3-3 2章で新キャラクターが登場するなんてそんなまさか
我が家に無駄に食器が多くて助かった。
正直、これまでこの家に一人で暮らしていた時は──それどころか母さんが居た時ですら──こんなに食器があったって食器棚を埋め尽くすだけで、しまう時もバランスを考えないと棚が閉まらないし、邪魔なだけなんじゃと思っていた。うちに来るのも花奈だけだし、せいぜい私と母さんと花奈の3人分があれば良いのになー、と。
それが今、母さんに感謝が止まらない。おかげで突然の来客にも対応できる。
いや、まぁ母さんと花奈の分をそれぞれ割り当てれば、2人分まではなんとかなるのだけども、これは気分の問題だ。このグラスは母さんの、このコップは花奈の、と決まっている物を、他人に出せるかどうか。私は出せない方だった。
あの日お客様用として王様に出した、綺麗で豪奢な模様のティーカップは、すっかり王様の普段使い用になっている。それと自分用のコップを手前の棚から下ろした所で、あまり使っていない食器棚を数週間ぶりに開けた。この頻度で2度目の利用。もう「あまり使っていない」という枕詞は正しくないかもしれない。
さて、今度はどれを使おう。指先でひとつひとつ食器をなぞる。あの子の服装からして、どちらかというと和装に近いようにも見えるし、湯のみとかの方が使い慣れているだろうか。いや、でも子どもって持ち手がある物の方が扱いやすいのかなぁ……どうしたものか……。
少し考え、結局マグカップを手に取った。持ち手が無いよりは、あった方が多分良い。せめてもの和要素ということで桜の模様がプリントされている物を選択してみた。
それらを並べてお茶を注ぐ。ペットボトルをしまおうとして、冷蔵庫の中にラップのかかったサラダボウルが入っていることに気が付いた。そうだ、王様が作ってくれた夜ご飯。気が付いた途端に腹が空腹を訴えだすのだから単純なものだと思う。
ちら、と見れば、コンロの上に手鍋が置かれていた。中はなんだろう。カレーか、シチューか。以前カレーを出した時、王様は知的好奇心に目を輝かせていた。つまり、王様の世界にはカレーは無かったということだ。ただその時「似た物はある」と言っていたから、それがシチューだった可能性が……
「異世界転移!?」
突然の大声に、ビクッと肩が震えた。
慌ててコップ達を掴もうとしたけど、いや、3つ分を両手では無理だ。お盆、お盆……そんなものうちにあるか? ええい、いいや。自分のは後で。
お茶を零さないように、それでも急いでリビングへ。
リビングの大窓をガラリと開けると、そのまま庭に出ることができる。庭といっても広いスペースってわけではなくて、家と生け垣の間にある僅かな隙間空間だ。
玄関側よりこっちの方がスペースが広いから、幼い頃はよくここで花奈と遊んでいたものだ。その間、母さんはリビングの床に座り足だけを外に出す、いわゆる縁側スタイルで私達を見守ってくれていた。
そして今。その縁側スタイルで足をぶらつかせた子どもが、庭先に立つ王様へと身を乗り出すようにして何事かを叫んでいた。
「ほんとーに、どーゆーことですの?」
「私も専門家というわけではないから、正確な話ができるわけではないの。チアキに話を聞くのが一番分かりやすいと思うわ」
「チアキ、さん、は、専門家さんなんですの?」
「そうね。少なくとも私よりは」
なんてことだ。知らない間に異世界転移専門家にさせられている。
「待って、待ってください!」
「あぁ、チアキ」
2人の異世界出身者(推定)がパッとこちらを向く。
「あ、お茶です」
「ありがとう。準備を任せてしまったわね」
「いえ、王様にはこの子についていてもらったので……」
視線をやると、当の子どもはマグカップの取っ手を持ち、まじまじとその側面を眺めていた。やっぱり湯のみの方が良かっただろうか。
「星……」
「星? あぁ、いや、桜だよ」
「桜? 星じゃないんですの?」
「うん。お花の」
「……まぁ、ほんと」
ぽつりと呟き、子どもはカップの中身を傾けた。星が好きなのかな。湯のみじゃなくても大丈夫そうなのは良かったけど。
ふう、と一息つく。そうだ、これを言っておかないと。自分の分を取りに戻りながら、背後に声だけかける。
「あの、別に私も専門家とかじゃないですよ」
「えぇ? 話が違いますの」
と子どもが不満気に口を挟む。そんなこと言われても。
「そもそもフィクションの話だし……」
ぼやきながら戻ってくると、王様は私を見て、胸元に手を置く。自分を示すようなポーズだ。
「でもこうして私はここに居るわ。私の国はこの世界には無い。そして」
そして、その手で次いで子どもを示す。
「彼女の言うドラゴンも、この世界には存在しない。そうでしょう?」
