繋がる道
ラウゼンから送り出された、避難民の第一陣。
彼らを待つ獣王国、そしてその先のエルフ王国へ。
三つの国を繋ぐ避難路が、動き始めます。
街道の向こうに、細長い土煙が上がっていた。
獣人兵の一人が目を凝らす。
「来たぞ!」
その声に、待機していた兵士たちが一斉に動いた。
レグルスも前へ出る。
土煙の中から、魔獣車の列が姿を現した。
ラウゼン王国から出発した、避難民の第一陣。
先頭の魔獣は疲れた様子で呼吸を荒らし、御者の衣服にも砂埃がこびりついている。それでも、一台も欠けることなく獣王国へ辿り着いていた。
「道を空けろ!」
レグルスの声が街道へ響く。
「止めるな! 次が来るぞ!」
兵士たちが左右へ分かれ、魔獣車を誘導する。
最初の一台がレグルスの前を通り過ぎた。
窓の隙間から、幼い子供が外を見ている。その隣には母親らしき人物が座り、子供の肩を抱き寄せていた。
後ろの車には老人たち。
さらにその後ろには、横になった怪我人と病人が乗せられている。
ラウゼンを出たときよりも顔色の悪い者もいた。長い移動で疲労し、車体の揺れだけでも身体へ負担がかかっているのだろう。
「歩ける者は降りて、兵の指示に従え!」
「怪我人と病人はそのままだ!」
「家族がいる者は、離れないよう声を掛け合え!」
獣人兵たちが、魔獣車の扉を一台ずつ開けていく。
足腰の弱った老人へ手を貸し、泣き出した子供へ身を屈めて声をかける。
人間だからと拒む者はいない。
誰もが、避難民を次へ送り出すために動いていた。
魔獣車から降りようとした老人の足がもつれる。
近くにいた獣人兵が、その身体を支えた。
「無理に歩かなくていい。そのまま乗っていろ」
「だが、ほかにも乗る者が……」
「ここからはすぐだ。あんたを降ろしている方が時間がかかる」
老人を座席へ戻し、扉を閉める。
その車へ向かって、レグルスが腕を振った。
「転送施設へ回せ!」
御者が手綱を引く。
魔獣車は止まることなく、用意された道へ進んでいった。
一度全員を降ろし、休ませることもできた。
だが、ここで避難民を滞留させれば、後から来る第二陣、第三陣が街道で詰まる。
獣王国は目的地ではない。
ラウゼンとエルフ王国を繋ぐ、中継地点だ。
「空いた車は状態を確認しろ!」
レグルスが続けて指示を飛ばす。
「使えるものからラウゼンへ戻せ! 壊れている車があれば、すぐに修理へ回せ!」
「はっ!」
「街道の確認も続けろ。次の隊列が、いつ見えてもおかしくないぞ!」
兵士たちは負傷者の状態を確認する者、転送施設へ誘導する者、魔獣車を整理する者に分かれていく。
第一陣を受け入れた直後から、次の避難民を迎える準備が始まっていた。
レグルスは最後尾の魔獣車が通り過ぎるまで、街道を見続けた。
敵の姿はない。
追手も見えない。
今のところ、避難路は守られている。
「俺たちも転送施設へ向かう」
レグルスは踵を返した。
「ここまで運んできた命を、次へ渡すぞ」
*
獣王国の大規模転送施設には、低い作動音が響いていた。
床一面に刻まれた巨大な術式。
それを囲む支柱。
注ぎ込まれた魔力に反応し、何重もの紋様が淡い光を放っている。
以前、ザインたちが国を移動するために使った装置。
今は、ラウゼンの民を逃がすために稼働していた。
避難民たちが、不安そうに装置を見上げる。
転送魔法を初めて目にする者も多い。
「本当に、これでエルフ王国へ?」
一人の老人が、獣人兵へ尋ねた。
「ああ。向こうではエルフたちが待っている」
「途中で何か起きたりは……」
「大丈夫だ」
獣人兵は迷わず答えた。
「これまでにも使われている装置だ。光が消えれば、もう向こうへ着いている」
