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剣しか持ちえない少年の英雄譚  作者: 喜怒哀楽
イリス奪還編
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今しかない

援軍の到着によって、僅かに持ち直したラウゼンの戦線。


それでも戦いは終わらず、誰も明日を約束されてはいません。


そんな戦場の中で、ザインは一つの決断をします。


土壁が隆起し、ファイデン兵の進路を狭める。


行き場を失った兵士たちが一か所へ集まったところへ、ロイドが真正面から飛び込んだ。


振り下ろされた剣を腕で逸らし、鎧の隙間へ拳を叩き込む。


鈍い音とともに兵士の身体が折れ、その後ろにいた敵まで巻き込んで倒れた。


「随分強くなったじゃねぇか、ザイン!」


敵の槍を払いながら、ロイドが叫ぶ。


「そっちこそ、まだ拳で戦ってんのかよ!」


踏み込んだ脚から腰へ魔素を移す。剣を振る瞬間だけ肩と腕を強化し、眼前の兵士を斬り伏せた。


「これが一番手っ取り早いんだよ!」


土壁の端を抜けようとした敵へ、雷光が走った。


カイルの双剣が二人の兵士を続けて斬り、その姿が反撃を受ける前に掻き消える。


「感動の再会は戦争が終わってからにしてくれ!」


「だったら黙って戦え!」


「俺じゃなくて、そこの大男に言ってくれ!」


ロイドが敵を殴り飛ばす。


「なんで俺だけ怒られんだよ!」


言い争う三人の頭上を、風をまとった矢が通り過ぎた。


ザインへ向けて放たれていた魔法へ突き刺さり、空中で爆ぜる。


続く矢が別々の軌道を描き、カイルへ迫っていた敵兵の肩と脚を射抜いた。


「喋ってないで働きなさい」


遠くからセレナの声が飛んでくる。


「働いてるだろ!」


カイルが雷をまとったまま駆け抜け、矢を受けて体勢を崩した兵士を斬った。


四年。


それだけの時間が過ぎていた。


共に戦わなくなってからも長い。


それでも、ロイドがどこへ壁を作るのか分かる。


カイルが次にどの穴を埋めるのかも。


セレナの矢がどこを通るのかも、見る前から身体が覚えていた。


ロイドが戦場を狭める。


カイルが空いた場所を駆ける。


セレナが離れた位置から全体を支える。


作られた道へ踏み込み、ザインは剣を振るった。


一人。


二人。


必要な瞬間にだけ魔素を流し、役目を終えた場所から抜く。


以前のような大きな破壊は起きない。


それでも敵の剣より早く、鎧の隙間へ刃が届く。


新たに生じた穴へラウゼン兵が入り、崩壊しかけていた戦列を組み直した。


戦場の圧力が、僅かに遠のく。


ほんの僅か。


息を一度整えられる程度の余裕だった。


それでも、少し前まではなかった時間だった。


直後、左手から魔法の炸裂音が響く。


振り向く。


イリスと父親が、肩を並べて戦っていた。


父親が迫ってきた敵を退け、その脇を抜けようとした兵士へイリスの魔法が突き刺さる。


炎が広がり、二人を囲もうとしていた敵兵が後退した。


「怪我はないか!」


次の敵へ向かいながら、父親が叫ぶ。


「見れば分かるでしょう!」


イリスも杖を構えたまま答えた。


「元気ならそれでいい!」


短い会話だった。


互いの無事を確かめて抱き合う暇などない。


再会を喜ぶ言葉もない。


ただ父娘が同じ敵を見て、並んで戦っている。


それだけで充分なのだろう。


イリスの魔法が敵の前衛を吹き飛ばす。


けれど、その呼吸は荒い。


魔法を放つたびに肩が大きく上下している。


父親が加わっても。


ギルドの仲間が来ても。


戦争そのものが消えたわけではない。


負傷者は今も後方へ運ばれている。


ファイデン軍も攻撃を止めていない。


ロイドが作った土壁へ槍が打ち込まれ、表面に亀裂が走った。


敵の魔法が着弾する。


土煙が噴き上がり、壁の一部が崩れた。


その向こうから、新たな兵士たちが押し寄せてくる。


まだ終わらない。


