40.実の娘
テーブルナイフが若者のひとりの腹に刺さるが、殺傷力は低いもの。致命傷にはならず、彼は敵対する男の首を掴んでテーブルの上に叩きつける。弾みで皿が揺れ、ソースが飛び散る。
数で勝る若者たちの方が有利だったが、彼らには経験がない。対してビョルドン派閥の男たちはあくどい組織で働いてきた実績がある。喧嘩慣れもしているのだろう。
ひとりの男が、腰の入ったパンチを当てて若者の鼻を折った。別の若者が彼にタックルをかけたが、彼は若者の顔を膝で蹴り上げて昏倒させる。
別の場所ではアーシャ派の男が、ビョルドン派のひとりを押し倒してマウントポジションを取って何度も殴っている。顔のあちこちから出血をしていて彼は虫の息だけど、喧嘩慣れしていない若者はやめ時を失い、ただひたすら殴り続けていた。
ビョルドンはといえば、自分よりも若い者たちを相手に善戦していた。襲いかかったひとりをパンチ一発で沈めて、二人目の襟首を掴んで鮮やかに投げ飛ばした。
そしてアーシャを睨む。
「アーシャ! これはなんのつもりだ!? 他の幹部の姿が見えないのもお前の仕業か!?」
「……」
「何か言え! この恩知らずが!」
ビョルドンの言葉に無視を貫いたアーシャは、ナベプタの方を見た。
「何をしているんですか。早くビョルドンを殺して。あなたはそのためにいるんでしょう? これが終われば、あなたは全てを手に入れられる。富も栄光も。わたしも」
「あ、ああ……」
目の前の光景に困惑していたナベプタだけど、アーシャが欲しい気持ちは変わらなかった。だから、彼女に言われるままにナイフを構えてビョルドンへと突進。
若者をひとり蹴飛ばした直後のビョルドンに巨体が迫る。テーブルナイフとは違う、本物の殺傷武器を見たビョルドンは焦り、回避しようとした。しかし壁が近く、左右のどちらかに逃げようとして、さっき自分で倒した若者の体に躓いて動きが止まった。
ビョルドンの脇腹にナイフが深々と刺さり、ナベプタの体重がぶつかったことで更に押し込まれた。柄の部分までが、肉を無理やり裂きながら入り、ビョルドンの内臓を傷つける。
「がはっ。あ、あ……アーシャ。お前……」
「いやぁ! あなた!」
悲鳴を上げたのは、アーシャがさっき蹴飛ばした女。ビョルドンに駆け寄り体を揺する。
「あなた! ねえ! しっかりして! お願い!」
必死に呼びかけるけど、手遅れなのは明らかだ。どんどん蒼白になっていく顔。女に抱えられながら、ビョルドンの命は尽きようとしていた。
女は恨みがこもった目でアーシャを睨む。
「アーシャ! なんてことを!? 実の父親に逆らってこんなことをするなんて!」
その言葉に、ナベプタは息を呑んだ。驚きで呼吸の方法すら忘れたように、動けなくなった。
実の父親? ビョルドンが? アーシャの?
どういうことだ? 情婦じゃなかったのか? 確かに年齢的にはありえるけれど。
「うるっさい! こんな父親! いらない!」
アーシャも言い返す。ナベプタに接している時とは違う、吠えるような口調。
「あんただって! 娘よりも夫の方を庇うの!? ええそうよね! あんたはそういう人間! わたしのことなんか見ていない!」
アーシャはずんずんと女、会話を聞くに母親の方へ向かい、彼女を蹴飛ばした。そして鞄から新しいナイフを出して、父親の体に何度も刺した。
「こんな! こんな男! こいつがいたせいで! わたしの人生めちゃくちゃになった! 家には怖い大人が大勢いるし! 友達もできなかったし! それに! それに! こいつに将来を決められるなんて!」
完全に息絶えたビョルドンを見て、アーシャはナイフを手放した。母親はその姿を呆然と見ていて。
「なんで。なんでよ。将来? あなたはお父さんの組織を継ぐ、優秀な男の人と結婚して」
「それが気に入らないの! わたしは結婚なんかしたくない! 男と一緒になる!? お断り! こいつに決められる人生なんていらない!」
母を睨みながら父の死体を蹴るアーシャ。
今、なんて言った? 結婚なんかしたくないって?
「お母さん。あなたのことも嫌いだった。夫の言うこと何でも聞いて。娘のわたしなんて全然見ないで。組織がこうやって追い詰められても従って。馬鹿みたい。で、娘のわたしは組織の跡取りと結婚? それが娘の幸せだって本気で思ってるの? ああ。思ってるんでしょうねえ。あんたは幸せだったから。でも、組織は見ての通りよ」
ビョルドンは死んだ。彼の近くにいた幹部たちも、若者たちにやられてみんな倒れている。
「組織の若い世代に声をかけたの。ビョルドンはしばらく長の座に居続けるから、若い人はずっと上に行けないって。ここらで組織を若返らせて、自分たちの物にしようって話したの。ね?」
アーシャの協力者たちである若者たちはみんな頷いた。やりきった、みたいな顔つきをしている。
「いよいよ、あなたたちの時代が来ます。富も栄光も思いのまま。これからも、わたしに従って働いていれば、全部が手に入るの」
「アーシャあなた、自分で長になるつもりなの!? 女なのに」
「古いのよ、お母さん。女も自分の力で地位を掴み取る時代なの。前の長の娘ならば、組織を継ぐ正当性もあるし。みんなついてきてくれるわ」
事実、こうやってビョルドンに殴り込みをかけた若者たちは、アーシャの下に就くことに疑問を抱いていない様子。
女の下で働くことよりも、自分たちの地位が今よりも強まることに魅力を感じているらしい。
ちょっと旅行に行くので、少しの間投稿をお休みします。次回の更新は16日(土)です。ご了承ください。




