2-2 鬼の居ぬ間に洗濯
玄関ドアの取っ手を握るのに一瞬手間取った。つるりと滑った指でなんとか取っ手を握り締め、一呼吸。そうして軽く引っ張ったドアがあっさり開いたので、私の呼吸は止まりそうになった。
だって私は鍵を取り出していない。王様が鍵を開けっぱなしにするわけもなく、なのにドアが開いている。そんなの答えは1つしかない。なにより、開いたドアの先にそれを裏付ける様な光景が広がっていた。
「ちぁきちゃんっ!」
ドアのすぐそこに、靴すら脱がないままの花奈が立っていた。ドアが開く音に反応して花奈は勢いよく振り返り、素早くこちらに跳びかかってくる。
「わっ、とと。花奈、危ないって」
「なに、なんで! どういうこと!」
「なにがなにが」
「なんか居る!」
ぎゅうっ、と私の二の腕にしがみつき、花奈が人差し指を家の中に向けた。
その指先が指しているのは玄関正面のスライドドアだった。ドアを開いた状態で佇んでいるのは留学生……ではなく、異世界転移者の王様。私と目が合うと、王様は少しだけ眉を下げ両手を身体の前で組んだ。
「おかえりなさい、チアキ」
「……ただいま帰りました」
「まずは状況を説明するわね」
王様はちらり、と花奈を見た。それに反応してか花奈の手に力が籠る。いてて、ちょっと痛い。
「鍵が開く音がしたの。でもあなたの気配じゃなかった」
そう言うと王様はスライドドアの隙間を手で指した。
「だからそこの影で様子を窺っていた。そうしたら誰かの名前を呼ぶ声がしたのよ。確証は無かったのだけれど、その様子を見るに……あなたのことで合っていたようね? ちぁきちゃん」
「う……そ、そうです」
にこりと笑う王様から目を逸らす。な、なんだこの居た堪れなさ。花奈に呼ばれる分にはもう慣れたのに、王様だとなんか、なんか……!
「ちぁきちゃん?」
「いてっ、花奈、ちょっと力が強い……」
「……むぅ」
むくれる花奈の手の甲を弱い力で叩く。話を遮ってしまったことに申し訳なさを滲ませて王様の方を見れば、彼女は微笑まし気に目を細めて私たちを見ていた。
「鍵を開けて入ってこれて、かつ親し気な呼びかけをするということは、チアキの知り合いの可能性が高いと判断したわ。正解は知り合いというより、もっと親密な関係のようだったけれど」
「まぁ、はい。親密、ではある、かな……」
「それでね、私はチアキに献身を受けている身でしょう? だから、あなたの知り合いだというのならそれは礼を尽くさないと、と思ったのよ。それで顔を出したら、どうやら驚かせてしまったみたいで」
「そしたら花奈がこうなった、と」
ものすごく納得できた。全部がらしすぎる。全てを説明できる私が居ない間にもし2人が我が家で鉢合わせたらそりゃこうなるだろうな、が全部起きていた。くそ、藤崎め。あいつがあんなフラグみたいな話するからだ……と、今ここに居ない無関係な奴に責任転嫁などしてみる。
しかしこれがたった1、2分前の出来事らしいのは幸いだった。花奈の様子を見るに、この家に見知らぬ人物が居ることに困惑して固まっている間に私が帰って来たのだと思う。もし数分遅れていれば花奈が我に返っていただろう。そうなればいったいどんなことを王様にしでかしていたことか。
「花奈、花奈。ちょっと聞いて」
私の背中で縮こまっている花奈を振り返る。呼びかけられた花奈は上目で私を見上げた。殆ど身長は変わらない、どころかちょっとだけ花奈の方が高いくらいなのに、なんだこの上目遣いの上手さは。
少しの動揺を誤魔化すように、こほん、と小さく咳払い。
「ちゃんと紹介しようとは思ってたんだけど」
「いや!」
「この人は、え、嫌?」
「いや!!」
言葉を遮る大声に思わず何度も瞬きしてしまう。そうしてぽかん、と口を開ける私に、花奈は眉を吊り上げて詰め寄ってきた。
「ちぁきちゃんはハナとずっと一緒でしょ?」
「は、花奈?」
「ちぁきちゃんの一番はハナでしょ!?」
「待って、なにが」
「ハナ以外の誰かを一番にしちゃ、いや!!」
「何の話!?」
まずい、なにかを完全に勘違いしている。しかしヒートアップした花奈は止められない。不満に瞳を潤ませて、今にもかぶりつきそうな勢いで距離を詰める。ぐい、ぐい、と一つ話す毎に顔が近付き、勢いに圧された私はどんどん背を反らし、花奈がのしかかり、いつの間にか私が花奈を見上げていて、
「花奈さん」
凛とした声が間に挟まった。
ぴたり、花奈の動きが止まる。良かった、これ以上圧されたら腰がやられるところだった。安堵と共に花奈を押し退けようとその顔を改めて見て、私は息を飲む。
影が落ちた花奈の顔。間近に迫るそれは実に見慣れたもののはず、なのに。これはまるで──。
「私はユーリクレマチス」
そんな私の思考の外から、王様の声が響く。
その声は意識しなくても自然と耳に入るようで、気が付けば私は考えていたことも忘れて王様に視線を向けていた。
王様は立っていた。
ピンと伸びた背筋、堂々とした佇まい。ただ立っているだけなのに目が離せなくなる。
いつもの家が王城の玉座になったような錯覚すら引き起こす。これが、これこそが、王の立ち姿……!
