【28話】試作。やりすぎには注意。
夏の空気は、まだしぶとく店の庭に居座っていた。
日が傾いても、木陰の湿った熱気はなかなか引かない。
私はカップを拭きながら、ふと昼間の会話を思い出す。
「ないことはないですね。ただ、かなり高いですよ」
行商人が言っていた、冷却器具の話。
その中心に使われるもの――霜結晶。
白く透き通った、小さな鉱石のようなそれを消費して“冷たさ”を生み出すらしい。
(冷たいものって、やっぱり簡単じゃないんだな)
そう思いながらも、胸のどこかで別の声がする。
(でも、やってみたい)
前の世界ではずっとどこかで線を引いていた気がする。
これは無理だろう。
これは贅沢だろう。
これは必要ないだろう。
でも――
やりたいと思ったことを、全部やめる必要はないのかもしれない
私は小さく息を吐いて、決めた。
「……買います」
行商人は一瞬だけ目を丸くしたあと、いつもの調子に戻る。
「毎度ありがとうございます」
その軽さが、逆に現実味を持っていた。
数日後。
店の奥に、小さな器具が運び込まれた。
金属と石が組み合わさった、静かな箱のようなもの。
霜結晶を差し込むと、ほんのりと空気が変わる。
熱が引いていくような、妙な静けさ。
これが冷やすってことなんだ。
私はしばらく、それを見つめていた。
試作開始。
牛乳を用意する。
はちみつを少しずつ落とす。
果実を刻み、ハーブを選ぶ。
気づけば、前世の記憶は少しずつ曖昧になっていた。はっきり覚えていたはずのことが、今では感覚だけになっている。
名前も、正確な作り方も思い出せない。
でも、“冷たくて甘いもの”の感覚だけは残っている。
(これに近いはず……)
混ぜる。
冷やす。
待つ。
少しずつ固まっていく感触に、胸がわずかに高鳴る。
一口。
「……あ、これ」
思わず声が出た。
冷たさの中に、はちみつの柔らかい甘さがある。
あとからハーブの香りがふわりと追いかけてくる。
(思ったより、ちゃんと“それっぽい”)
もう一口。
今度は果実を増やしたもの。
「……こっちもいいですね」
自然に独り言が出る。
気づけば、次の組み合わせを考えていた。
(ハーブを変えたらどうなるかな)
(蜂蜜の種類を変えたら?)
(果物を先に冷やしたら?)
試したいことが、止まらない。
気づけば、皿がいくつも並んでいた。
どれも少しずつ違う。でも全部冷たいもの。
「……やりすぎましたね」
私は椅子に座り込む。
お腹が冷たい。
頭が少しぼんやりする。
明らかに食べ過ぎだった。
でも、不思議と後悔はなかった。
(楽しかったな……)
静かな店の奥で、器具はまだ小さく音を立てている。
霜結晶がゆっくりと熱を吸っている音。
私はそれを見ながら、少しだけ笑う。
「まあ……ほどほどに、ですね」
そう言いながらも、頭の中ではもう次の配合を考えていた。