近くでは、子供が父親の手を両手で握っていた。
術式から漏れる光が強くなるたび、その小さな身体が強張る。
父親が屈み、何事かを耳元で囁いた。
子供は不安を残したまま、それでも小さくうなずいた。
一度に全員は送れない。
避難民は装置の許容量に合わせ、複数の集団へ分けられていた。
最初に移動するのは、容体の悪い負傷者と病人。それに付き添う家族や治療を補助する者たち。
歩けない者は担架に乗せられたまま、術式の中央へ運び込まれる。
「家族の人数を確認!」
「離れている者はいないか!」
「術式の外へ出ないでください!」
獣人兵の声が飛び交う。
やがて、最初の集団が所定の位置へ収まった。
術者たちが互いに合図を送る。
低く響いていた音が大きくなり、床の紋様を走る光が一つに繋がった。
眩しさに耐えきれず、避難民たちが目を閉じる。
光が膨れ上がる。
次の瞬間、術式の中央から人々の姿が消えた。
残ったのは、淡い光の粒だけだった。
「転送完了!」
報告を聞いたレグルスが、すぐに次の集団を見る。
安堵する時間はない。
まだ大勢が待っている。
「次を入れろ!」
新たな避難民が術式へ誘導されていく。
最初の転送が成功したことで、怯えていた者たちの表情が僅かに和らいでいた。
それでも、完全に不安が消えたわけではない。
慣れ親しんだ国を離れ、獣人の国を通り、今度はエルフの国へ送られる。
何もかもが未知だった。
「大丈夫だ」
不安そうに装置を見る子供へ、レグルスが声をかける。
子供が顔を上げる。
「向こうへ行けば、もう一度家族全員の名前を確認してもらえる。誰も置いていかれない」
「……本当?」
「ああ」
レグルスは術式の中央を指した。
「先に行った者たちも、向こうで待っている」
子供は隣に立つ母親の手を握り直し、光の中へ歩いていった。
*
エルフ王国の転送施設を、強い光が満たした。
待機していた治療師と兵士たちが、一斉に身構える。
光の中心に、複数の人影が浮かび上がる。
横たわった負傷者。
身体を支え合う老人。
付き添いの家族。
光が消えたとき、ラウゼンの避難民たちは確かにエルフ王国の地へ立っていた。
「ラウゼンからの避難民です!」
転送に同行した者の声が響く。
受け入れ担当者たちがすぐに動いた。
「怪我人と病人はこちらへ!」
「歩ける方は、係の者に家族の人数を伝えてください!」
「水と毛布を用意しています。慌てずに進んでください!」
担架が運び込まれ、治療師が負傷者の状態を確かめる。
長旅で消耗した者へ水が渡され、震えている子供の肩には毛布がかけられた。
家族が離れていないか、一組ずつ名前と人数が確認されていく。
転送直後の混乱はあった。
知らない土地へ来た不安も消えてはいない。
それでも、誰も取り残されていなかった。
怪我人は治療を受けられる。
子供たちは家族と一緒にいる。
横になる場所も、食料も、水も用意されていた。
受け入れ担当者が名簿の最後へ印を付ける。
「第一集団、全員確認しました」
その声に、周囲の者たちがわずかに息を吐いた。
すぐに次の転送へ備え、空いた場所が整えられる。
床の術式に、再び光が流れ始めた。
施設に隣接する治療区画では、巨人族の生存者三人もその様子を見ていた。
傷はまだ癒えていない。
身体には何重にも布が巻かれ、立ち上がることすら難しい者もいる。
巨人国にいた約百五十人のうち、生き残ったのは三人だけ。
逃げる準備をする時間などなかった。
何が起きているのか理解したときには、すでに故郷は破壊されていた。
その巨人の一人が、案内されていくラウゼンの子供たちを見る。
怯えた顔で母親へ寄り添いながらも、生きて歩いている。
