第14話 悟の相談
並木通りを店から出た二人は、夜の銀座の空気に包まれた。エリカママのクラブは並木通りから路地を少し入ったビルの地下にあったため、外に出るとすぐに高級ブティックやクラブのネオンが並ぶ通りが広がる。土曜の夜遅く、通りにはまだ酔客やカップルがちらほら歩き、車のクラクションが遠くに響いていた。
悟が真理子の肘を軽く引いて、並木通りを北へ向かう。真理子の5センチヒールの黒パンプスがアスファルトを軽く鳴らす。肩に羽織った薄手の黒ボレロが夜風に揺れ、長い黒髪が優しく波打つ。
「悟、どこに連れて行ってくださるの?」とハイヒールをはくと吉澤と目線がほとんど一緒になる真理子が彼の顔に顔を近づけて、見かけと裏腹な低い低音のハスキー声で聞いた。顔が……近い……昔から、距離感がゼロだったよなあ、と悟は思った。
「落ち着いた雰囲気のオーセンティックバーがいいかな?あの店を出てすぐ、どこか静かなところで話したいと思ってたんだ。ここから歩いて5分くらいのバーがある。落ち着けるよ」
悟が少し照れくさそうに言った。真理子は穏やかに微笑み、虫の知らせがまだ終わっていないことを感じながら頷いた。
二人は並木通りを北上し、銀座五丁目の交差点を左折。ブランドショップのショーウィンドウが煌めく通りを抜け、すぐに銀座六丁目へ。道幅が少し狭くなり、老舗のバーやレストランが並ぶエリアに入る。ネオンの光が柔らかく、歩道の石畳が足音を優しく吸い込む。
さらに少し進むと、右手に小さな路地が見えてくる。悟がそこを指した。「ここを入ってすぐだよ」
路地に入ると、喧騒が一気に遠のく。古いビルの壁に控えめな看板が灯る。「THE BAR CASABLANCA GINZA」。重厚な木製の扉の前に立つと、まるで映画の世界に迷い込んだような静けさが二人を包んだ。
悟が扉を開け、真理子を先に通す。重厚な黒い木製の扉を開けると、ダークトーンの壁と金色の店名ロゴが控えめに輝き、大人の隠れ家のような静けさが広がっていた。BGMはピアノやサックス中心の控えめなジャズが流れ、喧騒の銀座通りから一瞬で静謐な別世界に引き込まれる感覚だった。
店内の中心は大きなL字型のダークウッドカウンターがあり、磨き上げられた木目が美しい。バックバーには数百本のボトルが整然と並んでいた。
カウンターの前には青みがかったベルベット調のハイチェアが並んでいる。カウンターの上にはリンゴ、オレンジなどの季節のフルーツの盛り合わせが置かれ、フレッシュカクテルの香りが漂っていた。
天井が高い。壁はダークブラウンの木パネルで統一され、暖炉のようなファイヤープレイスが暖かみを加えている。
店内を見回した悟は、半個室のソファ席が空いていたので、バーテンに断って、真理子とそこに座った。赤みがかった照明とクッションでくつろぎやすい。
真理子は席について、かすかに微笑んだ。「素敵な場所ね。ここなら、ゆっくりお話できそうね」
「あのさ、真理子、まず聞きたいのは、キミはなんで銀座の高級クラブなんかに勤めているの?」
「今日、大学の史料編纂所の史料整理に土曜日だと言うのに駆り出されたの。文化人類学研究室とはあまり接点がないのにね。教授のお付き合いだから仕方ないけど。それで、何故か、土曜の午前午後は本郷キャンパスで時間を潰して、夕方、銀座に出たら何かあるという虫の知らせが頭をよぎったのよ」
「虫の知らせで高級クラブになんでまた?」
「銀座にでましょうと思ってね、目的なくブラブラしていたら、並木町に来てしまって、さっきのトキオさんに路上でスカウトされて、見習いホステスになった、というわけ。面白そうだったから、何事も体験だと思ってね」
