3話
人が死にます
子供も酷いことされます
苦手な方はブラウザバック
家族が好きだった。多分普通と呼ばれる家族で、でも好きだった。母親も父親もお婆ちゃんも、弟と妹も。側にいてくれるだけで幸せで、確かに大切だったのだ。
母親はソラが普通じゃ無い事で心を壊してしまった。幸せにしてあげたかったって言われて、充分幸せだったのにって思った。
『幸せにしてあげられなくてごめんね。』
そう書いた紙切れ一枚だけが、母親がいた痕跡だ。それ以外は全て父親が空に一緒に持っていってしまった。謝らないでほしかった。幸せだった。本当に幸せだったのに。
父親は母親を何よりも大切にしていた。だから、思い出ごと焼き尽くして自分を終わらせた。どうせ置いていくなら、抱きしめて「幸せになれ」なんて言葉を吐かないでほしかった。
前日の旅行で塞ぎ込んでいた父親がずっと楽しそうにしていたから、「大好き」って言ってくれたから、これからは一緒に乗り越えていくんだと思っていた。ソラも弟妹も父親の生きていく理由になれなかった。
思えばお婆ちゃんは分かっていたのかもしれない。楽しくて気が付かなかったけど、旅行の時の写真に苦しそうに笑っている写真があったから。
お婆ちゃんは寿命には勝てなかった。老衰だった。病気でもなんでもなくて、運命なのだと分かった。いなくなってしまう運命だったのだと。
1人ずつなら引き取ってもいい。親戚には葬儀でそう言われた。冗談じゃない。血のつながった家族はもう3人きりなのだ。離れ離れは嫌だ。そう啖呵を切って、弟妹を養いながら大学に通った。3人分の遺産と死亡保険があったから、どうにかなる事は分かっていた。
でも、それはソラ自身ありきの話だ。まだ幼い弟妹が銀行口座の管理をできるとも思えなければ、親戚を説得できるとも思えない。2人のためのお金を取られてしまうかもしれない。
そもそも、いなくなったソラ自身を待ち続けるかもしれない。警察にも行けないかもしれない。ご飯も食べられていないかもしれない。
「心配なんです。弟も、妹も。お金も、一緒も、もういいから。せめて生きていて欲しいんです」
「必ず、確認ができる魔法を開発しよう」
第三王子を前に、ソラは小さく息を吐く。コレはまだマシだ。ソラを呼び出すのに最後まで反対していたのもコレだと聞いている。
夕飯を作っていたはずが、目を開けたら知らない場所で。警戒よりも驚きが勝っていたら、元の顔の作りのせいか微笑んでいるのだと勘違いされた。
そして王と王太子から意気揚々と説明された内容はとても受け入れ難いものだった。王太子の妃はいるのだが、箔が足りないから聖女を召喚したのだと。一方通行で帰れないのだと。
真摯に謝ってくれたのは第三王子とその婚約者のみ。誰も彼も、ソラの気持ちを分かろうとしない。侍女も従僕も。
怒鳴り散らすのは後。どれだけ嫌いでも、王太子の庇護がなくなれば、宇宙連合に意見を通す事は難しくなる。せめて弟妹の無事を確認するまでは、良い人でいなければ。
「叔父上!兄上、なぜルーカス様はこないんですか?」
「落ち着きなさい。王太子殿下の前だ」
「いい、いい。ルーカスを借りたいなどと言えば、何かやらかしたと思われかねないだろ?」
「叔父上。私達は既に取り返しのつかないことを行なってしまったんです。今はもう、どうやってあの方に償っていくべきかをなりふり構わず考えなければ」
「王太子殿下になんて口の聞き方をするんだ。大体ただの庶民が王妃になれるんだ。それ以上に償う必要などないだろう」
「…兄上」
(我慢だ)
弟妹の無事が分かれば、ここにいる必要はない。
第一王子が、教育だとかなんとか宣いながら詰め込んできた話では、ここは異世界だそうだ。この世界では魔法と航宙技術が発達しているらしい。
航行船を一つもらって宇宙に出れば、船の人工知能が人のいる方へ連れていってくれるだろう。そうしてくれればあとはどうとでもなる。
そうやって自分を慰めながら、的外れの同情と斜め上の優しさに辟易としていた頃、第一王子が部屋を訪ねてきた。
