2-1 鬼の居ぬ間に洗濯
4限目を終えた玄関ホールは激戦区だ。我先にと帰宅を目指す人、サークル等への活動場所に向かう人、誰かと待ち合わせをしている人。様々な学生で溢れるそこを、吹き抜けの上から見下ろした。
ちょっと延長した講義が終わりスマホを覗いた時には既にメッセージが来ていて、奴は先にここで待っているとのことだった。つまり私は「誰かと待ち合わせをしている人」を探しているわけだけど……さてどこだろう。いくら友人とはいえこの人混みの中、すぐには目に留まらない。
「いねぇー……」
「佐藤」
「はっ!?」
突如背後から声をかけられ大きな声が出た。凭れていた手すりから身を離しバッと振り向くと、そこには探していた人物、藤崎が立っていた。何故だか、背後に!
「なんで?」
「なんでってなんで?」
「いや、ホールに居るんじゃ」
「ホールじゃん」
「上じゃん」
「でも場所的にはホールだって」
「ホールは……まぁ、いいや」
脱力して手すりの付いたプラ板に背を預ける。個人的には、玄関ホールとは直接建物の出入りができる下の階だけを指していて、ここは吹き抜けの上って解釈なんだけども……こんなことで言い争っても仕方がない。今すり合わせできて良かったとしよう。
それにしたってこいつとはもう1年以上の付き合いになるのに、まさかこんな所で認識の祖語が見つかるとは。当の藤崎は何も気にして無さそうな様子で、腕に抱え込んでいたテキストをこちらに差し出した。
「はい。ありがとうございました」
「いーえ」
「いやー助かったよ。お礼になんか奢ろうか。あ、花奈ちゃんも一緒にさ」
「それはなんか……カプ厨出てるな」
「そんなそんな」
へらへら笑う藤崎を軽く睨み、受け取ったテキストをトートバッグにしまう。
「ていうか時間無いんだよ。悪いけどもう帰るから」
「あ、そう? じゃあまた今度奢るわ」
そうしてもらおう。なんか新作のドリンクでも頼もうかな。私は軽く頷いて、藤崎と並び階段の方へと歩き出した。
「佐藤って一人暮らしなんだっけ? やること多そうだもんなー」
そう言う藤崎は実家暮らしだと聞いている。両親に諸々お世話になりっぱなしなのだと以前話していた。
とはいえ私も暮らしている場所自体は実家だし、こいつとの違いはただ親が不在な点くらい。その上今は同居人もいる。
「そういう意味じゃあ一人暮らしでは無いかもな……」
「え?」
「え?」
まずい。口に出ていた。
今更自覚してももう遅い。眼鏡越しの藤崎の目が大きく見開かれ、わなわなと肩が震え出す。
「は?」
「あ、いや」
「え、一人じゃないって言った?」
「その、あー」
「まさか花奈ちゃんと住み始めた!?」
「なんでそうなる!?」
ていうか声でかい!
