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剣しか持ちえない少年の英雄譚  作者: 喜怒哀楽
イリス奪還編
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今ある力

死の淵から、ようやく現実へと帰ってきたザイン。


もう一人の自分との戦いを終えた彼を待っていたのは、生還の喜びだけではなかった。


変化した身体と、これからの力の使い方。

ザインは、自分の「今ある力」と向き合うことになる。


「……イリス?」


握られていた手に、さらに強い力がこもった。


ぼやけていた視界が、少しずつ形を取り戻していく。


寝台のそばに座っているイリス。


その後ろにはノアとガレスが立ち、腹部の近くではミレイアが治癒の光を維持していた。


少し離れた場所から、見覚えのないエルフがこちらを観察している。


「ザイン……?」


イリスの唇が僅かに震えた。


目を見開いたまま、それ以上の言葉が出てこない。


「……そんな顔すんなよ」


声を出すと、喉がひどく乾いていた。


それでも自分の声だった。


白い世界で何度斬られても、最後まで失わなかったもの。


ザインとしての声が、現実の空気を震わせている。


イリスは俯いた。


「……馬鹿」


掠れた声だった。


怒っているというより、押し殺していたものが、その一言だけになって零れ落ちたように聞こえた。


「ザイン!」


ノアが寝台へ駆け寄る。


「僕が分かる? ここがどこか分かる?」


「一気に聞くなって……」


軽口を返すと、ノアの肩から僅かに力が抜けた。


だが、ミレイアだけは表情を崩さない。


指先を首筋へ当て、脈を確かめる。次に胸の上下を見て、瞳へ光を当てた。


「ザインさん。私の指が何本に見えますか?」


「二本」


「気分は? 吐き気や眩暈はありますか?」


「いや。頭はむしろ、気持ち悪いくらいすっきりしてる」


長い戦いを続けていたはずだった。


幾度も斬られ、痛みに耐え、立ち上がった。


それなのに、精神世界で受けた傷も疲労も残っていない。眠りから覚めた直後とは思えないほど、意識は澄み切っていた。


周囲を見回す。


淡い色の壁。


見慣れない紋様が刻まれた柱。


部屋には薬草の匂いが漂っている。


「……ここ、エルフの国か?」


「そうだよ」


ノアが頷いた。


「エルフ王国から逆転送をしてもらったんだ。みんな、ここまで運んでもらった」


「そうか……」


上体を起こそうと、寝台へ手をつく。


腹部の奥を、鋭い痛みが貫いた。


「っ……!」


反射的に身体が折れる。


「動かないで!」


ミレイアが肩を押さえ、寝台へ戻した。


治癒の光が僅かに揺れる。


腹部へ視線を落とすと、厚く巻かれた布に血が滲んでいた。


白い世界で負った傷ではない。


フィルの腕に貫かれた、現実の傷。


「傷は塞がり始めています。でも、内側はまだ完全に治っていません」


「精神世界の傷だけ消えて、こっちは残るのかよ……」


「何の話ですか?」


「いや、あとで話す」


浅く呼吸を繰り返し、痛みが引くのを待つ。


その間に、記憶が戻ってきた。


巨人国。


崩壊した集落。


斬り落としたフィルの腕。


そして、腹部を貫いた一撃。


自分が倒れたあと、あの場所はどうなった。


「……巨人たちは?」


部屋の空気が変わった。


誰もすぐには答えない。


イリスが視線を伏せ、ノアも唇を結ぶ。


壁際に立っていたガレスが、静かに口を開いた。


「三人だ」


「……三人?」


聞き間違いかと思った。


だが、ガレスの表情は変わらない。


「あの集落には、百五十人ほどいたらしい」


百五十人。


生き残ったのは三人。


数字だけが、頭の中に残った。


自分たちが到着したときには、すでに多くの巨人族が倒れていた。


それでも、フィルを止められていれば。


もっと早く追いつけていれば。


少しでも長く戦えていれば。


結果は違ったのかもしれない。


何も言葉が出なかった。


視線を落としたまま、布団の上で拳を握る。


「三人とも、ここに運ばれています」


ノアが静かに付け加えた。


「怪我はしてる。でも、生きてるよ」


その言葉を聞き、握っていた指を僅かに緩めた。


「……そうか」


それ以上は言えなかった。


静けさの中、先ほどから様子を見ていたエルフが寝台へ近づいてくる。


「確認したいことがある」


落ち着いた声だった。


「お前の肉体は、治療によって少しずつ持ち直していた。しかし、意識だけが戻らなかった」


ザインの顔を覗き込む。


「意識がなかった間、お前はどこにいた?」


