29 近隣の村
■システィーナの視点
薄い青色の空。
空の向こう、天の低いところに群れをなす羊のような雲の一団が浮かんでいる。けれども、灰色がかった重い雲だから、もしかしたらちょっと天気が崩れるかもしれない。
わずかに湿り気を帯びた冷たい風が牧草の原を撫でる。
毛足の短い常緑の牧草地帯。緩やかな起伏の牧草地には、長い長い木の柵が幾重にも延びていて、起伏の所々に堅牢な石垣の土台を持った住居がチラホラと建っている。あれは住居の下に厩舎がある畜産農家特有の住まいなんだって。周りもそうかなと見渡せば近くに家がなくて、ああ一番近くても数百メートル離れている。そうか、たぶん牧草地帯が重ならないようにしている散居村なのね。
私たちは、聖地帰りに魔物に襲われ命を落とした犠牲者の村にやってきた。
この村は聖地のふもとにある町に羊肉を売り、羊乳のチーズを売り、羊毛を売ることで生計を立てている村だそうで、聖霊が舞い降りてから数百年、変わることなく続いているんだって。
私の第一印象は、風の音と、揺れ動く牧草の音しかしない静かな村……
ああいいなあ……私もコックリと、こんな穏やかな暮らしをしてみたい。
彼が羊を放牧して、私は糸を紡いで……聖地が見える窓辺で私が作った夕飯を食べて、一日の平穏を感謝するの。ああいいなぁ。家と家が大きく離れているから、本当に二人っきりで生活できるんだろうなぁ。はあ……私は窓辺でため息をついた。ここは村人の寄り合い場も兼ねている村長さん宅の一室なんだ。暖炉の上に立派な巻き角の羊の頭蓋骨が飾ってある部屋で、コックリとアルシャーネさんが長テーブルに座り、私は窓際に立っていて。私はまた夢想へのため息をついた。はあ……
「何か?」 と硬い表情で問いかけるクラウディーアさん。
「ああ、うふふ。何でもないんです」
私の憧れや夢想の話なんて、さすがにできないから……。そんな回答でも良かったのか、クラウディーアさんは頷くと窓から外を見て、ふと表情を緩めた。彼女の視線を追うと、緩やかな起伏の草地の先に、羊たちが群れを成している。ふふ、可愛いよね。実はさっきクラウディーアさんとちょっとだけ打ち解けてね。最初は海妖精のディートリッヒを連想していたんだけれどちょっと違って。と、彼女はピクリと反応すると、キリッとした表情でアルシャーネさんの斜め後ろに立った。
「お待たせいたしました」
そう言いながら、恰幅の良いおじいさんが入ってきたの。この村の村長さん。おおそうか。コックリと同様、五感を霊力で強化しているから村長さんがやって来る足音がしていたのね。
「突然お邪魔して申し訳ございません」とアルシャーネさん。
「いえいえ滅相もない。逆に光栄で光栄で、本当に幸せで胸がいっぱいです」
と村長さんは顔を赤くして笑顔を見せた。聖地の近隣に暮らしているからと言って、アルシャーネさんと話せる人なんてほとんどいないみたいで、本当に光栄に思っているよう。うふふ、玄関で出迎えた時と服装が違うのはわざわざ着替えて来たのね。
「クラウディーア様にもお会いできて光栄です。グリフォンからマルコを助けて頂いたそうで本当にありがとうございます」
「いえ」
表情を崩さず答えるクラウディーアさん。
そう実は彼女、聖地を含むこのフランシス王国にいる騎士や兵士数万人の中で五指に入るほどの実力を持った戦士で、さっきのグリフォンもクラウディーアさんが倒したの! 彼女も聖剣技を使えるから! もうあまりの強さに「クラウディーアさん凄い! 格好いいです!」と拍手したら彼女はとたんに赤くなって。アルシャーネさんが「彼女は同性に褒められると顔が赤くなってしまうので、いつも硬い表情をしてるんですよ」と教えてくれたらもうさらに赤くなって、もう可愛くって可愛くって。
「さて、今日はどのような御用件で?」
「はい。魔物に襲われた事件のことで参りました」