「いかがいたしました?今日のお勉強は終わったはずですが……?」
「今話せるか?」
「はい」
悪い予感はしていた。突然の訪問。あまりにも血色感の強いメイク。
何かを隠す表情。
「君の弟妹が死体で見つかった。山奥の小屋に閉じ込められていたらしい」
「………は?」
自分が想像していたよりも軽い音に、第一王子がソラと目を合わせてくる。その目がソラを現実に引き戻す。嘘じゃないと、その目が訴えている。
「兄上。先走りすぎです」
後から追いついてきた第三王子が、誰かを連れている。
「ソラ様。こちらがルーカス様です。お願いします」
弟妹の様子を確認したいと言った時に聞いた名前だ。ソラの縋るような目に、第三王子は目を逸らして、第一王子は目を合わせる。
ルーカスと呼ばれた人が杖を振ると、空中に円のような何かが浮かび、弟妹が映し出される。
(生きてる)
そんなソラの期待を抑えるように、第一王子がソラの腕を強めに掴んで円を見つめる。
「君がいなくなって1日してお腹が空いたんだろうね。火を使わないでできるご飯が思いつかなかったみたいなんだ。だからへそくりを使ってコンビニに行こうとした」
『だいくん。うみちゃんについて来るのよ』
『ん』
『まったくそらちゃんはどこに行っちゃったのかしらね。困っちゃうわ』
『ぼくがんばった。ぎゅってしてもらう』
『うみちゃんが先よ』
『うみちゃんにもぎゅってしてもらう』
『だいくん。女たらしね。わるい子に育たないか心配だわ』
いつもの調子で会話しながら小2の妹が6歳の弟の手を引きながら、外に出る。早送りされている映像の中で、2人はコンビニでソラがいる時はダメだというお菓子等、たくさんのものを買って袋に入れてもらっている。
コンビニの店員さんが2人が袋を引きずっているのを見て、更に大きめの紙袋に入れてくれていた。
ソラの同級生で、2人の事を気にかけていてくれた人だ。ソラも彼が好きだった。温厚な人だった。
2人は袋が重かったせいだろう。近道をしようと人通りの少ない道を選んだ。通る時は大人が一緒じゃないとダメだと言っていた道だ。
「だけど攫われた。2人は偉かったよ。言いつけ通りに、ブザーも鳴らしたし、SOS信号も送った。GPSの1つを壊そうとしたけど出来ずに、裏山の小屋に連れて行かれて……」
「教えてください。何をされたのか」
映像を止めてしまおうとしたルーカスに、ソラは少し強い口調で詰め寄る。言葉を濁しているが、第一王子が言っていた事が本当なら……いや、本当なのだろう。2人はここで見つかったはずだ。
「乱暴されて、首を絞められて殺された。そんな姉の姿を見た弟くんがGPSを壊して、けど適当な場所に捨てられていた。しばらく経ってからとある青年がご遺体を見つけてくれた」
2人の姿を映さないのはルーカスの配慮だろうか。犯人が立ち去って陽が落ちて、登って、落ちて、登って、先程の同級生が小屋を覗いて崩れ落ちて映像は終わった。
「犯人はすでに捕まっている。ご冥福を祈るよ」
ソラはグッと唇を噛むと、下を向く。
腰から折りたたみナイフを取り出して刃を出すと、ぎゅっと握って自身の右の太ももに突き刺す。侍女が悲鳴をあげている。従僕が慌てている。どくどくと流れる血が、ソラの頭を冷静にさせる。
「ごめんね。魔法が万能じゃなくて」
「いえ。それは貴方のせいではないですから」
もし、ソラが呼び出されていなければ、2人は2人だけで買い物に行く事はなかっただろう。
ソラがいれば発信に気がついてGPSを辿れただろう。
2人が怖い思いをすることも、痛い思いをすることも、死ぬこともなかっただろう。
これはたらればだ。ただの妄想だ。だが、思わずにはいられないのだ。
「じゃあすまないね。僕はもう行くよ」
「ありがとうございました。教えてくださって」
「土下座で頼みこまれたら、ね?」
そう言うとルーカスは跪いてソラの耳元に口を寄せる。密着するくらいに近づくと、手に何かを握らせる。
