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8-1 出現

 ……あれ?

 はた、と瞬く。

 私は長椅子に座っていた。見覚えのある椅子。当然だ。大学の、講義室の椅子。

 周囲にはたくさんの学生が居る。ということはつまり、今は講義中ということだ。視線を前にやれば、確かに教授が上下スライド式のホワイトボードの前に立っていた。

 なにもおかしなことはない。でも、何故だか私は今自分がここに居る理由が一瞬思い出せなかった。


「ちぁきちゃん?」

「花奈」


 呼びかけに振り向けば花奈が居た。いつも通り、私の隣に座っている。


「ねぇ、今日お家行くね?」


 こてん、と首を傾げる花奈。私は頷きかけて、


「あ、いや待って」

「え? なぁに?」

「あの、えーっと。今日はちょっと」

「なんで?」

「あのー」

「チアキ、いいじゃない。夜は私が作るわよ」

「いやでも王様。今はほら、あの子たちが居ますから」

「あの子たち?」


 しまった、失言。あの子たちのことを花奈に隠したかったのに。

 私はわざとらしく咳払いして、背後の席に座る王様を振り返った。


「あ、あ、あーほら、王様。あれですよね。あれ。あのー……と、鳥?」

 ──おい

「鳥? なぁにちぁきちゃん鳥って」

「鳥を飼い始めたんだよ! ですよね、王様?」

「……えぇそうね。鳥と、子猫を」


 話を合わせてくれた王様に感謝の会釈をする。そんな私達を花奈は交互に見て、不満気に頬を膨らませた。


「なんでハナには教えてくれないの?」

「えっいや」

「ハナを一番にするって約束したじゃん!」

「それはその」

 ──おいって

「チアキ。明確にしておかなければならないことというものも、あるのではないかしら」

「お、王様まで」


 気が付けば私は壁際に追い込まれていた。右から花奈が、左から王様がその顔を近づけてくる。

 なんとか抑えようと前に出した手はしかし、逆にひとまとめにされ腹の上で固定された。


「どうなのかしら、チアキ」

「ちぁきちゃん。ねぇ……」

「う、あ……」


 ──おい!!


 ハッ、と目を開けた。


「あっ!? えっ!? なに!? 夢!? うわちかっ、猫!?」


 心臓が大きな音を立てている。嫌な焦燥感のままパッと顔を上げれば、目の前に猫のドアップがあった。


「おい、おまえ」

「あ、テルモスさん……」


 ぼうっとする頭を動かして見れば、猫は私の腹部にどっしりと乗り上げる形でこちらを覗いていた。

 なんか手が重くて温かいと思えば、そいつの下敷きにされている。あぁ、夢の中で手が動かせなくなったのはこういうことだったのか。そういえば花奈と王様の声に紛れて変な声もしていたような。現実の出来事ってちゃんと夢に干渉するんだなぁ……。


「いやなんで? なんであんたがここに? どこから入りました?」

「それどころじゃない」

「どころですよこっちは防犯が」

「電気が点いてる」

「……は? 何の話?」

「そこの廊下。電気が点いてる」


 瞬間、息が詰まった。

 ゆっくりとした動きで首を動かす。リビングと廊下を区切るスライドドア。その細長いすりガラス越しに──淡い光。

 思わず身体に力が入る。硬くなった私を宥めるように、猫はその柔らかい毛で私の腕を撫でていき、ソファから飛び降りた。


「エレナ達は」

「……に、2階、です」


 点けた覚えのない電気が点いている。そこから考えられるのはロクでもないことだけだ。

 その筆頭は何より侵略者。でも、侵略者がわざわざ電気を点けるとは思えない。奴らに詳しいわけではないけれど、夜で暗いから電気を点ける、なんて枠に当てはまったような存在では無いだろう。

