対峙
重厚な扉が開くと、白髪の混じった上品な高級スーツを纏う六十代くらいの男性が、豪華な革張りのソファからゆっくりと立ち上がり、大人の余裕を感じさせる笑みを浮かべてこちらに近付いてきた。
おそらく、このビルの一番天辺に君臨する、取締役社長の菱原だろう。
「今日は遠いところをわざわざお越しいただき、誠にありがとうございます。
取締役社長の菱原です。どうぞ、お疲れでしょうからお掛けください」
高橋と俺は「失礼します」と短くビジネスマナー通りの挨拶を交わし、言われるがままにふかふかの高級ローソファへと腰を下ろした。
それを確認するようにして、菱原社長と、あの七三に固めた秘書の小柳も、テーブルを挟んだ反対側のソファへと静かに腰を下ろす。
あー……秘書も一緒に座るんだな。ドラマとかのイメージだと、秘書は社長の斜め後ろにピシッと直立不動でノートを持って立ってるイメージだったから、なんだか少し新鮮……
そんなことを考えていると、ドアが静かに開いて、若い事務の女性社員らしき人が、ガラステーブルの上に上品な湯呑みに入った四人分のお茶を丁寧に運んで来た。
淹れたての日本茶の香ばしい匂が香りが、張り詰めた部屋の空気にふわりと広がる。
いやぁ……男の七三秘書より、絶対にこっちの可愛い女の子の方が秘書っぽくて華があるのになぁ……
と、その女性の姿をぼんやりと眺めていると、運悪くあちらの綺麗な瞳とバチッと目が合ってしまった。
俺は心の中で「しまった」と焦り、慌ててビジネス用の営業スマイルでペコッと小さく会釈を返すのだった。
そんな俺の下心を知ってか知らずか、隣に座る高橋が、いつになく低く落ち着いた、ドスの利いた声で本題を話し出した。
「さて、本日こうして突然、御社を訪問させていただいた件ですが……」
だが、あいつが核心を切り出そうとしたその瞬間、
社長の隣に座る秘書の小柳が、眼鏡の奥の冷たい目線でこちらを射抜くように見つめながら、一切の抑揚のない、温度のない声で言葉を発して高橋の声を遮った。
「高橋様。そのお話ですが……それは、何かの言いがかりとか、御社側のただの勘違いという可能性はないんですか?」
いきなり投げつけられた、冷徹な大人の先制パンチ。
高橋は言われた瞬間、ピタリと話を止めた。
だが、高橋は怯むどころか、次の瞬間、その唇の端を吊り上げてフッと余裕の笑みを浮かべてみせた。
――あ。この笑顔、俺はよく知っている。
不敵に、獰猛に輝く悪友の瞳。
これは、営業部のコンペでも、プライベートの修羅場でも、この男が「手の中に勝機を握っている時」にだけ見せる、絶対的な王の顔だ……!!
「小柳さん。あなたは、本気でそう思われているんですか?」
高橋の、地を這うような低い言葉。
その一言が放たれた瞬間、小柳の完璧に整えられていた眉が、ピクッと不自然に大きく動いた。
そしてほんの一瞬だが、眼鏡の奥の黒い目が泳ぐのを、俺は見逃さなかった。
高橋は穏やかな口調で、淡々と相手を追い詰めていく。
「もし、御社が本当にただの『言いがかり』や『勘違い』だと思われているなら……私たちは今、セキュリティのゲートを通り抜けて、ここに入って来られてはいませんよね?
わざわざ、大企業のトップである菱原社長に、こんな急な面会のために時間を作らせたりしませんよね?」
小柳が完全に痛いところを突かれ、ぐうの音も出ずに口をつぐんだのを確かめると、高橋はあいつの逃げ道を塞ぐように、容赦なくその上に言葉を重ねた。
「私が、このデータ流出の件を秘書のあなたに最初に電話で連絡した際、あなたは『一度確認して、折り返し連絡する』と言われました。
そして、それから正確に三十分後、あなたから『社長室で会う』と連絡がありました。
……その三十分の間に、あなた自身で確認したのでしょう? 御社の共有サーバーの中に、本当に我が営業所のプロット番号付きの顧客データが眠っているのかどうかを」
高橋はここで、ふうっと呼吸を深く吐き出した。そして、テーブルの上に両肘をつき、組んだ指先の上から、最大の罠を仕掛けた笑顔を微笑む。
「それとも小柳さん。あなたはさっきの三十分の間に、データの存在を確認し、焦って、もうサーバーの中からその顧客データを綺麗に消去されましたか?」
エアコンの低い音だけが、広大な社長室の天井に静かに響き渡る。
データを消したとしても、その『削除ログの痕跡』は残るだろう。もし否定されれば、それを『やましいことがないのなら見せてくれ』、と言えばいいのだ。