「もし、何かあればこの魔石に願って。この老ぼれにできることなら叶えるから」
手を振って見送ったソラは右足のジクジクとした痛みに、自分が興奮していた事を思い出す。右足にナイフを刺して血を流しながら和かに笑って手を振る様は狂気的に見えてしまうだろう。
慌てて取り繕うように、ソラは右足を抑えて苦悶の表情を作る。
「ごめんなさい。動揺してしまっ……て」
ポタッと雫が落ちて傷口に染みる。ここで泣くのが効果的だとは知っていた。でも、泣くつもりなんてなかったのに。
「手当をお願いできる?」
「勿論です。ソラ様」
腹の底がグツグツと煮えたぎる。それを悟らせないように、ソラは笑う。
今のソラは無理をしている優しい人に見えるだろうか。そうだったらいいと思いながらソラは笑う。
もう笑うしかない。
もう、進むしかなくなった。
仕方がないのだ。2人が生きてさえいれば、ソラは自分だけを大切にすればよかった。遥か遠くに離れてしまったが、2人の幸せを願いながら生きていけた。的外れな同情も斜め上の優しさも受け止められた。
だが、2人がいないのならもう、殺すしかない。全部全部、壊すしかない。第三王子もその婚約者も優しくしてくれたが、血の繋がった誰かがいないのだ。
その感覚は、ソラをたった1人にするのに充分だった。
寒いのだ。寒くてたまらないのだ。
もう、無条件に情をかけて愛してあげられて、愛してくれる存在はいなくなってしまった。家族の情や愛が呪いになる人がいる事は知っている。それでもソラは、家族というものを疎ましく思いながらも大切にしてきたから。それが呪いなのだと言われたらそれでもいいと返せるくらいには愛していたから。
「ソラ様……ソラ様は1人ではありません。王太子殿下と民がおります」
「……ありがとう。少し1人にして欲しいの」
手当てをしてくれた侍女の言葉に曖昧に微笑みながら下げさせる。ベッドに横になると、ソラは枕に顔を埋める。
「大嫌い」
…人の人生を壊しておいて笑える人間が嫌いだった。
自分がそうだった。普通に生きられなかった。宙くんを上手く演じられなかった。ずっと演じられなかった。カッコいいものは好きだ。女の子もふわふわで可愛いと思う。
だが、自分の性別だけが上手に一致しなかった。女になりたかった。
きっとそれだけなら母親は生きていた。生きていてくれた。
だが、宙は跡が残るような暴力と笑えなくなるような性暴力を受けた。きっと宙が普通なら受けなかった犯罪行為に、母親は壊れてしまった。
幸せだった。苦しいのはきっと誰だってそうだ。それが強いからって幸せでないわけじゃない。少年漫画は面白くて、助けてくれた人もいて、幸せだった。
それに、理解できないものを排除したい気持ちもわかる。ここに来てから、宙が抱えているものと同じだ。話の通じない人間じゃない誰かが怖いのだ。
だから恨んでない。母親が死んだのはひとえに宙が普通を演じられなかったせいだ。それなのに、2人も死なせてしまったのに、ソラは笑うしかなかった。お婆ちゃんがいて、弟がいて、妹がいて。
人の人生を壊しておいて笑うしかない人が嫌いだった。
「大嫌いだ」
だから、もう無理なのだ。もう仕方がないのだ。壊さなければ、殺さなければ。
この、胃酸が煮立つような怒りはどこへ行くのだろう。
悪い人じゃない。悪い人達じゃない。
けど、ソラじゃない宙を認めない人達に宙を理解できない。憎しみではなく、嫌いなのだと分からない。同情の隣の哀れみに気が付かない。殺すしかなくて、壊すしかないと理解できない。
1人で眠って、起きて、ここに召喚された時に来ていた服に着替える。ローブを羽織って、ナイフで伸ばしていた髪を切り、ローブの下にナイフを仕込む。
異世界に召喚された人は皆、滅多な事では死ななくなり、力が強くなるそうだ。その代わりに魔力酔いが激しいらしく、それをカバーするために第三王子がくれたものだ。
