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剣しか持ちえない少年の英雄譚  作者: 喜怒哀楽
イリス奪還編
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90/102

無駄のない力

第90話です。


力を増やすのではなく、今ある力をどう使うのか。


もう一人の自分との戦いを通じて、ザインがその答えへ近づいていきます。


「……なんだ、これ」


剣ではなく、その奥を見る。


淡い光で形作られた身体。その内部を、魔素が絶えず移動していた。


踏み込む直前、光が片脚へ集まる。


地面を蹴った瞬間には、もう脚から消えていた。


次に輝くのは腰。


回転に合わせて背中へ昇り、肩を通って腕へ流れ込む。最後は手首と、剣を握る指へ。


そこで初めて、斬撃が放たれた。


剣そのものには、魔素が流れていない。


すべて、身体の内側だけで完結している。


振り終えた瞬間には、腕を満たしていた光も消えていた。次の動作へ備えるように、魔素はすでに下半身へ戻っている。


全身が同時に輝く瞬間は、一度もない。


「……全部に流してるんじゃねぇ」


小さな存在は、少し離れた場所に座っていた。


何も答えない。


長い尾を揺らしながら、こちらの様子を眺めているだけだ。


もう一人のザインが、再び剣を構える。


見えた。


なら、自分にもできるはずだ。


これまでのように、全身へ魔素を行き渡らせるのをやめる。


意識を右脚へ集中させた。


体内を巡っていた魔素が集まり、筋肉の奥に焼けた鉄を押し込まれたような熱が生まれる。


「まず、脚――」


地面を蹴る。


視界が一気に後方へ流れた。


一瞬で間合いが消える。


だが、上半身がついてこない。


「なっ――」


脚だけが先へ進み、腰の回転が遅れた。


慌てて剣を振るうものの、力が肩まで伝わっていない。腕だけで放たれた刃を、人影は上体を僅かに傾けて躱す。


勢いを止められず、身体が前へ流れた。


脇腹へ、冷たい感触。


「がっ……!」


遅れて、焼けるような痛みが走る。


右脚へ集めていた魔素を腕へ移し、防御しようとしたときには、光の刃が肉の奥へ食い込んでいた。


足から力が抜け、その場へ膝をつく。


脇腹を押さえた指の間から、鮮血が溢れ出した。


夢の中で感じる曖昧な痛みではない。


傷口が脈打つたび、内側から抉られているようだった。


追撃はない。


人影は傍らを通り過ぎ、最初の位置へ戻っていく。


同じ構えを取った瞬間、脇腹の傷が光へ溶けるように消えた。


血もなくなる。


だが、斬られた瞬間の痛みと恐怖は、鮮明に残っていた。


歯を食いしばり、再び立ち上がる。


「もう一度だ」


今度は、右脚へ集めた魔素を踏み込みと同時に腰へ送る。


先ほどより上半身は遅れない。


腰を回しながら、光を肩へ――。


そこで流れが途切れた。


剣から力が抜ける。


光の切っ先が、止まった肩へ突き刺さった。


「ぐあっ!」


肉を貫く感触に、視界が揺れた。


刃が引き抜かれ、散った血が白い地面を汚していく。肩を押さえて後退するが、腕は指一本動かせない。


傷が消えるまでの僅かな時間が、ひどく長く感じられた。


人影が元の位置へ戻る。


開いていた穴は、何事もなかったように塞がった。


もう一度。


踏み込み。


腰の回転。


肩。


腕。


今度は、途切れさせずに魔素を移せた。


走った剣が、人影の刃とぶつかる。


高い金属音が耳の奥に突き刺さり、手首まで痺れた。


だが、攻撃に意識を奪われている。


剣を弾かれたあとも、腕には魔素が残ったままだった。力んだ身体はすぐに動かず、防御へ切り替わらない。


無防備な胸元を、逆袈裟の刃が裂いた。


「ぐっ……!」


熱い血が噴き出す。


胸を押さえながら倒れ込んだ。


あと少し深ければ、致命傷だった。


息をするたびに傷口が開き、鋭い痛みが身体の中心を走り抜ける。


傷が消えても、恐怖は消えない。


刃が肉へ入る瞬間の冷たさが、何度も蘇った。


それでも、立ち上がる。


