7
戻ってきたカフェは、すごい賑わいを見せていた。
「あ、おかえりー」
帰ってきた俺を、カフェエプロンを身につけた円香が迎えてくれた。
「案外早かったね。忙しいからまた後で」
円香はそそくさと厨房に引っ込んでしまった。
これまで空席ばかりの店内しか見てこなかったが、今はそのほとんどが埋まっている。
子連れの家族から中年のサラリーマン、俺たちと同じような生徒やお年寄りまで、様々なお客が集まっていた。
「三番テーブル上がりだよー」
厨房から奏太の声が響き、続いて小春が飛び出してきた。
「はい、カプチーノとクラブハウスサンドお待たせでーす」
短いスカートで踊りながら、男性客にこれ以上ないほど輝く営業スマイルを振りまいた。
ふんわり系美少女小春は男を落とすフェロモンでも出ているか、男どもの視線を一挙に引き受けていた。
「あ、優羽先輩やっと帰ってきた! サボってないで手伝ってくださいよ」
「誰がサボってたんだ誰が。呼び出しくらってたんだから仕方ないだろ」
「そんな話どうでもいいですから働いてくださいよ。一応雇われているんですから」
自分から話を振っておいてひどい言い草である。
「それで、何を手伝えばいいんだ?」
上に来ていたシャツを脱いで鞄とともに持つと、葉風が男物のカフェエプロンを持って歩いてきた。
ここに来てからずっとパソコンしか触っている姿しか見てこなかったが、小柄な体系に纏われたカフェエプロンはちょっと不釣り合いだがよく似合っている。
なんか実家の手伝いをしている看板娘のような感じで微笑ましい。
「私はレジ専門。誰かに譲る気はないから他をよろしく」
「お、おう」
確かにこの口べたそうな少女に小春と同じような接客をやれと言ってもそれはハードルが高すぎる。
「まあ、先輩は適当にホールか、とりあえずは皿洗いってところじゃないですかー?」
まあベタにその辺りだろう。
奏太のようにコーヒーをおいしくできるわけがないし、葉月がレジにいなくても操作がいきなりわかるはずもない。
「ならとりあえず、皿洗いでもやるよ。ホールで必要なことがあれば呼んでくれ」
俺はカフェエプロンを手に厨房へと入っていった。
「ああ優羽、帰ってたんだ」
厨房で調理をしていた奏太が俺に気づいて振り返る。
「ほいほい通るよー」
円香が湯気の上がるナポリタンを手にホールへ飛びだしていく。
「ついさっきな。皿洗いでも雑用でも手伝うから何でも言ってくれ」
「まじめだね。律儀に手伝うなんて」
「これでも仮雇用中だからな」
厨房はホールとは隔てられた造りとなっており、ホールからは二カ所 の通路で繋がっている。
奏太は現在このばたばたしている厨房を一人で切り盛りしているようだ。
切りそろえて野菜とハムをサンドウィッチ用に薄く切られたパンで挟みながら、奏太は流しに積まれた皿に目を向ける。
「それなら、とりあえず食器を洗ってもらえるかな。そろそろ足りなくなりそうだったんだ」
「わかった。着替えたいんだけど、どこで着替えればいい?」
「それなら上で着替えてくるといいよ」
「上? どこから上がれば?」
「もうじれったいですね。あっちですよあっち!」
後ろから拳で腰をど突かれた。
「着いてきてください」
小春は俺の脇を通り過ぎると、厨房よりさらに奥に入っていった。
促されるまま歩いていくと、奥が階段になっており、二階へと上がれるようになっていた。
そう言えばホール側にも階段があった気がするが、あっちは営業中は使わないようにしているのだろう。
二階には二つの部屋があるようだ。
一つは調理器具や材料などを置いておく倉庫で、もう一つが従業員の部屋となっているようだ。
中央に大きな机が隅にロッカーが並び、テレビやパソコンなどが置かれている。
なんか結構自由に使われている部屋のようだ。
「この部屋を使って着替えてください。ロッカーとかも空いているのであれば好きに使ってくれて構いませんので」
「わかった。じゃあロッカーを一つ借りるよ」
俺は持っていた上着と鞄をロッカーに押し込んだ。
着替えようと思い服に手をかけたのだが、入り口付近に立っている小春に目が留まった。
「どうかした?」
小春は小さな顔に浮かぶ宝石のような目をこちらに向けていた。
「優羽先輩はここで働くことにしたんですか?」
「したんですかと言われても、あくまで仮雇用中だからな。店長代理に使い物にならないと言われたら切り捨てられるかも」
その判断基準が接客技術や調理技能なのではなく、もっと別のものに重きを置いているのは間違いないだろう。
小春はかわいらしい笑みを浮かべながら言った。
「円香先輩が私たちと同じ人を見つけ来るなんて、滅多にないことなんですよ。奏太先輩以来ですね。優羽先輩は、まあいい人そうなので、できれば一緒に働きたいから頑張って仕事してください」
「一体俺は何の仕事を頑張ればいいんですかね」
「それは今日みたいな悪行じゃないですか」
「……傷口抉るの止めろよ」
大体店に迷惑がかかるようなことが俺の仕事ってどうなんですかね。業務面では期待されていないってことですか?