そうして私たちが動きを止めたのを見届けてから、王様は静かに言葉を紡ぐ。
「私はチアキさんに助力を受けて、一時的にこの家に身を寄せているの。彼女は私の恩人よ」
「恩人……」
「ええ。大切な存在が待っているから早く帰らないとならないのだけれど。でも事情があって、すぐにはここを発てなくて。チアキさんにはとても良くしてもらっているわ」
微笑む王様に、花奈は数秒黙り込んだ。今私が口を挟んでも刺激するだけかもしれない、そう思い、ごくりと唾を飲みこんで花奈の様子を見守っていると……彼女は私の背中に手を添えて、ひょいっ、と身を抱き起こした。
そういえばずっと背を反ったままだった。色々衝撃的ですっかり忘れていたけれど、思い出してしまえばなんだか背筋が攣ってピリピリするような。
身体を労わるように腰上辺りの背を擦っていると、服の裾をくいと引かれる。花奈だ。彼女はまたも上目遣いで私を見上げ、一言。
「ごめんねちぁきちゃん」
……そんなしょぼくれられると、怒りにくい。
「私は良いけど、お……ユ……」
「お湯?」
「……彼女に、花奈からも自己紹介しよう」
ゴホン、と咳払いで誤魔化した。
花奈の前で王様呼びはよろしくない。かといって王様を名前で呼ぶのは未だにちょっと躊躇が勝つ。そんな葛藤の末に結局三人称で逃げ出した。
じとりと見上げてくる花奈の半眼を見返して頷く。すると、花奈は一瞬だけ王様の方を向いて、
「ハナ」
それだけかい。
「花奈、もっとなんか」
「ハナはハナだもーん」
「もー」
花奈はそう言って私の背にどしん、と乗っかり、バックハグの体勢を取って落ち着いてしまった。まったく、仕方がない。私は花奈をそのままにため息を吐き、王様に向き直る。
「すみません」
「いいえ。本当に親密な仲なのね」
「花奈は私の幼馴染なんです。たまにこうしてうちに来て泊まってくこともあって、あ、だから鍵も持ってて」
「そう。良い関係ね」
「はい。だからいつかちゃんと2人にお互いを紹介しないととは思って」
思ってたか? 脳内に藤崎が浮かんで「俺が言ったからじゃないか?」と言いたげな顔をする。いい、いい。一旦今は出て行ってもらって。
「思って、たんですけど。まさかこんな形になるなんて。色々すみません」
「受け入れましょう」
ゆるく首肯する王様に私はほっ、と胸を撫で下ろした。
今回に関しては完全に王様に助けられた。花奈を抑えてくれたのもそうだし、なにより王様自身が自分を王様としてではなく、ユーリクレマチスとして紹介してくれたこと。これが本当に大きい。
多分、王様は前に私が「この国は王政じゃない」って言ったのを覚えててくれたんじゃないかと思う。それを参考に、この場を一番丸く収められるような言い方をしてくれた。そう感じたのは私の勘違いじゃないはずだ。
さて、王様に感謝を伝えるためにも、一度花奈を離さないと。横目で肩口を見ると、私の肩に顎を乗せる花奈の横顔が、視界いっぱいに広がった。
「花奈、手洗ってきて」
「ううん、いい」
「いや花奈が良くてもこっちが良くないって」
「いいの。今日は帰る」
「えっ」
驚きで目を見開く。そんな、珍しい。うちに来たら毎回翌朝までは一緒なのに。
固まる私をよそに花奈はするりと拘束の腕を緩め、その手で玄関ドアを開けた。ハッとして、慌てて声をかける。
「待って花奈、送ってく」
っと、その前に。花奈に少し外で待っててほしいと伝え、私は王様を振り返る。急いで駆け寄ろうとして、危ない! 靴を履いたままだった。
あぁもう、急いでいる時こそこういうタイムロスが起きがちだ。若干の苛立ちと共にバタバタと靴を脱ぎ捨てていると、その忙しなさが気にかかったのか、王様が小首を傾げながらこちらに近寄ってきてくれた。
「どうかした?」
「あの、王様」
分厚いドアに遮られた外に居る花奈には、普通に喋ったって聞こえるわけもないけれど、それでもつい小声で呼びかけてしまう。つられて、王様も内緒話を聞き取るように片耳をこちらに向けた。
「ありがとうございます。その、王様さっき、自分が王だってこととか、異世界のこととかを、そういうのを出さないようにしてくれましたよね」
あぁ、と納得したように王様の睫毛が震える。さらりとブロンドを揺らし、今度は自分が内緒話をする側であるように口元を片手で覆った。そして顔を寄せて、って、あっ近い!
「チアキのおかげよ。あなたがいつも、この世界のことを教えてくれるから」
「そっ、そんなことは」
「王として皆の信頼を裏切るわけにはいかないから、偽りを口にすることはできないけれどね。でも大切な民の心を安らかにする言葉を選ぶことはできるもの」
そう囁く王様の言葉はなんというか、顔が良すぎて近すぎて正直殆ど入ってこなかったけど、これだけは分かった。
「流石です……」
「ふふ、ありがとう」
王様は笑みをこぼし、
「さぁ、いってらっしゃい」
と私の背を押した。




