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31 サン・クラスト男子修道院

 

 ■システィーナの視点



 ああ遠くまで来たなあ。

 海岸沿いの街道を、馬車に揺られてかれこれ一時間くらいかしら……

 海岸は北へ行くにつれ、徐々に登りになっていて海岸線が断崖絶壁になっていてね。もし徒歩だったらだらだらと登っているからかなり大変だったかも。



 馬車の窓から何となく辺りを眺めると、街道は人通りが少なくって。ほとんどの巡礼者は、陸地の奥や南から来るのね。そうよね、北って寒くて雪深くて、魔物やら幻獣やらが多いもんね。

 そのまま海を眺めると、ああ聖地がとても小さい。大海原に浮かぶ小舟のように頼りなくって。

 聖地を浮かべた大海原はどこまでも続いているんだけれども、その上空には暗く濃い灰色の雲が重く垂れこめていて……なんだか不吉。もしかしたらあの濃い雲の下は雨が降っているかもしれない。こちらはまだ青空が出ていて、凄く明るいから何だか変な感じ……



 ああでも一日一日が凄く充実しているなあ。

 彼の旅についてきてから、慌ただしかったり、逆にのんびりしたりでメリハリが利いている。ふふ、メリハリが利き()()()いるのかな。でもとても、とても充実している。エルフの里に住んでいた時は、四百年間ほぼ変わることのないただただ平穏な生活だったから、どこか漫然としていて。それはそれで満たされていたけれど、でも四百年の思い出よりも、この二年の思い出の方が圧倒的に心に残っているの……



 この思い出は、私が彼と共に生きていた確かな記憶……大切に大切に私の中に刻み付けていきたいんだ……



 そう心に願いながらしばらく進むと、街道の先に断崖の下へ下へと降りるような階段状の町が見えてきたの。峻険な断崖の町が。

 ほええ、相変わらず人間は凄いところに家を建てるわねぇ。

 家々がサイコロ状で屋根が平らだから、子供たちが屋根から屋根に飛び移って追いかけっこしていて。うふふ元気ねぇ。断崖の町にはたくさんの海鳥が空中で静止しているように舞っているわ。海から断崖を駆け昇る風を利用しているのね。町の最下層は船着場になっていて、小舟が何艘も海に浮かんでいるからきっと漁師の町なのね。うん、アラルフィの小さい町バージョンみたい。でもアラルフィは下から上にそびえていて、見上げるような大きな街だったから、見下ろす感じのこの町はだいぶ印象が違うな。崖の中程から滝が落ちていて、何だか素敵な町だ。



 その町の一番上に目的の修道院がある。

 崖に埋もれるような、崖と一体化したような佇まい。実際に崖を掘って居住区を造っているみたい。自然と人為が見事に調和し合体した、私が好きな建造物だ。



 修道院へ向かったコックリと私、アルシャーネさんとクラウディーアさんは、すぐに賓客が招かれる執務室に通されたの。ああ執務室は崖の内部に造られているようで、ちょっと薄暗くて、音がくぐもっているのね。でも剥き出しの岩肌を丹念に削った石壁と、丸いドーム状の天井が、何だか柔らかい印象で温かみがある。しばらく待っていると、黒いゆったりとしたチュニックを纏った初老の男性が入ってきたの。頭頂部を剃髪した小柄なおじいさんが。この方がサン・クラスト修道院の修道院長、ヴォルタークさんだ。



「おお聖女様、お久しぶりでございます」

「修道院長様、お久しぶりでございます」

「いやはや、この間は薬の急な用立てをありがとうございました。患者も事なきを得て助かりましたわい」

「いえいえ、どういたしまして。困ったときはお互い様です」



 そうなのね、同じ病療修道院なので薬のやり取りとかやってるのね。ああヴォルタークさんは白いアゴ髭が二つに分かれてて。胸元の聖霊のペンダントが絡まないようになのね。



「今日はまたこのような遠くまで、一体何用で?」

「はい。実はオウガの月に魔物に襲われて心を病んだという患者に会いに来まして」

「ああジャック氏ですな」

「ジャックさんと言うお名前ですか」

「いや実は仮の名でしてな。心を閉ざして何を聞いてもまともに話しができませんで、仮にそう呼ばせてもらっています」



 ああそうなんだ……心を閉ざして。そんな状態で、コックリはどうやって情報を聞き出すのかしら? 聖魔法で病んだ心を治すのかしら? でも以前アルシャーネさんが「つらい現実から逃げるため心を壊した人を聖魔法で治すと、再びつらい現実に直面することで絶望して自殺する人がいる」って言ってたよね。コックリを見ると、アゴ髭を擦っていて。ああこれは何か考え込んでいる証拠だ。