メイドを殺した。優しい子だった。だが、無理だ。もう無理なのだ。その優しさを受け止められるのは弟妹が生きていた時だけだ。
従僕を殺した。真摯な子だった。だが、その真っすぐさを受け止められるのは2人がいると信じていたからだった。
騎士を殺した。忠誠を誓ってくれた。だが、その忠誠を受け入れられた頃の余裕はもうない。
そうやって殺していって、王様と王太子と重鎮たちがいる会議室へ辿り着いた。返り血のせいか、格好のせいか。驚いた顔をする王様と、どこか落ち着いた様子で剣を構える王太子を、宙は殴りつけた。
絶命するまで殴りつけて、阿鼻叫喚の重鎮達と鬼ごっこをして殺した。血飛沫が舞っている中で王太子の隣で、王太子妃が目を閉じて、静かに死を受け入れていたのだけが印象に残っている。
そのまま城下街と貴族街まで降りて、媚を売ってきた貴族も、嘲ってきた貴族も、同情してきた貴族も全部殺して、壊した。怯えと恐怖に見つめられながら笑顔で、全部を壊して、どうにもならないのだと判った。
どうにもならないと知っていた。分かっていた。殺すしかないけど、殺したってどうにもならないと。
でも、スッキリもしなくて、スカッともしなくて、弟妹は戻ってこなくて、本当にどうにもならないのだと判った。
これが、もっと元凶に近ければスッキリしたかもしれない。もっと時間が経っていればスカッとしたかもしれない。
だが、今はただ虚しいだけでしかない。
強さが虚しい。こんな力があればきっと、側にいれさえすればきっと、助けてあげられたのに。そうじゃなくたって強い力があったのに。守れる力を手に入れたのに。
「海、大地……ごめんね」
王城に戻ってきた。あとは処理だけだ。第三王子も第四王女も、殺していって、第一王子にあった。こんな状況なのに護衛の1人も連れずに歩いている。
「お出かけですか?」
「ああ。上の方にな」
第一王子は今までで1番穏やかな表情で上を指差す。これからどうなるか分かっているのだろう。
「お願いがある」
「お願い。ですか?」
唐突な言葉に、宙は首を傾げる。この人の事だから殺さないでくれとかではないだろう。
民を頼むとかそこら辺かな?と思いながら黙っていると、第一王子は真剣な表情で宙と目を合わせる。
「死なないでくれ」
「それ、は。無理ですよ。だってもう誰もいないですから」
「それでもお願いだ」
お願い。その言葉に、宙は言葉に詰まる。
返す言葉が思いつかなくて、自分の心の整理と共に、探り探りに言葉を吐く。
「……知ってました?私、貴方のこと嫌いじゃないんですよ」
「そう…なのか?」
「だって、知ってたんでしょう?こうなる事。貴方、最初っから死にたがってましたもの」
軽やかに、コロコロと笑いながら宙は話す。
嫌いじゃなかった。王太子のセクハラから自然に守ってくれていた。おかげで男だとバレる事はなく、魔力で弱らされる事もなく、自然に油断させられた。
外の事を教えてくれていた。きっと最初から知っていたから、その後を考えた教育を施してくれていた。
ルーカスに土下座をしたのはきっと第一王子だ。ルーカスの視線は第一王子へ向いていた。
第三王子とも本当は仲が良いのだろう。このローブのセンスは明らかにあのセンスが独特な第三王子が用意したものではない。
第三王子の婚約者殿も含めて3人だけは暖かさをくれた。無闇矢鱈に優しさを振り撒かず、同情せず、寄り添ってくれていた。
だから決めていた。ちゃんと殺してあげようって。第一王子は優しすぎる。それこそ王族に向かないほどに。きっと、宙が許しても罪悪感で命を絶ってしまうだろう。
だから、殺してあげるのだ。ちゃんと天国に行けるように。宙は神様も宗教もあまり興味がない。だが、自死を禁じる宗教がある事は知っている。こっちでも同じかは知らないが、もし自殺が許されないのだとしたら、第一王子は天国へ行けない。
それはダメだ。だから殺す。そう思えるくらいまで心を傾けてしまったから、だから、