老人も。
負傷者も。
今度は、敵が来る前に逃げることができた。
「……間に合ったのだな」
低い呟きが、治療区画へ落ちた。
ほかの二人は答えなかった。
ただ、転送されてくる人々を見つめていた。
二度目の光が広がる。
新たな避難民が姿を現す。
そのたびに治療師が駆け寄り、兵士たちが道を作った。
獣王国から受け取り、エルフ王国で守る。
人間も。
獣人も。
エルフも。
一つの国だけでは届かなかった命が、三つの国を結ぶ道によって運ばれていた。
最後の集団の確認が終わる。
受け入れ担当者は、用意されていた書面へ到着の記録を残した。
「ラウゼンからの第一陣、到着しました」
確認書は連絡役へ渡される。
第一陣が無事に届いたという知らせを、来た道へ返すために。
*
ラウゼン王都では、第二陣の編成が続いていた。
集められた魔獣車が城門前へ並び、兵士たちが住民の名簿を照らし合わせている。
ザインは積み荷を固定していた縄から手を離し、額の汗を拭った。
街からは、昨日まであった人の声が減り始めている。
それでも、城門付近だけは慌ただしさを増していた。
「道を空けろ!」
背後から声が飛ぶ。
振り返ると、獣王国の伝令が城門を駆け抜けてきた。
長い移動を休むことなく続けてきたのか、息は乱れ、衣服も土埃にまみれている。
それでも足を止めず、レオニスの前まで進んだ。
「報告します!」
周囲の兵士たちが動きを止める。
ザインも伝令へ目を向けた。
「第一陣、獣王国へ到着。その後、全員のエルフ王国への転送を完了しました!」
一瞬、誰も声を発しなかった。
言葉の意味が広がるにつれ、張り詰めていた空気が僅かに緩んでいく。
近くにいた兵士が、握っていた拳から力を抜いた。
名簿を持つ者が目を閉じる。
イリスも小さく息を吐いた。
第94話で、ザインはレオニスに尋ねた。
全部逃がせると思うか。
第一陣が無事に届いたという報告は、その問いに対する最初の答えだった。
レオニスは伝令へうなずく。
「ご苦労だった」
そして、すぐに城門前の兵士たちへ顔を向けた。
「次を出せ」
喜びに浸る時間はなかった。
まだ、ラウゼンには大勢の民が残っている。
止まっていた兵士たちが、再び動き始めた。
「第二陣、乗車を開始!」
「名簿をもう一度確認しろ!」
「護衛兵は配置へ!」
「空いた魔獣車が戻り次第、次の区画へ回せ!」
ザインも持ち場へ戻った。
目の前の道は、もう獣王国だけで終わってはいない。
その先の転送装置へ。
さらに、エルフ王国へ。
送り出した者たちは、安全な場所まで届いている。
ならば、次も送り出せる。
*
鐘が鳴った。
第二陣を乗せた魔獣車が、ラウゼンを出ていく。
時間が過ぎる。
「第二陣、獣王国へ到着!」
空になった魔獣車が、再びラウゼンへ戻ってくる。
車輪と魔獣の脚には長い街道の土が付着していた。
休ませる魔獣と、次の移動に使える魔獣が分けられる。
戻った車内が確認され、水と食料が積み直された。
再び鐘が鳴る。
「第三陣の編成、完了!」
新たな住民たちが、閉ざした家を振り返りながら城門へ集まる。
店の扉が閉じられる。
窓の明かりが消える。
街の中から、少しずつ人の声が減っていく。
避難は、一台の魔獣車や一つの家族だけの出来事ではなくなっていた。
ラウゼンで人を乗せる。
獣王国で受け取る。
大規模転送装置で送り出す。
エルフ王国で保護する。
空いた車が、またラウゼンへ戻る。
三つの国を繋ぐ流れが、途切れることなく動き続けていた。
ザインたちも、その流れの中にいた。
荷物を運び、住民を誘導し、魔獣車へ乗せる。
今は剣を抜かない。
自分の身体がどう変わったのかを試すこともしない。
