【29話】冷たい甘さと残るもの
夏の熱は、まだ庭の席にしつこく残っていた。
けれど朝と夕方だけは、ほんの少しだけ空気の輪郭が柔らかくなってきている。
私は奥の小さな冷却器具を見た。
霜結晶はすでに役目を終えかけているのか、静かに光を落としていた。
その中には、いくつかの小さな器に分けた“冷たい甘さ”が残っている。
(……思ったより、ちゃんと形になったな)
牛乳、はちみつ、果実、ハーブ。
試行錯誤の跡が、そのまま味になっている。
「……少し、店で出してみましょうか」
誰に言うでもないまま、そう決めた。
翌日。
庭先の小さな札に、簡単な文字を書く。
冷たい甘いもの(試作)
それだけ。
宣伝というほどでもない。
でも、今のこの店にはそれで十分だった。
最初に来たお客さんが尋ねる。
「……これ、新しいやつですか」
「はい。試しですけど」
一口食べたあと、その人は少しだけ間を置く。
「……なんというか、この季節にぴったりですね」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。
次に来たのは老齢の女性だった。
「おや、また面白いこと始めたねぇ」
一口。
そして、少し笑う。
「冷たいのに、ちゃんと優しいねぇ」
その言葉が、妙に残った。
少し遅れて、ミアが来る。
いつも通り短い。
「……これ、いい」
一口だけで、それ以上は言わない。
でも、その一言だけで十分だった。
さらに後から、ルゥがやってくる。
「新しいメニューですか」
「ええ、試作です」
少し迷うようにしてから、一口。
「……冷たいのに、重くないですね」
ルゥは少しだけ考えてから続ける。
「これ、好きです」
その言葉に、私は小さく笑う。
「ありがとうございます」
その日の片付けのあと。
私は机に座って、少しだけぼんやりしていた。
(あれ……)
アイスを作った時にも感じたが、前世で好きだった料理の名前が、出てこない。
作り方も、はっきりしない。
思い出そうとすると、そこだけが霧みたいに薄くなる。
(こんな感じだったかな……)
確かだったはずのものが、手の中で形を失っていく感覚。
私はすぐに紙を取り出した。
思い出せるものから、書いていく。
味。
食感。
ぼんやりとした記憶。
「……これも、冷たくて甘かった気がする」
確信はない。
でも、今書かなければ消えてしまう気がした。
ペンを動かしているうちに、少しだけ胸が締まる。
(思い出も、少しずつなくなっていくのかな)
その考えは、静かに落ちていく。
怖いというより、置いていかれるような感覚だった。
私はふと、庭の方を見る。
ミアが短く笑った顔。
ルゥが少しだけ評価を口にした声。
名もない客が、落ち着くと言った言葉。
(今は、これがある)
前世の記憶が薄れても、ここには確かに残っているものがある。
私はペンを置いて、小さく息を吐いた。
「……今の私はリゼルですから」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
紙をそっと重ねる。
その上に、まだ冷たい空気が少しだけ残っていた。




