28 陸地付近(湾内)
何とか更新できました
◼システィーナの視点
秋の穏やかな陽が天の頂点に届く。
ああ、暖かい。
遠浅の海を翔る北風の乙女はちょっと寒い風を届けるのだけれど、太陽の恵みは余すところなく燦々と温もりを与えてくれるの。
干潮の海。
きめ細かい砂が陸地まで見渡すかぎり広がっていて、少し水分を含んだ重い砂地を踏みしめると……ああ不思議な弾力が返ってくる。先日、聖地に来る時はこの感触に癒やされもしたんだけれども……今は少し心が重い。陸地から修道院へ向かう巡礼者たちの嬉しそうな表情とは対照的に。
気持ちを断ち切るように前を向くと、陸地付近の砂地に無数の白い物体が動いているのが見えた。
あれは何かしら?
「あれは羊の放牧ですよ」
私のつぶやきにアルシャーネさんが答えてくれた。そうなんだ、羊の放牧なんだ。干上がった海の底には、塩に強い牧草がすぐに生えて、それを家畜が食べると磯の風味が残る肉質に育つんだそう。ふもとの町の食堂で出される名物の一つなんだとか。怪異が解決できたら、そのお肉を食べさせて貰おう。
私たちは今、陸地に向かって干潮の海を歩いているの。先頭に僧兵隊長のクラウディーアさんとアルシャーネさん、その後ろにコックリと私で進んでいて。そう、私たちは修道院をあとにして、陸地に複数点在する村の一つへと向かっていくところなの。そこに恐らく怪異に繋がる何かがあるハズ。
私はそのことでさっき賓客の間で話していたことを思い出した。
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無機質な石の柱が林立する賓客の間。
時が凍りついたようなその空間に、驚きの声が響きわたった。
「「フェルメーテを惨殺したのはミノタウロス!?」」
同時に叫んだのは、私とアルシャーネさんとクラウディーアさんだった。
私たちは予想だにしなかった言葉にただただ混乱してしまった。だって、汚冥界に堕ちたというのならば、惨殺した相手は亡者としか考えられなかったんだもの。混乱し、間違いではないかと疑う私たちに、コックリがなぜ亡者ではなくミノタウロスと判断したのか、一つずつ、指折りしながらその根拠を説明してくれた。
「牛の歯型、巨大な爪、性交の痕跡……」
「そ、そんな……殺された後、死……姦」
「その後、体を食い荒らされ……」
確かに、コックリがそう判断した理由が納得できた。
そしてフェルメーテの身の上に起こった悲惨な出来事を聞いて、ただただ胸が苦しくなって、張り裂けてしまいそうになった。
恐ろしい……そして何ておぞましい行動なのだろう! 私はそのおぞましい行動を想像してしまい、それから逃れたくて、何でもいいからコックリに問いかけた。
「コックリ、そのっ。その、ミノタウロスって……汚冥界にも棲息しているの?」
「まさか。穢れた魂の世界なんだから、生物は存在しないよ」
「じゃあ、もしかして……ミノタウロスも?」
「そう」コックリはアゴ髭を擦った。「ミノタウロスも汚冥界に堕ちていたんだ。そして同様に堕ちたフェルメーテを惨殺し喰ったんだ」
そう、そうなるの。ミノタウロスも汚冥界に堕ちていた。今度はアルシャーネさんがコックリに質問した。
「では。では一体、いつ、どこで堕ちたのでしょう?」
「時期は恐らく一ヶ月か二ヶ月くらい前だと思います。汚冥界は魂の世界ですので、生き物がいない。すなわち食糧が存在しないから、何年も前に堕ちて生き残って……ということはないでしょう」
「なるほど」
「そしてどこで堕ちたかは定かではありませんが、どのような堕ち方だったかは、可能性が二つ出てきます」
「堕ち方? 二つ?」 と今度は私が聞き直した。
「ああ。①修道院内の怪異と同じロジックで堕ちた、②古戦場跡など別の汚冥界への扉から堕ちて偶然フェルメーテと遭遇し惨殺した、か……」
「なるほど確かに。可能性としてはどっちかしら?」
「可能性としては①の方が高い」
「①なんだ」
「ああ。根拠は薄いが、近隣の状況からはそうなる」
「近隣の状況?」
「ああ。聖地の近隣では汚冥界に繋がるほどの怨念は存在していない。とすると②の場合、聖地から離れた場所で汚冥界が繋がりミノタウロスが堕ちたことになるんだが……」
「うん」
「汚冥界もまた、現世と同様大きく広がる世界だ。その世界でミノタウロスが修道僧達とたまたま同じ時期に別の繋がりから堕ち、聖地で堕ちたフェルメーテと遭遇する……確率はゼロではないだろうがかなり低いだろうな」
「確かに……聖地の近隣で、同じロジックで堕ちた方がフェルメーテと遭遇する可能性が高そう」
「ああ。②を完全に排除するわけではなく、①に主眼を置く感じだね。と①のことをさらに考えると、二つの可能性が出てくる。(A)修道院と同じ『汚冥界に繋がるモノ』が修道院の外にも同時に存在する複数説、(B)汚冥界に繋がるモノは単数で、外にあったモノが内部に入ってきたか、内部にあったモノが外に出たか……単数説だな」
「複数か単数か……そうね、確かに」
そうか、(A)は修道院の内と外に同じモノが存在しているか、(B)外に存在していたモノが修道院に入ってきたか……うう~ん、何だか(B)のような気がするんだけれど……(A)が気になる。
なぜだか理由は分からないんだけれども、『修道院の内と外に同じモノが存在する』ってキーワード……何か凄く重要な気がするの。と、ここでコックリがクラウディーアさんを見た。