 ヴォルタークさんは手を二回たたくと、若い修道士さんが入ってきた。線の細い色白の修道士さんだ。整った顔立ちと細身の体がエルフの男性を思い出させる。エルフの男性も皆、こういう色白華奢のハンサムな人たちだったなあ、何だか懐かしい。でもやっぱり私は……どっしりガッチリとマッシヴなコックリの方が……うふふ、うふふふ。ヴォルタークさんはその修道士さんに二言三言話すと、修道士さんが「ジャックさんのお部屋へと案内いたします」と言った。



 修道士さんを先頭に薄暗い廊下を進んでいくと、ミシェリア修道院同様たくさんの扉が並んでいて。ああやっぱりミシェリア修道院同様、靴の音が響く。若い修道士さんは、そのうちの一つで立ち止まると中へと入ったの。私たちも中に入ると、横長の部屋があって、六人の患者が寝かされていた。

 くだんの被害者は一番端のベッドのようで、上体を起こして座っているんだけれど、背中を丸めて項垂(うなだ)れている。ああ首が落ちてしまいそうなくらい丸まっていてもう髪の毛がざばっとして……右腕が二の腕から先がなくて痛々しい。そんなジャックさんに修道士さんが声をかけた。



「ジャック殿。今日は何と、あの聖女様がお見えになりましたよ」

「……」



 ジャックさんは項垂れたまま、反応がなくて。ああ耳を澄ますと何かブツブツと呟いている。心ここにあらずという感じで。きっと恐怖と苦痛のせいで、心が……。もしかしたら残酷な現実を見ないよう、心を閉ざしているのかも。だとすると、聖魔法で心を戻したら……

 コックリはどうするつもりなのかしらと見てみたら、彼はあらぬ方向に視線を向けていた。あら、何かしら? 彼の視線を追うと、小さな作り付けのテーブルの上に、ジャックさんのものと思われる荷物が置かれてあった。聖霊ミシェリア像のついた首飾りや帽子、そしてもう一つ何かの聖霊像がついたネックレスがある。何の聖霊かしら?



「コックリ。どうしたの?」

「……ああ」コックリはそう言うとアゴ髭を擦って黙り込んだの。もう、また? とアルシャーネさんがそのネックレスに気がついたの。

「まあ、聖霊シャルトリア像。この方はフランシス王国の中央部にいたのかしら?」

「聖霊シャルトリア、ですか?」

「ええ。聖霊シャルトリアは子供の守護聖霊で、その大聖堂が王都から南西百キロくらい離れたところにあるんです。たぶんシャルトリアにも行かれていたんですね」

「そうなんですか」



 色々な聖霊がいるのねえ。主たる聖霊はミシェリアを含めて四柱で、さらに数十の聖霊が人々の暮らしを見守っているんだって。とその時コックリがつぶやいたの。



「ふむ。やはり可能性が高いか」

「「え?」」 皆がコックリを見た。可能性? この男性が聖地で起こっている怪異の原因の可能性、かな? ない……よね。皆がキョトンとする中、彼は話し始めた。

「アルシャーネ様。これから彼の意識を揺り動かします。彼が不安定な状態になったら、抱き締めて上げていただけますか?」

「揺り動かす? 抱き締める?」

「ええ。魔法で治さず少しだけ記憶を思い出させますので、不安定な状態になると思います。しかしアルシャーネ様の霊力に包まれれば、癒され、落ち着くはずです」

「なるほど」

「そして私の考えが正しければ、あることを伝えれば彼は自らの力で快方に向かいます」

「! 心得ました」



 自らの力で快方に!? あることを伝えれば!? それは何かしら? アルシャーネさんが頷くのを確認するとコックリはジャックさんの横に膝をついた。そしてコックリは、欠損した右腕を触ったのでジャックさんがピクリと反応した。



