3-1 2章で新キャラクターが登場するなんてそんなまさか
暮れかけていた日はすっかり傾き、辺りは橙と青の色に染まっていた。
こういうのって確か名前があったはずだ。夕暮れ、夕方、そういう感じじゃなくてもっとカッコいい感じのやつ。不思議で綺麗でエモい雰囲気の……あぁそうだ、マジックアワー。うんうん、とひとりでに頷く。
花奈を駅まで送っていくだけ、にしては時間がかかりすぎた。というのもすっかりロータリー付近で話し込んでしまったのである。何度か電車が通っていく音を聞き流しながら、だらだらとたわいもない話を数十分。周囲がこんな色になったことで時間の経過に気が付いた。花奈をなんとか改札に押し込み、私はこうして1人帰路についている。
こんなに遅くなるならやっぱり自転車を持って来れば良かった。王様にも何も言えていないし……心配させてしまっているかもしれない。せめて真っ暗になる前にはなんとか家に入ろう。そう思い、気持ち速く足を動かしていった。
街灯がチカチカと道路の一部分を照らしている。こうして早歩きで坂を上っていれば、じわりじわりと身体の内が熱くなる感じがした。首元がなんとなく湿っている気もする。あぁ、そういえばもう初夏と言っていい季節か。日も長いし、これからどんどん暑くなってくるだろう。
眉を顰めて首筋の毛先を掃う。いやだなぁ、暑いのかぁ。暑いのってどうしようもないから苦手だ。今年はせめて、昨年よりは気温が落ち着いていればいいんだけど、と肌を撫でる風に思いを馳せた。
王様は暑さとか、どうなんだろう。強いんだろうか。
王様を見ていると常に涼し気で、暑さなんてものとは無縁に思えてしまう。そもそも王様の世界には季節が無いらしいし、「暑い」っていう状態そのものに馴染みがない可能性だってある。だとしたら、この夏を過ごすのは大分大変そうだ。
……いや、流石にそれは無いか? お風呂とかは問題なく使っていたから、暑さ寒さっていう感覚自体は知っているのかも。
うーん、考えても当然答えは出ない。やっぱり当の本人に聞いた方がいいか。そう結論付けて、顔を上げた。
我が家まではもう数十メートルもない。オレンジの外壁を囲う生け垣が、すぐそこに見えていた。
ふう、と息を吐く。なんだか長い一日だった気がする。それもこれで一段落、この僅かな坂を上り切れば王様の用意してくれた夜ご飯が待っている。
少し重くなってきたふくらはぎに力を籠めて、一歩踏み出す。さて、今日の献立はなんだろうか、
「止まってくださーい!」
……聞こえてきたのは、特徴的な幼い声だった。
特徴的と言っても私には聞き覚えが無い。ただ、一度聞けば二度と聞き間違えることが無いだろうなと思うような、そんな声。
その声の持ち主が誰なのか、私には分からなかった。前方には人影が無いし、何度も言うように知らない声だ。だから少なくとも自分には関係がないと思ったし、それが聞こえてから数歩、たったの数歩だけ私の足は前に進んだ。
その数歩がいけなかった。
ヒュンッ、となにかが飛ぶ音がして、気が付いた時には光る何かが私の胴体をグルグル巻きに締め付けていた。
「は、えっ!?」
なんだこれ!?
勢いのまま足を踏み出しかけて、ビン、と背後に引っ張られる形でたたらを踏む。まずい転ぶ! と目を瞑るも、それすら私に巻き付く何かで支えられた。
「なに、なになになに……!」
慌ててぐっ、と腕を伸ばそうとしても全く動かない。それもそのはず、私の両腕は胴体と一緒にまとめて巻き取られているからだ。
というかそうだ、この巻き付いている物は一体なに。見下ろせばそれは……光? ……いや、光を放つ、ロープ?
