40 町の後半から九十九折りの階段
⬛システィーナの視点
少しだけ開けた町の広場。
そこは修道院へ続く道のりの、ちょうど中間地点なんだって。
広場には不浄な黒い霞がたなびいていて……まるでカーテンがかかっているみたい。心と体を蝕む黒いカーテン。ああ先が見えない。
その先が見えない霞のそこかしこから、呻き声が聞こえてくる。地の底から、腹の奥底から絞り出すような酷い声……
オォォォォ……ゥゥウウウウゥ……
ァァアアアァァ……クゥルゥゥシイィ……
ああ、やはり苦しいんだ……
生前、悪いことをして魂が穢れた者や生命への執着が強い者が汚冥界に堕ちて、永遠に苦しみ抜くという……ここにいる亡者たちも、そういうことなんだ……
とその時、赤黒く光る天がチカチカと瞬くと、ゴロゴロゴロと不穏な音が響き始めた。ああ、頭にピチョッと雨粒が!
「なんてこった! ケルベロスを倒したと思ったら亡者が集まってきて、さらに雨まで降ってきた!」
「はわわ……この雨、浴びても平気かな!?」
「か、体に悪そうですよね!?」
どこかの建屋内に入った方がいいのかしら!? でも亡者が押し寄せてきたらどうする!? そう考えていると、コックリが驚きの声を上げた!
「あっ!? 何だと!?」
「「えっ!?」」
なな、何!? 何なの!? 良くないこと!? ひゃあっ怖い! 何!?
「亡者が! 苦しみだしたぞ!?」
「ええっ!?」
「えっ!? ずっと苦しんでるよ!?」
汚冥界に堕ちた苦しみで、ずっと呻きながら徘徊して! え、違うの!?
「その苦しみ方じゃない! 雨に打たれて、苦しんでる!」
「「ええっ!? 雨に打たれて!?」」
耳を澄まして聞いてみる。すると苦しそうに呻き声を上げていたはずの亡者たちが!
ヒイィィィィ……ゥアアアァァ……
ヒヤアァァアアアァァ……
「あれ!? 呻き声じゃなくて悲鳴になってる!?」
「ほ、本当です! 悲鳴になってます!」
「ふおおっ! どういうことだ!?」
「あっ! 霞が!」
「「ええっ!?」」
雨はだんだんと霧雨のように細かな粒になってきたんだけれど! ああ霧雨が霞を吸着してるのかしら!? だんだんと黒い霞がなくなってきたの! それは気のせいじゃなくて空気もなんだか澄んできたようで! ええ!? どうして!?
「見てコックリ! 亡者たちが!」
「ああ! 霞が落ち着いて周りが見える! 亡者たちが建屋の中に逃げ込んでいく!」
そうなの! 霧雨で周囲が見渡せるようになったんだけれど! 亡者たちが体を抱えるようにして建屋の中に逃げ込んでいくの!
「そうか! この雨は清められた雨だ!」
「清められた雨!?」
「そんなものが汚冥界に!?」
「あ! もしかして!?」
「そう! 汚冥界を鎮めるミサが行われているんだ!」
「「ミサが!!」」
そうか! コックリが三十分置きにミサを行ってくださいって言っていた! そういえば汚冥界に入ってからもう三十分くらいになる!
「ミサにはこのような効果があるのか! だとすると合点がいく! なぜ亡者が建屋の中で徘徊していたのか! 俺たちが汚冥界に入るときにミサを行ってもらったが、その効果で清められた雨が降っていたんだ! だから亡者たちは建屋内に逃げ込んでいたんだ!」
「「そうか!」」
ミサを行うと、具体的にはこんな効果があるんだ! そうだったのか! 町全体がヌラヌラと濡れて魔物の体内みたいで気持ち悪かったけれども、これは清められた水だったのね!?
霧雨で煙る広場には、私たちのほかに亡者の姿は見当たらない! コックリが剣を肩に担ぎながら指示を出す!
「今のうちだ! 先に進もう!」
「「はい!」」
クラウディーアさんも戦棍を肩に担ぐと走り出した。武器は重いから腕が疲れないよう肩に置くんだって! ああ、霧雨がちょっと肌寒いけれども、大地に立ち込めていた瘴気が綺麗に押し流されて! 苦しくない! やった!