「ああ……ローラン一家の……」 そういうと、村長さんは悲しい顔になった。「あれは、本当にむごい事件でした」
「辛いことを思い出させてしまいますが、その時の話をお聞かせ願えますか?」
「はい承知しました」
村長さんは話し始めたの。
この村は畜産で成り立っていて、農家それぞれが聖地のふもとの食堂に生産物を卸しているんだって。件のローラン一家も、食堂から急遽肉とチーズが欲しいとの連絡が入って、その日は昼に一家総出で、荷馬車で聖地に向かう姿があったらしい。
「荷馬車で」
「はい」
羊肉やチーズは量が多く、重いから荷馬車で運ぶんだけれど、もちろん干上がった海の上は荷馬車では通れないから、海水がある時に荷馬車ごと舟で聖地へ渡るんだとか。潮の満ち引きは日によって異なって舟の時間も異なるそう。その日は昼から夕方まで舟が出せる日だったみたい。ローラン一家は昼過ぎに舟で聖地に渡って、四時頃聖地発の舟に乗ったという。
「聖地から戻る舟が陸地に到着したのが五時前……空が赤くなっていたようです……」
当時は八月とはいえ、ノンマルディー地方は北の方に位置しているから日暮れは早いんだって。ローラン一家の荷馬車が足早に走り去っていくのを舟乗りが見ていたらしい。でも帰る途中魔物に襲われたようで。街道警護の兵士たちもさすがに夜は見回りはしないみたいだから、ローラン一家の変わり果てた姿を発見したのは、朝だったって。村長さんは、これが聖地帰りではなく行きだったら、助かっていたんじゃないかって。羊肉をたくさん運んでいたから、魔物もそちらを狙って人は狙わなかっただろうからって。
「聞いた話では、それは酷い有り様だったとか。現場は荷馬車がひっくり返り、その下敷きになったローランの子供達が、逃げられない状態で食い殺されたとか……」
村長さんは顔を手で覆った。うん分かる……私も胸が痛くなる。逃げられない状態で魔物に。しかも子供だなんて。どんなに怖い思いをしただろうか……
「お子さんは何名ですか?」 とコックリ。
「二人です」
「何歳くらいでしょうか?」
「十歳の姉と五歳の弟でした」
「二人とも魔物に?」
「はい……」
そうか。せめて子供だけでも生き残ったらって思ったけれども……そして修道院に入所したらって。でもそれもないか。生き残ったのは男性ということだもんね。父親ということかしら……?
「話は変わりますが、ローラン一家が聖地に届けた物のうち、修道院に運ばれた物はないのでしょうか?」
「ええ、なかったと。元々修道院は羊肉を食べませんし、届けるとしたら羊毛ですが、今回は届けていないようですし」
やっぱり、修道院に運ばれた物はないか……何か色々近いような気がするんだけれど、もう一歩で繋がらないな。コックリがアゴ髭を擦りながら考えこむ。皆が見つめる中、コックリが再び質問した。
「生き残った方は父親ですか?」
「え?」
「一命は取り留めたものの、発狂された方がいると……」
「え?」
村長さんが怪訝な顔をした。
ん?あれ?何、この反応。その場に集まった面々が互いに顔を見合わせる。と村長さんは答えた。
「何のことでしょう?」
「え?」
奇妙な静けさが訪れる。あれ?と村長さんが続けた。
「四名全員死亡しましたが?」
「「え?」」 と全員。
「え?」 と村長さん。
「四名?」 とコックリ。
「え? ええ四名ですが?」
「「え?」」
「え?」
四名? 四名?
「六名中、五名死亡、一名発狂と聞きましたが?」
「え? 六名? 五名死亡? 一名発狂?」
「「え?」」 違うの?
「ローラン一家は四名家族ですが?」
「「え?」」
そこに集まった全員の頭に、クエスチョンマークが見えた。とコックリが再確認した。
「どのような家族構成ですか?」
「は、はい。二十代後半の夫妻と、子供二人ですが」
「「夫婦と子供二人?」」
「はい」
また静寂が訪れた。
え?どういうこと?じゃあ他の二名って誰のこと?
何が起こっているの?




