20
「まだお昼過ぎだけど、これからなにかする? でも、きっと疲れているわよね」
「あ、うん……そうだね。すこし部屋で休むことにするよ」
「わかったわ」
まだなにか、ヘレンは言いたげにもみえたけど、ぼくはうなずくだけで、そのまま寝室に向かう。
二階にあがって、部屋に入る。寝室にひとり。
銃もホルスターもテーブルに置いて、それからベッドのうえに横になる。疲れているけど、眠たいっていう感じはしない。
地下室の奥を見に行っているあいだに、外では二日も過ぎていた……実感もないし、なんだか信じられない。
ぼくがいなかったあいだに、ヘレンはどんなふうに過ごしていたのかな? ほんとうに、なにもなかったの? それに食事は……食事はちゃんとしていたのかな? でも面と向かって聞くような気にもなれない。それに聞かないほうがいいかもしれない。
とにかくヘレンは無事だった。ぼくも無事に戻った。それだけ。それだけだ。
とにかく、これからのことを考えよう。あの地下室の奥にはなにもなかった。ただ広くて空っぽな闇に包まれた場所があるだけだった。いっそのことダンジョンとかでもあってくれたほうが、そのほうがよかったかもしれない。
なんでなのか分からないけど、女主人レッターの、あの最期の言葉が不意に頭のなかで聞こえたような気がした。
“これで終わったとは思わないことね、決して。そして、気をつけなさい”
「屋敷から出ることができないんだから、終わらないよね……」
それで、なにに気をつければいいのかな?
もしかして……もしかして次は、ぼくとヘレンが同じような運命をたどるかもしれない……そういうことかな。
入っていく人たちが決して外へ出てくることのない屋敷。それで今度は、ぼくたちのほうが見知らぬ誰かの討伐相手になってしまうのかもしれない。そんなことになってほしくはないけど。
レッターは敵としては冷酷な相手だった。でも、たぶんだけど、聡明な魔法使いであったはずだ。そんな人がこの屋敷から逃げ出せなかったということは……
***
暗い……地下室の奥を進んでいる。
そしてヘレンの姿がみえた。ぼくのほうに駆けよってくる。
声をかけようとしたそのとき、ぼくは見えない力に押し倒された。そしてぼくの右目から、植物の蔓のようなものが、束になって急速に生えてきた。
真っ黒い色をした蔓だ。棘もある何本もの蔓。まるで意志を持っているかのように蠢いている。
ぼくの意思なんかとは関係ない。ぼくの周囲を調べているかのように蠢いている。
思わず引き抜こうとしたけど、眼孔の奥に鋭い痛みが走って、気を失いそうになる。
そしてヘレンは、ぼくのことを見ていて、恐怖の表情を浮かべている。でも杖を手に構え、さらに近づいてきた。
とっさに思った。近づいてきたらダメ。
ダメだ、ヘレン。来ちゃいけない!
叫んだつもりだったのに、言葉が声になって出なかった。
彼女は覚悟を決めたような顔で、立ち向かおうとしている。すると蔓の一本が素早い動きでヘレンの杖を捕えた。そして一瞬でへし折った。
次にはヘレンの身体に巻き付いた。
「だめだ!」
ぼくは抵抗したしたけど、まったく歯が立たない。
そしてその蔓は彼女の首を杖と同じように……
「や・め・ろっ!」
目の前が明るくなる。
「ハンク、目を覚まして!」
ヘレンがぼくの手を必死になって掴んでいた。
ああ……ぼくはベッドで寝ていたんだ。
手は血まみれで、たぶん、失った右目の眼孔に指を突っ込んで、もがいていたみたい。さっきまでの出来事は、ただの悪夢だったんだ。痛い……傷が、頭が痛む。
「なにか声が聞こえたと思ったら、ハンクの叫び声が聞こえたから部屋に来てみたら、そしたら」
「これ?」
「そうよ! ひどいわ、まったく」
「うん、かなり痛い……」
「手当てするから、じっとしていて」
ヘレンは部屋をとび出していく。外はまだ明るいけど、夕方が近づいているみたいだ。それでヘレンはすぐに戻ってきた。タオルや包帯を手にして。
手慣れた感じで、手当てをすすめていく。
「ハンク……どうして、こんなことしていたの?」
「ぼくにも、よくわからない。悪夢を見ていた。そのせいだよ」
「そうなのね」
それ以上は、なにも聞いてこなかった。
ヘレンは淡々としたようすで手当てを済ませてくれた。
「ありがとう」
「それより、夕食の用意はできているけど、食べれそう?」
「うん、たぶん」
それでベッドから出ようとしたけど、ヘレンは止めた。
「無理しないで。持ってくるから」
そうしてヘレンはまた部屋を出ていく。
ぼんやりと待っているあいだに、夢のなかで感じた、あの生々しいような感覚も感情も、まるで溶けていくみたいに薄れていく。
ヘレンが深皿を二つ、それとお茶もいっしょに盆にのせて持ってきた。
「わたしもいっしょにここで食事にするわ」
「うん」
そうして深皿を受けとる。スープだ。入っているのは、あの庭で採った植物かな? それと肉が入っている……。
でもヘレンはなにも言わないし、ぼくもなにも聞かなかった。
食事をおえると、ヘレンが呟くように言った。
「しばらくはなにも考えずに、ここでふつうに過ごすのもいいと思うの」
「ヘレン? なにを言っているの?」
「もちろん、いつまでも暮らし続けるっていうのはまだ考えられないけど……とにかく、ハンクと一緒なら、なんだっていいわ」
「でも、だって、」
どうして? まるで心変わりでもしちゃったみたいに感じる。
「ヘレン、もしかして、ぼくが探索に行っていたあいだに、なにかあったの?」
少しだけヘレンは黙りこんだ。
「聞かないほうが、よかったかな?」
「いいえ。ハンクがいないときに、玄関をなにげなく開けたの。そしたら、外へ出られそうだった」
「え? ほんとうに?」
「一歩踏み出したら外へ出られた。でも戻ったの。それで、その一回きりだった」
「なんで? どうして、どうして戻ったの?」
「ハンクを置いたままで、出ていくことなんてできない。できなかったわ」
「でもだって、逃げ出せるチャンスだったかもしれないのに」
「もしも逆の立場だっとして、ハンクは外へ出ていけるの?」
「そんなこと、できるわけないよ」
「そうでしょう。わたしも同じなのよ」
「だとしても……」
「なんとなく思うの……この屋敷全体が、なにか意図を持っていて、わたしたちを試しているかもしれないって」
どうなんだろう? たしかに試されているようなそんな感じはするけど。分からない。分かるわけないよ。ただの思いちがいなだけかもしれない。
そうだ……それなら。
「それなら、もういちど地下室の奥へ行くよ。もういちど玄関から出られそうならヘレンはそのまま逃げ出すんだ」
「あなたはどうするの?」
「ぼくは……いいよ、閉じ込められたままでも。ヘレンが自由になれるなら」
「わたしは嫌。ハンクと離ればなれになるなんて」
「でも、外へ出て助けを呼んでくれば、もしかしたら外からなら、この屋敷を壊せるかもしれないよ。そうすれば最後には、ぼくも出られるかもしれない」
「あるいは無謀なことかもしれないわ。うまくいかなかったら? そのときはどうするつもりなの」
無謀かもしれない、上手くいかないかもしれない……でもヘレンが外の世界に戻れるなら、それでもいい。
「そのときは、そのときに考えるよ」
「でもハンク」
「なに?」
「今は十分に休んで、お願いだから」
「うん……そうだね」