「路上でスカウトされて、体験って、ホステスをするって……それも、ぼくの行きつけのお店だと知らずに?」
「ええ、まったく」
「信じられない!」
「だから、悟に会えという『虫の知らせ』だったのよ。だから、あなたは私に会えたでしょう?私も土曜日の夜遅く浮かない顔をして銀座の高級クラブに一人で飲みに来た元カレに会えたわ。どうして、あんなにもしょげていたのかしら?さ、真理子に白状なさいな」
「……そんなにしょげていたかな……あのね、長い話になるんだけど……」
悟はグラスを置き、少し俯いて話し始めた。半年前、コミケで出会ったゴスロリの少女、鈴木恭子。ロリ顔で小柄、貧乳を自虐的に笑う可愛い子だった。撮影会から始まり、何度か会ううちに、ぼくは彼女の魅力に引き込まれた。ゴスロリ姿の恭子は、まるで女神みたいで……。
「コミケ、ゴスロリの少女、ホテルでの撮影会……まったく、私の元カレって……」真理子は首を振ってちょっと呆れながらも静かに聞き、時折穏やかに頷いた。
ホテルで体を重ねた夜。恭子が本気で感じてくれたこと。レズだと言っていた彼女が、男であるぼくにここまで反応するなんて……でも、その後、彼女がさらっと薬の売買や同級生の売春仲介の話をした。ぼくはショックで、お金を投げつけて「止めてくれ」と叫んだんだ。恭子は激昂して、「私はズベ公なのよ!あんたの女神なんかじゃない!」と泣きながら去っていった。それが最後の別れだった。
「それ以来、連絡が取れなくなって……半年以上経つ。ぼくは彼女を傷つけたんだ。根はいい子だって信じてたのに、ぼくの言葉が彼女を追い詰めたのかもしれない……」
真理子は少し考え、穏やかな声で言った。「なるほど……つまり、そのズベ公の女子高校生が忘れられないってわけね?」
「根はいい子なんだよ」
「でも、自分で売春、同級生の女子への売春教唆と覚醒剤所持なんでしょう?恭子ちゃんが自分で言った通りのズベ公じゃないの?」
「ぼくは彼女を更生させられると思ってるんだ……」
「まあ、いいわ。悟と彼女の感情の話なんだから、私がなんとも言えないわね」
「ホテルで別れて以来、しばらく連絡してなかった……二週間経って、スマホに電話して謝ろうとしたんだが、出ないんだよ。スマホのキャリアのアナウンスは『おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません』というだけなんだ。何度連絡しても同じ。LINEの既読もつかないんだ」
「同じ日に?」
「いいや、間隔を数日開けてかけても同じ。それが、もう半年以上になる」
「住所を知らないの?」
「スマホの番号、LINEのID、メアドしか知らないんだ」
「う~ん、可能性として考えられるのは、彼女のスマホは半年以上電源オフになっているということ。解約されていれば、別のアナウンスが出るはずだから。じゃあ、なぜ、電源オフになっているか?それは、彼女がそのスマホの電源をいれていない、或いは、彼女以外がそのスマホを取り上げて電源をオフにしている、その2つの可能性よ」
「別の機種を買ったんだろうか?」
「だったら、解約するでしょ?それに、キャリアを換えても番号は同じにする可能性が高いじゃない?」
「彼女以外がそのスマホを取り上げて電源をオフにしているのだろうか?母親とか?」
「或いは、第三者が?」
「第三者?」
「売春に覚醒剤の女の子でしょう?悪い仲間、悪い相手にスマホを取り上げられたとか……または……」
「または?」
「警察ね。逮捕されて、刑務所……じゃないわね、高校生なんだから。女子少年院とかに収監させられたら、スマホは取り上げられるわ」
「真理子、どうやって、彼女を探せばいい?」
