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「いやー今日の男どもマジうざかったー」

「皆、本当によく口が回るよね。もうちょっと静かにすることとかってできないのかな」

 カフェに現れた小春ちゃんと奏太は口々に毒を吐いている。

「聞いてよ葉風ちゃん。今日の男ね、本当に口がくさいの。息がかかるほどまで近づいて、君を守るよとか恥ずかしげもなく口にするの。初めて会った女の子にいきなりそんなこと言うなんてどう思う?」

「さあ」

 葉月はいつものごとく小春ちゃんの足の上に座らされているが、小春ちゃんの話には耳を貸さずにお気に入りの青いノートパソコンを打鍵している。

 奏太も疲れたようにげっそりとしている。

「ああ、僕は静かにしたいのにどうして周りに人が集まってくるのか。円香、僕の髪を真っ赤に染めれば誰も話しかけてくれないと思わないかな?」

 私服のまま椅子の一つに座り込み、奏太は至って真剣に言ってくる。

「いや、奏太はそのままでいいよ。それに人から好かれるっていうのはいいことなんじゃないかな?」

「別に友達でもない人に親しげにされてもね……」

 奏太はやれやれと言った感じで呟き、立ち上がるとキッチンへと消えていった。

 彼は友達が多いと傍目に見ると思うのだが、奏太本人は自分が友達が多いとは思っていない。というより、周囲の人間を友達と認識していないのだ。ただのクラスメイトとしか思っていない。

