生きる意味
娘の名前を出されると動けなくなる。
「離婚してから会ってないですよね?
いいんですか? 僕は会ってもらっていいですよ」
意図せず溜め息が溢れる。
「会うと離れられる自信がないんだ。泣き出すかもしれないし」
「花音がですか?」
「いや……俺が。
父親が泣き出したら子供はどんなに心を揺さぶられるか。
自分は悪いことをしたんじゃないか、泣きやませるにはどうしたらいいかって子供なりに考えるんだよ」
「そうなんですね……」
今井の目を捉え静かに話す。
「綾乃はいい大人だし、もう赤の他人だから好きにすればいい。
ただ、花音は俺の娘だ。それは永遠に変わらない。
5歳児の記憶なんて曖昧だから、何十年か経った時に俺のことを覚えておらず、貴方を実の父親だと思っててもいい。それはそれで仕方ない。
でも俺の命より大切な存在なんだ。
俺の心臓を渡したら娘の命が助かると言われたら、迷わず大喜びで渡す。そのくらい大切に思ってる。
ただ、幸せにしてやってくれ。
と言っても甘やかすだけじゃなく、間違ったことをした時はちゃんと正しい方向に導いてやってくれ。
叱ることも必要だ」
今井が力なく笑い視線を逸らす。
「なんかプレッシャーをかけられてるみたいだ……」
軽く肩に手を置く。
「プレッシャーをかけてるんだよ。子供を育てるって持てない位の重圧が伴う。
そこまで考えてなかったとしても後々それを感じるようになる」
「そんなに愛しているなら、花音を引き取ることは考えなかったんですか?」
「どんなに愛情があっても育てられるわけじゃないんだ、残念ながら。母親から離れることができる年齢でもないしな。
そしてこれは貴方にしか頼めないことだから聞いてくれ。
花音をよろしくお願いします」
それだけ言うとその場を離れた。
言いたいことの半分も言えなかったんじゃないか。
花音は心優しい子でお年玉を「パパおしごとがんばってるからあげる」と言ってくれる子だとか、すぐ泣くが芯が強い子だとか、もしこの先、綾乃との間に子供が産まれても花音のことも我が子と同じように愛してくれとか……
いや、ここまで言うとお節介か……
「成瀬さん!」
会社から出る寸前、声がしたので振り返る。
今井が追いかけて来て息を切らしている。
「花音は、今後あなたを忘れるかもしれないけど、今はちゃんと覚えてますよ!
僕にあなたの自慢をしてきます! かっこいいパパだって!
それを聞くたびに僕は苦しくなる。
だからあなたに負けないパパになれるように頑張ります!!」
薄い笑顔で会釈をしたが、ちゃんと笑えていたか自信はなかった。
――――――
事務所に着いてしばらくすると高橋に呼ばれた。
「今日のIT会社どうだった?」
「どうって? 普通に説明したけど」
「電話があってさ……」
クレームか?
ちょっと……いやかなり言い過ぎた。
契約中止って言われたか……?
「向こうの社長から電話で、成瀬さんに謝って欲しいって何回も言われたよ。何かあったか?」
「ああ……」
ソファに腰を下ろしながら軽く説明する。
高橋はそれを聞いて唖然としている様子。
「行く前から知ってて行ったのか……?」
「まさか! 行って話しててもしばらく気付かなかったんだよ!
向こうはわかってて俺を指名して来たんだろうな。会ってみたかったって言われたし」
「で? どうだった?」
ソファの背もたれに寄りかかり天を仰ぐ。
「疲れた……」
「ハハ……飲みにでも行くか」
――――――
何杯飲んだろう……話が止まらないのを自分でも感じるが止めたくはない気分。
「見た目は好青年みたいな。そんでIT会社の社長ってだけで成功者の匂いプンプンだろ?
あんなんに太刀打ち出来る訳ねえよもう〜」
「よく頑張った頑張った」
高橋は頷きながら相槌を打ってくれる。
「そういや、子供の頃夢あった?」
唐突に疑問を高橋に投げかける。
「うーん、サッカー選手とかだったかな……」
「俺は野球少年だったから野球選手だった。
よくさ、成功者が言うだろ、
『夢は諦めなければ叶う』ってあの言葉大嫌いなんだよ、成功者しか言わんよな、失敗した奴は絶対言わないだろ」
「まあな」
「ただ、夢を持たない奴自体は叶うどころじゃないけど。
今日の奴は夢叶ってる側の人間なんだろーな」
店員に次の酒を頼みながら語る。
「最近さ、一人になると考えるわけよ、生きる意味。
子供いれば二十歳になるの見る為とかあったわけ。
仕事のことでもいいけどさ、退職すれば生きる意味がなくなるのかなとか、なんか切なくて……」
話しながら顔を伏せる。
「俺は結婚したことないから子供に関してはわからないけど、生きる意味なくてもいいのかなって思ったりするけどな。誰もがそんな大きな物を掲げてるわけじゃないだろう?
『死ぬ理由がない』ってだけでも
それが立派な『生きる意味』なんじゃないかって。
うまく言えねえけど……
……おい成瀬? 寝た?
もう〜せっかく俺いいこと言ってんのにさ〜
お前デカいから連れて帰るの大変なんだよ〜起きろよ〜」
高橋の声が遠くに聞こえた。
話聞いてくれる奴がいて救われると思いながら意識が遠くなっていくのを感じた。




