告白と、受け取り
あさひはローテーブルの上で一度、自分の腕時計の文字盤を確認した。それからおもむろに自分のバッグを横に置き、中からあの小さなポシェットを取り出す。
すると、あさひは突然その場に立ち上がり、うす紫色のズボンをカチャカチャと音を立てて脱ぎ始めた。
あまりに突飛な行動に、正面に座る佐伯さんが顔を青ざめさせ、慌ててそれを制止にかかる。
「ちょっとあさひっ!! 何やってんの、男の人の前でいきなり!!」
佐伯さんは手を伸ばして妹を止めようとした。
――だが、あさひのその、あまりにも悲しそうで、だけど全てを覚悟したような表情を見て、思わず伸ばした手を途中で止めた。
あさひはうっすらと涙の浮かぶ瞳をまっすぐに姉へと向け、ひどく優しい口調で語りかけた。
「みのり……今まで、ずっと隠しててごめんな」
その声を見て、聞いた瞬間、俺の胸は苦しくて張り裂けそうな思いに襲われた。
隣に座る高橋は、男のプライドとして「見てはいけない」と本能で察したようで、その強張った顔を、あさひの方を見ないようにきつく横へと背けていた。
だが、あさひはそんな高橋にも、毅然とした声をかける。
「高橋さん……、見てください。私は、これから一緒にいたいあなたに、隠し事は一切したくない。
私の全部を、知ってもらいたいんです」
あさひの真剣な声に反応し、高橋もゆっくりと、遠慮がちに視線を彼女へと戻していった。
だが、その長いTシャツの裾から白い太腿があらわになっていくのを見た瞬間、高橋は息を呑んだように肩を大きく震わせた。
白い太腿が現れる。少しでも身体を動かせば下着がチラリと見えてしまうような無防備な状態だったが、あさひがそれを気にする素振りは一ミリもなかった。
彼女の両太腿の皮膚は、俺があの時に見せられたそれと、全く同じだった。日常的な注射によって内出血が赤黒く定着しており、その上には、数え切れないほどの無数の針の痕がびっしりと確認できる。
高橋は完全に言葉を失ったようで、ただその痛々しい肌を凝視することしか出来ない様子だった。
佐伯さんが怯えながら、震える声を絞り出す。
「これ……何……? あさひ、どうして……っ」
あさひは憂いを帯びた表情のまま、フッと自嘲気味な笑みをこぼしながら、ぽつりと呟いた。
「七回」
「……は?」
佐伯さんがすぐに聞き返す。もっと聞きたいことが山ほどあるのだろうが、今の彼女には、その短い疑問の声を出すのが精一杯のようだった。
「一日の中でね。多い時は、七回も自分でここに注射をしなきゃいけないんだ。だから、この痕が消えることは一生ないんだよ、みのり……」
それを聞いた瞬間、佐伯さんは「わっ」と声を上げて、床に両手を突いて激しく泣き崩れた。
その号泣する姉の様子を、あさひは今にも泣き出しそうな顔で見つめ、だけど心底愛おしそうに横目で見て、佐伯さんの頭を軽く、優しく撫でた。
そしてその手をすぐに離すと、慣れた手つきでポシェットから注射針を装着し、手早く自分の太腿へと刺した。その針が皮膚を突き刺す一瞬、あさひは軽く顔を苦痛に歪ませたが、次の瞬間には、佐伯さんを安心させるための柔らかい表情を浮かべていた。
そして役目を終えた注射器をコロンとローテーブルの上に転がせ、今度こそゆっくりと、泣き叫ぶ佐伯さんの身体を両腕で強く抱き締めた。
「ごめんね、みのり。これ、打つ時間が厳密に決まってるからさ。
……一番に抱き締めてあげたい時でも、いつもこっちの注射が優先になっちゃうんだ」
佐伯さんは、あさひちゃんの胸に顔を埋めたまま、ますます声を上げて子供のように涙を流し始めた。
「ごめんね、早く伝えたかったんだけど……。
これを伝えた時に、みのりのことを後ろからしっかり支えてくれる『誰か』がいてくれないと、私は不安で言えなかったの。
みのりと一緒に伝えて、二人で動揺して共倒れになっちゃったら困るから。だからね……先に、成瀬にだけ伝えてたんだ」
佐伯さんはしゃくり上げながら、妹の胸の中で何回も、何回も深く頷いている。 あさひの潤んだ瞳が俺の方へと向けられ、静かに視線がぶつかった。
「成瀬、ごめんな。今まで、こんな重荷をひとりで背負わせて。しかもあたし、みのりに言わせないようにお前を脅してたもんな。
『みのりがこれを成瀬の口から知ったら、どんなに傷つくかわかるだろ。だから私が自分の口で言うまで、絶対に言うなよ』ってさ」
張り詰めていたリビングの空気の中で、あさひからそう声をかけられて、俺は知ってからずっと止まっていた呼吸が、ようやく深く出来るようになった気がした。
「……重荷だなんて、思ったことは一度もなかったよ。だから、もう俺に謝るな、あさひ。お前は何も悪くない」
俺が真っ直ぐにそう告げると、あさひは佐伯さんを愛おしそうに抱き締めたまま、「ありがとう」と、世界で一番綺麗な笑顔で微笑んだ。