 ただそれでも、奏太のカリスマ性は周囲の人間を引き寄せ、あっという間に会話の渦に飲み込んでしまう。

 それが奏太の最も特出した情報収集能力だ。

「ああ、今思い出しても気持ち悪い! 朝の男も昼の男も!」

 小春ちゃんが叫び声を上げながら身をよじらせる。

「男ってどうしてあんなデリカシーないの自分が勝手にかっこいいと思い込んでるのバカなやつばっかりなの!」

 小春ちゃんは見た目は誰もがうらやむ美少女だ。

 その話術や仕草もこれからすぐにキャバクラやクラブに行ってもやっていけるくらいのレベルである。

 ただ、本人は大の男嫌いだ。

 だから毎日それを隠し、調査のたびに男子生徒を籠絡している。

 二人も自分のことを偽善者として認めている。

 それは、奏太がクラスメイトと話をするのも、小春ちゃんが男子生徒から情報を聞き出すのも、全てこちらに打算があり、相手に興味はこれっぽちもないという点にある。

 そういう普通な人間関係を築けない立場にいる。

 根本的にそうなのだと、二人はいつも言っていた。

 それでも、二人とも根本的には自らの善を偽り、自分の偽善を突き通すために活動をしている。

「小春、今日は一段とうるさい……」

 耐えかねたのか、いつも通り葉月は小春ちゃんの元から脱却し、力なく椅子に座り込んでる優羽の元に行った。

 優羽は椅子に脱力して座っており、魂が抜けたように放心状態だった。

「ああ……俺は最低の糞野郎だ……」

 さっきから、ずっと同じようなことを呟いている。

 今日学園であった、天城とかっていう女王様キャラとの一件があってからずっとこの調子だ。

 あれから宮村さんはやり過ぎだと優羽を責めたのだが、優羽は悪いことはしていないと首を縦に振ることをしなかった。

 それからすぐに宮村さんとは別れたのだが、その途端に優羽は落ち込み始めた。

「優羽、なんか元気ない?」

 いつも周りには興味を示さない葉月が珍しく優羽の異変に気づいた。

 パソコンから顔を上げ、優羽の顔を見上げる。

「……ああ、葉月か。そうだな。俺は今日人として最低のことをしてしまった」

 暗い表情のまま、優羽はぽつりぽつりとあったことを話した。

「何それ、別に優羽先輩そんなに悪いことしてないじゃないですか」

 話を聞いていた小春ちゃんがため息を吐きながら言う。

「だって優羽先輩、宮村先輩のことバカにされたんでしょ? だったら怒っても悪くないでしょ。なんでそれでうじうじするんですか? 鬱陶しいんですけど」

 容赦のない言葉に優羽が苦しそうに胸を押さえる。

 小春ちゃんは本心では優羽を励ましているのだろうが、今の優羽にはそれに気づいてあげる余裕はなかったようだ。

「……うう、葉月もそう思うか?」

 葉月は椅子から立ち上がると、優の頭に手を当ててそっと撫でた。

「友達のために怒れるのは、すっごくいいことだと思う。優羽は頑張った」

「そ、そうか……?」

 優羽の目に微かに光が戻り、感極まったように葉月を見返す。

 葉月はしっかりと頷いた。

「うん、でもやっぱり女の子に手を出したのはちょっとひどいとも思う」

 そしてとどめを刺した。

 優羽の目から一瞬にして光が消え失せる。

「ああ、だよねだよね葉月ちゃん! やっぱり最低だよね! もうクズの所業」

 小春ちゃんも葉月に賛成とばかりに声を上げる。

 あんまりな追い打ちに、優羽は膝を抱えて顔を埋めた。

「……もうやだ」

 意外に、メンタルの弱い優羽だった。


    Θ    Θ    Θ


 呻きながら意気消沈していると、ポンと頭を叩かれた。

「いつまでも何へこたれてんのよ。いい加減結果報告するんだからしっかりとしなさい」

 円香は言って、俺の前の席に腰を下ろした。

 すぐ下では葉月がもう俺のことなど眼中にないようにパソコンを叩いている。

 画面には俺が知っている日本語ではなく、プログラム言語のようなものが勢いよく流れていた。

 この中学生、一体何者だよ。

「優羽はこれを少し飲んで落ち着いて」

 横から甘い香りのするミルクコーヒーが差し出された。

「悪いな」

「お安いご用だよ」

 奏太は穏やかに微笑みながら皆にもそれぞれコーヒーを配っていった。

 上座に円香が座り、その隣に俺と葉月、正面に右手から奏太と小春が座る。

「さて、昨日の今日だけど何かわかったことはあるかな?」

 円香が三人に対して問う。

 まず言葉を発したのは小春だ。

「はーい、うざいくさいめんどくさいの三拍子そろった男どもから話を聞いてきました」

「私怨はいいので結果報告をお願いします」 

 円香が苦笑しながら小春に言うと、こくんと頷いた。

「まず、生徒の間でそれなり広まりつつあるらしくって、風紀委員が手を焼いているらしいっす。別に大きな問題にならないから放置しとけっていう人たちもいるらしいですけど、今日私が捕まえた男はのんきすぎると文句を言っていました」

 言動だけ聞けば男遊びが激しい女子高校生にしか見えない。

「何でも裏サイトが出回り初めたのはここ一、二年くらいの間で、開設当初は問題ないただの掲示板だったって話だけど、最近は悪質な書き込みが増えてるらしいです」

 つまり、あの書き込みをしているやつさえいなければ、元から問題になるサイトではなかったということか。

「僕の方でも似たような話を聞いたよ」

 奏太は自分のコーヒーにミルクを入れてかき混ぜながら言った。

「ついこないだまで裏サイトなんて存在は知られてもいなかったのに、最近はそれなりに広まっているらしいね。あと、トラブルの原因にもなっているみたい。名前が挙がってその人の過去が書かれていれば、聞きたくなるのが人情なのかな。うっかり聞いたことにより関係が険悪に、喧嘩に発展したこともあるってさ」