次は人影の動きを思い出し、先に魔素を移した。


脚。


腰。


肩。


順番だけは正しい。


だが、動き出す前から魔素を集めたことで、攻撃の起点が露わになっていた。


人影の剣先がこちらを向く。


踏み込むより先に、その姿が間合いへ入った。


首を狙う斬撃。


身を沈めると、刃が髪を掠めて通過していく。


直後、胸へ蹴りが入った。


「がはっ!」


肺の空気を吐き出しながら、地面を転がる。


何度も肩を打ちつけ、ようやく止まった。


「見えてんのに……なんでできねぇ」


傷は消えていく。


だが、息は整わない。


斬られるたびに身体が強張り、立ち上がるまでの時間も長くなっていた。


もう一人の自分は、疲れた様子を見せない。


変わらない構えで待っている。


再び剣を握った。


次こそは。


失敗したくない。


斬られたくない。


そう思った瞬間、身体が勝手に慣れ親しんだ方法を選んだ。


魔素が一部ではなく、全身へ広がっていく。


脚も。


胴も。


腕も。


あらゆる場所を、強い光が満たした。


これなら、どこから攻撃されても反応できる。


力を得た安心感が、斬られる恐怖を僅かに押し退ける。


地面を蹴った途端、強すぎる踏み込みが硬い足場を砕いた。


剣を振り抜く。


人影は半歩だけ移動し、刃の軌道から外れた。


また身体が前へ流れる。


背後で、空気が震えた。


振り向くより早く、熱が背中を走る。


「ぐああっ!」


力を失い、地面へ倒れ込んだ。


背中から流れた血が脇腹を伝っていく。


いつものように全身を強化した途端、動きが大きくなった。


止まりたい場所で止まれない。


剣を振り終えたあとも、全身には力が残り続けていた。


それに対し、人影は僅かに動いただけだ。


「見えてんのに……」


痛みに耐え、膝を立てる。


「なんで、同じように動けねぇんだよ」


小さな声が返ってきた。


「身体と力、どっちを先に動かしてるの?」


顔を上げ、睨みつける。


「何が言いてぇ」


「さあ?」


「お前、本当に役に立たねぇな」


長い尾が楽しげに左右へ揺れた。


それ以上、言葉は返ってこない。


身体と力。


どちらを先に動かしている。


今までは、魔素で身体を強引に動かそうとしていた。


脚へ魔素を集め、それから踏み込む。


腰へ魔素を移してから、回転させる。


だが、身体は魔素を使わなくても動く。


剣の振り方を知らないわけではない。


足で地面を蹴る。


腰を回す。


背中から肩へ力を伝える。


腕を伸ばし、手首と指で剣を支える。


数え切れないほど繰り返してきた動きだ。


考えるより先に身体が動くほど、染みついている。


ゆっくりと剣を構える。


魔素を操ることばかり考えるのをやめた。


まずは、いつもどおりに動く。


右足が地面を踏む。


その瞬間だけ、魔素を重ねる。


足裏から返ってくる力に合わせ、腰を回す。


遅れないように魔素を送り込む。


背中。


肩。


腕。


手首。


指。


先に力で身体を引っ張るのではない。


染みついた剣術の動きへ、魔素を重ねていく。


踏み込みに爆発音はなかった。


地面も砕けない。


それでも身体は、白い空間を滑るように前へ出た。


振るった刃を、人影が僅かに身体をずらして躱す。


まだ届かない。


迫る反撃を避けきれず、腕に浅い傷が走った。


「くっ……!」


すぐに距離を取る。


失敗した。


魔素の流れは、完全には噛み合っていない。


それでも、先ほどまでとは違う。


攻撃後に身体が流れていなかった。


踏み込んだ場所で止まり、自分の意思で後ろへ下がることができた。


腕の傷が消えていく。


再び構え、地面を踏む。


剣術へ魔素を重ねる。


脚から腰へ移る光が僅かに遅れ、踏み込みの勢いが一度途切れた。肩から腕への移動も、まだ滑らかとは言えない。


それでも、動きは少しずつ小さくなっていく。


大きく踏み込む必要はない。


強く地面を蹴る必要もない。


必要な距離だけ進めば、剣は届く。


再び刃が交わった。