 だから、つまり。この場合のロクでもないこととは、最低限、枠にとらわれた存在なわけで。


「ど……どろ、泥棒」

「静かに」


 鋭い声に、私は反射的に両手で口を覆った。

 猫はソファの前で身を屈め、スライドドアの方を睨んでいる。張り詰めた空気の中、確かに私の耳にも、聞こえた。


 足音。


 悲鳴を漏らしそうになった口に強く手を押し付ける。どんどん大きくなる足音に、その主が近づいてきていることを悟った。

 暗い部屋。猫の口元から、チリ、と小さな火花が散る。


 そして──ドア越しに聞こえた声と、すりガラスに映ったその人影は、


「私よ」


 我らが王の者だった。


「お」


 ドッ……と一気に、色んな物から解放された心地。 


「王様ぁー!!」

「あっ、おい」


 制止の声は私の耳には届いていなかった。全てを吐き出すような声を上げ、ソファを転げ落ちる。ドン、と大きな音を立てバランスを崩しながらも走って、ドアの取っ手に縋りついて開け放った。

 かくしてそこに立っていたのはパジャマに身を包んだ王様で、私は勢いそのまま王様に突っ込む形になってしまったのだった。


「良かったー……王様だ……」


 大きな嘆息交じりに呟くと、王様はその唇に綺麗な笑みを乗せる。


「えぇ、あなたの王よ」

「私てっきり泥棒に入られたのかと、電気が点いてて、それで、でも王様の声を聞いて安心しました」

「そう。そのことなのだけれど」


 安心感からくる早口を、はた、と止めて王様を見た。

 王様は私の肩に置いた手で、私が身を起こすのを支えてくれている。その視線の先は部屋の奥、ソファの前を見ていた。

 視線を追った先に居るのは当然あの猫だ。テルモスさんは未だ警戒を解かないままで王様を見上げている。そして、その彼を見返す王様の瞳にも、同じ色。


「エレナが居ないの。恐らくこの家の外に居る」


 王様の背後を覗き込んだのは殆ど無意識だった。

 電気の点いた無人の廊下。まっすぐ視線を動かせば、玄関のドアがある。

 その鍵は閉まっていた。

 ぽつりと言葉が口をついて出る。


「どうして」

「今把握している情報を報告、整理するわね。今から4分ほど前のことよ。なにか物音がした気がして目を覚ましたら、共に寝ているはずのエレナが居なかった」


 プライベートなこと──王様はそう言ってぼかしたけど、多分トイレのことだろう。私ならそう思う──かと思ったが、物音が気にかかり、王様は様子を見に行くことにしたらしい。この時に廊下の電気が点いた。そうして2階の各部屋を見て回ったが、そのどこにもエレナちゃんは居なかった。


「ただ唯一、クローゼットの部屋の窓が開いていたわ。考えられることとして、その窓から連れ去られたか、もしくは」

「自分で出ただろうな」


 抑揚のない声で、テルモスさんが王様の言葉を遮った。

 俯くテルモスさんに、王様は静かに問う。


「根拠がありそうな言い方ね。聞かせてもらえるかしら」

「アイツはそういう奴だ」

「そういう?」

「気になることがあればそれしか目に入らなくなる。それなのに、自分の事情に他人を付き合わせたがらない。そうして全部自分で頑張ろうとする。そういう奴なんだよ、アイツは」


 テルモスさんは淡々と言葉を吐き出すと、最後に残った想いを猫の歯でグッと嚙み砕いた。そうして顔を上げる。猫の表情筋で、器用に片目をすがめて見せた。


「ま、1日とちょっと過ごしただけの分析だけど」


 私は、何も言えなかった。

 