「まぁ……はい。そう、ですね」
「それならこれは現実よ。異世界転移は起きた。それも二度も……いえ、正確には三度以上」
その通りだ。しかも、私はそれをこの目で見ている。
王様が私の目の前に現れる瞬間。侵略者が目の前から消える瞬間。実に二度も。
思い出すと同時に再び心臓が暴れ出す。荒れる感情を振り払いたくて、私はひっそりと息を吐いた。
だめだ。どうしてもまだフィクションの意識が抜けない。
異世界転移なんてアニメや漫画、小説の中の設定なのだから、現実でそうホイホイと起きて堪るか。そう思ってしまう。
王様の存在が日常に溶け込んだからこそ尚のことだ。私の深層心理では、王様は最早、元々この世界の人だったような気すらしていた、と、いうか……。
でも違う。そうじゃない。
今の日常は、既に色を変えた後なのだ。私の日常はこれまでとは別物になっている。そこから目を背けてはいけない。
異世界転移は現実。
王様は異世界の人で、本来は非日常の人だ。
そしてきっと、この子も。
不思議そうな表情で首を傾げる子ども、その隣に私は腰を下ろした。一度咳払いをして、手持ち無沙汰な両手でコップを握り締める。
「きみ、は……えぇと」
「エレナです」
「え、あ。名前?」
子どもは、こくんと頷いた。私と王様を交互に見やり、背筋を伸ばしたままぺこりと頭だけを下げる。
「あたし。ヒカリ、エレナと言いますのよ」
「ヒカリエレナ、があなたの名ね?」
と王様。
「うん」
「そう。それで、ヒカリエレナ。あなたは」
そう話を続けようとする王様を遮るように、子どもが肩を震わせた。
「ふ、んふふ。あははははっ」
堪え切れないというように子どもは笑う。対して王様はきょとんと眉を跳ねさせた。
「どうかした?」
「いや、ふふ。あははっ。あの、あの! フルネームはなんか、面白いので、名前でいいですの」
フルネーム? 今フルネームと言ったか。
王様は顎に中指を、頬に人差し指を当てた。お馴染みの思考ポーズをするってことは、恐らく王様はピンと来ていない。そうだろう。だって王様の世界にはその概念は無いはずだ。
代わり、私が子どもに尋ねる。
「あのさ、きみ、名前は?」
「だから、エレナですって! ヒカリ、エレナ」
「その、ひかりの方は……」
「そんなのあたりまえに名字ですのよ」
当然でしょう、と言いたげな子どもの表情に、私は王様と顔を見合わせた。
「だ、そうです。王様」
「覚えているわ。この世界の名前形式ね。彼女は異世界から来たけれど、名前形式はこの世界と同じ、ということでいいのかしら」
「そうだと思います。私の佐藤が、この子のヒカリにあたるみたいで」
つまりこの子は、ヒカリさん家のエレナちゃんということだ。私が佐藤さん家の千暁さんなのと同じである。
王様は合点がいったというように二、三度頷くと、興味深げに目を光らせた。
「名前形式の件と、ドラゴンの件。同じ点もあるけれど、全てが同じというわけではない。やはり私達の世界はそれぞれ全く別の異世界という可能性が高いわね」
「それ。その、異世界ってえっと、どういうことなんですの?」
こてん、と子ども──エレナちゃんが首を傾げると、頭頂部でアホ毛がふよんと揺れる。どれだけ動いてもハート形から崩れることの無いそれこそがまさに異世界の象徴だと思うが、そんなことを言ってもエレナちゃんにはきっと伝わらない。だってこの子にはそれが当然のことなのだから。
だからそうじゃなくて、逆にエレナちゃんにとってありえないことの話をした方がきっと良い。
「あのね。まず、この人は王様です」
そう言って恭しく王様に手のひらを向ける。それを自然に受け入れる王様に、エレナちゃんはパチリ、と瞬いた。
「王様……ですの」
「うん。エレナちゃんの世界は王政……その、えーっと。王様っている?」
「王様って、物語の中の、国で一番偉い人ですのよね?」
あ。
今、物語の中、って言ったな。
「そうだね。でもこの人は物語じゃなくて、本物の王様です」
「……ほんとに?」
半信半疑と言ったようにエレナちゃんは上目遣いに王様を見上げる。王様は力強く頷き、
「えぇ。私は王、ユーリクレマチス。我が国と民に尽くす王よ」
堂々と名乗りを上げる。途端、ぶわ、と肌が震える心地がした。
この瞬間。王様が自らを主張するこの瞬間は、例えどんな場所だろうと王様が支配してしまう。
僅かな庭の隙間が大きく広がる王の間に。
背後の生け垣は威信の表れた王の御旗。
纏う衣服は王の鎧!
自然と背筋が伸びる。
この王を信頼し、全てを預けたいと思う。その背を追って共に走りたいと思わされる。彼女に認められることが、この世の何よりも力になる。
これが王だ。
これこそが、王ユーリクレマチス……!
