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35歳の俺が上司ざまぁしたり、大人って案外楽しいぞと気づいたりする話  作者: VANRI


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思いがけず出くわした人々

「なんでって……。みのりもあさひも、私がこっちに来たいって言っても、なかなかいいって言ってくれないじゃないの〜!」


 ママと呼ばれたその女性は、それまでのバッチリ決めたお出かけ用の気品をどこかへ放り出し、子供のように唇を尖らせて拗ねたような高い声を上げた。


「だってさぁ、ママってばいつも突然アポなしで来るからさ、みのりも私も家にいない時だってあるじゃん……」 


 そう言いながら、あさひの大きな瞳がチラとこちらへ向けられた。そして次の瞬間、あいつは俺の顔を見つめながら、ゾクッとするほど邪悪で愛らしい、『小悪魔の不敵な笑み』をその唇の端に浮かべたのだ。


 え……?  おい、何だ今の笑みは……。

嫌な予感しかしないんだけど……!


 俺が本能的な危険を察知してその笑みの意味を考えようとした、まさにその一瞬だった。


 あさひは「ママ〜!!」と声を弾ませると、上品なシフォンブラウスの裾を揺らしながら、俺に向かってトトトッと小走りでやってきた。


「ママ〜!! 見て!! このお兄さん、実はあたしの彼氏ぃ〜!!」


 ガシッ、と。 なんの躊躇もなく、あさひの白く細い両腕が、俺の右腕へと遠慮なしにベタッと深く絡められてきた。柔らかい女の子の体温が俺たちの距離をゼロにする。


「え!  ちょっ……お、お前……は、はぁあ!?」 


 あまりの突飛すぎる急転直下に、俺は声が完全に裏返り、手汗をかきながら完全に挙動不審のパニック状態に陥った。

 慌てて真横のあさひの顔を見下ろすが、上目遣いに俺の狼狽えっぷりを見上げて、心底楽しそうに意地悪な笑顔を浮かべている。


「ねぇ〜、成瀬ぇ〜?  今日はこのあと、私と甘いデートの約束だったよねぇ?」


 いつものヤンキー口調をこれでもかとカモフラージュした、脳が蕩けそうなほど甘えたベタッとした声。


 絡めてくる細い腕の力に、さらにぎゅっと強烈な力が込められる。


 おいおいおい!  冗談でもこんな嘘はマズすぎるだろ!!


 俺の脳内が完全にオーバーヒートしかけたその時、廊下の先で「ママ」が、それまでの呆気にとられた派手なお顔をさっと冷酷な無表情へと戻し、床をカツカツと力強い足取りでこちらに向かって歩いてきた。


 あさひの思惑がさっぱり分からない。

 だけど、もしあさひが何か母親に言えない深刻な事情があって、あえて俺を「偽装彼氏」として使っているのだとしたら、一応、友達として話を合わせて協力してやらないといけないのか……!? 


 そんな風に必死に大人の頭をフル回転させた結果、俺は言葉が出なくなり、ただただ迫り狂うお母さまの動きをじっと見つめ続けることしか出来なかった。 


 お化粧バッチリのお母さまは、険しい顔をして俺の目の前に仁王立ちすると、鋭い目線で俺のつま先から頭のてっぺんまでを、舐めるようにじっくりと見回した。


 そして、一通りプロファイリングを終えたかのように、わかりやすく大きな溜め息をフゥーッと一つ、ついて見せた。


「……あさひ。違うわね、このお兄さんは、あんたの彼氏じゃないでしょ」


 さすがはあの佐伯さん姉妹を育て上げた母親だ。

なぜだかわからないが、一瞬で大人の嘘を見破ってみせたのだ。


 母親の冷酷な言葉に、「ええ〜……」とあさひが残念そうな声をあげた、まさにその時だった。


 廊下の突き当たりから、チン、とタイミングが悪すぎるエレベーターの到着音が静かに響き、重い金属の扉が開く音が聞こえた。


 誰かの、妙に焦った、急ぎ足の靴音がカツカツと廊下を近づいてきているのがなんとなく分かって、俺がそちらに目を向けようとした、その刹那――。


「ちょっ……!!  成瀬、お前何やってんだよっ!!」


 薄暗い廊下の空気を一瞬で引き裂くような、鼓膜を激しく突き刺す高橋の、激昂に満ちた凄まじい怒号がフロア中に響き渡った。


 廊下の角から現れた高橋は、自分の大切なあさひが、俺の腕にこれでもかとベタベタ身体を密着させて腕を絡め合っている最悪の光景を目の当たりにして、両目を血走らせ、今にも胸ぐらを掴みかかってきそうなほど恐ろしい顔をしてこちらを睨みつけていた。


 高橋の雷のような怒号が廊下に響き渡った次の瞬間、あさひは「あ、ヤバ」という顔をして俺の右腕からパッと綺麗に手を離した。


 そして、高橋の元へとカツカツとヒールの音を立てて小走りで駆けていく。

 あさひは高橋の目の前まで行くと、その広い胸元に顔を寄せ、泳ぐような目でチラチラとこちらやお母さまの様子を伺いながら、何やらコソコソと早口で言い訳を始めたように見えた。


 そんな必死の耳打ちを聞いているうちに、高橋の顔は、般若のような怒りの形相から「えっ!?」というマヌケな驚きの表情へと一瞬で変化した。


 ――おいおい、高橋。お前、顔に出すぎだろ。


 俺が心の中でツッコミを入れた、まさにその刹那だった。


  あさひの背後にいるのが『最愛の彼女の実の母親』なのだと100%理解した高橋は、次の瞬間、まるで映画のカメラが回ったかのように劇的なスピードで、いつもの「完璧で有能な大人の男」のキリッとした顔を顔面に完璧に決め込んだ。


 そして、それまでの取り乱しっぷりが嘘だったかのように、堂々とした、一切の無駄のない洗練された足取りで、こちらに向かって真っ直ぐに歩いてきた。


 窓から差し込む九月の朝の光を背負いながら、芸能人かと思うほどの完璧な営業スマイルを浮かべて進撃してくる悪友の姿。

 そのすぐ後ろからは、あさひが「さあ、どうなるかな」と、完全に面白がりながら嬉しそうに付いてきている。


 俺とお母さまのすぐ目の前で、高橋は一ミリの狂いもなくピタッと綺麗に足を止めた。

 あさひはその広い肩の後ろから、いたずらっ子のような瞳をキラキラ輝かせてこちらを覗き込んでいる。


 高橋は衣服をスマートに整え直すと、フロア中に響き渡るような、抑揚のある完璧な大人の美声を惜しげもなく披露した。


「初めまして。――あさひさんと、真剣にお付き合いをさせていただいております、高橋斗真と申します。以後、お見知り置きを。よろしくお願いします」


 そう言って、高橋は背筋を綺麗に折り曲げ、お手本のように美しい角度で、深々と頭を下げてみせたのだ。


 それまで、不審者を見るような目で見ていたお母さまが、「あらぁ……!」と、その眩しいイケメンオーラに一瞬で頬を柔らかく染めるのがすぐ横で見えた。


 そう、俺は心の中で激しい大絶叫を上げていた。


 ズルいってそれはお前っ!!  

完全にいいとこ取りじゃねーかっ!!


 


 

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