 知られていなければ、当の本人たちも何もなく過ごせただろうと思う。

 人の過去を暴き立て、人生すら破壊しかねない行為は陰湿極まりない。

「そう言えば、金髪女王様も言ってたな。美化委員会の間で噂になっているって、他の委員会にも流れてるんだろうな」

「優羽が暴力を働いた?」

「……葉月、傷口に塩を塗るのを止めようか」

 俺の発言さらりとスルーし、葉月はキーボードの打鍵を止めて視線を上げた。

「私は投稿時間をまとめてみた。するとこんなことになった」

 葉月はキーボードを何度か叩いてディスプレイを切り替えると、全員が見えるようにパソコンを置いた。

 二十四時間の投稿時間をまとめられた時間が棒グラフで表にされていた。

「陽菜は投稿をコピペしてくれていたから、投稿時間や投稿日時まで詳しくわかった」 葉月がまとめたデータは顕著に表れていた。

 投稿時間は夕方辺りに集中していた。

 他にもちらほらあるが、ほとんどは正午を過ぎた辺りから夕方。

 だがそれでも夕方辺りが明らかに多い。

「この情報だけだとなんとも言えないですね。早朝や深夜みたいな人が動いていない時間なら、もうちょっと絞り込める要素になるんですけどね」

「……」

 葉月がじっとと下目を小春に向ける。

「あ、ああ違うの葉月ちゃん! 別に葉月ちゃんに何か言いたかったわけじゃないの!」

 ぷいっと葉月はそっぽを向き、またパソコンを打鍵する業務に戻っていった。

「ああ……」

 小春は手をわなわなと動かした後、泣きそうな表情で俯いた。

 もう反応するのも面倒なので放置しておく。

「えっと葉月、さっきの投稿時間だけじゃなくて、投稿日は表にまとめられるかな。同じ日なら件数も。それと、ID変えてるならそれもまとめてくれる?」

「……できる」

 葉月はキーボードに指を滑らせ、再度ディスプレイを皆に見えるように向けた。

「こんな感じでいい?」

 まとめられたデータは即興とは思えないほど丁寧に作られていた。

 俺はデータに素早く目を通していく。

 投稿日は完全にバラバラだ。百件を超えていることもあるので日が被っているものもあるが、二つの投稿が被っているのが数件、それ以外は一件のみの投稿だ。

 それとIDがそれぞれ違う。見事に不一致ときてる。

「こりゃツールかなんか使ってID変えてるな」

「IDを変えるツールなんてあるの?」

 奏太の質問に俺は頷きながら応える。

「まあ普通の人が使うようなものでないのは確かだけど。IDは日が変われば変わるけど、同じ日の投稿でもIDが違う。複数犯でなければ、ツールじゃないにしてもモデムやルーターを切ったりわざわざ回線を変えたり、なんか対策してんのは間違いないだろ」

「でも、それがなんだっていうんですか? ID変わってるからって、相手がわからなくなっただけじゃないですか」

 葉風に嫌われてしまったためか、投げやりに小春が言う。

「逆に言えば、相手は自分のIDを特定されているのが怖いってことだ。ばれると厄介な立場なのかも」

 ID自体はわりと簡単に変えることができる。

 日が変われば簡単に変わるものなのだ。

 つまり、相手はその辺りのことに神経質になってしまう程度には、裏サイトなどに投稿を行っていることを知られたくないと推測することができる。

「へぇ……優羽先輩って意外に頭いいですか?」

「遠回しにバカにされてないか?」

「ソンナコトナイデスヨー」

 棒読みで応えると小春はぷいっと視線をそらした。

 葉風を取られていることが余程気にくわないらしい。

「いやでも、優羽の着眼点は悪くないね。この情報だけでも少し情報が掴めた。葉月、グッジョブ」

 円香が親指を立てながら葉月をフォローする。

「大したことない」

 葉月は口ではそう答えていたが、口は嬉しそうに緩んでいた。

 円香はコーヒーを一口飲むと、小さく息を吐いた。

「まだ情報が足りないかな。大枠は掴めたけど」

「は? これだけの情報で?」

 俺は驚いて円香に目をやる。

 円香はどや顔でウインクをした。

「伊達にここにじゃじゃ馬たちをまとめているわけではないのですよ」

 なんだかんだでたった一日でしっかりとした情報を集めてきた。

 やり方がちょっとあれだけど。

 小春は女のかわいさを使って徹底的に男を落としにかかっていた。

 それなのに本人は大の男嫌いと来ている。

 奏太は周囲に人を引きつける性格をしている。

 だが集まってくる彼らを友達とは思っておらず、むしろ煩わしく感じているようだ。 二人とも、自らの打算のために本音をひた隠しにし、誰かに接している。

 確かに行いだけで見れば、偽善者と言えなくもない。

 打算や自分の利益を考えて善行をするのは、偽善者の行動に当てはまる。

 でも、釈然としない。

 ここにいる人間が行っていることは、結局は陽菜の依頼のためだ。

 それは、果たして偽善なのだろうか。

「さて、じゃあ今日はこれからカフェを開けようか」

 円香は立ち上がりながら言った。

「え? 今から?」

 てっきりしばらくは陽菜の件を調べるからやらないものだと思っていたが。

「休んでばっかりじゃ、さすがにリピーターも来てくれなくなるからね。現在時刻は午後三時。学生はこれくらいから夜までが忙しくなるけど、大人は夕方辺りから普通に帰り始めるからね。この島での狙い目は大人の仕事終わりの夕方と学生の仕事終わりの七時から八時が狙い目。よく覚えとくように」

「あいあい」

「あ、でも、優羽はとりあえずおつかいね」

「ん? 何か足りないものでもあるのか?」

 仮雇用とはいえ、この期間も給料は発生するらしい。

 だから遊び呆けていることはできない。

 円香は意地悪な目をすると、自らのスマホをこちらに向けた。

「生徒進路指導室の生成から呼び出しがかかってます。お昼の件だね。店長代理の私にも連絡来るんだかんね」

「ええ!?」

 円香に言われて自分のスマホを取り出すと、確かにメールが来ていた。

 絶対に時間までに指定場所に来ること。もし来なければ罰則もあると記載がある。

 完全な呼び出しのメールだ。

「マジか! いや確かにそれくらいのことやったけども!」

 正直めんどくせー!

