あなたが犯人だったんですね。
「立石、さん……っ! 」
普段の静かなオフィスであれば、廊下を歩く誰かの足音くらいは絶対に気づけていたはずだった。
だが、今の俺は画面にかぶりつくように五感を全てログ解析に集中させていたせいで、立石さんがこんなにも近く、俺のすぐ真後ろまで忍び寄ってきていたことに、全く気づく余地もなかったのだ。
薄暗いフロアの中、立石さんの四角い眼鏡のレンズに、パソコンの液晶が放つブルーの冷たい証拠画面が、青白く光ってくっきりと反射している。
その瞳を見るまでもない。そのレンズの反射を見ただけで、自分がここで調べ上げていたことの全てが、もう筒抜けになってしまったのだと直感で悟った。
「立石さん……どういうことですか、これ……。
何かの間違いですよね……?」
頼むから、嘘をついてくれ。苦しい言い訳でも、大声の怒声でも何でもいいから、全力で俺の疑惑を全否定して誤魔化してくれ――。
今の俺は、立石さんがそう言ってくれさえすれば、どんなに不自然な嘘であっても喜んで信じていただろう。むしろ、心の底からそれを願っていた。
だって、この男は――大学時代に同性愛者として傷つけられた藤田の暗い過去を、社内の誰よりも心配し、不器用な態度の裏で必死に盾になって守ってくれた、世界で一番優しくて真面目な人なのだ。
仕事だって完璧にこなすし、他の事務員たちからの信頼も誰よりも厚い。
最初は、冷たくて近寄りがたい人だと思った。だけど、藤田の件を経て少しずつその内面を知っていくうちに、俺にとって立石さんは、この営業所で絶対に信頼できる大切な『仲間』の一人になっていたのだ。
立石さんは、眼鏡の奥の細い目をさらに冷酷に細めた。
「どういうって……画面に映っている通りですよ。成瀬さんが一番よく分かっているんじゃないですか?」
感情の一切乗っていない、ひどく平坦な声。
俺はデスクにしがみつくように寄りかかっていた身体をどうにか起こし、立石さんの眼鏡の奥の瞳を、しっかりと正面から捉えて必死に食い下がった。
「否定……しないんですね」
「もう、ここまで完璧に証拠を揃えられてバレちゃったら、仕方ないじゃないですか」
「で、でもっ! 誰かが立石さんのICカードを盗み見て、ログインIDとパスワードを勝手に使って犯行に及んだ可能性だって、まだゼロじゃない!
あんたが自分でやったっていう証拠には――」
言い終わる前に立石さんが声を上げて笑った。
「ハハッ……! 成瀬さん、あなた自分が何を言ってるかわかってるんですか?
犯人に、『こんな言い訳がある』って教えてるようなもんじゃないですか」
立石さんはおもむろに右手を伸ばすと、細い指先で眼鏡のブリッジをクイ、といつもの真面目な仕草で静かに押し上げた。その鉄面皮のような無表情の唇の両端が、見たこともないほど歪に、不敵に吊り上がっていく。
「成瀬さん、あなた、本当にいい人ですね。いや、お人好しと言った方が正確か……」
立石さんから放たれる、鉄面皮の裏に隠されていた底知れない悪意の迫力に、俺は喉が完全に押し潰されそうになっていた。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
俺は奥歯を噛み締め、閉じてしまっていた口を無理やりこじ開けるようにして、悲痛な声を絞り出した。
「でも……なんでなんだよ、立石さん!? なんでこんな最悪なことを……。
そこまでして、大金が必要になる切実な理由があったんですか……!?」
頼むから、病気の家族を救うためだったとか、悪い人に脅されていたとか、どうしようもない悲劇の理由を言ってくれ――。
俺のその哀れなすがりつきの視線を受け止めた瞬間、立石さんは眼鏡の奥の瞳を冷たく光らせ、低く、意地悪く呟いた。
「……『病気の高齢の親の治療費のため』……とでも、私が言えば、あなたはそれで満足して涙でも流してくれるんですか?」
「え……? 本当に、そうだったんですか……!?」
一瞬だけ差し込んだ「同情の光」に、俺がハッとして身を乗り出しかけた、その瞬間。
立石さんはおもむろに、天井に向かって「ハハッ……!」と、フロア中に響き渡るような乾いた声を上げて激しく嘲笑した。
「そんな訳ないじゃないですか。バカバカしい。ドラマや小説じゃあるまいし」
笑い終えたその顔からは、一瞬にして一切の感情の温度が消え去り、冷酷な鉄面皮へと戻っていく。
「成瀬さん、あなた普段からちゃんとニュースを見ていますか?
『病気の健気な家族のために、涙を流しながら犯罪に手を染めました』なんていう可哀想な犯人、現実の世界で一度でも見たことがありますか?
ないでしょう? テレビに映る犯罪者の動機なんて、大抵は『自分の遊び金欲しさ』の底なしの強欲ですよ。俺だって、それらのニュースに転がっている有象無象のクズと全く同じ様なものです。
スマホで手軽にできるネットギャンブルにドハマりしてさ、気付いた時には給料じゃ絶対に返せない額の借金が膨らんで、まとまった現金が必要になった。それだけですよ」
一切の悪びれもない、あまりにも淡々とした、平然たる白状。
藤田を不器用な優しさで守ってくれたあの尊敬できる先輩の姿は、この醜い、底なしの欲望をオフィスでカモフラージュするための、ただの薄っぺらい『仮面』に過ぎなかったのか?
液晶画面のブルーの光のなか、目の前に立っている男が、完全に自分の知らない「化け物」の姿に変わっていく恐怖に、俺の全身の毛穴から冷たい脂汗が一気に吹き出していた。