つまりはお店の暗部を担うと……なんか中二病っぽいな。
小春は少し寂しそうな目で広い部屋を見た。
「新しい人を雇ったこともあったんですよ。普通に応募して、カフェ要員専門で、ですけど。でも、私も奏太先輩も、葉月ちゃんも、円香先輩も、皆色々抱えてますから、うまくなじめないんですよね。どうしても、上辺だけの付き合いになるっていうか」
「俺には本音で話してくれてるって理解してもいいのかな?」
俺の問いに、小春はきょとんと首を傾げたが、途端に打って変わって意地悪な笑みに変えた。
「うぬぼれないでください。先輩みたいな悪い人には、ちょっと言い過ぎてもいいかなって思えるだけです」
ただ、と前打って小春は言う。
「私、本当に男の人はダメなんです。苦手とか嫌いとかじゃなくて、恐怖の対象なんです」
小春の瞳に、一瞬闇が降りた。
黒く冷たい、覚えのある深み。
「襲われたことがあるんですよ。何人もの男の人たちに」
それが、ただ殴る蹴るだけではないことは、容易にわかった。
「男の人たちって、本当に怖いですよね。子どもで女の力なんて、本当に敵わなくて。あれ以来、男の人はずっと怖いんです」
だが、すぐにまたかわいい笑みへと変化した。
「だから、あのとき優羽先輩が助けてくれたのは、本当に感謝しています。ありがとうございました」
小春はぺこりと頭を下げてみせる。
「あざといやつだな」
思わず吹き出してしまった。
こいつの本性や抱えているものを通してみると、途端にメッキが剥がれて見えた。
小春は憤慨したように手を振り上げる。
「人がまじめに話しているのになんですか! このバカ! バカ先輩!」
「先輩に向かってバカって言うなバカ小春」
俺は意地悪な笑みを浮かべて返してやる。
「そんなことより小春、早く出てかないとお前の嫌いな男が着替えを始めるぞ。安心しろ。俺は気にしない。妹がいる身としては、お前のような小悪魔が一人いても平然とパンツ一丁になってみせる」
途端に小春が顔を真っ赤に染めた。
「安心できるかアホ! セクハラ先輩! バカアホ!」
小春はそのまま勢いよく部屋を飛び出していった。
足音が下に消えていくまで笑みを保ち、完全に人の気配がなくなると、小さくため息を吐いて笑みを消した。
「助けてくれて、ありがとう、か……」
小春から言われた言葉が、胸の中に違和感のようなものを残していた。
嫌なものではない。
ただ、不可解なものだ。
一人になった部屋で服を脱ぎ、ロッカーに入れる。
俺は、男たちに囲まれていた小春たちを助けた。
しかし、今でもあのときやった行動は、俺のただの自己満足だ。
あの場で、女の子たちが男たちに囲まれているという状況に危険を感じた。
普通に警察を呼ぼうかとも思ったのだ。
だがそれでも、偽善者と罵られる円香たちに、体が勝手に反応して飛び出していた。
高峯先生が言っていた。
善悪の基準など、結局は人が決めるものだと。
全く以てその通りだ。
あの場にあったものは、円香たちの正義、男たちの正義、そして、俺の正義。
たまたま俺の正義が円香たち側に振れていたから、俺は円香たちを助けた。
その選択に後悔はない。
「……」
今それをはっきりと感じている自分に、正直驚いた。
あの場で行ったことは、善い行動だったと、今はわかっている。
それでも、あれは偽善だった。
なぜなら俺は、あの場で事情なんてものを何も知らず、自分の見ている光景が気にくわない。その一点で、男たちを叩きのめした。
正義なんてものは初めから存在しなかった。
ただ、自分がその光景を見ていたくないがために、善い行動をしているように偽り、円香たちを助けた。
その偽善が、俺にとっての後悔になっていない。
カフェエプロンに袖を通しながら、ロッカーの扉にあった鏡に目がとまった。
そこに映る自分は、はっきりと、笑っていた。
久しぶりに見た、自分が笑っている顔に驚いて笑みが崩れた。
「……ははっ」
もう一度笑いがこぼれた。
人前で笑みを作ることはよくあるが、一人になると自然と仮面を外してしまい、いつも鏡に映る自分は作り物のような顔ばかりだった。
それでも、今俺は笑っている。
着替え終えて、部屋にあった大型ミラーで自分の姿を確認する。
えっちらおっちらして初めて着たカフェエプロンは、なんとも似合っていなかった。
「さて、行くか」
それでも、俺は皆が働く一階へと下りていった。




