5-1 再会、そして
改札を出るとぬるい空気が顔にぶつかってきた。思わず顔を顰める。額が少しべたついている気もして、前髪をサッと掃った。
風が少しでも通れば……と小さく顔を振る。すると耳元で、ぷーん……と、少なくとも聞き心地が良くは無い音が鳴った。
「あの乗り物は……便利っちゃあ便利だけど、あまりに人間が詰め込まれすぎだな」
「じ」
危ない。普通に喋りそうになった。隣に誰も居ないのになにかに返事をしていたら、周囲の人々から変に思われる。
多くの人が足早に過ぎ去るロータリーで、誰に聞かせるでもない咳払い。なにも無かったように歩きながら、スマホを耳に押し当てた。
「時間的にあんなもんですよ。なんならもう少し後の時間の方が帰宅ラッシュでもっと混んでます」
「あれ以上なあ。まあでも、飛べるわけでも速く走れるわけでもない存在が長距離をささっと移動するって考えたら合理的か。そりゃ皆使いたくもなる」
「飛べ……」
スマホを構えたのとは逆の耳に、絶えず羽音が届いている。
正直、聞き心地が良くないどころか結構不快寄りではある。でも仕方がない。これだけ近くに居てもらわなければ、小さな小さな羽虫に変化したテルモスさんの声は聞こえないのだ。
猫体では電車に乗れない。人間体のビジュアルはあまりにも目立つ。
それでもテルモスさんをなんとか自宅に連れて行かなければならないわけで、そのために思いついたのが人目に触れない姿に変化することだった。
まぁ、思いついたのは私では無くテルモスさん本人……本ドラゴン? なんだけど。流石に思いついたとて、初対面の、しかも脅された強そうなドラゴン相手に「気にも留められないような虫に変化してもらえないですか?」とは言えない。
「なんかでも、やっぱり落ち着いてますよね」
「なにが? オレが?」
「そうそう。だって……えっと、ほら。突然、全然知らないせか……い、じゃなくて、あの、場所に。知らない場所に放り出されたわけじゃないですか。それにしては……」
「ああ」
人の合間を抜けながら、あたかもスマホで通話をしているように話しかける。
どうもテルモスさんは話が早い。いや、いいことなんだけども。それにしたってこれまでの異世界転移者2人と比べると中々に異質だった。
王様も冷静ではあった。なにせ彼女は王様なもので、自分が転移した側だというのに一切取り乱すことなく、それどころか私を落ち着かせてくれたものだ。
しかし彼女は異世界については全くの専門外。ここを自分の国だと思っていたくらいで、その脳内には異世界という概念すら存在していなかった。王様が自転車を悠々と乗り回すまでになったのは、ひとえに私が色々教えたり、一緒に異世界についてのアニメやらなんやらを見漁ったりした成果である。
比べてこのドラゴンはどうだろう。
冷静なのは勿論、それだけじゃない。そもそも自分の今の状況が異世界転移だと知っているかのような順応っぷりなのだ。
そうでもなきゃ電車に乗る前、駅のホームで、「あのさ、ちゃんとついてきてるぜって証明のためにオレ、延々喋りつづけるけど、おまえは黙ってていいから。姿が見えない奴相手に喋ってたら目立つだろ。まあ、鬱陶しいかもだけど耐えてもらって」だなんて言えないはずである。
いや、今思い返してみてもすごい台詞だ。この場において異変に巻き込まれているのはテルモスさん側であるはずなのに、落ち着いているどころか周囲への配慮までスマートにこなすなんて。
というか、目立つという所に視点が行っているのが本当にすごい。だってそれってつまり、「この世界で何が異質とされるか」が分かっている、ということだから。
そんなわけで、ずっと聞きたかったことを今になってようやく口に出せる。スマホ通話演技は電車の中じゃ流石にマナー的にも憚られた。
