8-6 出現
「ひっ……あ、あっつ!」
熱風が押し寄せる。私は咄嗟に腕の中の子どもを抱きしめた。背中を丸めて身を寄せ合う。熱い。直接炎に触れているわけではないけど、その温度と舞う火の粉が十分に肌を灼く。堪えきれなくて思わず目を閉じた。
「ブレス……」
「え?」
ごおごおと耳の奥を揺るがすような音に紛れ、エレナちゃんが小さく呟く。なんだ、何か聞こえた気がする。聞き覚えがあるような、でも聞き馴染みはないような。そもそもあまりきちんと聞き取れた自信がない。
私は聞き返す、が、それに対する返事は無かった。炙られる熱さの中、顔を伏せつつうっすらと目を開ける。
エレナちゃんはまっすぐ炎を見ていた。
とぐろを巻く火炎がピンクの目に反射している。
それはまるで生きているように、彼女の瞳の奥で、ゆらゆらと燃えていた。
炎が止む。
果たして、火炎が去った後の大穴に巨人の姿は無かった。
ただサラサラと──大量の粉が舞っている。
それは山となって大穴の底へ落ちて行った後、端から少しずつ、少しずつ、消えて行った。
……なにが、なにが起こった?
圧迫感の消え失せた大穴を、ただ呆然と見つめる。腕の中でエレナちゃんが潰れた声を漏らした。力が入りすぎてしまったのかもしれない。あぁでも、ごめん。緊張で腕が固まっちゃって解けないんだ。
「エレナ!」
頭上からの呼び声に、ようやく首だけ動かすことができた。それと同時に、エレナちゃんが私の腕を剥がして立ち上がる。そして小走りで足場の縁まで進み、両手を広げた。
「ここですの!」
バササッ、と羽ばたきが聞こえる。その主が空から飛んできて、
「ここですの、じゃ、ねえよなあ!?」
エレナちゃんに詰め寄った。
「おまえは……はー……」
テルモスさんはぶつけかけた言葉を一度飲み込んで、それを大きなため息に変えた。人型なら間違いなく頭を掻きむしっている。その様子が目に見えるようだ。エレナちゃんはそんな小鳥をそわそわしながら眺め、眉を八の時にして言う。
「ねぇ、あのね」
「なに……」
「助けに来てくれて、ありがとう」
にへら、とエレナちゃんは笑う。それにテルモスさんは数秒動きを止め、
「……あああもう、どういたしまして!」
やけくそ気味の大声を上げたのだった。
小鳥は諦めたようにゆらりと羽ばたいて、近くのポールにとまる。それをぼうっと見ていれば、不意に私の背に誰かの手が添えられた。ああ、この……あたたかい体温!
「チアキ、怪我や痛みは?」
王様は身を屈め、私の顔を覗き込む。ブロンドが流れ、カーテンのように世界から私たちを覆った。その光景、声、表情、温度。全てが私の心に沁みわたる。
「無い、です……」
「本当に?」
「はい……」
「そう。良かった」
王様の視線が私の全身をなぞっていく。そうして怪我がないことを確かめると、次に王様は私の手を取った。
「チアキ。あなたの勇気、このユーリクレマチスが確かに見ていたわ。よく……本当によく、頑張りました」
……王様、ずるいです。なにかを言いたいのに、返事をしないと不敬だって思うのに、これじゃあ何も言えません。……今喋ったら、絶対に声が湿ってしまうから。
顔を見られたくなくて俯く。できるだけ音を鳴らさないようにと思ってゆっくり鼻を啜ったけど、やっぱり「ずずず」と聞こえてしまった。絶対王様の耳にも届いているはず。でも王様は何も触れない。
「立てる?」
「……はい」
私は小声で返事をして、王様の手を支えに立ち上がった。瞬きを繰り返す。顔を上げる前になんとか目を乾かさないと。どうせバレてるだろうけど、やっぱり恰好はつけたかった。
油断すれば出そうになる嗚咽を押し留める。喉のつっかえを咳で出し、ようやくなんとか話せるようになってきた。早速気になることを聞いてみる。
「王様。あの、何があったんですか、今」
「私も全てを把握できているわけではないのだけれど」
王様はそう前置き、視線を移す。そこにはどこか気まずそうに自身の羽をつつく小鳥が居た。
「あなた達を守ろうとした所に、突然空から炎が現れた。それによって、あの侵略者は砂のように崩れ落ちた……つまり、絶命した」
「ぜっ……」
言葉に詰まる。絶命。意味は分かるけど、どうも縁遠い気がしていた言葉だ。
