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二度目の人生は「ゆるりと」生きることに決めました  作者:


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【21話】自分のための時間

その日は、風がやわらかかった。


春も少しずつ深まって、庭の花壇はこの前の騒ぎが嘘みたいに落ち着いている。

森うさぎ対策の小さな柵も、思ったよりちゃんと役に立っていた。


私は庭先の席を拭いて、それから新しく芽吹いた葉をひとつ眺める。


少しずつ。

本当に少しずつだけど。

育っている。


——からん。


「……こんにちは」


扉の音と一緒に聞こえた声は、少し控えめだった。


「こんにちは」


振り向くと、そこにいたのは初めて見る女性。

年齢は、たぶん私よりずっと上。

白いものが混じる髪をきれいにまとめていて、服装も丁寧だけど、どこか少しだけ疲れて見えた。


「おすすめ、いただけるかしら」


「もちろんです」


私は窓際の席を勧めようとして。

でも、その人の視線が庭に向いていることに気づく。


「あの……もしよければ、庭先のお席も」


女性は少しだけ驚いたあと、やわらかく笑った。


「……じゃあ、せっかくだから」


庭先の席。

花壇の見える場所。


お茶を淹れて運ぶと、その人はしばらく何も言わず、庭を見ていた。


「きれいね」


「ありがとうございます」


「あなたが?」


「はい。まだ、そんなに上手じゃないですけど」


「……そう」


その“そう”は、ただの相槌じゃない気がした。


「私も昔、庭で花を育てていたの」


ぽつり、と。

花を見るみたいに、少し遠くを見る声。


「昔?」


「ええ」


その人はカップを包むように持つ。


「夫が花を好きで。子どもたちもいたから、庭はいつも賑やかだったわ」


やわらかい声だった。

懐かしむみたいに。


「季節ごとに植えるものを変えて。忙しかったけど、毎日やることがあって」


「……素敵ですね」


「そうね。たぶん、素敵だったの」


“だった”。


少しだけ、風が吹く。


「でも、夫は先にいってしまって」


私は、何も言わない。


「子どもたちも、それぞれ遠くで暮らしてる」


その人は少し笑った。

困ったみたいな、寂しいみたいな。


「ちゃんと幸せなのよ。みんな」


「……はい」


「だから、いいの。いいはずなの」


言い聞かせるみたいだった。


「でもね」


その人は庭を見る。


「急に、時間ができてしまって」


「……」


「今までずっと、誰かのために何かしていたのに」


花に水をやって。

ごはんを作って。

洗濯をして。

見送って。

迎えて。


「自分のために何をしたいのか、わからなくなってしまったの」


その言葉は、静かだった。

でも、少しだけ胸に残った。


わかる、なんて簡単には言えない。

きっと、私とは違う。

違うけど。


“気づけば、自分の時間がわからない”。


少しだけ。

本当に少しだけ。


「……私も」


気づけば、言葉が出ていた。


「前は、少し似た感じでした」


女性がこちらを見る。


「自分のことは後回しで」


前世。

忙しくて。

追われて。

毎日を終わらせるだけで精一杯だった。


「気づいたら、自分が何をしたいか、よくわからなくなってました」


女性は、少しだけ目を丸くして。


それから、やわらかく笑った。


「……あなたも?」


「はい」


なんだか少し、不思議だった。

年齢も、生き方も、きっと全然違うのに。


“わからない”だけが、少し似ている。


そこへ。


「こんにちは!」


ルゥ。


「こんにちは」


ミアも。


いつもの二人がやってきて、でも空気を読んだのか、少しだけ静かだった。


「……お花、好き?」


ミアが女性に聞く。


「え?」


「花壇、見る」


「ああ……ええ。好きよ」


ミアは花壇の端を指さした。


「これ、育てやすい」


「……まあ」


「こっちは香り」


気づけば、ミアが花の説明をしていた。

少しだけ不器用に。


ルゥも、小さく笑って。


「私、最近ちょっとだけ編み物だけじゃなくて庭も気になってるんです」


「……そうなのね」


ほんの少し。

本当に少しだけ。

その人の顔が、来たときよりやわらかく見えた。


帰るころ。


「……ありがとう」


「いえ」


その人は花壇を見て、それから私を見る。


「久しぶりに少しだけ、庭を見てみようかしら」


「……はい」


私は、少し笑う。


「たぶん、いいと思います」


その人は、小さく頷いて帰っていった。


それから、しばらくして。


——からん。


また、その人は来た。


「こんにちは」


「こんにちは」


前より少しだけ、顔色が明るい。


「これ、よかったら」


差し出されたのは、小さな布の袋。


「……これは?」


「サシェ」


ふわり、と。

やさしい香り。


「庭に残っていた花を少し使ってみたの」


「……」


私は、そっと受け取る。


「家の庭、少しだけ整えてみたわ」


「はい」


「まだ少しだけど、咲いた花もあって」


その人は、少し照れくさそうに笑った。


「せっかくだから、香りも残してみようと思って」


ルゥが目を輝かせる。


「すてきです……!」


ミアもサシェを見て。


「いい匂い」


「ありがとう」


その“ありがとう”は、前より少し軽かった。


なくしたものは、戻らない。

前と同じにも、ならない。


でも。


これから育つものは、あるのかもしれない。


私はサシェを店の窓辺に置く。


やわらかな花の香りが、静かに広がった。


なくしてから始まるものも、きっとある。


誰かのためだった時間のあとに。

ようやく、自分のために育てるものも。

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