 生徒指導室なんて呼び出されたことなんて……いや、数え切れないくらいあるな。

 でもだからといって、呼び出されるのはこの上なく気が進まない。

 円香はからからと笑いながらスマホをこれ見よがしに見せつける。

「やっちゃったもんは仕方ないでしょ? 仮雇用と言っても雇っている身だから、こっちにも厄介事は早く処理したいの。さっさと行ってきなさい」

 半ば追い出されるようにしてカフェを出た。

 しかし、このまま海神学園で学生をやっていくためには避けて通っていい場所ではない。

「はぁ、やれやれ」

 肩をすくめながら足早に学園へと戻った。

 早く行かないといけない理由があるのだ。

 この島の学生の活動時間は結構差がある。

 元々午前中の授業のみで午後以降は仕事に充てられるからなのだが、当然大人のようにフルタイム八時間前後の仕事時間がとれるわけがない。

 人によっては午後一番から働く人や、夕方辺りから始める人間もいる。

 働き先との調整次第になる。

 対して、学園の先生はあくまで本土と同じで平常運転。

 午前中は学生たちに授業を教え、午後はそのまま教師としての仕事をする教師や、海神島の試験を行っている学者もいる。

 その他様々であるが、たいていは公務員なので夕方から夜までには仕事が終わる。

 つまり、早く行かないと最悪生徒指導の先生が帰ってしまう可能性があるのだ。

 それはそれでもお構わないのだが、こんな悶々とした嫌な気分のまま今日を過ごしたくはない。

 スマホを見て改めて指定された場所と担当教師を確認する。

 場所は保健室、担当教師は高峯聖先生。

 なぜ保健室なのかはこの際どうでもでもいい。

 だがなぜ呼び出されたのが俺だけなんだ。

 円香がいたにも関わらず、あいつは今カフェで運営準備と来ている。

 不公平である。

 しかし、それも大人の世界かと納得し、俺は目的地である保健室にやってきた。

 海神学園は数千人の学生を抱える巨大な学園だ。

 そのせいで保健室も一カ所では足りない。

 俺が呼び出されたのは第四保健室。

 保健室という場所なら、不吉な数字を使わなくてもいいのではと思う。

 まあ、老人ホームではないので別にどうでもいいだろうが。

「失礼します」

 扉を開けると、そこには誰もいなかった。

 入ってすぐ前にある薬品棚の横にある机には、からっぽの椅子が二つあるだけで、先生も学生の姿も見受けられない。

 ただ、右手のベッドが一つ、カーテンで隔離された空間となっていた。

 そこで、二つの影が交わっているように見える。

「……んっ……んんっ……」

 なにやら苦しそうな声が聞こえてくる。

「や……やめっ……」

 再び声がカーテンの向こうから漏れる。

 ベッドがぎしぎしと揺れて、保健室内になんとも言えない空気を流す。

 あ、ちなみに声は男の人の声だから。

「失礼しました」

 俺はそのまま扉を閉める。

 やっべ、なんかとんでもないタイミングで入っちまった。

 いやいや、俺悪くないだろ。

 中から床に崩れ落ちるような音と、カーテンが引き開けられる音が聞こえてきた。

 あと少し扉を閉じるのが遅かったら、いろんな意味で学園生活が終わっていた気がする。

 扉の前でこのまま帰っていいものかと首を傾げていると、目の前で扉が引き開けられた。

 髪と額を汗で濡らし、ずれた眼鏡を掛けたスーツ姿の男性教師が出てきた。

 上着は右手に抱えられ、シャツはいくつかボタンが取れている。

 あまりに生々しい姿に、見るべきではなかったのに相手の顔をまじまじと見てしまった。

「……すまないね。では高峯先生、また」

 男性教師は保健室に残った教師に一声掛けると、扉を閉めてそのままおぼつかない足取りで去って行った。

 足腰立たなくされとる。

 いやちょっと待て。

 確かに中の人に対して高峯先生って言ってたよな。

 高峯聖先生って男だろ? で、さっきの人も男。

「…………」

 やばい。保健室に入るのがあり得ないほど怖くなった。

 引きつった頬を冷たい汗が流れていく。

 これほどの恐怖を感じたのは何年ぶりだろうか。

 いや、こっち方向では間違いなく初めてのことだ。

「入りたまえ。もういいよ。扉なら開いている」

 中からお呼びの声がかかる。

 いや、何がもういいよなんだよ。

 あと、そっち側の扉を開いた覚えはねぇ。

 逃げ出そうかと考えていると、扉が内側から開けられた。

「何をしているんだ。さっさと入りなさい」

 中から現れたのは、間違いなく保健室の先生であるところの養護教諭。

 首で縛った長い黒髪は背中の中程まで伸びており、前髪の切れ間から覗く目は猛禽類のように鋭かった。肌は雪のように白く張りがあり、すらっとしたモデルのような長身は思わず見とれてしまうほど綺麗だった。

