猫と魔王の思惑
庭に出たリリアは、どこにというあてもなく跳ねていった。
いつのまにか厩舎のそばに来ていて、小さなカエルは足を止め、ほうっと息をついた。
サラザールに癇癪をぶつけてしまったのが情けない。例え思いが届かなくても、それでもずっと背伸びし続け、ここに通い続けてきた。いつかは、と淡い期待を抱いて。
「カエルになったってリリア様、なんだから」
姿が変わって、いつもそばにいられて、少し贅沢になっていたのかもしれない。リリアは、本気で、カエルのままでもいいと思ったのだ。こども扱いされる歳の差も、彼にへりくだらせる身分差もなかったことに出来るから。
「困ったお姫様ね」
声がして、リリアが振り向くと、そこには真っ黒な猫が立っていた。
「もしかして……、ミア?」
リリアが恐る恐る尋ねると、黒猫はしなやかにリリアのすぐそばまでやって来て、頷いた。
「ミアまで……?!」
リリアが言葉を詰まらせると、黒猫は、
「いいえ、私は、もともとサラザール様に拾っていただいた猫です」
とリリアの思い違いをただした。
「アリシア様が不自由なさらないように、シュバルツ様が侍女にしてくださっただけ」
「そうだったの……」
「リリア様は、本当にサラザール様がお好きなのですね」
そう言った黒猫は、何故か寂しそうに見えた。
「サラザール様が人でなくても?」
ミアが改めて聞くので、リリアは深く首を縦に振った。
「……サラザール様が、心配なさってます。早くお戻りください」
「ミア?」
「本性が、人であるというのと、猫であるっていうのは、やっぱり大きな違いですわね」
ミアは言って、カエルを城の中へと追い立てたのだった。
アリシアは、今日もシュバルツと遠乗りに出掛けていた。馬を止めて、領地の景色のうつろいを眺めながら、
「リリアのことだが」
と、アリシアは夫に切り出した。
「もしかして、元に戻せるのではないのか?」
シュバルツは、大魔王とまで呼ばれる伝説の力の主である。部下のかけた変化を戻せないというのは、納得がいかないのだ。
「戻せないとは言っていない」
シュバルツは薄く笑った。アリシアは、時に酷薄な様子を見せる夫を軽く睨んだ。
「かけたものが解かねばならないというのは、我々の不文律だ。サラザールもわかっている。ただ……」
シュバルツには珍しく言い澱んだ。
「……これほど、サラザールが苦労するとは思わなかった、んだろう?」
アリシアが繋ぐと、シュバルツは頷いて、
「とっくに解けてもいいはずだ」
と答えた。
「やはり、そうか……」
望めば力になる。彼らの力の源は、強き望みだという。サラザールは、もちろん、必死にリリアを元に戻そうとしている。しているが、出来ない。出来ないのは、どこかに、そう望んでいない彼がいるということなのだろう。
「シュバルツ」
アリシアは、言った。
「頼みがあるんだが……」
アリシアは、夫に小声で何かを告げた。
「それくらい、容易いことだ。だが、王の許可がいるのでは?」
魔王が、ゼクストンの王の立場を測るとは。この二年でシュバルツも、随分人の生業に慣れたものだと思いながら、アリシアは笑って言った。
「兄上は能力主義を進めるつもりだからな。文句は言わせない」
こうして、リリアは思わぬ援護射撃を受けることになるのだった。