私たちは誰もいない広場を走り抜けると、町の後半部に突入した。また汚泥の廃墟が渓谷のように両側から迫ってくるんだけれど、亡者を気にせずに進めるからバシャバシャと走れる! 雨で滑りやすいものの、先まで見渡せる分走りやすい!
「鎮魂のミサは七~八分で終わります! 進めるだけ進みましょう!」
「「はい!」」
「こんな効果があるんだと知っていたら、ミサをずっと依頼していたのにな!」
「でもそれだとサマラが繋がりっぱなしになるよね!? 間違って誰かが触っちゃったら、危ないよ!?」
「ああ、そうだな!」
私たちは廃墟の町を走る。
階段を上り、坂を駆け降り、魂の糸を追って走る。何度も 足を滑らせそうになりながらも、起伏にとんだ廃墟の町を駆け抜ける。ひゃあ大変だ! ああ汚泥の廃墟の中に、何体もの動く影が見えて! ああミサに助けられた!
とその時、廃墟の隙間に!前方の霧雨の中に、薄く煙る九十九折の階段が! 見えてきた!
「見えてきた! 九十九折の階段だ!」
「サマラはやはり修道院にいるんですね!」
「あ! 雨が!」
「ミサが終わる!」
そう! その時突然、雨が弱くなって! ああ!
「はああ! こ、怖い!」
私は思わず叫んでしまった!
霧雨が止んで、霞のカーテンも霧雨のカーテンもなくなり! 世界が、汚冥界が凄くよく見えるようになったんだけれども! よく見えることで、怖さを感じてしまったの!
「ウォッなんて! なんて不吉な空だ!」 コックリが言い切る。
そう、不吉な空なの! 凄い不吉な空なの! 汚冥界の空は、赤や紅、朱、そして濃紺から紫と複雑な色が混じりあって……同じ色に染まるでもなくグルグルうねって……な、何か不浄な生命のようで……こ、怖い! ああ、あんなところを降りてきたんだっけ!? とその時、突然廃墟の町並みが途切れて開けた場所に出たの!
「何とか着いた! 九十九折の階段だ!」
一キロのアップダウンの激しい道のりを七分で走った! ああ、息がっ苦しいっ!
廃墟の町を駆け抜けた私たちは、九十九折の階段前の広場に出たの! ああ広い! そこは現世と同様、岩山の島の中で最も大きな広場で! 巡礼者たちは修道院へ行くためにここで列を作って待つの!
「よし! このまま上って……ムッ!?」
「「ムッ!? また!?」」
もう! もうコックリ! 今度は何!?
「何だあれは!?」
ええ、何!? コックリが広場のあらぬ方向に視線をやっていて! そちらを見ると、あっ! 何!? 何かある!? 広場の一画に! 明らかに汚冥界のモノじゃない! お椀みたいなあれは!!
「あれは! 僧兵のヘルム!?」
そうか! お椀じゃなくヘルム!! と次の瞬間クラウディーアさんが駆けだした! 慌てて私たちもそれに続く!
「ああ! これは! このヘルムは!」クラウディーアさんはヘルムをつかみ上げるとワナワナと震える!「このヘルムはロクサーネの!」
「ロクサーネの!?」アルシャーネさんが両手で口を押さえて!
「「あっ!!」」 全員が気がついたの!
ああっ!
そんなっ! ああっ!!
気づいてしまった……! ヘルムの落ちていた周囲に……! バラバラにされた……革鎧に……衣服の切れ端に……そして……そして! 細かく、粉砕された……白い……骨……が……
「うあああああ~~っ!!」
クラウディーアさんがヘルムを抱きしめて……!
跪いて……!
泣き出して……!
クラウディーアさん……!
彼女は僧兵隊の隊長として、ロクサーネを育て、指揮してきた……苦楽を共にしてきた、かけがえのない仲間だもの! 私は彼女の心を思うと胸が痛んで……うう~~っ!