あとどれだけ戦えばいいのかも分からない。


剣を構え直した途端、腹の奥が鈍く疼いた。


痛みは、戦い始めたときより強くなっている。


魔素の消費は抑えられても、傷そのものが消えたわけではない。


今以上の魔素を取り込むな。


研究者の警告が蘇る。


それでも、フィルを倒すには戦わなければならない。


目の前にいる軍勢も、戦争を利用している男も、まだ何一つ止められていない。


最後まで生きられる保証など、どこにもなかった。


ザインは敵を斬りながら、もう一度イリスを見た。


炎の向こうで、彼女も戦っている。


もし、このまま死んだら。


何も伝えられないまま終わったら。


戦争が終わったら。


フィルを倒したら。


全部片付いたら。


そうやって先へ延ばしているうちに、そのとき自体が来なくなるかもしれない。


敵兵の剣が迫る。


半歩ずれて躱し、空いた脇腹を斬る。


倒れた兵士を越え、次の敵へ向かう。


未来を約束できる状況ではない。


だからこそ、今選ぶ。


「イリス!」


剣を振るいながら呼ぶ。


少し離れた位置で、イリスが杖を掲げた。


「なによ!」


放たれた炎が敵兵を飲み込む。


ザインは迷わなかった。


「結婚しよう」


イリスが、こちらを見た。


ほんの一瞬。


戦場にいることすら忘れたように、その目が見開かれる。


直後、彼女の側面へ敵兵が踏み込んだ。


「イリス!」


ザインが動くより早く、父親が敵を退ける。


我に返ったイリスも、別の兵士へ魔法を放った。


轟音が二人の間を通り過ぎる。


「……今?」


「ああ」


敵の剣を受け流す。


刃を返し、その肩口を斬った。


「今」


「あなた、自分が何を言っているか分かってるの!?」


「分かってる!」


今度は槍が来る。


穂先を逸らし、柄を踏み折った。


「俺、この戦争で死ぬかもしれねぇ」


その言葉に、イリスの表情が固まる。


ザインは次の敵へ踏み込んだ。


「だから、戦争が終わるまで待ちたくない」


綺麗な言葉は浮かばなかった。


何をどこから伝えればいいのかも分からない。


それでも、今ここでイリスを選びたい。


それだけは、はっきりしていた。


イリスが杖を振る。


迫っていた兵士の足元から炎が噴き上がった。


敵が倒れる。


短い沈黙。


周囲では剣戟が続き、誰かの叫び声が響いている。


「いいわよ」


騒音の中でも、その声だけは聞き逃さなかった。


ザインの剣が止まりかける。


「……本当に?」


「あなたが言ったんでしょう!」


イリスが次の魔法を放つ。


その頬が、炎とは別の理由で僅かに赤くなっていた。


「撤回するなら、今のうちよ!」


「しねぇよ!」


即答し、迫ってきた敵を斬る。


ザインの口元が、自分でも分かるほど緩んだ。


イリスは父親の方角へ振り向いた。


「お父様!」


「なんだ!」


父親も、敵と刃を交えながら答える。


「結婚を認めてくださらなくても、結婚は致します!」


敵を退けた父親の動きが、一瞬だけ止まった。


視線がイリスからザインへ移る。


驚き。


呆れ。


それらが入り交じった顔を浮かべたまま、新たに迫った敵へ向き直った。


「あぁ、みたいだなぁ!」


敵を倒し、さらに続ける。


「バカな男を亭主に持つと大変らしいぞ!」


「存じています!」


イリスが当然のように答えた。


「聞こえてんぞ!」


ザインが叫ぶ。


父親は振り返りもしない。


「聞こえるように言った!」


許すとも、認めるとも言わなかった。


だが、その背中は二人の前に立ち、迫る敵を防いでいる。


それが父親なりの答えなのだろう。


結婚すると決めた。


イリスも受け入れた。


父親にも伝えた。


だが、これだけでは結婚したことにならない。


少なくとも、ザインには何をすればいいのか分からなかった。


戦場を見回す。


土壁の近くで、ギルド長が敵兵を相手にしている。


「ギルド長!」