 俺は男に欲情するような同性愛思考は持ち合わせていない。

 つまり何が言いたいかというと……

 第四保健室の主、高峯聖先生は、女性だった。

 胸の中にいいようもない安堵感が広がる。

「はぁー……よかった……」

 いや別によくねぇな。全然よくない。

 聖職者が保健室で一体何をしていたんだと突っ込みたくなったが、ナニをしていたなんて返されてもたまったものではないので口をつぐんでおく。

 引きずり込まれるようにして保健室に足を踏み入れる。

「椎葉優羽だろう? 連絡を受けているよ。なんでも、この私に生徒指導をしてほしいそうじゃないか」

 これにはたまらず反論する。

「いや、つい今しがた生徒指導ではなく教育的指導をしなければならない状態にあった人に、指導されるいわれはないと思います」

 言い返されることが予想外だったのか、高峯先生はわずかに眉を上げた。

「子どもには刺激が強かったか? 安心したまえ。ちゃんとカーテンでR指定を掛けていた」

 安心できるか。つうか否定してほしかった。

 高峯先生は生々しく乱れたベッドのシーツを直していく。

「ちなみに、さっきの彼も私と同じで生徒指導の教師だ」

「解雇されてしまえ」

 ついつい暴言が飛び出してしまった。

 いやでもあり得ないだろ。

 天下の教職者が保健室でくんづほぐれつって。それも生徒指導の教師が。

 侮蔑を込めた視線を高峯先生に向けていると、涼しい笑みを返された。

「まあまあ、とりあえず座りたまえ、落ち着いて話もできない」

 そう言いながら、高峯先生は整えたばかりのベッドに腰を掛け、隣を叩いた。

 ふざけんなそんなところに座って落ち着いた話ができるわけないだろ。

「……」

 俺は無言で隅に椅子の一つを寄せて腰を下ろした。

 高峯先生はつまらなそうに唇をとがらせると、席を立って自分の机の前にあった椅子に座った。

「とりあえず自己紹介をしようか。私は高峯聖だ。呼び捨てでも、たかやんでも、ひじひじでも、なんでも好きに呼ぶといい」

「では、ビッチ先生と」

「……さすがに私も怒るときは怒るんだよ。言っていいことといけないことがあるだろう。別に私は、誰にでも股を開くわけではない」

 言い返すべきポイントはそこではないだろう。

「まあいい。好きに呼べと言ったのは私だ」

 いいのかよおい。

 終始このビッチ先生のペースに巻き込まれ、がっくりと肩を落とした。

「では、椎葉君。これから君には生徒指導をしなければいけない。君は今日問題を起こしたそうだからね」

「できれば口だけの生徒指導でお願いします」

 高峯先生の目がきらりと光った。

「なんと、言葉責めが好きなのかい? いや、そんな性癖を相手にするのはさすがに私も初めてだ。どういった言葉で興奮するんだい? 罵った方がいいのかな?」

「帰るぞこんちくしょう」

「ああいや悪かった。まあ落ち着いて落ち着いて」

 席を立った俺を高峯先生が慌てて呼び止める。

 俺は思いっきり聞こえるようにため息を吐きながら再び椅子に腰を下ろした。

 高峯先生は机の上に投げ出されていた青いファイルを手に取った。

「なになに……若葉高等学校より本年度から編入。成績は上の下。面接などでの受け答えは良好……ふむふむ……」

 そのファイルには俺がこの島にやってきた際の情報が記されているらしく、頷きながら読み進めていく。

 不意に、高峯先生の目がすっと鋭くなった。

「資料を読ませてもらう限りでは、それほど問題のある生徒には見えないが、今日はやらかしたようだね」

 今度は机に置かれているデスクトップパソコンを操作してメーラーを呼び出した。

「えっと、女生徒からの連絡だね。君が同学年の女生徒に暴力を振るっていたと。なぜそんなことを?」

 隠しても仕方ないので、俺は陽菜からの依頼絡みのことは伏せて、その場であったことを話した。

 足を組みながら机に肘を突き、やれやれと首を振った。