視界の端に小さな黒い点がふらりと現れて、消える。
車内でもそうだった。彼は宣言通り、ひたすらやいのやいのと喋りつづけては、時折こうして私に自分の姿を見せてくれていた。
「そりゃ慌ててもなんにもならないからな」
そうして再び耳元で、文字通り蚊の鳴くような声で囁く。
「なにがなんでもエレナを見つけなきゃならない。ならまずは状況確認からだ。ハッと気づけば辺りは見たことの無い景色に、見たことの無い服装の人間達。これでも伊達に長生きしてねぇからさ、ある程度の知識はあるが、こんな文化には全く心当たりがない。まるで現実とは思えぬ空想上の文化……ただの拉致ならこうはならん。なら考えられることは1つ。未知の魔法による、未知の場所への空間転移だ」
えっ。と声が出て、さっと周囲を見渡した。良かった誰も気にして無さそう。
「それあの、自分で思いついたんですか? 本当に?」
「じゃなきゃ何があるんだよ」
「だってそんな、すごすぎる……というかあの、あるんですね。ま、魔法」
魔法、の部分だけ声を潜めて言えば、
「この世界に魔法は無い。良い情報、良い情報」
そう愉快そうに羽音が震えた。
「魔法が無い世界に住むおまえが、それでも魔法って存在自体を知ってる。ってことは、この世界にも概念的な意味での魔法は存在してんだな。おとぎ話かなんかにだけ出てくる架空の物……ってとこか?」
「えっ待って、待ってくださいよ。流石に頭が良すぎるって」
「まーこれも年の功ってな。それに、うちのおてんば娘の世話するにはこれくらい先読みできねえと」
車のエンジン音や工事音、自転車のタイヤが回る音、あとはなにか分からないけれど町に溢れる無数の物音。それらにかき消されないように、でもすれ違う人には聞こえないようなギリギリの声量と距離でテルモスさんは話を続けた。
「とはいえ、そんなオレでも流石にこんな事態は想定外だったし、空間転移だなんだって思い付きはしても半信半疑だった。そんな魔法が実在するなんて聞いたことが無いし、あまりにも現実的じゃない」
羽虫の姿を取るドラゴンに「現実的じゃない」とか言われても……。
「それでも事実として、オレの側にはエレナが居ない。ならオレがするべきは、エレナと合流することなんだよ。だから行動を開始した」
「行動ですか」
「よく分からない場所じゃ目立たない方が良い。目立って行動が制限されちゃあ、目的を達成しようにも動けなくなるからな。で、この文化に馴染もうと思って、早々にその辺飛んでた種族に形を変えた。あれだよ。見える?」
あれ? 言葉と共に目の前に現れたテルモスさんを追って視線を上げる。薄い雲を横切る電線。その上に、何羽かの鳥が止まっていた。
つまり、このドラゴンはずっと鳥の姿でこの世界を飛び回っていたということだ。そりゃ目撃情報なんてあるわけがない。
「そうやって何か手がかりが無いかと観察を続けてたところで、おまえを見つけたってわけ」
「そういえば、なんで私だったんですか? なんか、におったり……」
「ああ、エレナならそう言うだろうな。でも生憎オレはエレナほど鼻が利かないんだよ。そうじゃなくて、おまえ、オレのこと探してただろ。エレナの絵で。木の上から見てたよ」
思わず立ち止まった。歩いているうちにいつの間にか住宅街の坂まで来ていたので、周囲にはひと気がない。だから不自然な動きだろうが誰にも気にされず一安心……とかそんなこと思ってる場合ではなくて!
「じ、じゃあ、猫の姿で寄って来た時ってもう……」
「おまえがエレナへの手がかりになるだろうってアタリを付けてた。本当は一旦尾行するだけの予定だったんだけど……おまえがエレナの名前を呼ぶもんだからさあ。これはなにか知ってるって確信して、我慢ならなかったわ」
なんということだ。このドラゴン……本当に、めちゃくちゃ頭がいい!
