【39話】また始まる季節
朝、窓を開けると、少しだけ暖かい風が入ってきた。
まだ肌寒さは残っている。
けれど、冬の空気とは違った。
私は店の前に立って、小さく息を吐く。
久しぶりの営業日だ。
冬季休業の札を外して、いつもの営業札を掛ける。
それだけなのに、少し緊張した。
「……よし」
気合を入れるみたいに呟いて、私は厨房へ向かう。
今日は久しぶりの営業だ。
だからなのか、朝から妙に楽しかった。
焼菓子を焼く。
プリンを冷やす。
軽い食事用のスープも作る。
パンも切る。
気づけば厨房の机がかなり埋まっていた。
「……ちょっと作りすぎた?」
口ではそう言いながら、そこまで困ってはいない。
むしろ楽しい。
甘い匂いと湯気のある店内は、久しぶりなのに妙に落ち着いた。
冬の間、静かな時間をたくさん過ごした。
本を読んで、ぼんやりして、雪を眺めて。
それはそれで悪くなかった。
でも今は、人が来るかもしれない店の空気が少し嬉しい。
開店時間になり、私は扉を開けた。
春前の風が少しだけ入り込む。
……そして。
誰も来なかった。
しばらく。
私はカウンターに頬杖をつきながら、静かな店内を見回す。
外を歩く人はいる。
でも、この店まで入ってくる人は少ない。
「まあ、そんなものか」
久しぶりの営業日だからといって、急に人が増えるわけでもないらしい。
私は苦笑いして、焼き上がった焼菓子を並べ直す。
昼を少し過ぎた頃、ようやく最初の客が来た。
近くに住んでいると言う年配の女性だった。
「開いてたのねぇ」
「今日から再開です」
「待ってた人、多いと思うわよ」
そう言いながら笑う。
私は焼菓子と紅茶を出して、少しだけ話をした。
雪が多かったこと。
今年は春が早そうなこと。
市場に人が戻ってきたこと。
本当に些細な話。
でも、不思議と楽しかった。
次に来たのは、荷物を抱えた男性だった。
仕事の途中らしく、温かいスープを頼んで、静かに食べていく。
帰る前に、
「やっぱり、ここ落ち着きますね」
とだけ言って店を出ていった。
私はその言葉を、なんとなく心の中で繰り返す。
落ち着く。
そう思ってもらえる場所になっていたんだ。
前の私は、人と関わるのが得意じゃなかった。
疲れることの方が多かった気がする。
でも今は違う。
誰かと少し話して、温かいものを出して、ゆっくり時間が流れる。
そういうことを、ちゃんと楽しいと思えていた。
扉の鈴が鳴る。
顔を上げると、見慣れた二人が立っていた。
「久しぶり」
ミアがいつも通り短く言う。
「営業再開、おめでとうございます」
ルゥは柔らかく笑った。
「二人とも、久しぶり」
そう返しながら、私は少し笑う。
なんだか、本当に春が来た気がした。
ミアは店内を見回して、それから机の上を見る。
焼菓子。
プリン。
スープ。
並びすぎている料理。
「……多い」
「やっぱりそう思う?」
「気合が入っていますね」
ルゥがくすっと笑う。
少し恥ずかしくなって、私は視線を逸らした。
「久しぶりだったから、つい」
「いい匂い」
ミアが即座に言う。
その言葉に、また少し笑ってしまう。
二人に紅茶を出して、焼菓子を並べる。
店の中は相変わらず静かだった。
満席になるわけでもない。
大繁盛でもない。
でも、それで十分な気がした。
三人で冬の話をする。
雪の話。
最近の話。
春になったら何をするか。
ミアから貰った星灯花の種の話もした。
「ちゃんと咲く」
ミアが言う。
「楽しみですね」
ルゥも頷く。
その空気が心地よかった。
気づけば、窓から入る風も少し柔らかくなっている。
春が近い。
私は紅茶を飲みながら、ぼんやりそう思った。
閉店後。
残った焼菓子とプリンを見て、私は苦笑いする。
作りすぎた。
明日も出そう。
でも、不思議と失敗した気分ではなかった。
静かな営業日だった。
客も少なかった。
けれど。
久しぶりに人と話して、
笑って、
同じ時間を過ごして。
それが思っていたより、ずっと楽しかった。
私は片付けをしながら、小さく息を吐く。
窓の外には、冬の終わりみたいな夜風が吹いていた。
また、季節が始まろうとしていた。