呼ばれたギルド長が、攻撃を避けながらこちらを見た。


「なんだ!」


「神父頼む!」


今度こそ、ギルド長の動きが止まりかけた。


「な!? 今か!?」


「今しかねぇ! 頼む!」


横から斬りかかってきた兵士の剣を受け、押し返す。


ギルド長も敵の攻撃を凌ぎながら周囲を見回した。


戦争の真っただ中。


敵は今も押し寄せている。


味方もそれぞれの場所で戦っている。


結婚を祝うために集まっている者など、一人もいない。


「こっちも手が離せねぇんだよ!」


「俺たちもだ!」


「見りゃ分かる!」


ギルド長が迫ってきた敵を倒す。


そのまま大きく息を吸い、腹を括ったように顔を上げた。


「分かった! 後で文句言うなよ!」


ギルド長の声が戦場に響く。


「えー! 本日お越しの方々!」


雷光が敵の間を駆け抜ける。


カイルが双剣を振るいながら叫んだ。


「誰も結婚式に来たわけじゃないけどな!」


飛来した矢が、カイルの背後へ迫った敵を射抜く。


「黙って戦いなさい!」


遠方からセレナが怒鳴る。


「今のは俺じゃなくて、ギルド長に言うところだろ!」


「全員黙れ!」


ギルド長が一喝した。


直後に敵の攻撃を受け、体勢を崩しかける。


「くそっ! 神父を狙うんじゃねぇ!」


「敵に役割なんか分かるわけねぇだろ!」


ザインが目の前の兵士を斬り伏せる。


「やかましい! 続けるぞ!」


ギルド長は戦いながら声を張った。


「新郎、ザイン!」


敵の剣を受ける。


甲高い音が耳元で弾けた。


「おう!」


「お前はイリスを妻とし、これから先、共に生きると誓うか!」


敵の刃を外へ流す。


踏み込みと同時に脚へ魔素を集め、腰、肩、腕へ繋ぐ。


反撃の剣が兵士を斬り倒した。


迷う理由はなかった。


「誓う!」


口にした瞬間、胸の奥にあったものが定まった。


明日を保証されたわけではない。


この戦争を生き残れると決まったわけでもない。


それでも、イリスと生きる。


今ここで、自分がそう選んだ。


ギルド長が別の敵へ向き直る。


「新婦、イリス!」


「はい!」


イリスの声が返る。


「お前はザインを夫とし、これから先、共に生きると誓うか!」


イリスが魔法を放った。


敵を包んだ炎が風に揺らめく。


その向こうから、真っ直ぐにザインを見る。


「誓うわ!」


破壊音も。


悲鳴も。


ぶつかり合う武器の音も消えない。


戦場は何一つ変わっていない。


それでも、その言葉によって二人の間にあった何かが変わった。


ザインの隣に立つイリスが、今から妻になる。


自分は彼女の夫になる。


実感など、まだどこにもなかった。


けれど、誓った言葉だけは確かに残っている。


ロイドが地面へ拳を叩きつけた。


ザインとイリスへ向かっていた敵兵の前に土壁が隆起し、進路を塞ぐ。


脇から抜けようとした兵士たちの間を、カイルの雷光が走った。


二本の剣が敵を斬り、僅かな空間を作る。


セレナの矢がその向こうを越え、後方の弓兵を射抜いた。


ほんの数秒。


仲間たちが、二人のために作った時間だった。


「よし!」


ギルド長が叫ぶ。


その直後、近づいてきた敵を倒す。


「キスしていいぞ!」


ザインとイリスが互いを見た。


婚礼衣装などない。


ザインの服は血と泥に汚れ、イリスの頬にも煤が付いている。


腹の傷は痛み、呼吸も荒い。


背後では魔法が炸裂し、ロイドの土壁にも亀裂が広がっていた。


それでも。


今しかない。


剣を持っていない方の腕で、イリスの身体を引き寄せた。


イリスは僅かに目を見開いたが、拒まなかった。


杖を下げ、ザインの胸元へ手を添える。


唇が触れた。


長い口づけではない。


次の敵が迫るまでの、ほんの短い時間。


それでも、その瞬間だけは戦争にも、フィルにも奪わせなかった。


自分たちの意思で選んだ。


自分たちだけのものだった。


離れると、イリスの顔がすぐ近くにある。


