【41話】少しだけ外へ
春になってから、店の窓を開けている時間が増えた。
風が気持ちいい。
冬の冷たさとは違う、柔らかい空気が店の中をゆっくり通り抜けていく。
昼下がりの店内は静かだった。
私はカウンターの奥で、積み上がった本を見つめる。
冬の間に増えた本だ。
料理の本。
植物図鑑。
街でなんとなく買った小説。
旅の記録みたいな本まである。
「……さすがに増えすぎたな」
部屋の棚はもういっぱいだった。
机の上にも積まれている。
私は少し考えて、それから何冊か抱えて店へ下りた。
窓際の空いた棚を軽く拭く。
そこへ本を並べてみる。
植物の本。
薄い短編集。
古い料理本。
旅の話。
統一感はない。
でも不思議と店には馴染んでいた。
私は少し離れて棚を見る。
「……まあ、いいか」
特に理由はない。
ただ、置く場所が欲しかっただけだ。
読みたい人がいれば読むだろうし、読まなくても別に構わない。
私はそのまま一冊だけ表向きに置いた。
最近読んでいた旅の本だった。
なんとなく。
本当に、それだけだった。
数日後。
店を開けると、窓際の本の位置が少し変わっていた。
昨日とは違う並び方。
誰かが読んだらしい。
私はそのまま元に戻そうとして、少し迷う。
……別にいいか。
そのままにしておいた。
また別の日には、植物図鑑に栞が挟まっていた。
短編集を読んでいる客もいた。
静かな店内で、ページをめくる音だけが聞こえる時間が増えていく。
不思議と、その空気は嫌じゃなかった。
むしろ落ち着く。
以前なら、長居されると少し落ち着かなかった気がする。
でも今は、本を読みながらゆっくり紅茶を飲んでいる客を見ると、なんだか安心した。
その時、扉の鈴が鳴る。
「先生ー!」
聞き慣れた声だった。
私は苦笑しながら顔を上げる。
「こんにちは」
「こんにちはじゃないですよ! 聞いてください!」
行商人は勢いよく席へ座った。
相変わらず元気だ。
私は紅茶を淹れながら、「今日は何ですか」と聞く。
「実はですね、近くの街で友人が店を始めるんですよ!」
「へぇ」
「それで! 先生の焼菓子を置かせてもらえないかって話になりまして!」
私はカップを置く手を少し止めた。
「……私の?」
「はい! 絶対人気出ますって!」
行商人は満面の笑みだ。
私は少し考える。
店の外で売る。
少し前の私なら、たぶんすぐ断っていた。
面倒そうだし、失敗するかもしれない。
作れる量にも限界がある。
私は黙ったまま、窓際を見る。
客が一人、本を読みながら紅茶を飲んでいた。
静かな時間。
春の風。
ふと、収穫祭のことを思い出す。
忙しかった。
人も多かった。
仕込みばかりしていた気がする。
でも。
「美味しい」
そう言ってもらえるのは、思っていたより嬉しかった。
また食べたいと言われるのも。
並んでまで買ってくれる人がいるのも。
大変だったのに、不思議と嫌じゃなかった。
むしろ、少し楽しかった。
私は小さく息を吐く。
「……少しだけなら」
行商人の顔がぱっと明るくなる。
「本当ですか!?」
「ただし、無理しない範囲でです」
私はすぐに言い添える。
「そんなに大量には作れませんし、店の営業優先なので」
以前の私なら、“断る理由”を探していた。
でも今は違う。
どうしたら無理なく出来るかを考えている。
その変化に、自分でも少し驚いた。
「もちろんです! いやぁ、絶対喜びますよ!」
行商人は嬉しそうに何度も頷いている。
私は苦笑しながら紅茶を飲む。
「まだ何を出すかも決めてませんよ」
「先生なら何でも人気ですって!」
それは言い過ぎだと思う。
でも、悪い気分ではなかった。
行商人が帰ったあと、私は窓際の棚を見る。
旅の本は、また少し位置が変わっていた。
誰かが読んだのだろう。
私は棚へ近づいて、本を一冊戻しながら小さく息を吐く。
少し前まで、この店は“自分が生きるための場所”だった。
でも今は。
ここで過ごす時間を誰かと分け合ったり。
作ったものを少し遠くへ届けてみたいと思ったり。
そんなことを、自然に考えている。
私は窓から入る春の風を感じながら、小さく笑った。
「……無理しない程度に、かな」
その声は静かな店の中へ、ゆっくり溶けていった。