ぼんやりとした光の奥に、芯のような影が見える。多分その芯、つまりはロープが本体で、それが私の胴体をグルグルと何重にも縛り上げていた。
「あはははっ」
きゃらきゃらと笑う幼気な声が近付いてきて、ハッと目を見開く。
今更ながら、その声は私の背後から聞こえていた。そして私は光るロープによって後ろに引っ張られている。
恐らく、この声の主が、私を縛った犯人。
脳裏に数週間前の出来事がさぁっと過ぎった。
侵略者の身体が揺らめいて、鋭い切っ先を作る。私を今にも貫かんと降ってくる。
ぞっ、と背筋がざわめいた。
なんとか、なんとかしなくちゃ。そうは思っても混乱した頭じゃ何の策も浮かばなくて、ただただ、うごうごと藻掻く。しかし、どれだけ力を籠めてもロープは千切れるどころか、ゆるむことすらなかった。
その間にも声は近付いてくる。
「止まってって言ったじゃありませんのー」
まずいまずいまずい。そもそもこれどうなってるんだ。私を支えながら近付いてくるって、どんな力の使い方してる?
そうだ、いっそのこと引っ張られる力に逆らおうとせず、そのまま従って倒れ込めば……いやダメだ、それでロープが外れなかったらそれこそ一貫の終わり!
「やられる前にやれ、とも言いますの。だから仕方ないのかなって」
今なにを言われた? 言葉自体は耳に入っていたけど、その意味がすぐには理解できなかった。
でも、理解できたところで一緒だったかもしれない。なにせカラカラに乾いた喉が張り付いて、上手く言葉が出てこない。私は真っ白な頭で、一言どころかリアクションすらもできないまま、その場に張り付けられることしかできなかった。
コツ、と軽い足音が私の真後ろで止まる。同時に一際強くロープを引っ張られ、腹部が締め付けられた。ようやく喉が動いたと思えば、出てきたのは苦しみに潰れた声だった。
「ねぇねぇ異物さん。ちゃんとお答えくださいませ」
いっそ無邪気さすら感じる声が下方から響く。
それどころじゃない。
やばい。食道の辺りからなにかがせり上がるような気持ち悪さが止まらない。あぁ、もう、なんで。どうしてこんな、僅かな期間で二度もこんな目に遭わなきゃならないんだ!
「たす、け」
苦味を堪えながら、へしゃげた声を絞り出した、途端。
一陣の風が吹いた。
かと思えば、私を支えていた力がフッと抜け、て、えっ。
「わ、わ、わっ」
誰かに引っ張られる形でようやくバランスを取っていた私の身体は支えを失い、がくんと倒れ込む――瞬間、肩をしっかりと掴まれる。
あぁ。
この、安心感のある頼もしい温度。
確信を持って顔を上げる。
すぐ目の前に、美麗アニメーションから飛び出てきたような横顔がある。
紫がかったパステルブルーの瞳が、まっすぐ正面を見据えている。そのまま言葉だけで尋ねられた。
「無事ね?」
「はい。……ありがとうございます、王様」
「王として当然のことよ」
花びらのような唇が薄く笑みを浮かべる。その間も彼女の視線はなにか、いや、誰かをじっと射貫いていた。
王様に支えられながら、私はようやく自分の脚でしっかりと地に立った。その拍子に、はらり、と私の胴体から半透明の紐のような物が剥がれ落ちる。
細く頼りない一片の紐。見覚えはない……が、想定はできる。思ったよりうんと細いし、なにより光を失っているものの、多分これは私を縛り上げていた光のロープだ。
その端は、なにか切れ味の良い刃物で切り落とされたような綺麗な切り口をしていた。
少しずつ視線を上げていく。
地面。王様のデニム。黒いブラウス。パフスリーブの袖から伸びる腕が何かの柄を握っている。
大剣。
王様の武器だ。
輝く銀の刃が指す先に、誰かが立っている。
「……子ども?」




