【42話】風見鶏
焼菓子を納品するようになってから、数週間が経っていた。
最初に思っていたより、ちゃんと続いている。
店の営業をしながらでも無理はない量だったし、焼菓子の回収も売上の受け渡しも、全部配達員が来てくれる。
だから、私はほとんどいつも通り過ごしていた。
朝に焼いて。
箱に詰めて。
配達員へ渡す。
それだけだ。
どんな風に売られているのかも、私は知らない。
ある日の朝。
焼き上がった焼菓子を箱へ詰めながら、ふと手が止まった。
「……どんな感じなんだろ」
小さく呟く。
今さらと言えば今さらだった。
でも、急に気になった。
どんな店なんだろう。
ちゃんと並んでいるんだろうか。
誰かが買ってくれているんだろうか。
私は棚の引き出しを開ける。
中には、前に行商人から渡された地図が入っていた。
少し雑な手描きの地図。
『近く通ったらぜひ!』
と勢いよく書かれている。
私はそれを見て少し笑う。
「……行ってみるか」
思いつきだった。
でも、たまにはいい気がした。
昼前には店を出る。
春の風はまだ少し冷たい。
けれど歩くにはちょうどいい気温だった。
知らない道を歩く。
いつもの街より少し人が多い。
行商人の地図を見ながら曲がり角を探していると、小さな看板が目に入った。
『風見鶏』
木製の落ち着いた看板だった。
私は足を止める。
ここらしい。
思っていたより静かな店だ。
私は小さく息を吐いてから扉を開けた。
控えめな鈴の音が鳴る。
店の中には焼菓子や茶葉、雑貨が並んでいた。
木の棚。
柔らかい光。
落ち着いた空気。
そして、その一角に見覚えのある焼菓子が並んでいた。
私が作ったものだ。
なんだか少し不思議な気分になる。
自分の店以外で見ると、別のものみたいだった。
「いらっしゃいませ」
声がして顔を上げる。
奥から出てきたのは、落ち着いた雰囲気の男性だった。
年齢はよく分からない。
静かな人だ。
行商人とは真逆だった。
「……こんにちは」
「どうぞ、ごゆっくり」
柔らかい口調だった。
私は少し店の中を見回してから、焼菓子の並ぶ棚を見る。
綺麗に並べられていた。
値札まで丁寧だ。
「あの」
私が声を掛けると、店主はこちらを見る。
「この焼菓子、置いてもらってる店の者です」
店主は一瞬だけ目を丸くしたあと、小さく笑った。
「なるほど。彼から話は聞いています」
“彼”で通じるのが少し可笑しい。
「楽しい人ですよね」
「ええ。とても」
店主は静かに頷いた。
その反応に、私は少し笑ってしまう。
なんとなく話しやすい人だった。
「実際に店を見るの、初めてで」
「気になりましたか?」
「少し」
私は正直に答える。
店主は棚へ視線を向けた。
「評判はいいですよ」
「そうですか」
「特に紅茶と一緒に買っていく方が多いですね」
その時、扉の鈴が鳴った。
女性客が二人入ってくる。
私は少し横へ避けた。
「この前の焼菓子、まだあります?」
「ありますよ」
店主が棚を示す。
二人は迷わず焼菓子を手に取った。
「あ、これ好きなんですよね」
「分かる。紅茶に合う」
自然な会話だった。
特別な熱量ではない。
でも、その“いつもの感じ”が妙に嬉しかった。
私はその様子を静かに見ている。
知らない場所で。
知らない人が。
自分の作ったものを当たり前みたいに選んでいる。
不思議な感覚だった。
収穫祭の時みたいな賑やかさはない。
でも、これはこれで嬉しい。
生活の中に混ざっている感じがした。
私は小さく息を吐く。
「……なんか、変な感じですね」
店主が少し首を傾げる。
「自分の作ったものが、自分の知らない場所にあるの」
店主は静かに笑った。
「いい意味で?」
私は少し考えてから頷く。
「たぶん」
帰る頃には、外の風が少し暖かくなっていた。
私は店を出る前にもう一度だけ棚を見る。
並んだ焼菓子。
知らない街。
知らない人たち。
でも、少しだけ繋がっている。
「また来ます」
そう言うと、店主は穏やかに頷いた。
「いつでもどうぞ」
私は店を出て、春の道をゆっくり歩き出す。
少し遠くまで、自分の作ったものが届いている。
そのことが、不思議と心地よかった。