「知ってました?私、貴方のお願いは断れないんですよ?貴方が言うなら叶えたいって思うんですよね」
柔らかく笑う宙に、第一王子は少し驚いた顔をして、笑う。
「だから、仕方ないから生きてあげますね」
「ありがとう」
そう笑うと第一王子は一歩進んで腹に宙が持っていたナイフを埋める。宙は捻りながらナイフを抜いて、第一王子を抱き寄せる。
「どうです?あったかいでしょ」
「寒くなくて、悪くない」
第一王子のエメラルドグリーンの瞳が濁っていくのを眺めると、宙はそっと体を下ろして三二王子の元へ向かう。そこには第三王子の婚約者もいて、2人は手を繋いで迎えてくれる。
「ソラ様……兄上は死にましたか?」
「うん」
「ありがとうございます。ソラ様」
第一王子とは違う。その瞳に、宙はナイフを下ろす。婚約者さんはソラを抱きしめるとそっと額にキスを落とす。
「ソラ様。大丈夫ですよ。全部壊さないと、全部まっさらにしてからじゃないときっと次へ進めないですから」
婚約者さんはソラが男だと知ってなお、黙っていてくれた。優しく包み込んでくれていた。それが許容されていないこの星で、黙っていてくれた事がどれだけ嬉しかったか。3、4歳下の少女に思う事ではないかもしれないが、母親に似た甘やかさを感じた。
だから、暖かかったのかもしれない。覚悟と恐怖。安堵と喜びをたたえていた第一王子とは違う4つの瞳。2人が繋いだ手が強く握られている事に、震えている事にため息をついて、宙はナイフをしまう。
「もういいや。全部壊しても結局何にもならないし」
あからさまにホッとした2人に小さく笑う。壊さなきゃいけなかった。殺さなきゃいけなかった。そうじゃなきゃダメだった。他にどうしようもなかった。
でも、そうしたところでどうにもならない事も知っていた。
「じゃあね。私、もう行くから」
「どこに行くんですか?」
2人は固く手を繋いだまま、少し強張った表情で口を開く。2人の事だから民への被害を警戒しているのだろう。そんな2人を安心させるように、宙は微笑む。
「そうねぇ。私を呼び出した人、許可を出した人。全部殺し尽くしてそれからは……」
「死を選ばないんですか?」
「貴方も耐えられない人だと思っていたんですが…」
婚約者さんに続いた第三王子の言葉に、第一王子の事だろうと思う。
耐えられない人。人の人生を狂わせた事に、決断の重さに、人を踏み躙る事に耐えられない人。
当たり前だ。耐えられるわけがない。ただ力が強くなっただけのただの人間が、人を狂わせる事に堪えられるわけがない。
そうだったらせめて痛みのないように。そんな気遣いの見て取れる瞳に、宙は感謝をうつしながら首を振る。
「君のお兄さんにお願いされちゃったの。死なないでって」
「兄上が…」
「だから死なないかな。どこか遠くの星で修道院みたいな場所で、償っていくしかないかなって」
逃げて、慎ましやかな幸せを手に入れる事はもう無理だから。宙は短くなった黒色の髪を揺らして笑う。
「全部殺さなきゃとは思うけど、殺されて正解だったと思えないから。どんな人でも生きていてほしいと願う人がいて、それを蔑ろにする事は許されないから」
許されないのだ。
どんな理由があろうとも殺しとは罪である。それは当人に対する価値ではなく、周りの人間の悲しみを産まないための正論だ。
どんな人間でも、最低のクズでも、誰かが優しさを願っている限り身勝手に殺す事は許されない。
正義であると言うのであれば、罪を罪と認めなければならない。
殺しは罪だ。悲しむ人がいる限り、罪でなければならない。
この殺人を聖女による粛清だと言う人がいるかもしれない。この人殺しを正義だと言う人がいるかもしれない。それでも、宙だけはずっと思っている。これはただの殺しであって、理由など関係なく許されない事なのだと。
だから、償うのだ。殺した人のためではない。その人の周りにいた優しい誰かのために。
「だから、じゃあね」
「また、いつか」
