研修はつらいよ
翌日、高橋、阿部、俺のいつものメンバーで飲みに行くことになった。居酒屋の外で待ち合わせ。
夏とはいえ、十七時を過ぎればじわじわと夕暮れの気配が近づいてくる。少し蒸し暑い風にワイシャツの襟を緩めながら高橋と待っていると、阿部が小走りでやって来る。
「お待たせ〜。あれ? 何か成瀬、元気なくない?」
阿部が俺の顔を見るなり眉を下げた。
「ああ、こいつはいつものビョーキ」
高橋がさも当たり前のように答えた。
「ハハッ、またか。毎回毎回、大変だな。
研修受けるたびに、『研修嫌い病』になるんだからな」
阿部が「お疲れ」とばかりに、俺の背中に軽く手を添えながら言ってくる。
キンキンに冷えた生ビールが3つ届いた所で、いつものようにグラスを軽くぶつけて乾杯した。
「俺、マジで嫌いなんだよ、研修〜」
ジョッキを握る手に思わず力が入る。
「うちの会社って無駄に研修に命かけてるだろ?
毎月の用に営業時間削って研修、研修。もうおんなじ話を何回も何回も……
でさ、当然のようにキラキラ言葉ばっかり使ってんの。『他人と過去は変えられないけど、自分と未来は変えられる!』とかよ? 最初聞いた時は感動したさ。
でもそんなん、あちこちで聞くからもう重みなくなってんだよ」
とりあえず、ノンストップの早口で思ったことを全部ぶちまける。二人は止めても無駄とわかっているのか、何も言わず頷いている。
「二人はどうも思わないわけ?」
同意を求めて顔を上げる。だが、余裕の笑顔を浮かべる二人と俺との間に、何やら目に見えない高い壁を感じた。二人は気まずそうに目を合わせると、すまなさそうにゆっくりと口を開く。
「いやぁ……俺たちって、研修受ける側じゃないからさぁ……なあ、阿部」
「うん、俺たちは研修の計画立てたり、講師やったりする方が多いからねぇ……」
俺は、軽めだがハッキリと音が出るくらいの力で、ジョッキをテーブルに置いた。
まさか目の前の悪友二人が、あの「キラキラ言葉」を量産している張本人だったとは。
「……敵かよ」
睨みつける俺を見て、高橋と阿部は「ごめんって」「仕事だからさ!」と声を揃えて爆笑している。
いつもの遠慮のない空気。笑い声が響く中、俺は冷たいビールをもう一口喉に流し込み、ふと手元のグラスを見つめた。喉の奥に引っかかっていた別の「本題」を切り出すなら、今しかないかもしれない。
「……なぁ。研修とは、全然関係ない話なんだけどさ」
さっきまでの子供じみた愚痴とは違う、少しだけトーンの落ちた俺の声に、二人がピタッと笑いを止めて俺を見る。
「実は昨日、安田から転職の誘いを受けた」
二人の視線が、一瞬で真剣なものに変わるのが分かった。
先に口を開いたのは阿部だった。
「えーー!! 行かないよね!? 行かないよね!? 俺、お前いなくなったら寂しいよーーー!!」
阿部は今にもテーブルを乗り越えてきそうなほどの必死の形相で、がばっと前のめりになって訴えかけてくる。
一方で、隣の高橋は何も言わず、ただ静かに俺たちのその光景を見つめていた。
「ああ、断ったよ」
俺がそう告げた瞬間、高橋は「そっか」と呟き、短く、だけど心底ホッとしたような軽い笑みを見せた。 高橋はきっと、俺がどんな答えを出したとしても「そうか、わかった」と笑顔でそれを受け取ってくれたはずだ。
だからこそ、俺は昨日、転職の件を高橋に相談しなかった。
あいつはいつだって、俺の意思を誰よりも尊重してくれる。相談してしまえば、背中を押されるのが分かっていた。
自分の甘えや迷いをすべて見透かされた上で、それでも「お前の好きにしろ」と言ってくれる、あいつの優しさに頼りたくなかったのだ。
「良かったぁぁぁ……本当に良かった……」
阿部は「良かった」と何度も呟きながら、ようやくいつもの笑顔を取り戻し、心底安心したようにジョッキを傾けてビールに口をつけ始めた。
「なんだよ。お前ら、そんなに俺がいなくなったら困るのか?」
少しだけ照れくさくなって、あえておどけた調子で二人に問いかける。
「当たり前だろ。研修の愚痴をこれだけ全力で浴びせてくるやつ、他にいないからな」
高橋が意地悪く笑いながら、枝豆を口に放り込んだ。
「そうそう! 企画側の俺たちとしては、成瀬のクレームって貴重なデータなんだから!」
阿部もすっかり上機嫌になって乗っかってくる。 そんな二人の顔を見ながら、俺は胸の奥で、昨日確信したばかりのあの想いを、もう一度静かに噛み締めていた。 頼りないけれど全力でぶつかってくる、あの可愛い後輩の藤田。仕事の愚痴を笑い飛ばし、自分の決断を信じてくれる、この大切な同期たち。
そして何より、佐伯さんの存在。
夏の夜の生ビールは、昨日よりも少しだけ、喉越しが良くて美味く感じられた。