そういえば、前にも王様はそんなようなことを言っていた気がする。侵略者は最期砂になる、と。砂というには最早山のようだけど、つまりこれが侵略者が絶命したという証なのだ。
そして、それをしたのは1人しかいない。
「テル、あなたがあの炎を?」
王様につられて小鳥を見る。私と、それからエレナちゃんも。6つの目を向けられ、小鳥は嘆息する。
「ああ、そうだよ。ブレスってやつだ。口からエネルギーを吐く」
「あの相手を一度で仕留める高威力。あなたが言い淀んでいたのは、これのことだったのね」
「まあな。すぐ出せなくて悪かったよ。でも仕方ねえだろ。あれをやれば異物を殺しちまうって分かってたんだから」
それから、テルモスさんはエレナちゃんに向けて、観念したと言わんばかりの声音で言った。
「ずっとあれで戦ってたんだ。覚えてるだろ」
……そうか。
テルモスさんがブレスを出し渋っていたのは、「異物を殺さないようにしていたから」だけじゃなかったんだ。
あれを見せれば自分の正体がバレてしまう。そう思ったから、あれだけ躊躇った。
それくらいブレスというものは彼らにとって、あまりに見慣れた物だったのだ。
光景、音、温度。あらゆる物が記憶を刺激する。凝り固まった先入観を破壊する程強烈な、刺激。
「なあ、エレナ」
それが分かって彼はブレスを出した。
そんなことより大事なものがあったからだ。
なによりも大事な、守るべき相手。
「頼むから、もう1人で突っ走らないで。人は脆いんだからさ。もうこれ以上、オマエの番、心配させんなって」
彼は、テルモスさんは、なにもかもを打ち明ける決意を固めたのだ。
私は息をのみ、王様とつなぐ手を握りしめる。もし……万が一、エレナちゃんが彼を拒絶したら。そんな嫌な予感を頭をよぎる。あり得ない話ではない。でも、どうか、と思わざるを得なかった。
テルモスさんがエレナちゃんを想う気持ちだけは、絶対に嘘じゃないから。
「……うん」
私たちが見守る中、エレナちゃんはゆっくりと、確かに頷いた。その顔に浮かぶのは、笑顔。
エレナちゃんは嬉しそうに頬を染め、笑いながら、言った。
「じゃあこれからは、テッちゃんにも頼りますの。それからチアキさんとユーリさんにも!」
……。
…………。
………………。
「あれ?」
沈黙を破ったのは私だった。つい出てしまった声にハッとなって見れば、エレナちゃんが不思議そうにこちらを見ている。
その背後に──呆気にとられた顔の、テルモスさん。
すごい、小鳥の顔なのにこんなに表情が分かるんだ……とかそんなことを言っている場合ではなく。
今の発言は、何かおかしい。
「あの、えっ、とえー……エレナさん」
テルモスさんが羽の先でちょいちょい、とエレナちゃんをつつく。
「ん? どうしましたのテッちゃん?」
「テッ……えっと。エレナのその、番の方っていうのは……」
「だからテルちゃんですの」
「そう、そうだよな。そのテルちゃんは、今、どこに」
「もう、それをずっと探してるんですの! テッちゃんそれ、分かってて言ってるでしょ」
腰に手を当てエレナちゃんがいかる。その直後、ハッと目を見開いた。
「あ、そうだ。ねぇ、お願いがあるのですけど」
「うん、なにかな」
「テルちゃんが見つかっても、今のことは内緒にしてて? バレたら怒られちゃいますの」
「…………見つか……」
なにを、言えばいいのか、分からない。
ただ分かることと言えば、
「……ああ、そうだな! バレたらすーっごい怒られるだろうなあ!」
一切なんにも進展していないということだけ……!
「でしょ!? だから絶対内緒ですの! いい?」
「どうしようかなあ。すっごい危ない目にあったしなあ」
「えぇ!? そうですけど、でもぉ」
「オレじゃあ言っても聞かねえだろうし? ちゃんと番に怒られた方がいいってこともあるよなあ」
「ううう、テッちゃん! き、聞く! 聞きますの!」
「番じゃなくても?」
「なくても!」
「……でも言っちゃおうかなあ!」
「ちょっと、ねーえ!」
「うそうそ、言わねえよ」
頬を膨らませるエレナちゃんにテルモスさんがけらけら笑う。そんな微笑ましいはずの光景が、私には、どうしても……。
「チアキ、大丈夫? やはりどこか調子が良くないのかしら」
目を覆って空を仰ぐ私に、王様が声をかけてくれる。しかし私は何も言えず、ただ首を振ることしかできなかった。