まさに「一を聞いて十を知る」って感じだ。話が早い。創作だったらものすごく都合が良いキャラクターである。一度他キャラに説明したことをもう一度説明する必要がないから、シンプルにテンポが良い。
これがアニメを見てる最中とかなら「ご都合主義っぽいなぁ。ま、面白ければなんでもいいけど」なんて思うかもしれないけど、事実として今私の前にがそんなご都合存在が飛んでいるわけで、ならこれはもうどれだけとんでもないことでも現実として受け入れるしかないのだ。
短く息を吸って、膨らんだ頬を潰すように勢いよく吹き出す。緩やかな坂に伸びる影を踏んで家路を急いだ。
「その甲斐あって、もうすぐエレナちゃんとご対面ですけど」
「長かった……と、感情的には思うけど。時間的には覚悟してたよりうんと早かった。これもオレの日頃の行いかな」
「……日頃って、なにしてるんですか?」
いつもの家を目印に道を曲がる。この歩みが彼らの再会へのカウントダウンかと思うと、徒歩の帰宅も普段より全然苦じゃない気がした。
「そりゃお嬢様に仕えてんだよ。エレナがあっちへふらふら、こっちへわちゃわちゃしてるのをさ、こう、面白いなーって」
「それ仕えてるって言います? 観察してるだけなんじゃ」
「仕える云々は言葉の綾。別に雇用関係ってわけでもないし。ただアイツが大変なことになる前に世話を焼いてるってだけだよ」
「大変なこと……」
「起きそうだろ、アイツを放っておいたら。こっちが想像もつかないようなことしでかすよ」
起きそうだろ、と言われても、エレナちゃんとはまだ出会って2日だし、正直あまり想像できない。でも付き合いの長いテルモスさんが言うならまぁ、そうなんだろう。だとしたら、これだけ早く彼を見つけられてよかった、とますます思う。
あぁ、でもそういえば。
「確かに私初対面に問答無用で縛り上げられたな……」
「ええ? それはなに、おまえがなんか言ったとか、そういうの無しにってこと?」
「あーえっと、そうなんですけど。でもエレナちゃんはどうも私のこと侵略者、じゃなくて、異物と勘違いしたみたいで」
「ふうん?」
「ちょっと前にこの世界にも異物が来てて……なんか襲われたり色々あったんですけど……あ、でも私は本当に敵じゃなくて!」
「オレとしてはエレナと合流できりゃおまえが何者でもいいよ。とはいえ、そのエレナが迷惑かけたのは申し訳ないなあ」
「いやいやいやそんな……」
しかしエレナちゃんのあの行動力を思うと、確かに軌道修正をしてあげられる人が居た方が安全かもしれない。まさしく昨日彼女と出会った場所を歩きながら、そう考えた。
自宅はもう目の前だ。
「着きましたよ。ここです。ここにエレナちゃんが」
敷地の前で家を指さし、空中に呼びかける。
ひゅん、と小さな点のような羽虫の姿をとったテルモスさんが、私の指の先に飛んでいく。少しの沈黙。感慨に耽っているんだろうか、なにか呟いているのかもしれないけれど、少し離れられただけでもうその声は聞こえなかった。
……まずい。なんか、私のほうが緊張してきた。唾を飲み込んで一歩踏み出す。
「は、入りますよ」
そう言って鍵を取り出そうとすれば、
「ちょっと待って」
「わっ、え、はい?」
耳元に聞こえた声に驚いて、思わずトートバッグを取り落としそうになった。
持ち手をぐっと握りなおし、声の主を探して視線を彷徨わせると、相手のほうから私の視界に入ってきた。勿論テルモスさんだ。羽虫の姿の。
「な。ちょーっとさ、悪だくみ、しない?」
「わ、悪だくみ?」
何を突然。意味が分からずぽかんと口を開ける私に、テルモスさんはどこか悪戯っぽい声音で言った。
「そのままハイ、ご対面ーってやるのもつまんねえだろ。驚かせてやろうぜ」
「いやいやいや、早くエレナちゃんに会いたいんですよね? 待望の再会ですよね!?」
「そりゃそうだけど、だからこそだろ。待望の瞬間だからこそ尚更面白く……おっと違う。記憶に残るものにしてやらねえと」
「今面白くって言いました?」
なんかこのドラゴン、余裕がありすぎて悪ノリまでしだしてない?
「まあまあ。でもほら、おまえもさ、やり返してやればいいじゃん」
「やり返すって……なにをですか」
「エレナにビビらされたお返し、してやろうよ。な?」
テルモスさんは悪戯な羽音を立てながら顔の前を飛び回る。それを私は顔を顰めながら目で追った。
お返しと言われても、別に怒っているわけじゃない。ビビる……はまぁそりゃ驚きはしたけど。それでお返しというのもなぁ……。
「大人げなくないですか……?」
「オレが? おまえが?」
「いやいやいや……」
「おまえが、って言うならそれはオレのせいにすればいい。オレに唆されたからってさ」
「えぇそこまで? そんなにエレナちゃんを驚かせたいんですか?」
「そりゃあもう」
小さな黒い点が私の目と鼻の先でひときわ勢いよく翻る。
思わず目を寄せると、表情なんて分かりもしないはずの羽虫がどこかニヤついているように見えた。
「なにせ……驚いた時のアイツはさ、うんと嬉しそうに笑うんだよ」
……あぁもう、じゃあ最初からそう言えばいいのに。
「分かりました、分かりましたよ。じゃああれですね、サプライズね」
「うんそう。ありがとな」
感謝のお辞儀の代わりとでも言うように、テルモスさんはふわりと大きく上下に飛んだ。それから一点でホバリングして、サプライズ計画の案を披露したのだった。