「長い長い巡礼の旅路。あの日、海の上に浮かぶ美しい聖地に心が躍りましたね」

「……」

「巡礼者たちの楽しそうな声。家族で同時に聖地の島に足を踏み入れました」

「……」

「にぎやかなふもとの町。巡礼者で犇めく通り。そこかしこから漂う肉の焼ける香り」

「……」

九十九折(つづらお)りの階段を上って大聖堂へ行きました。美しい大聖堂でした」

「……ぁ」



 ジャックさんは初めてピクリと反応した。少し嬉しそうな感じ……彼は今、聖地巡礼の中にいるのかもしれない。



「食事をしようと立ち寄った食堂で、四人の家族に会いました。食堂に肉を届けに来ていた農家の若い夫婦と仲の良い姉弟に」

「……ぁ」

「楽しそうな子供たち。時もかけず仲良くなりました。ここで会ったのも何かの縁……農家の若い家族に、自宅に招待されました」

「……ぁぁ」 ジャックさんは体を前後に動かし始めたの。嬉しそうなジャックさん。

「干上がっていた海は、豊かな海へと変わっていました。雄大な自然に驚きながらも皆で馬車ごと舟に乗りました」

「……ぁ」

「揺れる舟から見る聖地……少しずつ離れ行く聖地に、少しさびしくなりました」

「……」

「陸地に着いた時にはもう、水平線の向こうに真っ赤な太陽が沈むところでした」

「……」

「赤い夕焼けの中に浮き上がる聖地のシルエット」

「……」

「赤い赤い夕焼け。美しいけれど……少し不安になる夕焼け……」

「……ぅ」 ジャックさんは初めて苦しそうにうめいた。

「陽が暮れるととても肌寒くて……荷馬車の上で、皆でかたまりました」

「ぅぅ」

「陽が完全に沈むと……街道は暗くて……黒い木々が風に妖しく揺れて……」

「ぅうう……」

「寒く、暗い夜道。馬と荷馬車の音だけが響いて……」

「うぅ~~」

「急がなければ」

「ううぅぅ~~!」

「急がなければ」

「ううぅぅ~~!!」 ジャックさんは左手で頭をガリガリと掻きはじめた。

「その時」

「ふうっ! ふうぅっ!」

「大きな大きな……黒いシルエットが……」

「ふううっ! ふううっ!」

「吐き気をもよおす獣臭」

「ふううっ! ふううっ!」

「ドカンッと突き上げられる衝撃」

「ふううっ! ふううっ!」 頭を掻きむしるジャックさん。

「気づいた時には荷馬車が横転していた」

「ふううっ! ふううっ!」 酷い呼吸。コ、コックリ、もう止めた方が……!

「泣き叫ぶ子供たち。混乱の中、響き渡る獣のうなり声」

「ぐふううっ! ぐふうううっ!」

「巨大な人型」

「ふうううっ!!」ブルブルと震えだして体を丸めるジャックさん。コックリ!

「でも人じゃない!」

「うぐううううっ!」コックリ!止めて上げて!

「巨大な人の体だったけれど!頭が違う!」

「うぐううううっ!!」 コックリ!

「人じゃない!あれは!あれは!」 コックリ!「人じゃない!ミ」

「あああああああ! ミノタウロスだあああ!!」 ジャックさんは叫び声を上げると、突然泡を吹き出しながら立ち上がった! そして近くにいるコックリをミノタウロスと勘違いしているかのようにバシバシ叩いて!「あああああああっ!!」



 他の入所者も怯えだして! ジャックさんを抑えようとした修道士さんをも足で蹴り飛ばす! ああもう! コックリ!「ああああ! 死んだ! ああ! 死んだあああ!」 と泣き叫ぶジャックさん。その時コックリがジャックさんの腕を取ると一気に引き寄せ羽交い締めにする!



「アルシャーネ様、彼に触れて下さい!」腕の中で暴れるジャックさんを抑え込みながら言う。

「はい! えい!」



 羽交い締めにされたジャックさんは反対側からさらにアルシャーネさんに抱きしめられて! サンドイッチ状態になった! するとジャックさんとコックリが「うおお!」と同時に声を上げた。コックリはいいでしょ!?



「あぁぁぁ……ああぁ」 と突然大人しくなるジャックさん。でも「ああ……しんだ……みんな……しんだ……」 と子供のように泣きながら「しんだ……ああ……しんだ……ぁぁぁ」 涙と鼻水でベチョベチョの顔で……

「死んでいませんよ」 とコックリ。もう! もう止めて上げて!「死んでいません」 コックリってば!

「ぅああぁ……」

「生きています。生きていますよ『サマラ』は」

「「え!?」」



 え!? その瞬間、皆がコックリを見た。時間が止まったようだった。



 サマラ!?

 サマラ!?

 何でサマラ!? ていうかサマラって誰だっけ!?



「神殿騎士様? サマラって、ミシェリアで預かっているあの少女ですか?」 とアルシャーネさん。ああ! 十四号室の女の子!?

「そうです」 コックリはうなずくとジャックさんの耳元で力強く話す。「生きています。サマラは生きています」



 とその時! ジャックさんが!



「サマラ」 ジャックさんが目を見開いて「本当に……?」



 さっきとは違う、自分を取り戻したような、しっかりとした目の光になったの!



「彼女は逃げられたんです。ミノタウロスから」

「ああ……良かった……良かった……サマラ」



 コックリとアルシャーネさんに抱きしめられたまま心から安堵するジャックさん……ええ!? どういうこと!?



「ミシェリア修道院で預かっています。貴方は一刻も早く傷を癒やして迎えに来て下さい」

「はい……はい。必ず迎えに行きます……必ず迎えに……」



 コックリが手を離しても彼は落ち着いていて……ああ、コックリが言った「あることを伝えれば快方に向かう」って……このことだったのね。とコックリが皆に言った。



「戻りましょう。鍵はサマラが握っています。馬車の中で説明します」




執筆に時間がかかって申し訳ございませんがやっと終わりに近づいてきました。

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