いつもの強い目が、今だけ僅かに揺れていた。


「……これでいいのか?」


ザインが尋ねる。


「私に聞かないでよ」


「だよな」


横からギルド長の声が飛ぶ。


「俺が認める! 今からお前らは夫婦だ!」


「神父が勝手に決めていいのかよ!」


「今さら言うな!」


崩れ始めた土壁の向こうから、敵兵が姿を現す。


イリスの父親は、その敵を迎え撃ちながら二人を一度だけ振り返った。


何も言わない。


けれど、その口元には微かな笑みがあった。


壁が崩れる。


土煙の中から、ファイデン兵が押し寄せてきた。


祝いの時間は終わった。


ザインはイリスから離れ、剣を構える。


彼女も隣で杖を掲げた。


「行くぞ、イリス」


「ええ」


前方へ視線を戻したイリスが、少しだけ間を置く。


「死んだら許さないから」


「そっちもな」


二人で同時に踏み込んだ。


ザインが前衛の盾を崩す。


開いた隙間へイリスの魔法が飛び込み、敵兵を押し返した。


死角から迫った攻撃をザインが受け流す。


背後へ回り込もうとした兵士は、イリスの炎が止める。


夫婦になって最初にしたことは、互いの背中を守ることだった。


ロイドの作った地形に沿ってラウゼン兵が前へ出る。


カイルが戦列の穴を埋め、セレナの矢が敵の遠距離攻撃を妨げる。


ギルドの冒険者たちも各所で敵を押し返していた。


一時的に、戦線が前へ進む。


ファイデン軍を退けたわけではない。


勝利には遠い。


それでも、崩壊しかけていた前線は確かに持ち直していた。


そのとき。


後方から、激しい足音が近づいてきた。


振り返ると、一人の伝令が兵士たちの間を縫うように走ってくる。


防具は土に汚れ、肩で大きく息をしていた。


ラウゼン兵へ支えられながらも、足を止めようとしない。


「報告します!」


戦場の音に負けないよう、声を張り上げる。


レオニスとガレスが振り返った。


「獣王国方面へ進んでいたエルグランド軍が、国境を越えました!」


イリスの表情が変わる。


ザインも剣を止めず、伝令へ意識を向けた。


エルグランド軍。


イリスの祖国の兵たち。


洗脳された複数の軍団が、ついに獣王国へ入った。


伝令が息を吸う。


「獣王国が、エルグランド軍の攻撃を受けています!」


戦場の空気が変わった。


獣王国は、ラウゼンの民をエルフ王国へ逃がすための中継地点だ。


大規模転送装置がある。


すでに多くの避難民が向かっている。


あそこが落ちれば、避難路は断たれる。


今まで稼いだ時間も、逃がしたはずの命も、すべて敵の手へ渡る。


だが、ラウゼンの前には今もファイデン軍がいる。


ザインたちが抜ければ、持ち直したばかりの戦線が再び崩れるかもしれない。


二つの国。


二つの戦場。


その両方を守るだけの戦力はない。


レオニスがファイデン軍の戦列を見る。


次に、遠く離れた獣王国の方角へ視線を向けた。


最後に。


その目が、ザインを捉えた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


まさかの戦場結婚となりました。


戦争が終わってから。

フィルを倒してから。

すべてが片付いてから。


そうやって先延ばしにしていたら、その「いつか」は来ないかもしれない。


だからこそ、ザインとイリスは今この瞬間に、自分たちの意思で互いを選びました。


神父役はギルド長。

参列者は戦闘中の仲間たち。

そして夫婦になって最初にしたことは、互いの背中を守りながら戦うこと。


二人らしい結婚になったと思います。


しかし、その直後に届いたのは獣王国襲撃の報せ。


ラウゼンではファイデン軍との戦闘が続き、獣王国にはエルグランド軍が迫る。


二つの戦場を前に、ザインたちは再び選択を迫られます。


次回もよろしくお願いします!

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