敵が来たときに戦うため、目の前の避難を終わらせる。
それだけだった。
*
夜。
ラウゼンの街には、暗い家が増えていた。
人のいなくなった道を、兵士たちの足音だけが通り過ぎる。
閉ざされた店。
灯りの消えた窓。
主を失った家の前には、持ち出せなかった家具や荷物が残されていた。
その一方で、城門と軍施設には明かりが集まっている。
民を逃がす者。
街道を守る者。
城壁へ武器を運ぶ者。
残って戦う者たちは、休むことなく動き続けていた。
ザインは城へ戻る途中、通りの向こうにレオニスの姿を見つけた。
複数の兵士から報告を受け、次の区画へ指示を出している。
「第三陣は?」
ザインが尋ねる。
「間もなく出る」
レオニスは短く答えた。
「お前の方は」
「乗せられる奴は、ほとんど城門へ回した。歩ける連中は次の隊列に入る」
「そうか」
それだけ確認すると、二人は別々の方向へ歩き出した。
話すべきことはいくらでもある。
だが今は、互いに立ち止まる時間がなかった。
*
城内の地図には、新たな線が加えられていた。
ザイン、ノア、ガレスが、その周囲へ集まっている。
エリオンは届いた報告を整理し、レオニスは地図全体を見渡していた。
ファイデン王国軍は、変わらずラウゼン方面へ進んでいる。
まだ姿は確認されていない。
だが、届く報告が正しければ、確実に距離を縮めている。
もう一つの問題は、エルグランド王国軍だった。
第94話の時点では、それぞれの軍団が別の方向へ動いているように見えていた。
地図上にも、複数の線がばらばらに引かれていた。
しかし、新しく届いた位置情報を加えると、その見え方が変わる。
ノアが地図へ身を寄せた。
「……ばらばらに動いてるように見えたけど」
指先で、一つ目の線を追う。
続いて、別方向から伸びる線。
さらに、その隣の線。
どれも進み始めた場所は違う。
向いていた方角も同じではなかった。
それでも、先へ進むほど互いの距離が縮まっている。
ガレスが尋ねた。
「違うのか?」
ノアの指が、複数の線の間で止まる。
「集まり始めてる」
軍議室の空気が変わった。
ザインは地図を見る。
ファイデン王国軍だけでも、ラウゼンにとっては大きな脅威だ。
そこへ、エルグランド王国の複数の軍団まで集結しようとしている。
「どこに向かってる?」
ノアはすぐには答えなかった。
線の角度。
最後に位置が確認された場所。
そこから先にある国と街道。
一つずつ確かめるように地図を見つめる。
「……まだ分からない」
そのとき、扉が開いた。
新たな伝令が軍議室へ入ってくる。
「報告します。エルグランド軍の複数部隊について、進路が重なり始めています」
地図へ、さらに新しい線が書き加えられた。
別々に伸びていたはずの線が、少しずつ同じ地域へ寄っていく。
目的地は、まだ見えない。
続けて、別の兵士が扉の前へ姿を現した。
「次の避難隊、出発準備が整いました」
避難路は繋がった。
ラウゼンの民は、獣王国を経てエルフ王国へ逃がすことができている。
だが、その間にも敵は動き続けている。
ザインは地図から目を離さなかった。
別々だった進路が、静かに一つへ重なり始めていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、ラウゼンから送り出された第一陣が獣王国を経由し、エルフ王国へ到着するまでのお話でした。
三国を繋ぐ避難路は、無事に機能し始めました。
一方で、ファイデン王国軍はラウゼンへ近づき、エルグランド王国軍の進路にも変化が現れています。
民を逃がす時間を、どこまで作れるのか。
次回もよろしくお願いします!




