18
赤黒く汚れている作業台、天井から吊るされてある肉塊……明るく輝る松明の光で照らされていると、ひどくグロテスクなように感じる気がする。
いいんだ、今はそんなことを気にしているときじゃない。
横目でみながら、ゆっくりと奥へ進む。松明をかかげるようにしてみても、奥のほうには暗闇しか見えない。
ぼくはその闇へ向かって少しづつ進む。
自分の足音以外、なにも聞こえない。もしも魔物なんかと出くわしたときのために、片方の手はホルスターの銃に添えておく。
進んでいくにつれて、徐々に闇が深くなったように感じた。
ふと視線を上のほうに向けてみると、そこにあるはずの天井が見えなかった。なにかがおかしなことになっている。
立ち止まって、あたりをみまわすと両側の壁も見えない。どういうこと? まさか、壁が消えてしまったわけじゃないよね。
それで進んできた方向の真横に向かって歩いた。すると少し進んだところで壁が見えた。よかった。少なくとも壁を伝っていけば、帰ることはかんたんなはず。
床と同じように石造りの壁。松明をかかげて見あげても、ずっと上まで壁が続いていて天井がみえない。
どういうことなんだろうか? 進むにつれて、地下空間が広がっていくということなのかな。でも、だとすれば変だ。見あげるほどの高さの空間なんて、そんなことをしようとしたら地上に出てしまう気がするけど。
まさか、ぼく自身が小さくなっているというわけじゃないよね?
しゃがんで石造りの床を観察してみる。敷き詰められている石の感じは普通だ。もしもぼくの身体が小さくなっているとするならば、大きさの見え方とか、感じ方が違ってくるはずだ。でもそんな感じはしない。壁を構成しているレンガだってそうだ。
とりあえず壁に沿って進むもう。まさか、徐々に空間が広がっていくような、こんな不気味な地下室で迷子になるなんて、そんなことにはなりたくない。
右側に壁をみながら、沿うようにして進む。
途中で松明をかかげても、反対の壁も天井も見えない。
「それにしても、意味が分からない地下室だなぁ」
いまのところ、暗くて、広くて、終わりの見えない場所だということ以外には、なにもない。
そんななかを進んでいると唐突に、まぶしい……そんな感じがした。
なんだか変な感じ。右目が……失ったはずの右目、どうしてかまぶしく感じるような気がする。どうして? でも意識して左目で見るには、闇が広がっている地下室がみえる。
なにが起きているんだろう。それとも気のせいなのかな? あるいは錯覚みたいなもの? それとも魔物のしわざ? だからといって右目でなにかが見えているわけでもない。失ったのだから、ものが見えるはずがないんだ。だって左目を閉じてみると、なにも見えない。でも白っぽい光というか、まぶしい感じがする。
なんていうのか、ふしぎというか、変な感じ。ともかく、もう少し進んでみよう。もしかすると、なにかあるかもしない。
そして進むにつれて、その感じが少しずつ強くなっているような気もする。
やっぱり気のせいなんかじゃない。きっとこの奥に、なにかがあるんだ。
なんていうのかな……頭のなかに直接、灯りをつけられているような感覚。そんな感じ? うまく表現できない。気のせいじゃない。錯覚なんかじゃない。それとも幻覚かなにかなんだろうか?
やがて一歩ごとに、まぶしさが強くなっていく。
しだいに真昼の太陽を直視したときみたいな、そんな感じの強い光のように感じてきた。でも左目には変わらずに暗い地下室が見えている。変な感じ。
左目には暗い地下室、ものが見えないはずの……そもそも右眼そのものを失っているのに、右目では異常なほど眩しい光を感じている。この眩しさは神々しくも思えたけど、同時になんともいえない恐怖を感じるような気もする。それとも、やっぱり幻覚みたいなものを見せられているのかな?
しばらくはゆっくりと進んでみるけど、まぶしさだけじゃない、しだいにチクチクと刺すような感じの痛みまでしてきた。
ムリだ。ダメだダメだ。これ以上は進めない。頭のなかが焼けてしまいそうな感じ。我慢できない。めまいがする。
立ち止まって、その場にかがむ。すると少しだけ、まぶしさが和らいだような気がした。
もういちど先に視線を向けてみる。左目で見えるものは、松明に照らされている近くの床と壁だけ。ずっとその先は闇が続いている。
暗闇のなかにいるのに、痛いほどまぶしい……なんだか頭が混乱する。
やっぱり魔法か魔術かなにかのせいなのかな? それとも罠だったのかもしれない。そんなことにも気がつかないで、おめおめと進みつづけてしまったんだ! いや、あるいは、じつは外へつながっているけど、進ませないためにこんなことになるように……どっちにしても、もう進む気力がわいてこない。
ここでひとまず、あきらめよう。もう進めない。これ以上を進むのは危険……そう思わせるような恐怖感。
それで向きを変えると、嘘のように消えた。まぶしい感覚が消えた。
ちょうど松明の炎の色も赤っぽい黄色に変わってきた。引き返すにはちょうどいい頃合いなのかもしれない。
もう一度だけ振り返った。でもさっきのまぶしさは感じなかった。暗い地下室が続いているだけ。
やっぱり、幻覚……だったのかな? まあいいや、とにかく戻ろう。
向きを変えて、引き返す。
帰り道は、なんとなくつまらなく感じる。来たところを戻るわけだから、なにか発見があるわけでもないから。
反対側の壁は見えない。それに見あげてみても、暗闇が広がっている。沿うように進んでいるところの壁があるだけ。向こう側はどうなっているのだろう? でもそちらの方向に行ってみる気はしない。こんな、なにもないような暗闇の空間で迷子にでもなったら……そんなこと、考えるだけでも怖い。
壁に沿って歩く。もしも松明の火が消えてしまっても、壁をつたって歩ければ戻れる。いろいろと気になることはあるけど、戻ってから出直せばいい。今日はちょっとだけ探りを入れただけ。
それに魔物なんかも見つからなかった。あるいは、あの闇のなかのどこかに潜んでいて、ぼくのことを見ていたかもしれない。いずれにしたって、なにも見つけれらなかった。出口のようなものもなかった。
見たかぎりでは、この暗闇と広大な空間が広がっているだけだった。
歩き続けて、まだ作業場にたどりつける気配もないなかで、松明の炎が急に弱くなりだした。
「え、まってまって」
このまま消えてしまいそうなほど火が小さくなっていく。
荷物のなかから予備の松明を出そうとしたとき、火が完全に消えた。
思わず壁にもたれかかった。なにも見えない。完全な闇だ。しばらくのあいだ、動けなかった。
なにも見えないなかで、自分の息の音がなんだかとても大きな音みたいに、心臓の鼓動の音までが聞こえるような感じがする。
壁に触れていないと、前後左右どころか、上下の感覚すらおかしくなりそう。
壁にもたれかかったまま、ゆっくりとその場にしゃがんだ。床も壁も、触れたたときの感覚ははっきりと自覚できた。
それからゆっくりと荷物の中身を探る。
松明はかんたんに分かる。予備を持ってきてよかった。それから火打ち石を探す……魔法でも使いこなせれば、こんな苦労はしなかったかもしれない。
荷物のなかをてさぐりで……あった。取りだして、しっかりと手に持って、慎重に打ちつける。
暗闇に散った小さな火花の明かりすら、ちょっとだけまぶしく感じた。
そして松明に火が灯った。
「ふう……」
思わずため息が出る。
明かりが地面とそばの壁を照らす。なにも変わったようすはない。早く戻ろう。ヘレンも待っている。




