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「もう、コーイチのせいで、めちゃくちゃ泣いてしまったじゃないか」
泣き止んだマリアが照れ隠しに宏一の腕をぺしぺしと叩いてきた。
満天の星空の下、赤く染まった耳がとても可愛い。
「あー、うんうん、俺が悪いよ、俺がな」
茶化すようにドヤ顔をして、さらにぺしぺししてもらおうとした、その時だった。
「マリアベル」
びくり、と宏一とマリアの体が勝手に跳ねた。
振り向くと、やはりマリアの父親だった。
「ち、父上」
「こんなところで何をしていたかは知らんが、帰ってきたはずのお前が部屋におらんせいで、あれに落ち着きがない。部屋へ戻って、今夜は一緒に寝てやりなさい」
――あれ、とは多分マリアの母親のことだろう。
己の妻を「あれ」と呼ぶ価値観は理解できない。
だが、その口調とは裏腹に、妻を気遣っていることは伝わってきた。
「ごめんなさい、すぐに」
マリアは宏一を置き去りにし、慌てて部屋へ駆けていってしまう。
「で、では、私めもこれにて」
ドロンしたかったが、さっと前へ回り込まれた。
「少し、話そうか」
「…………はい」
橋本宏一、三十三歳。
好きな女性の父親と満天の星空の下、酒を飲まなければならないようです。
(さっきまで、あんなに星は輝いて見えてたのになぁ)
マリアが座っていた場所へ父親が腰を下ろし、どこから持ってきたのか、小さなグラスへ酒を注いだ。
「いただきます!」
男らしさを試されているのだと思い、一気にあおる。
(キッツ……!)
消毒液でも飲まされたのかと思うほど、喉が焼けた。
「ほう。どうやら飲める口なようだな」
「そ、そこそこですね」
そう言った父親は、少しずつ酒を口に運んでいる。
(いや、ちびちび飲んでよかったんかーい)
酒で緩んだ頭の中でツッコミを入れた。
「それで、娘とはどういう関係だ」
父親の片目が鋭く光る。
試されている。
物凄く試されている。
ごくり、と唾を飲み込んだ。
「大家と店子、以上の関係だと思います。裕翔とお嬢さんと三人、家族のように助け合って暮らしてきました」
「何故だ」
「右も左も分からない異世界にやってきた若い女性と子供を放り出すことなんてできなかった。それは事実です。ですが……途中からは下心もありました」
好きになってほしいと。
ずっと、そう願っていた。
目を逸らしたら負けだ。
宏一は真っ直ぐ父親を見据えた。
顔を斜めに走る傷が恐ろしい。
「愛しています。あなたの娘を、ずっとずっと前から」
沈黙が落ちた。
やがて父親は、ふん、と鼻で笑った。
「貴様は我が娘に何度か振られていたりするのか?」
「え? いえ、そのようなことはありません」
「つまり、我らが勇者様が子供から立派な青年になられるまでの長い年月、貴様は娘を妻に迎えるため動こうともしなかったと? 臆病な」
吐き捨てるように言い、マリアの父親は立ち上がった。
そうだ。
その通りだ。
十年。
十年も一緒にいて、宏一はまともに想いすら伝えなかった。
「マリアは……私に生活を支えられている立場でした。だから、私が望めば断ることはできなかったでしょう」
家賃はほかの住人の半分しか受け取っていない。
食費も生活費も、何か困ることがあれば全て宏一が支えてきた。
「我が娘が、意思に反することも拒めぬ馬鹿だと?」
臆病だ。分かっている。
言い訳だ。分かっている。
それでも、裕翔を守り育てなければならない間は、『愛している』とは言えなかった。
「芯の通った、義理堅い人です。お嬢さんが私に頼っているうちは、私を拒むことを良しとしないでしょう」
愛している。
それでも、また言えなくなった。
マリアはきっとこの世界に残りたがる。
羽衣を取り戻した天女が、自分がいなければ生きていけない男を置いて天へ帰ったように。
宏一が愛していると言えば、マリアはきっとこれまでの義理で凄く悩むだろう。
本音を言えば、連れ帰りたい。恩を返せと強弁すれば、強要もできる。
だが、それは宏一の幸せであって、マリアの幸せではない。
言うなればこれは、本人と一緒に行く失恋旅行だ。
「――医師というのは、そちらの世界では特に賢い者が就く職業だとマリアが褒めていた。だが、貴様は随分と阿呆らしい。話す価値もない」
それだけ言い残し、父親は今度こそ去っていった。