「いえ、時間は関係ないわ。あなたがエレナのことをよく気にかけていたのは知っている。それに、今はどんなことでも情報が欲しい」


 お決まりのポーズを取り、王様が思考を巡らせる。「そうすると」と言葉をつづけた。


「テルの推測によるなら、エレナには何か気にかかることがあったということよね。それも、私たちに遠慮をするような」

「ああ。この場合、そんなのは1つしかねえな」

「エレナは1人で侵略者、異物と戦いに行った?」

「まず間違いなくそうだ」

「分かった。一度この方向性で考えてみましょうか」

「えっ、で、でも!」


 私はようやく動くようになった口で言葉を挟む。


「それこそ今日、みんなで行ったじゃないですか。異物かもって言って、電車に乗って」

「だからだろ。一度付き合わせて、それが無駄足だったんだ。またそうだったらと思うと余計に遠慮する……そういうもんなんじゃねえの」

「な、る、ほど……」

「エレナは鼻が利くのだったわね。チアキについた侵略者の残り香にも気が付くほどに。それなら私たちが気が付かない気配に気が付いてもおかしくない」

「……つまり、たったさっきこの世界に侵略者が現れて、その匂いにエレナちゃんは気が付いたってことですか?」

「そうなるだろうな。それで居てもたってもいられなくなった」


 テルモスさんが頷く。私の脳裏に、エレナちゃんとの初対面が蘇った。

 私を異物だと思い込み、光るロープで縛り上げたエレナちゃん。あの子は初めから異物を探していて──いや、違う。

 あの子が探しているのは異物じゃない。探しているのは異物が知っている情報で、もっと言うと、その情報で見つけられるはずの相手だ。


「異物がテルちゃんさんの居場所を知っていると思って……」


 言ってしまってから、「しまった」と思った。今の彼にこんなことを言うつもりは無かったのに。

 しかしテルモスさんはその呟きに反応は見せず、ただ話を続けた。


「問題はアイツがどこに異物を見つけたか、だ。先に言っておくと、オレはアイツほど鼻は利かない」


 王様がその問いを受け取る。


「寧ろ、その情報がヒントかもしれないわね」

「と、いうと?」


 王様はテルモスさんを見ると、スッと指先を窓に向けた。パジャマを身に着けていても、その白い手袋だけは常に王様の手を覆っている。


「テルは先ほどまでこの家の外に居たのよね。周囲に異物らしき姿はあった?」

「……いや、見てない。オレは庭側の生け垣に居たが、異物どころかエレナすら見てないよ」

「そう。ならばやはり、異物の姿自体はエレナの目にも入っていなかった、と考えて然るべきでしょうね」


 エレナちゃんは完全に匂いだけで異物を感知したということだ。ならば匂いを辿ってどこに行く?


「ものすごく暗い所とか……?」


 私が思い浮かべているのはあの黒い靄のような姿だった。しかし王様は首を振る。


「いえ、エレナはその姿の侵略者には覚えが無さそうだった。彼女は異物を大きくて人のような形と言っていたわ」

「そういえば……」

「もちろんエレナが見つけたのがその個体そのものとは限らないけれど、エレナが異物を探しに行くのなら、大きなものが存在できる場所になるはずよ」

「だろうな。アイツの中で異物はこういうもんだっていう像ができてるから、狭い場所を探しには行かねえ」


 とテルモスさんも頷く。


「つまり、ある程度の広さがあって、でも目に見えなくて……?」


 だめだ、頭がこんがらがってきた。そうこうしている間にもエレナちゃんは目的地に辿り着いて、1人で危険な目にあっているかもしれないのに。焦りが余計に頭の回転を鈍くする。


「遠い場所とか? あ、でも、どこまでなら匂いが分かるんだろう」

「ここからならせいぜい、あの乗り物乗り場くらいまでだろ。昼間に行った町までは届かねえ」

「だとしても結構な範囲ですよ。半径にしたらどれだけの範囲が……あ、じゃあ展望台は? 山の上にあって、広い場所ですし、なにより前に侵略者と戦ったところですよ」

「そこがあることをアイツが知ってたら或いは。知らねえならアイツにはただの山にしか見えねえだろうな」

「えー、あー、うーん……じゃあもうあれだ、いっそエレナちゃんが知ってる所全部回りましょう」

「そんな時間はねえ……が、最悪それも視野か」

「いいえ、その必要はない」


 割り入った声に猫と人間、2人で顔を向ける。


「王様? 見当がついたんですか」

「えぇ。今の話をまとめると、一番可能性が高い場所は1つ」


 王様はそう言うと、身を翻し玄関へと向かっていく。一瞬置いて行かれた私は、慌てて鍵を引っ掴んで後を追った。


「ど、どこに行くんですか! エレナちゃんは、どこに」


 靴を履き、王様の道を開けるべく鍵を開ける。王様が言った。


「地下通路の工事現場」


 そうして私がドアを開けると同時に、僅かな隙間をすり抜けて小鳥が羽ばたいて行った。


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