再開を願う言葉に、宙はひらひらと手を振る。約束はできなくても、長く生きていればきっとあるだろういつかに少し微笑んで。
(第一王子の遺体だけは部屋に寝かせておかないと)
宙は2人と別れて唐突にそう思うと、足を遺体の方へ向ける。あちらこちらにある血溜まりでピチャピチャと赤が跳ねる。足跡のつくその道を、行きよりは幾分か軽い気持ちで歩いていると、第一王子の遺体の側で膝をついている人がいる。
よく見ると遺体から金目のものを剥ぎ取っている。服のボタンも、装飾も、大事なものだと話していたネックレスも。宙が眉を顰めて駆け寄ると、嫌な予感に後ろに跳ねる。宙の視界に血飛沫と右腕と右足が映る。
「え?」
一泊遅れて襲ってきた痛みに、目がチカチカする。バランスを崩して倒れながら、宙は腕と足の切り口を合わせる。大量に血を失った。ひどい痛みだ。
だが、これくらいで気絶できないのだ。異世界からの来訪者は。
(まずい。修復が遅い)
宙を真っ二つにするつもりだったであろうその剣は、宙が後ろに跳ねたのと、ローブを着ていて身体のラインが曖昧かせいでできなかったようだ。
だが、ローブがボロボロの今、直接魔力に触れたら致命的だ。傷も良くない。今これでは逃げる事はできない。明らかに殺意のある攻撃だった。死んでいないと知られれば、トドメを刺される事は間違いない。
「ゔぅ」
漏れ出た呻き声に、ギョロッと緑が2つ、こちらを見る。
(これは詰んだ)
初めて弟妹2人に泣かれて、どうにもならなかった日を思い出す。しかもオネショとイヤイヤのダブルパンチで怒りを通り越して無の境地に至ったあの日を。
あの日も同じだった。
出なきゃいけない単位があったのに、離れ慣れなくて本当に詰んだと思った。
命と人生という違いはあれど、どうにもならない時は本当に無しか抱けないものだなといっそ感心しながら宙は目を瞑る。
あの日みたいに宙を気にかけてくれるコンビニ店員の同級生はいないし、世話焼きの隣の家のおばちゃんもいない。宙は1人になった。多分唯一深くまで理解してくれるであろう王子は殺した。もう誰も側にいない。
「ちょっとごめんね」
声がして体が浮いた。くっつきかけていた足がぶらぶらとしていて痛い。小さく喘ぐとそれに気がついたのか、誰かは優しく降ろしてくれる。
「女の子を襲うのは感心しないね」
「黙れ。それは女じゃない。まして人でもない。怪物だ」
「ふふっ。君が黙ってね」
爽やかな声と笑顔から飛び出す暴言に、宙は思わず顔を見上げる。背後からしか見れないため赤茶色の髪しか見えないが、見た目も爽やかな印象だ。
「エドちん。夕陽っち」
どこからか現れたのか、白髪の誰かが盾を持って宙を守る。その目の前で宙を襲った第一王子の側近を弄びながらひらひらと舞うように動く誰かもいる。
「初めまして。同郷の子」
黒い髪に黒い目。日本人らしい人。何より同郷という言葉に、宙はそんな力もないのに目を見開く。
「食べれば少し回復も早くなるから物を食べるぞ」
そう言って口に物を突っ込まれる。
「ゔえ゙」
少し奥に突っ込まれすぎて、えずきながら咀嚼して嚥下する。甘い味と血の味と、泥みたいな味がする。それに少し申し訳なさそうに黒目が宙を捉える。
「ごめんな。これが1番早いんだ」
宙が体を修復していると捕まったようで、柱にぐるぐる巻きにされている。
白髪以外は全員どこかへ行ってしまった。白髪だけが、宙を守るために食力と水を両手に残ってくれている。食べるたびに身体が修復していくのを感じながら、水を呑ませてもらって目を瞑る。
「もう誰もいないのに」
「ねぇ、君怖がりで寂しがり屋なんでしょ」
てっきり無視してもらえると思っていた言葉を拾われて、宙は目を見開く。言われた言葉はその通りだ。
寂しがりだから誰かと繋がっていなくては寂しい。側にいたい。側にいて欲しい。そのくせ怖いから誰も彼もを理解したがる。理解して欲しいと願う。そのぐらい深くないと信じられない。
それに匹敵するのは血の繋がりだけだから弟妹を特別大切にした。周りに誰もいなくなるのを恐れた。
