姿をきっちり値踏みするその目は、心なしか少し大きく見開かれていた。それは感嘆のような、驚きのような。

 それを隠すように、マスターは振り向いて手近なところに置いてあったスツールを二つ手に取った。座れと言うことだ。

「仕事内容については、きっちり読んできただろう? 簡単な仕事だ。いや、もはや仕事と呼べるのかどうかもわからん」

 ふうとため息をつくマスター。僕が着替え終わった時から浮かべていた複雑な表情が、その一息でどこかに飛ばされたようだ。最初に出会った時の、岩のような顔に戻っている。

「はい。確かに、仕事内容は頭の中に入っています。でも――」

「でも?」


「『客と一緒に飲み食いして、魔物の情報を仕入れろ』って、どういう意味なんですか?」


 扉の前で、店員のスタタタという足音が聞こえる。僕は思わず、今の言葉を押し込むように口を手で押さえた。

「心配せんでも、ここのスタッフは全員お前の仕事内容を把握している。隠す必要はない。それと……」

 ずいと顔を寄せるマスター。影が落ちる顔の中で、その眼だけは自ら発光するかのように煌めく。

「『客』じゃない。『お客様』だ」

「は……ひゃい。すみません」

 顔を戻すマスター。僕の心臓が思い出したように鼓動を再開した。

「近頃、魔物の発見件数が増えているのは知っているな?」

「は、はい」

 そうなのだ。魔物に関する報道は徐々に熱を帯び始めていた。

 無用な混乱を招かないためか、テレビでの報道はまだおとなしい。農村に熊が出没したとか、観光客が猿に襲われたとか、そういったニュースと同列程度の扱いだ。

 しかし、インターネットの方では過熱の一途をたどっている。何度か検索を掛けたことがあるが、そこには僕もまだ見たことがない魔物までもが発見されていた。

 その後どうなって行くのかは、想像に難くない。ネット上で名を上げる、ただそのために危険を冒して魔物に近づく人間が増えていくだろう。そうなれば、被害が増えていくのもまた必然の流れだ。やがて社会問題にもなるだろう。

「僕に、それを止めろということですか?」

 無言でうなずくマスター。

「自慢じゃないが、ここには多くの客が集まってくる。大盛況だ」

 淡々と語るその口調は、言葉の通り欠片も自慢に聞こえない。

「老若男女、あらゆるお客様がお越しくださる。そして人が集まるところには、情報も集まる。叶銘……お前の武器も、事前に相手の名前が分かっていれば効果的なんだろ?」

 ぎくりとした。今となっては肌身離さず持っている名枕を、マスターは知っていた。

 しかし、それも当然のことか。僕が武器を持ち、魔物と闘える人間と知っているからこそ、マスターはこのような仕事を持ち掛けたのだ。いや、アルバイト採用の課題を出した時点で、もう知っていたはず。筒抜けなのだ。情報源は……どうせチャップマンあたりだろう。


「オレはな、大学生の頃、お前の親父とバイト仲間だった」


「――えっ!?」

 思わぬ情報が、マスターの口から飛び出した。父さんとマスターが、一緒にアルバイトとして働いていた!?

「ここじゃないがな、やはり飲食店で一緒に働いていた。オレが先輩で、鏡治が後輩だ。だから仕事をいろいろ教えてやってたさ。あいつは優秀でな、あっという間に教えられたことを吸収していきやがった」

 気のせいではない。徐々に、その声が怒りに震えていく。自分が怒られているわけでもないのに、肩身が狭くなる思いだ。

「オレは卒業後にはその経営会社の社員になってな、数年前に独立し、ようやくこの“戯流堵”の主になった。オレの念願の夢だよ。それが…………魔王だ? 魔界だ? 侵略だぁ!? ふざけんじゃねぇッ!」

 ズドン! という爆音と振動。火山の噴火でも起きたかとオタオタしたが、なんということはない。マスターが壁をぶん殴り、ぽっかりと拳大の穴が開いただけだ。

「ご、ごめんなさいごめんなさい! 僕の父親が、ご迷惑を……」

 壁を抉ったことで熱を発散させたのか、マスターは徐々に落ち着きを取り戻していった。拳をズボンで拭いた後には、何事も無かったように僕を見ていた。

「いや、わりぃな。別にお前を責めてるわけじゃない。

 要は、オレたちは鏡治に対して『文句がある』ということだ。しかしオレには、連中と闘う武器がない。だから、オレはこの店を通して情報をここに集め、お前はそれを利用して魔物を倒す。そうしてアイツの手下共を潰していけば、痺れを切らして鏡治のヤロウが向こうから出てくるだろ?」

「それで、出てきたところを?」

「ブッ殺す!」

「…………」目の前に恨みの対象の息子がいるのに、この人は容赦ない。

 しかし不思議なことに、僕はマスターに恐怖や嫌悪を抱かず、むしろ安心感を持ち始めたことに驚いていた。思えば、父さんが魔王になって復活して以来――それすらまだ信じきれないのだが――わからないことだらけだ。

 その中で、マスターの言っていることは実にわかりやすい。「オレの店を邪魔する奴は始末する」ただそれだけだ。物騒ではあるが、それは闇の中を彷徨う僕の前に現れた、一筋の明確な道標だ。それがあるのとないとでは、今後の足取りに明確な差が出る。

 どのみち、一人で魔物たちと闘うのは限界がある。仲間は多いに越したことは無い。

「――僕も、父さんには腹が立ってるんです。いろんな人に迷惑をかけて、あげく、変な魔物で僕を半殺しの目に二度も遭わせて……! わかりました。一緒に父さんを倒しましょう!」

「よし、よく言った!」

「平穏な生活のために!」

「この店のために!」

 グッと腕を合わせる僕ら。汗と熱気が弾け飛んだ。

 マッチョな店長と、気弱なアルバイト。居酒屋奥の一室で、世界を救う(かもしれない)奇妙なタッグが結成された。

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