「ちょっと落ち着いてって。花奈じゃないし」
「あぁそう……いやその言い方ってことはさぁ! 本当に誰かと住んではいるの!?」
「あーもう」
どんどん声が大きくなる藤崎に、私は額を押さえて項垂れるしかなかった。「おい」とか「ねぇねぇ」とか騒いでいる藤崎のリュックを押し、壁際に寄る。こんなので通行の邪魔をしてちゃ世話が無い。
されるがままに押されてきた藤崎は壁にゴツンと肩をぶつけると、それがスイッチだったかのように勢いよくこちらを振り返った。そうして声を潜め、
「おいおいおい、どういうことだよ」
「……なにが」
「おまえ、花奈ちゃんはどうしたんだよ!」
詰め寄るカプ厨もとい藤崎に、私は思い切り顔を顰めるしかない。
「どうしたもこうしたも、なにもないって」
「じゃあ誰と住んでるんだよ! あんな健気な幼馴染を放って、さ!」
……そういえばこいつ、追ってたアニメのメインヒロインが転校生だって判明して最近カリカリしてるんだった。幼馴染キャラ好きの藤崎からしたらそれはもう大ダメージだったんだろうけど、だからってリアルの友達にそのフラストレーションをぶつけるのは止めてほしい。
そもそも藤崎は幼馴染に夢を見すぎなのだ。私と花奈は確かに幼馴染だけども、こいつが好むようなラブコメ的やり取りはなにも無い。
王様なんてもってのほかだ。たかが異世界転移第一発見者と異世界の王様がどうこうなろうだなんて、不敬の極みと言って良い。なので藤崎が杞憂しているようなことはおろか、期待しているようなことも一切起こらないのである。
さて、どうこいつを落ち着かせたものか。私はため息を吐いて、いきり立つ藤崎を押さえるべく、片手の平を向けた。
「そのー……ほら、あれだよ」
「どれだよ」
「あの、ほら。留学生、的な。母さんが仕事先で知り合った、とかで……ちょっと泊めてあげてー、って、さ」
言っては見たものの、無理がある、か? いや、我ながら絶妙な嘘のラインだと思う。もし仮に、今後どこかで藤崎が王様と会うことがあったとしても、破綻しないだろうギリギリのライン。王様ムーブで怪しまれた所を綺麗なブロンドで巻き返す作戦だ。
なにより、相手が藤崎だからこそ丸め込める自信がある。
「……そんなアニメみたいなことあるんだ」
「いやほんとに」
ほらね。内心ほっ、と胸を撫で下ろしながら、顔には出さないよう努める。
藤崎も「フィクションが現実に起きたら」を想像したことがあるタイプだと思ってた。だって私がそうだから。予想通りで大いに助かる。
半信半疑、でも信の方がちょっと優勢。そんな感じの表情で藤崎は何度も細かく頷く。しかし、こいつもまさか、実際はもっとアニメのようなことが起きているなんて想像すらしていないだろう。
そうして落ち着いたかと思えば、次に藤崎はなにやらハッと再びその目を剥いた。
「つか、は、泊めるって言った!? 一つ屋根の下!?」
「言い方嫌すぎる……」
うげ、と口角を下げる私に藤崎はコホン、と軽く咳払い。そして「いやでもさ」と物言いたげに目を逸らした。
「それは……どうなの。同居だろ? 2人きり?」
「まぁそうだけど。別にその、留学生も女の人だから」
「だとしてもさぁ」
どうにも歯切れが悪い。私は眉を顰めた。一体何が言いたいのか、意味が分からず肩をすくめる。
そんな私を見て、藤崎はきょろ、と少し周囲を見渡した。そして周囲に聞こえないような声のトーンで、
「本当に、花奈ちゃんはどうすんの?」
……結局それか。私は、じとり、と藤崎をねめつけ、ため息混じりにぼやいた。
「だから、別に花奈とはなにも」
「カプ厨とかそういうのじゃなくて、花奈ちゃんを結構頻繁に家に泊めてるって言ってたじゃん」
それは事実。
確かに花奈はよくうちに来てはごはんを食べ、ゲームをしたり映画やアニメを見たりして、そうして朝に帰っていく。お泊りの頻度はまちまちで、なんか毎日来るなって週もあれば、数週間全く大学以外での音沙汰が無いこともしばしばだ。
そういえば最近は後者だった。あの子が最後にうちに来たのはいつだっただろう。少なくとも王様が我が家に来てからは無かったような……。
「花奈ちゃんは知ってんの? 人が家に居るってこと」
「知らないけど……」
「じゃあ今度泊めてーって来たらさ、知らない人が佐藤ん家に居るんだろ? それ、花奈ちゃんもだし、留学生さんの方も困らない?」
思わず押し黙る。まぁ、藤崎の言うことにも一理ある。が……と、言葉を探しながら目を逸らし、手持無沙汰に上げた手を彷徨わせて首元をひっかいた。
「……でも花奈は来る前に絶対連絡してくるし」
だから心配はいらない、はず。
ようは心の準備の問題だ。鉢合わせる前にきちんと伝えておけば、驚くことも困ることもない。
花奈には連絡の時に言えばいいだろう。家に人が居るんだけど、それでもいい? って。同時に王様にも、今から友達が来るんですけど大丈夫ですか? と聞けばいい。
王様は一も二も無く頷いてくれるだろうし、なんなら気を利かせてすぐ部屋に引っ込もうとすらするかもしれない。個人的にもその方が助か……いやいやいや、助かるって何がだ。何に助かるって言うんだよ。
というかそもそも、別に花奈と王様が出会うこと自体はなにも問題無いのだ。
花奈も母さんのことは知ってる。だから王様のことは今みたいに留学生だと言えば納得してくれる。唯一問題があるとすれば花奈のマイペース具合だけど、これに関しては王様も同じくらいマイペース(王様ペースと言ってもいいかもしれない)だし、何より王様なのできっと上手くコミュニケーションを取るだろう。
だから……だから……なにも問題は無い、はずなんだけど。
何故だか勝手に少しだけ、後ろめたい、ような。
い、いや、気のせい! 気のせいだから! なにも後ろめたいことなんて無い!