「……俺にも、よく分からねぇ」


白い世界を思い出す。


地面も空もない場所。


顔のない、もう一人の自分。


長い耳と大きな尾を持った、小さな存在。


「何もない、真っ白な場所にいた」


「そこに何があった?」


「俺と同じ姿をしたやつがいた。身体は魔素みたいな光でできてて、俺と同じ剣を持ってた」


ノアとミレイアが顔を見合わせる。


「そいつと、ずっと戦ってた」


「なぜ戦った?」


「最初は、あいつが何なのか分からなかった。それに……そこで俺が死んだら、俺はこの身体に戻れないって分かってた」


イリスの手が、再び強く指を包んだ。


その温度を感じながら、言葉を続ける。


「最後には、あいつが俺の身体から生まれたもんだって分かった」


「それを倒したのか?」


「いや」


首を横へ振る。


「あいつより先に剣を届かせた。でも、斬って消したわけじゃねぇ」


自分と重なった、淡い光を思い出す。


「俺とあいつを分けてたものが、なくなった。それで、この身体が俺のもんだって分かった」


うまく説明できているとは思えない。


何が起きたのか、自分でもすべてを理解しているわけではなかった。


それでも、今この身体を動かしているのが自分だということだけは分かる。


「他には?」


「小さい生き物がいた。長い耳と、でかい尾があった」


「生き物?」


「そいつが最後に、セラの欠片だって分かった」


エルフの表情が僅かに変わる。


「セラ?」


「六百年前のアルヴァ族の記録にある人物だよ」


ノアが小さく答えた。


ザインも頷く。


「ギーファの妻だ」


「セラ本人の魂だったのか?」


「違う」


今度は迷わず否定した。


「本人じゃねぇって言ってた。残ってた気持ちとか、記憶とか……そういうもんじゃねぇかって」


死んだ人間の魂が、そのまま残っていたわけではない。


完全なセラが、六百年間、自分の中で生き続けていたわけでもない。


ただ、ギーファを懐かしいと思う気持ちだけは、確かに残っていた。


エルフは何かを考えるように沈黙したが、それ以上セラについて追及しなかった。


代わりに、ザインの胸元へ手をかざす。


「瀕死になったあとも、お前の肉体は周囲から魔素を取り込み続けていた」


掌の下で、微かな光が揺れる。


「傷ついた身体を修復し、生き延びるために」


「じゃあ、もう一人の俺は何だったんだ?」


「分からない。だが、一つの可能性は考えられる」


あくまで仮説だと前置きするように、僅かな間が置かれた。


「お前の身体を最もよく知っているのは、お前だけではないのかもしれない」


眉を寄せる。


「……どういう意味だ?」


「何年もの間、お前の身体を巡り続けてきた魔素も、お前という形を覚えていた可能性がある」


「魔素が、俺を?」


「可能性の話だ。魔素そのものが記憶を持つと断定するつもりはない」


光が、胸から腹部へゆっくりと移動していく。


「お前の意識が戻らない一方で、肉体は生きようとしていた。その二つが重なり、お前の姿や動きを再現する何かが生まれたのかもしれない」


あの人影に、悪意はなかった。


斬られても、傷ついても、ただ立ち上がろうとしていた。


生き残るために。


身体を動かし続けるために。


「もし、俺が戻らなかったら?」


問いかけると、エルフはすぐには答えなかった。


「分からない」


「またそれかよ」


「前例がない。軽々しく断定できることではない」


真剣な声が返ってくる。


「少なくとも、お前ではない何かが、その身体を動かしていた可能性はある」


寝台の上で、自分の指を動かす。


拳を作り、開く。


今は、自分の意思に従っている。


あの白い世界で負けていたら、同じ指を動かしていたのは自分ではなかったのかもしれない。


「身体の状態を調べる。しばらく動くな」


「最初から動けねぇよ」


腹部へ視線を落とす。


エルフが身体の各所へ順番に手をかざした。


淡い光が皮膚の上を滑っていく。


胸。


腹部。


両腕。


両脚。


やがて、以前調べられた魔素の供給管に沿って光が走った。


「供給管の損傷は残っている」


「悪化してんのか?」


「軽度の範囲を出てはいない。ただし、回復するまでは慎重に扱う必要がある」


そこまでは、予想の範囲内だった。


だが、検査を続けるエルフの表情が次第に険しくなっていく。


光が止まった。


「……ザイン」


「なんだよ」


「一つ、約束してもらう」


声の硬さに、部屋の空気が変わった。


イリスとノアも、エルフへ顔を向ける。


「今、お前の身体が自然に取り込んでいる量。それを超えるな」


「……どういうことだ?」


「意識して、外から取り込む魔素の量を増やすなということだ」