衝撃に備え、腕へ魔素を集める。同時に、姿勢を支える脚も強化した。


激突した刃から、重い震動が骨まで伝わってくる。


そのまま押し返そうとした瞬間、人影の魔素が目に入った。


腕にあった光は、すでに消えている。


人影は力を残していない。


剣を受けられたと分かった瞬間、押すことをやめていた。


刃の角度を変え、もう次の動きへ移っている。


必要な場所へ流すだけではない。


役目を終えた場所から、すぐに抜いている。


「使うだけじゃねぇ……」


これまで、一度も考えたことがなかった。


より多く。


より強く。


少しでも長く。


力を流すことばかり考えていた。


だが、必要のない場所に残った魔素は、次の動きを邪魔している。


「終わったら、抜いてるのか」


光の剣が迫る。


全身を固めたい衝動を堪えた。


攻撃を受ける腕へ魔素を流す。


同時に、姿勢を支える右脚へ。


刃と刃がぶつかり、重い衝撃が腕から肩へ突き抜けた。


受け止めた瞬間、腕から魔素を抜く。


剣の角度を変えると、押し込んできた力が刃の上を滑り、身体の外側へ抜けていった。


完全には流しきれない。


腕は痺れ、靴底も僅かに地面を擦った。


それでも、両足は地面に残っている。


強張っていた肩から、ふっと力が抜けた。


初めて、人影の攻撃を受けたまま踏みとどまれた。


相手が距離を取る。


胸は激しく上下し、剣を握る手にも細かな震えが残っていた。


傷は消えても、疲労は積み重なっている。


それでも、構えは解かなかった。


もう一人の自分が、再び剣先を向けてくる。


全身を魔素で満たさない。


息を吐き、余分な力を抜く。


先に動いたのは、人影だった。


踏み込みと同時に、剣が走る。


大きく下がらない。


刃の軌道から外れる分だけ、半歩ずれる。


攻撃を受ける瞬間だけ、腕と足を強化した。


互いの剣がぶつかり、甲高い音と共に火花のような光が散る。


押し合わない。


すぐに腕から魔素を抜き、相手の刃を外側へ流した。


人影の身体が僅かに開く。


魔素を脚へ移す。


地面を踏む。


腰。


背中。


肩。


腕。


手首。


指。


一つずつ順番を追うのではない。


これまで繰り返してきた剣術として身体を動かし、その動きへ魔素を重ねる。


反撃の剣が走った。


人影が回避へ移る。


だが、これまでより僅かに遅い。


刃先が、光で形作られた肩口を浅く裂いた。


淡い粒子が宙へ散る。


「……当たった」


思わず動きを止める。


肩口に走った裂け目は、すぐに光で覆われていった。


傷が消える。


人影は倒れない。


痛がる様子も、怒りも見せない。


無言のまま元の位置へ戻り、再び剣を構えた。


「分かったの?」


小さな存在が尋ねる。


荒い呼吸を整えながら、剣を握り直す。


「いや」


魔素の切り替えも、抜くタイミングも、まだ相手には遠く及ばない。


「でも、さっきよりは分かった」


目の前にいる相手と、自分を見比べる。


魔素の量は同じ。


体格も同じ。


剣も、構えも、使っている技も同じ。


違っていたのは、持っている力ではない。


使う場所。


使う瞬間。


そして、必要なくなった力を抜く速さ。


「あいつは俺より強いんじゃねぇ」


全身へ残っていた魔素を静かに鎮める。


今、必要なのは、剣を支える指先と足だけだ。


「俺より――無駄がないんだ」


人影は何も答えない。


ただ静かに、剣を構えている。


身体には痛みが残っていた。


呼吸は乱れ、手足も重い。


それでも、今まで届かなかった剣が、一度だけ届いた。


余分な力を抜く。


切っ先を、もう一人の自分へ向けた。


「もう一度だ」

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


ようやく、ザインの剣がもう一人の自分へ届きました。


しかし、まだ互角ではありません。


次回、ザインは学んだ魔素の使い方を、自分自身の技術として完成させていきます。

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