葛藤
昼間は暖かさを感じるようになったが、夜はそれなりに冷えてくる。だから人は夜に人肌恋しくなるのだろうか。
「月が綺麗ですね」
街灯の少ない駅までの夜道は、澄んでいる空に月や星を見ることが出来た。教えてもらえなければ見上げることもなく、気付かなかっただろう。
佐伯さんは背が低いから、俺を見上げた時に偶然気付いたのかしれない。俺は下ばかり向いているから見えているものが違うんだろうな。
「今日はありがとう、話聞いてくれて………」
「いえ、私でよかったらいつでも……フフ」
手が触れるか触れないかの距離で歩いているので、絶対に触れないように気をつける。
万が一、指一本でも触れれば制御が利かなくなると思う。特に人通りが少ない夜道なら尚更。
この気持ちは今の感情なのか昔の恋心なのか、
はたまた両方か。
もっと長い時間そばにいたいと思うが、駅に着くまでの時間がタイムリミット。
この時間が長くてもどうせ何も出来ないなら、
このツラさは短い方がいいかもしれない。
駅のホームで別れを告げる。
電車に乗ったあと振り返り、
「既婚者に興味ないのに付き合ってもらって悪かったな」
と、フザケて笑いながら言ってみた。
「いえいえ……」と笑いながら答え、
電車のドアが閉まる寸前、
「成瀬さんは別です」
と、照れ笑いを浮かべられる。
それに答える暇なくドアが閉まった。
……危なかった。あれをドアが閉まる前に言われてたら、抱き締めてキスをしていたに違いない。
そうなればもう後戻りは出来なかっただろう。
法律上は、キスや抱擁は不貞行為にはあたらない。
性行為からとされており、それが手や口でも不貞行為と見なされる。
だが逆を言えば、そこまでいかなければそうとは見なされない。
世の中の既婚者、男性は7割近く、女性は半数近くが不倫経験者というデータもある。
男性に至っては不倫をしていない人間の方が少ないということだ。
多いからといって仕方ないとは言えないし、言い訳にもならない。
どんなに美しい純愛のように語ったところで、傍から見ればただの不倫。欲に溺れただけの関係としか見られないだろう。
――――――
家に帰るとまだ嫁が起きていた。
「久しぶりね、いきなり飲みに行くなんて」
何も答えずそのままリビングで嫁を抱いた。
少し驚く素振りを見せたが、いつもと違うと思ったのか受け入れてくれた。
ただ、終わってから残るのは虚しさだけで満足感はなかった。あの子を抱けない代わりに抱いたに過ぎないのかもしれない。
法に触れることも、嫁に弁解するようなこともしていない。それなのにこんなに苦しいのか。
他の奴らのように、心の思うままに動いて溺れてしまえば良かったのか。
そしたらこんなに苦しむことはなかったのだろうか。
「もしも」は存在しない。
過去を「もしも」で振り返っても何にもならない。
良くも悪くも事実は変わらないからだ。
――――――
高橋はあれから本部に行くことが増え、事務所不在の日も多くなっていた。顔を合わせることなく一日一日が過ぎていく。
営業所閉鎖まで一ヶ月の猶予があったので、そこで他の営業所への引き継ぎや片付けなどを行っていく。
高橋は、金曜の夜は決まって本屋に寄って帰る。
それを思い出し、本屋近くのベンチで待つことにした。
「成瀬……?」
どのくらい待っていただろうか、スマホに集中してたせいで気付かず、逆に声をかけられる。
顔を上げると少し驚いている高橋の顔があった。
高橋が俺の隣に荷物を置きながら腰を下ろす。
「やっぱりお前からは逃げられないな」
力なく笑う顔からは敵意が感じられない。
「ちゃんと話そうとは思ってたんだ……」
金曜の夜だけあっていつもより人通りが多い。
俺たちのことが見えていないように、皆急ぎ足で歩道を通り過ぎて行く。
街路樹を風が吹き抜け、木の葉を数枚落としていった。
「決定だと言われたのはお前が知る何週間か前で、その間ずっと上と交渉してたんだ。
営業所閉鎖をしなくていい方法を他の所長に相談したり、阿部の所へ行ったり、配置について人事にも相談に行った。
事務所の業務を全部お前に任せきりにしてたけど、お前何も言わなかっただろ?
それどころか楽しそうに仕事してて、逆に罪悪感を感じて話しづらくなってしまってた……」
「言ってくれたらよかったのに……」
「そう思ったさ。
でも言ったら楽になるけど、一緒に閉鎖しないでいい方法を探したら探した分、頑張れば頑張った分、駄目だった時の喪失感が何倍にもなって跳ね返ってくるようで、そんな思いをお前にさせるのが怖くて……
結局駄目だったし……」
「それでも俺は言って欲しかったよ。
一緒に闘って駄目だった時の苦しさより、お前が一人で抱え込んでた気持ちを想像した時の方が苦しいから」
「成瀬……」
「もっと頼れよ、頼りないかもしれないけど一人よりはマシだろ! ……泣くなよお前〜」
高橋の肩に手をかける。
「泣いてないって! お前の方が泣いてるだろ!」
「いやいや! このくらいで泣かねえし!
強い男だし!?」
言いながら二人で自然と笑い合った。