「僧兵隊長。近隣で汚冥界に堕ちる事件はなかったということでしたね?」
「その通りです」
「ではミノタウロスの目撃情報はありませんでしたか?」
「ありませんでした。……が」
「が?」
「近隣で起こった魔物の事件で、今思うと一つ気になるものが」
近隣で起こった魔物の事件で一つ? 確か五件あったよね。サーペント、正体不明、スキュラ、グリフォン、オーガーだったかな。もしかして……と、コックリが思っていたことを聞いた。
「それはオーガーと思われる魔物が起こした事件ですね?」
「そうです」 ああやっぱり。クラウディーアさんは事件をまとめた羊皮紙の束を広げて続けた。「警備兵団の調査では、魔物に襲われたと言いつつも目撃情報はなく、ある二つの痕跡からオーガーと推定したようです」
「それはなんでしょう」
「は、①巨大な人の足跡と②犠牲者が食われていたこと、のようです。血の海に、人のサイズでは到底ありえない巨大な足跡が残されていた、と」
なるほど、確かにまずはオーガーの可能性を疑うよね。巨人並みのミノタウロスなんて滅多にいないし。クラウディーアさんは続けた。
「また数年前ですが、街道にオーガーが現れ巡礼者を襲った過去があったため、巨人ではないかと推察したようですが……神殿騎士殿の見立てたミノタウロスも巨人に匹敵しそうな巨大さです。充分に考えられる」
「山狩りは行ったのでしょうか?」
「は、三日間行っているようです」
「魔物は見つかってないと?」
「そうです」
襲った魔物は見つかっていない! もしかしたら、山や森に隠れたんじゃなく、その時汚冥界に堕ちたとか!? だから魔物が見つからないんじゃ!?
「事件はいつ起こったのでしょうか?」
「オウガ(八月)の二十日です」
オウガの二十日!? 怪異がはじまり始めた時期と大体あってる!
「被害にあった方は、確か聖地に食糧納品をしていた村人……でしたね?」
聖地に食糧納品! もしかして!?
「そして五名死亡、一名発狂……」
怪しい! 五名死亡、一名発狂! 死んだ五名が汚冥界に関わっているとか? もしかして襲われた時の遺留品みたいなモノがこの修道院にあるとか? あるいは発狂した一名がこの修道院に入所したとか?
アルシャーネさんも同じ事を思ったのか、興奮したようにクラウディーアさんに質問した。
「聖地に食糧納品ですか!? もしかして!?」
「少々お待ちを」と、クラウディーアさんは羊皮紙の束をめくった。「いえ、ふもとの町への納品物だけですね」
「そう」と、残念そうなアルシャーネさん。今度はコックリが問いかけた。
「遺留品や証拠品を修道院に持ち帰ったことはありませんか?」
「そうです、どうでしょうクラウディーア?」と、アルシャーネさん。
「いえありません。元々、近隣地域の事件は街道警備の兵団の管轄ですので」
「五名の亡骸を修道院に運んで葬ったということは?」
「葬儀は……」と、羊皮紙の束をめくっていると、アルシャーネさんが答えた。
「修道院、つまり大聖堂で葬儀を行う対象は、教団関係者か王侯貴族のみで、一般には開いておりません。またここ数ヶ月、葬儀を行ったこともありません」
「五名の死者でもない」コックリはアゴ髭を擦った。「発狂した一名がこの修道院にいることは?」この問いかけにはクラウディーアさんが答えた。
「ありません。男性ですので」
そうここは女子修道院なので、男性の修道僧はもちろん、男性の入所患者も入ることができないの。体の悪い男性は、近隣に何カ所かある男子病療修道院に入るんだとか。
うう~ん、食料品でも、遺留品でも、亡骸でも、病人でもない……
何だか凄く怪しいんだけれど、でも微妙に接点がない。
うう~ん、この事件とは違うのかしら?と、コックリが立ち上がった。
「いずれにせよ、別件で『 調べたいこと 』があります。それらと共に魔物がミノタウロスだったか否か、確かめに行きましょう」
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湿った砂を踏みしめて周囲を見渡せば、遠くにたくさんの巡礼者たちの姿がある。実は、聖地に一番近い陸地のルートから外れて、斜めに、巡礼者たちから遠ざかるように海の上を歩いているんだ。この方向に目指す村があるということと、巡礼者がアルシャーネさんに気がつくと囲まれてしまって、身動き取れなくなってしまうから。聖女の再来と謳われるのも、大変よね。
もう少しで陸地に到着する。干上がった海の上で羊の群れが緑色の藻を黙々と食べている。ここら辺の羊は藻を食べるのねえ、と思っていたら急に羊たちが怯えて、一斉に陸地に向かって走り出したの! ええっ何!?
「メエエエエッッ」「メヴェエエエエエッッ」
「こ、こら!お前らどうした!?」
羊飼いの青年が、慌てて牧羊犬を使って羊たちの制御を試みる! けれど羊たちはパニックになったように左右前後に乱れ出す! ええっ何!? 何なの!? コックリをオーガーだと思った!? と、その時コックリが天を見上げて叫んだ!!
「気をつけろ! グリフォンだ!」
「ええっ!?」「きゃあああ!?」「アルシャーネ様!」
見上げる太陽の中から、巨大なグリフォンが羊めがけて急降下してきた!!
ひゃあああああっ!?