「おいおい、ズベ公の女子高校生にご執心で、その女の子を捜索する相談をあなたは元カノにするの?」
「真理子は『虫の知らせ』でぼくに会ったんだろう?キミは昔からカンが鋭いじゃないか?助けてくれよ」
「いいわよ、ちょっと意地悪しただけですから。でも、そういう悟の女心がわかっていないのが、私たちが別れた原因なのよ」
「ゴメン……」
真理子は、ハンドバックからスマホを取り出して入力し始めた。「私のカンだと、警察に捕まって、少年院に収監されている可能性が高いと思うわ」と言って、AIに検索を始めた。悟に入力画面を見せる。
『18歳の高校3年生の女子が売春、売春教唆、覚醒剤所持で初犯で有罪となった時、現行法では女子少年院に収監されるのでしょうか?その収監期間はどのくらいですか?』
真理子がAIの検索結果を悟に見せた。
・18歳の高校3年生(女子)が売春関連罪(売春防止法違反の教唆など)と覚醒剤所持(覚醒剤取締法違反)で初犯・有罪となった場合、現行法(2022年改正少年法施行後)での扱いは以下の通りです。
・18歳は「特定少年」に該当します(少年法適用年齢は20歳未満ですが、18・19歳は特定少年として17歳以下と区別)
・事件は家庭裁判所で調査され、原則として検察官送致(逆送致)され、刑事裁判で扱われます。ただし、少年の更生可能性が高い場合などは保護処分(少年院送致など)となる例外もあります。
・収監(実刑執行や保護処分による少年院送致)の場合、女子少年院に収容されます。
保護処分で少年院送致が決定された場合:直接女子少年院。
・逆送致され刑事裁判で懲役(拘禁刑)実刑判決となった場合
刑の執行は、20歳未満であるため少年院(女子少年院)で行われます。
・成人刑務所ではなく、矯正教育を目的とした女子少年院が優先されます。
・期間は事件の詳細(薬物の量、売春教唆の悪質性、反省の度合いなど)により大きく異なり、一律の決まりはありません。初犯の典型例は以下の通りです。
・保護処分で少年院送致の場合
在院期間は個別に決定され、矯正達成状況に応じて出院(平均6ヶ月~1年程度)
・刑事裁判で実刑の場合
懲役(不定期刑が原則)の期間による。
・覚醒剤単純所持の初犯
少量なら懲役1年~1年6ヶ月(執行猶予3年)程度が相場。実刑でも1~2年程度。
・売春教唆
軽微(3年以下懲役など)で執行猶予がつきやすい。
・併合罪で実刑の場合:懲役1~3年程度の不定期刑が多く、仮釈放審査で早期出所可能。
・初犯・18歳女子・高校生という情状を考慮すると、執行猶予や保護観察(社会内処分)となるケースが多く、実刑・少年院収容は比較的稀です。
・特に覚醒剤所持でも少量初犯は執行猶予が一般的です。実際の処分は裁判所の判断次第のため、弁護士介入で軽減を目指すことが重要です。
「私のカンだと女子少年院に収監されているんじゃないかと思うわ。それだと、『平均6ヶ月~1年程度』の収監になるわ。悟、最近、その子のスマホに電話した?連絡がとれなくなってから、今日まで実際に何ヶ月、何日になるの?」
「ここ一ヶ月は電話していない……連絡が取れなくなってから……6ヶ月半くらいだと思う」
「じゃあ、今、恭子ちゃんに電話してみて。もしかしたら、出所しているかも、でしょう?」
「……わかった」
悟がスマホの連絡帳から鈴木恭子を選んだ。グリーンのアイコンをタップする。呼び出し音が鳴った。
「あ!つながった!」
「出所して、スマホを返してもらったのかしらね?」と真理子がスマートフォンをスピーカーモードにした。「黙っているから、聞かせてね」と言う。
十数秒経った。
「もしもし……」と精気のない声がスマホから聞こえた。




