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「わ、ど、どうしたコーイチ?」
マリアが何ごとかと目を丸くしている。
(婚約者ってなんだよ、初めて聞いたぞふざけんな。俺のことなんだと思ってんだよ!)
……ただの大家だ。
マリアに対して何の権利もないくせに、馬鹿な文句ばかりが口をついて出そうになる。
後ろにいる優男風の青年がクロフト子爵だろう。美形だ。
そして隣にいる女性は……妊娠している?
「あ、いや……なんでもない」
宏一はようやく、ネージュとディランに担がれたのだと気づいた。
クロフト子爵は既に結婚していたのだ。
「そうか。コーイチ、彼は私の友人のエラン・クロフト子爵。隣にいらっしゃる奥方とは私も初めましてだ。子爵、奥方殿、今日の式典にいたなら知っていると思うが、彼はコーイチだ」
エランが物憂げに前髪をかき上げた。そして、窓ガラスに映る自分の姿へさりげなく視線を送り、憂いを帯びた表情のままこちらへ向き直った。
その瞬間、マリアはどこか意を決したように宏一の腕へ手を絡め、ぎゅっと抱き寄せてきた。
むにゅっと胸が腕に当たり、宏一は咄嗟に素数を数えた。
「17……じゃなくて、初めまして。橋本宏一です」
「はじめまして、コーイチ殿。お会いできて光栄です」
「はじめまして、コーイチ様」
エランの妻は笑顔を浮かべているものの、どこか不安そうだった。
お腹の大きさからして妊娠後期だろう。
もうすぐ子供が生まれるという時に、夫の元婚約者が突然現れたのだ。不安になるのも無理はない。
マリアが自分に求めている役割を察し、宏一は役得を楽しむことにした。
「マリア、友人に久々に会えてよかったな」
「ああ、幸せそうで何よりだ」
「おや、幸せ度合いなら俺たちも負けてないぞ」
「もう、コーイチったら」
見つめ合いながら、マリアの頬をつんつんとつつく。
宏一は、自分の乏しいいちゃつき力の限界に挑戦していた。
二人でちらりと夫婦を見ると、夫人はほっと胸をなで下ろしたように微笑んだ。
「マリア……いや、リヴァイア騎士伯。その……仕方のなかったこととはいえ、君を傷つけてしまったこと、本当に申し訳なく――」
マリアはエランへ静かに手のひらを向けた。
「お互い様だ。そもそも親同士が決めただけで、私も君も互いに恋愛感情などなかった。気にする必要はない。私は私で、向こうの世界で自由にやらせてもらっていたからな」
そう言って甘えるように宏一の肩へ頭を預けてきたので、宏一は開いた手でぽんぽんと頭を撫でた。
「そ、それならよかった……」
(勝った……!)
何に勝ったのかは分からない。
だが、とにかく勝った気がした。
「では我々はこれにて。行こう、マリア」
「うん、コーイチ」
本来なら前を向いて歩くべきなのだろうが、二人で見つめ合ったままその場を後にする。
人気のないテラスへ出ると、二人そろって大きく息を吐いた。
「コーイチ、付き合わせて悪かったな」
マリアの手が宏一の腕から離れていった。
「いや。でもマリアはあれでよかったのか?」
覗き込むと、マリアが器用に片眉を上げた。
「ここだけの話だがな……」
「うん」
失恋を隠すための強がりなら慰めてやりたくて、宏一は少しだけ顔を近づけた。
「エランのことは好きでも嫌いでもない。なんと言ったかな、あれだ。ニホンで言う『なるしすと』というやつでな。悪い人ではないんだが、義務とはいえこれと一生一緒かと思うとうんざりしていた。略奪してくれた奥方には感謝している」
「な、なるほど……」
滅多に人を悪く言わないマリアがそう評するのだ。
相当だったのだろう。
「意外だな。あの親父さんがそんな男を選ぶなんて」
「婚約した子供の頃はそうでもなかったんだ。地味な奴だったんだが……私が遊びで母の化粧道具を使って女装させたら結構出来が良くて――……あれ? もしかして、私のせいか?」
「ドンマイ」