ミレイアの治癒の光だけが、静かに揺れている。


「今までどおり身体が自然に取り込む分は構わない。その魔素を、身体のどこへ、どのように使うかもお前の自由だ」


「なら、何が問題なんだ?」


「お前の身体は、魔素へ馴染みすぎている」


エルフが、自分の掌に残る光を見つめる。


「一般的な魔法使いは、取り込んだ魔素を魔力へ変換し、魔法として外へ放出する。だが、お前は違う」


ザインには魔力がない。


外界から取り込んだ魔素を、魔力へ変換することなく肉体へ巡らせている。


身体を強化し、傷を修復するために。


「アルヴァ由来の肉体。魔素を直接取り込む性質。そして、長年にわたる継続的な吸収」


言葉を選ぶように、一度区切る。


「それがアルヴァの血によるものか、エルフに連なる性質なのか、それともお前自身の体質なのか。今の段階では断定できない」


「でも、今まで問題なかったんだろ?」


「今まではな」


その一言に、イリスの指が僅かに強張った。


「今回、お前の身体は死の淵にあった。生き残るため、肉体が以前より強く魔素へ反応した形跡がある」


「それで?」


「人間の肉体と、魔素。それらを隔てていた境界が、以前より危うくなっている」


意味を理解するまで、少し時間がかかった。


「今ある魔素をどう使うかは、お前の自由だ。だが、それ以上を外から取り込めば――」


エルフの視線が、まっすぐこちらへ向けられる。


「お前が人間のままでいられる保証はない」


イリスが息を呑む。


ノアも表情を硬くした。


誰も、すぐには口を開かなかった。


「増やしたら、どうなる?」


「分からない」


思わず顔をしかめる。


「またそれかよ」


白い世界で何度も聞いた「さあ?」という言葉が、一瞬だけ頭をよぎった。


だが、エルフは真剣な表情を崩さない。


「分からないからこそ、危険なんだ」


身体の内側を巡る魔素へ、視線を落とす。


「自然界の魔素と極めて近い存在として、精霊がいる。もし、このままお前の肉体が魔素へ適応し続ければ――人間の身体であることをやめ始める可能性がある」


「……精霊みたいになるってことか?」


「近い現象かもしれない。だが、同じとは限らない」


断定はしない。


できないのだろう。


自分と同じ肉体を持ち、同じ方法で魔素を使う人間など、ほかにはいない。


何が起きるか、誰にも分からない。


「ザイン……」


ノアの声に、不安が滲んでいる。


イリスは何も言わなかった。


ただ、握った手を離さない。


その温かさを感じながら、自分の掌を見る。


これまでは、足りなければ増やせばいいと思っていた。


速さが足りなければ、もっと。


力が足りなければ、もっと。


身体が耐えられる限界まで魔素を取り込み、全身へ流し込む。


それが、自分の強さだと思っていた。


だが、白い世界で学んだものは、まったく逆だった。


必要なのは量ではない。


必要な瞬間。


必要な場所。


必要な分だけ使うこと。


そして、役目を終えれば力を抜くこと。


「……別にいいか」


全員の視線が集まった。


「増やせねぇなら、今ある分でやればいい」


エルフが黙ってこちらを見る。


研究者の警告を軽く考えたわけではない。


人間ではなくなる。


その言葉の意味を、完全に理解できているとも思わない。


それでも、警告を破るつもりはなかった。


今の自分には、まだ使い切れていない力がある。


フィルの声が、記憶の中に蘇る。


――力が足りないわけではない。


――使い方が、あまりにも粗い。


言われたときは、ただ腹が立った。


今なら、その意味が分かる。


新しい魔素を外から取り込まない。


すでに身体を巡っているものだけへ意識を向ける。


指先に、必要な分だけ。


微かな熱が移動した。


余計な力は、ほかの場所へ流れていない。


指を僅かに曲げる。


動作に合わせて魔素が筋肉を押し上げ、役目を終えた瞬間には静かに抜けていった。


精神世界で身につけた使い方が、現実の肉体でもできている。


自分の指を見つめ、静かに息を吐く。


「……なるほどな」

ここまでお読みいただきありがとうございます!


死の淵から帰還し、精神世界で学んだ「無駄のない力」を現実でも使えることを確認したザイン。


しかし同時に、これ以上魔素を取り込めば、人間の身体そのものから外れてしまう可能性を告げられました。


力を増やすのではなく、今ある力をどう使うのか。


フィルに敗れたザインにとって、今回の経験は大きな転換点になります。


そして、ザインが眠っている間にも世界の状況は動き続けています。


次話もよろしくお願いします!

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