「ユーリクレマチスさん、と言いますのね?」
「その通り。聞き覚えは無さそうね」
……などと私が王様に心酔している間にも、気付けば2人はさっさと話を進めていた。その光景に肩の力が抜ける。なんだか私1人で勝手に浮かれていたようで、恥ずかしいやらなんとやら。
口を挟むタイミングを逃し、私はひっそりとお茶を飲む。えっと、なんだっけ、話題は。王様の名前に聞き覚えがあるかどうか、か。
「いや! ん、うぅん……」
当のエレナちゃんは気まずげに目を逸らしていた。そわそわとマグカップを何度も握り直す。そんな子どもに、王様はなんてことないように笑いかけた。
「良いのよ。民は王を崇めるものではないのだから、王を知らない民が居るのも当然のことだわ」
「……そう! そうですのよね!」
「えぇ。例えあなたが私の国の民でも、私はそう言うわ。ただ、今回は事情が違う。そうよね、チアキ?」
「うえっ」
突然話を振られて変な声が出た。ま、まずい。
2対の目がこちらを向くのに咳払いで誤魔化して、訳知り顔で頷いて見せる。
「はい、はい。そうです」
「……話、聞いてましたの?」
「き、聞いてたよ? 事情が違うっていう、ね?」
含み笑いで見上げてくるエレナちゃんから顔を反らし、
「エレナちゃんの世界には王様は現実には居なくて、でも王様の世界には当たり前に居る。ようは2人の世界は全く別の規範を持つ異世界なんだよね、っていう。そういう……こと。だよ。ね?」
段々自信が無くなり声が小さくなりながら、恐る恐る王様を見ると、彼女は満足気に大きく頷いた。よしよし。ちゃんと期待に応えられたみたいでよかっ……
「そういうこと。世界の規範が違うのよ」
突然のダメージ! ぐさっ、と刺さった棘に胸を押さえる私に王様はきょとんと小首を傾げた。
で、出た。「世界の規範」! 言った本人は完全に忘れてたのに! 忘れてたからこそまたなんか規範がどうとか言っちゃったのに! ……じゃあこの言葉を引き出したのは私か……本当、咄嗟の語彙力ってのはそう簡単には変わらないんだな……。
「ふーん……」
勝手に傷ついている私を他所に、エレナちゃんはなんだか微妙な反応をしていた。あんまりしっくりきてなさそうな表情だ。それを見て、王様はふむ、と顎に手をやる。
「ちょっと難しいわよね。なんと言おうかしら」
「……いや! 大丈夫ですの!」
「本当?」
「あのー、えっと。なんか……住んでる世界が違うってことですのよね」
表現はともかく、文字通り受け取ればまぁその通りだ。今度はこっちが微妙な顔をしながら曖昧に頷いた。
「まぁ、うん。だから私にとったら王様の住んでる世界とエレナちゃんの住んでる世界は本当に、文字通り異世界で、2人にとってもお互いそうで、って……分かるかな」
「存在しているもの、していないもの。それらがまるきり違う世界のことを異世界というのよね」
「そうですそうです。だからその、例えば! 例えば、王様の住む世界を世界1として」
私はコップを置き、人差し指を1つ立てる。そこに2人の視線が集まった。緊張に伝う汗を気にしない振りしながら、言葉を続ける。
「世界1には、王様が居る。ドラゴンは居ない。あと、名字も無い」
「その通り」
と王様が相槌を入れる。続き、私は反対の手で指を2本立てた。ピースの形。
「次にエレナちゃんの住む世界を世界2とするね。世界2には、王様は居ない。でもドラゴンが居て、名字もある」
エレナちゃんは小さく頷いた。最後に……とやろうとして、気が付いた。どうしよう、私の腕は2本しかない。えっと、あー。うーん……。
「あの、王様すみません。指を立てていただいても……」
「もちろん。1つで良いわね。私の国のある世界、世界1」
王様は微笑みながらピン、と白い手袋に包まれた人差し指を伸ばす。そんな所作も美しい。
「エレナちゃんも、2本指良い?」
「ん!」
次いで頼むと、エレナちゃんは乗り気で大きくビシッとピースした。なんだか楽しそうだ。よく分からないけど、楽しいなら良かった。
そうして私は最後、自ら3本指を立てた。
「で、私の住む世界を世界3とします。王様も居ない、ドラゴンも居ない。名字はあります」
「そうなんですの?」
「あ、そうだよ。私、佐藤千暁っていいます」
そう今更ながらの自己紹介をしたところで、私はその三つ指を床についた。
「それで、ここは世界3。世界3に、本当は世界1に住んでる王様と、本当は世界2に住んでるエレナちゃんが、世界を越えて移動してきた。それが私達の考えてる、異世界転移ってやつ、なんだけど」
分かった、かな。難しい言葉も分かりにくい語彙も使わず、自分ができる限り一番分かりやすく伝えた……つもりだけど。上手く伝わっただろうか。
エレナちゃんの顔を窺う。立てた二本指を前方に突き出した彼女は、ぱち、ぱちとその光るピンクの目を瞬かせる。そしてある一瞬、突然飛び跳ねるようにピン、と背を伸ばした。
「うん! うん!」
「えっと、分かった、ってこと、かな?」
「うん! よぉく分かりましたの!」
先程までの曖昧な態度とは打って変わり、エレナちゃんは満面の笑顔を浮かべている。なるほど、少しずつこの子のことが分かってきた。どうやらものすごく分かりやすい子みたいだ。