「何もそれで暴力を振るうことはないだろう? もっと冷静になれなかったのかい?」

「俺は相手の過去に何があったかもわからないのに、とやかく言うやつが嫌いなんですよ。それでかちんときて手を出してしまった。それだけのことです」

 俺は別に沸点が低いわけではない、と思う。

 ただ、譲れないものはあるし、許せないものもある。

 過去にあったことは変えられない。

 俺がこれまで犯してきた罪も過ちも、なかったことにはできない。なかったことにするべきではない。

 それが悪だと知っている。すべきでなかったことだと知っている。

「なるほどね……」

 高峯先生の口元が微かに緩み、目がきらりと光った。

「自分と重ねて、自分を否定されていることが嫌だったわけだ」

「……」

 言い返す言葉が見つからず、俺は視線だけ横に逃がした。

「その宮村という友達を悪く言われたのも怒る原因となったのだろうが、君が一番憤りを感じたのは、自分や宮村さんという、過去何かあったとしても今を頑張ろうとしている人間をバカにされたからではないかな?」

 全てを見通すような深い瞳に飲み込まれそうになる。

 高峯先生は俺や陽菜の過去を知っているわけではないはずだ。

 海神学園に転校してくる際にもそんな情報を書くわけがないし、そんな話もしていない。

 推測で言って探りを入れてきているのか、当てずっぽうなのかはわからない。

 俺は組んだ両手に視線を落として言った。

「否定はしません。聞き逃せなかったとだけ答えておきます」

「中々いい度胸をしている」

 高峯先生はにやにやと笑いながら机を指でとんとんと叩いた。

「別にそこまでとやかく言うつもりはないんだけどね。それでも、転校したてばかりの生徒が問題を起こすというのはちょっと、ね」

「はい。わかっています。以後ないように気を付けます」

「いやいや、別にあってもいいんだよ」

 さらりと高峯先生は容認した。

 ぽかんと口を開けてしまう。

 高峯先生は表情から笑みを消し、淡々とした声音で言う。

「別に、暴力を認めているわけではない。ただ、今回は君にも比があると考えたから呼び出した。でも、その暴力に意味があったとしたら、私だって庇うことぐらいできるんだよ。それが誰かのためになるなら、そこに善悪は関係ない」

「いや、関係あるでしょう。悪がいいはずがない」

 言って、なんて中身のない言葉だろうと思った。

 悪が悪いことだというのなら、俺が今日同級生に行ったのは一体どういうことなのだと。

 自分でいけないと思うことを俺は淡々と行った。

 ふざけた話だ。みっともない話だ。

 高峯先生が、口元に薄ら笑みを浮かべた。

「善悪なんてものは所詮、価値観の一つでしかない。私の考え、君の考え、その他幾人もの考えによって、社会の善悪というのは決められている。だから、百人中九十九人がそれは悪だと言っても、一人が善だというのなら、もしかしたらそれは正しいことなのかもしれない。それさえ、誰にも判別することはできないけどね」

 先ほどまで淫行を働いていたとおぼしき教師からは考えられない表情で、瞳で、声で、高峯先生は言った。

「私が君に対して指導してやれることはたった一つ」

 補足しなやかな指が、胸へと突きつけられた。

「君は君が持つ自分の信念を貫くことだ。たとえ誰から何を言われたとしても、自分の道をまっすぐ進め。だが、絶対にそれに対して責任を取らねばならない。それは社会に対するものであったり、誰かに対するものであったり様々だ。だが、君がその責任まで負うというのなら、どんな悪も過ちも、君にとっての正義になる。もしそれに私も同意したのなら、それは私も共犯だ。君を最後まで助け、庇い、守ってやる。それが大人というものだ。だから――」

 高峯先生は、飛び抜けた美貌を持つその表情にぴったりの笑みを浮かべる。

「好きなだけ青春したまえ、若人よ」

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