とコックリがクラウディーアさんの前で片膝をついた。
「遺体を見つけられたのは偶然なのか、もしかしたら……呼んでくれたのか……」 とコックリは大きめの白い破片を集めながら言う。「聖輝光で綺麗な場所へ送り、弔いましょう」
「ううぅ~~っ!」
「私が送ってもよろしいですか?」
「ううっ……いえ、私がっ!!」
クラウディーアさんは泣きながら……
胸の前で手のひらと手のひらを合わせ、「聖輝光」と……
それは聖なる光で亡者を浄化するための聖魔法で。この穢れた世界で汚れてしまった彼女の体を浄化してあげるんだわ……合掌した彼女の手が黄金色に輝くと、両の手のひらを散乱する白いそれにかざした。
ああ凄く浄化された聖なる力が途端に広がって……
私たちは、胸の前で手を組むと彼女の冥福を祈った。
「さあ行きましょう。また少し、霞がたってきました」
ああ何てことだろう。ちょっとの時間だったけれど、足首くらいにモヤモヤした煙のような霞が……。クラウディーアさんは涙を拭うとヘルムを持って立ち上がった。
「クラウディーアさん。そのヘルム……私が預かります」
「…………お願いします」
彼女は少し逡巡したあと、私にヘルムを手渡した。自分が持っていたいのだろうけれど、ヘルムを持ったままではアルシャーネさんを守れないから……とコックリが修道院を見上げながらつぶやいた。
「霞がまた……早いな」
本当だ。九十九折の階段を上ろうとすると、岩山の表面全体からうっすらと不浄な霞が……ああ、霞は空気より重いのか、徐々に私たちのいる広場に落ちてきた。うっすらとした霞だから階段が見えなくなるわけじゃないけれど……低いところへ低いところへ落ちてくるとなんだか私たちめがけて霞が襲い掛かってくるようで……怖い……
「急ぎましょう。霞が満ちるとここは亡者で溢れかえる可能性がある」
皆その言葉に頷くと、意を決して階段に歩を進めた。
ああ、ちょっと滑りやすい。雨でヌルヌルとしている。気を付けないと。とコックリが……
「これは……木の枝なのか? まるで珊瑚が炭化したような……」
そう現世のミシェリア島は、ふもとの町の層、岩山の樹木の層、頂きの修道院の層の三つに分かれていて、階段は樹木の層に当たる。現世では九十九折の階段を守るように樹木が生えていてとても素敵な階段だけれど、ここは……ここは、不気味。ただただ不気味。黒い汚泥が枝を広げて固まったような……確かに珊瑚が黒く変色したような感じ。不吉な黒い枯れ木のトンネルが続いている。
「……少し身を屈めて行きましょう。下から亡者や何かが見ているかもしれません」
確かに……この黒い枝の間から町の様子が伺える。ということは逆も同じ。私たちは身を屈めながら上っていく。岩山の上の方からは相変わらず薄い霞が下りてきて、ああこんな時は身を隠すために霞に包まれていた方が、と思う。
「あっ!」
「危ない!」
私はつまずいて転びそうになったところを横にいるアルシャーネさんが支えてくれた。ああ、ありがとうございます! もう、ヌルヌルで滑りやすい上に段差が不揃いでデコボコしているからつまずき易くって……半分くらい上ってきたところで、コックリが。
「クソ、追ってきた」
「「え!?」」
コックリが広場の方を見て忌々しそうに呟いた。ああ! 黒い枝の合間から広場の方を見ると、確かに何体もの亡者が上ってきて……。正直、コックリとクラウディーアさんがいれば何十体亡者がいようが問題ではないと思うけれど、それでも亡者に追われるのは良い気持ちがしない。とコックリが!
「気をつけてください! 上に亡者が!」
「「え!?」」
その時、上から呻き声が! ああ! 亡者が上層にある階段の手すりから身を乗り出して! わあ、と思った時には落ちてきたんだけれど、黒い尖った枝に刺さりまくって! ああ! それでも動いてる!
「やはり上にもいるのかっ! クソッ」 とクラウディーアさん。
クラウディーアさんは心の底から不快そうに吐き捨てる。そして戦棍を肩に置くと、今にも亡者の頭に降り下ろして滅殺したそうな気配で再び階段を上り始めた。本当に亡者を嫌ってるんだ……
九十九折の階段を何度も折り返して、八合目あたりに来たとき。階段の折り返し部分にある踊り場で! 先頭を行くクラウディーアさんが叫んだ!