「だけど人は所詮人。分かり合える日は来ないから他人に何かを求めすぎるのはどっちも苦しいだけなんだよ」
言われた言葉に、宙は唇を噛み締める。宙だってそんなことくらい分かっている。分かっているけど、思ってしまうのだ。
でも、それ以外の繋がりは宙を助けることはない。同級生が宙を助けてくれたのは、宙を分かっていてくれたから。そうじゃなければあんな完璧なタイミングで手を差し伸べてくれるはずがない。
宙を気にかけて、見ていてくれて、想ってくれていたから。深く、知ってくれていたから。そこまでしてくれる人でなければ宙を助けてくれなった。
「人の繋がりは血だけでも、傷の舐め合いだけでも、深くまで知るだけでもないから。第二王子が俺達に依頼したのはなんでだと思う?」
「義理?」
空を見ながら答えれば、頭上から笑い声が聞こえる。少しムッとしてみれば優しい微笑みが見える。
「そうだね。そして義理も優しさも思いやりも十分繋がりになり得るでしょ。実際に君を救ってる」
白髪は微笑みながら愛おしそうな表情をする。
「諦め癖も、深い繋がりしか信じられないところも、君を作り上げてきたものなんだろうね。でもね、案外人ってちゃんと1人で立てるんだって教えてあげる」
「え?」
「冒険者になりなよ。償いたいんでしょ?それならピッタリだよ」
冒険者…も、第一王子に詰め込まれた知識の中にある。だが、ピッタリかと言われるとそうとは思えない。
「いや……それでも私は、神様に祈りたいの。どうか殿下や弟妹が天国に行けますように。天国がありますようにって」
ソラは無意識に手を組み、祈りのポーズを取る。
「神様はいなくて、天国がないのだとしても、人の願いの力って凄いって言うじゃない?だから、願いたいの。全部壊した後で」
「そっか。なら尚更冒険者になりなよ。いつ辞めてもいいから、いろんな場所を飛び回るならそれがいいと思うよ。特に、高い権力を持つ人を狙うなら」
思わず顔を見つめれば、白髪は微笑んでソラの顔にかかっている髪を退ける。
「俺は復讐を悪だとは思わないから。手伝いはしないけど、やりたい事をすればいいと思うよ。冒険者なら」
手を組んでいたソラは、少し目を伏せる。
「第一王子が死んだのはなんでだと思う?」
「耐えられなかったから」
再び暇になったのか、白髪の唐突な問いにソラは淡々と答える。それに白髪は少し微笑んでソラの頭を撫でる。
「それもあると思うけど……俺の想像だけど、あの子が死なないと君は信じなかったでしょ?生きていて欲しいって願う言葉を。だからじゃない?」
「……うん。そうね」
そうかもしれない。死んだ人の心は分からない。だから、そう思っておきたい。守ってるつもりだった。けど、守られていた。
第一王子にも、空と大地にも。帰った時に少しぐちゃぐちゃでも服が畳んであった時。寝付けない時に、抱きしめてくれる時。行ってらっしゃと行ってきますを言えた時。
『あんな出来損ないに子育てなんてできるわけ』
『できそこ?そらちゃんはそらちゃんだよ。うみちゃんはそらちゃんがだいすきよ』
『ぼくも』
『少なくとも、そらちゃんはうみちゃんとだいくんを悲しませないわ』
『おじさんといるといやなきもち』
盗み聞きしたものだったから叱らなかったが2人の対応は良くない対応だと今でも思う。それでも、嬉しかったし、守ってもらっているのだと思った。
それから表立ってそう思うことが少なくなって。というか気を張っていたのが安心してくれたのか、守ることが多くなって、守られているという感覚が抜け落ちてしまっていた。
守る人も、守ってくれる人も、誰も側にいなくなった。
「やっぱり、寂しくて、死にたいな」
「それでも祈るんでしょ?」
「あの子達のためにね」
翌日、本拠地へ連れて行かれた宙は冒険者となった。
そして、とある任務遂行中に海と同じ歳の子供を庇って命を落とす事になる。
享年24歳。
この出来事から1年と8ヶ月後の事だ。