ゴホン、と咳払いして軽く深呼吸。気が付けば少しだけ鼓動が早まっていたのを、何とか落ち着かせる。
それもこれも藤崎が変なことを言うからだ。一言なにか言ってやろうと見れば、いつの間にか藤崎は階段を数段先に降りていた。おい、言うだけ言って先行きやがって。
軽く息を吐いて私も続く。すると藤崎は急に立ち止まり、くるりと振り返ってこちらを見上げた。
「ま、俺がどうこう言うものでもないけどさ。大丈夫そうならそれでいいよ」
……まったく、こいつはさぁ。
なんだかんだ言って、藤崎のこういう所が良いと思う。踏み込みすぎず、それでもこっちを確実に気にかけてくれていることが分かる姿勢。それが居心地良い。人でカプ厨してそれを表に出す悪癖さえなんとかしてくれればもっと良い。
言おうとしてたことも忘れて私は小さく笑った。トートバッグを背負い直し後に続く。
「てかそもそも今日花奈ちゃんは? 一緒じゃないの」
「今日は会ってない。まぁ神出鬼没だからなぁ」
「ほーん。なんか佐藤の居る所に常に居る気がしてた。大体同じ講義取ってないっけ」
「そうかも……? 全部は知らないけど」
「そうだろ。だって俺、佐藤無しで花奈ちゃんと会ったことないよ未だに」
それは藤崎が花奈に気付かれてないだけなんじゃ、と非道なことを言いかけたその時。
バッグの中のスマホが震える。長いバイブレーション、電話だ。
「ちょっとごめん」
断わってスマホを取り出し、画面を見て……私は固まった。
浅く息を吐く。緊張に唇を舐め、一息にパッ、と応答を押す。耳元に添えたスマホから流れてきたのは、まるくてゆったりとした猫撫で声。
「ちぁきちゃん!」
「……花奈、どうしたの」
藤崎が反応して視線を向けてくる。それに気づかない振りをして、私は電話越しの花奈の声に意識を集中した。
なんだろう。なんだか、少しだけ嫌な予感。さっきの会話の中で思い切りフラグが立っていたような……
「ねぇちぁきちゃん、今からお家行くね」
あぁ、やっぱり!
「ま、って花奈。今大学! だから!」
「じゃあ先に入ってる~」
「うちに!? 先に!? 入ってる!?」
「早く帰って来てね! じゃあね、また後で~」
「ちょ、花奈!」
叫びも虚しく一方的に電話は切れた。音を発さなくなったスマホを片手に立ち止まる。周囲は学生で騒がしいのに、唾を飲み込む音がいやに大きく耳奥に響いた。
「……先に入ってるって?」
神妙な面持ちで藤崎が囁く。
「花奈ちゃん、佐藤ん家の合鍵持ってる感じ?」
「持ってる感じ、だね」
「留学生さんが居る家に入れる、感じか」
「そう、なるな……」
ゆっくりと、静かに顔を合わせる。一段下の藤崎と正面から目が合った、と思った瞬間。
藤崎の眉が吊り上がった。
「今、すぐ! 帰れー!」