「あっ!?」
「「えっ!!?」」
え!? 何!? クラウディーアさんが階段に足をかけて固まった! え!? 私はクラウディーアさんの横から顔を出して前をみる! すると踊り場があって! その隅に! ああ!
革鎧を纏った人が!
倒れてる!
あ! あれは僧兵の鎧と服! うつ伏せで、手すりにもたれかかるように! 倒れてる!
「エステファニア!!」 クラウディーアさんが叫びながら駆け寄る!
「何だって!?」 とコックリ!
ええ!? クラウディーアさんは倒れている僧兵をこちらに向けると……! ああ!
それは……ミイラ状になった、女性で……!
「エステファニア……!」
エステファニアと呼ばれたその遺体は、骨と皮だけになって……ああ! 彼女は餓死するまで戦って……!
「ううう! エステファニア……!」
ああ、クラウディーアさんは涙を見せると エステファニアを抱き締めて……とコックリが突然私の後ろから飛び出して!
「離れてっ!!」
「「えっ!?」」
その瞬間! エステファニアの体から! 無数の黒い触手が!! ひゃああっ! 触手!? 髪の毛!? 黒い髪のような触手はウネウネしながら! エステファニアの口や目、腕や背中から! ううん、全身から体を突き破るように! ひゃああ、クラウディーアさんに突き刺さる!!
「ぐあああっ!!」
「きゃああっクラウディーア!」
「げおおおっ!!」
「きゃああっ!!」
長い髪のような触手が! 特に顔から出た黒い触手が! クラウディーアさんの口の中に! ああ! 体の中に! 入るつもりだ!
「聖輝光!!」
コックリは合掌すると! 黄金色の輝きが! そのまま両手をクラウディーアさんに突き出し! ドンッ! っとクラウディーアさんが黄金色の光に包まれる!
次の瞬間! 黒い触手はビリビリと稲妻が走ったように硬直して!! ああ! コックリはクラウディーアさんの口から黒い触手を引っ張りだすっ! ひゃあっズリュリュッと黒い物体が出て来て!
「あと少しっ! 頑張れっ!!」
「ゴオォオォッ! ゴボッ!」
ゴボッと全部吐き出した!? 最後に彼女は突っ伏して! コックリは「雷火玉」と唱えると、稲光を纏った小さな火の玉を黒い髪のような触手に落として! わあ、黒い触手が一瞬で燃え上がった!
「ゲオッ、ゲホゲホッ!」
「しっかり!」
コックリが背中をバシバシと叩く。ああそんなに叩いたら! とその時、下の階から亡者たちが! ひゃあっ凄い集団! 十数体の亡者が、我先にと! ヨタヨタしながらも走るような勢いで! 気持ち悪い! 今度はアルシャーネさんが合掌した!
「こ、ここは私が! 聖輝光!」 ひゃあっ! 凄い黄金色の光が!
「マズイ! 抑えてください!」
「「え!?」」
圧倒的な黄金色の光が! アルシャーネさんが両手を突き出すと手から放たれた光で周囲が包み込まれて! たぶん半径十メートルくらいの光が! ああ! 近づいてきていた亡者たちが一挙に消滅した! 凄い! と思ったら、ああ! 私たちを中心に立ち込めていた霞までなくなって!
その時!
オオオオオオオオオオォォォッッッ!!
世界を揺るがすような恐ろしい歓喜の唸り声!
ひゃああ!? 何!? 何!?
ああ!!
海からは……ボロボロの巨大な触手が……! 骨が見える海竜の首が……!
陸地からは……羽をもつ……黒い影が……! 数えきれない程の影が!
島の至る所では……巨大な四足獣の姿が……! 遠吠えして……!
こちらに気がついて……!!
ああ!
こちらに向かって……!!
はああっ!
「ぁ、あぁ……ゴ、ゴメ……ゴメンナサイ、ゴメンナサイッ……」 アルシャーネさんが震えながら……!
「後です!! 一刻も早く、行きましょう!」
私たちは階段を駆け上った!
長くなりました。
何とかアップ出来ました




