無駄のない力
第90話です。
力を増やすのではなく、今ある力をどう使うのか。
もう一人の自分との戦いを通じて、ザインがその答えへ近づいていきます。
「……なんだ、これ」
剣ではなく、その奥を見る。
淡い光で形作られた身体。その内部を、魔素が絶えず移動していた。
踏み込む直前、光が片脚へ集まる。
地面を蹴った瞬間には、もう脚から消えていた。
次に輝くのは腰。
回転に合わせて背中へ昇り、肩を通って腕へ流れ込む。最後は手首と、剣を握る指へ。
そこで初めて、斬撃が放たれた。
剣そのものには、魔素が流れていない。
すべて、身体の内側だけで完結している。
振り終えた瞬間には、腕を満たしていた光も消えていた。次の動作へ備えるように、魔素はすでに下半身へ戻っている。
全身が同時に輝く瞬間は、一度もない。
「……全部に流してるんじゃねぇ」
小さな存在は、少し離れた場所に座っていた。
何も答えない。
長い尾を揺らしながら、こちらの様子を眺めているだけだ。
もう一人のザインが、再び剣を構える。
見えた。
なら、自分にもできるはずだ。
これまでのように、全身へ魔素を行き渡らせるのをやめる。
意識を右脚へ集中させた。
体内を巡っていた魔素が集まり、筋肉の奥に焼けた鉄を押し込まれたような熱が生まれる。
「まず、脚――」
地面を蹴る。
視界が一気に後方へ流れた。
一瞬で間合いが消える。
だが、上半身がついてこない。
「なっ――」
脚だけが先へ進み、腰の回転が遅れた。
慌てて剣を振るうものの、力が肩まで伝わっていない。腕だけで放たれた刃を、人影は上体を僅かに傾けて躱す。
勢いを止められず、身体が前へ流れた。
脇腹へ、冷たい感触。
「がっ……!」
遅れて、焼けるような痛みが走る。
右脚へ集めていた魔素を腕へ移し、防御しようとしたときには、光の刃が肉の奥へ食い込んでいた。
足から力が抜け、その場へ膝をつく。
脇腹を押さえた指の間から、鮮血が溢れ出した。
夢の中で感じる曖昧な痛みではない。
傷口が脈打つたび、内側から抉られているようだった。
追撃はない。
人影は傍らを通り過ぎ、最初の位置へ戻っていく。
同じ構えを取った瞬間、脇腹の傷が光へ溶けるように消えた。
血もなくなる。
だが、斬られた瞬間の痛みと恐怖は、鮮明に残っていた。
歯を食いしばり、再び立ち上がる。
「もう一度だ」
今度は、右脚へ集めた魔素を踏み込みと同時に腰へ送る。
先ほどより上半身は遅れない。
腰を回しながら、光を肩へ――。
そこで流れが途切れた。
剣から力が抜ける。
光の切っ先が、止まった肩へ突き刺さった。
「ぐあっ!」
肉を貫く感触に、視界が揺れた。
刃が引き抜かれ、散った血が白い地面を汚していく。肩を押さえて後退するが、腕は指一本動かせない。
傷が消えるまでの僅かな時間が、ひどく長く感じられた。
人影が元の位置へ戻る。
開いていた穴は、何事もなかったように塞がった。
もう一度。
踏み込み。
腰の回転。
肩。
腕。
今度は、途切れさせずに魔素を移せた。
走った剣が、人影の刃とぶつかる。
高い金属音が耳の奥に突き刺さり、手首まで痺れた。
だが、攻撃に意識を奪われている。
剣を弾かれたあとも、腕には魔素が残ったままだった。力んだ身体はすぐに動かず、防御へ切り替わらない。
無防備な胸元を、逆袈裟の刃が裂いた。
「ぐっ……!」
熱い血が噴き出す。
胸を押さえながら倒れ込んだ。
あと少し深ければ、致命傷だった。
息をするたびに傷口が開き、鋭い痛みが身体の中心を走り抜ける。
傷が消えても、恐怖は消えない。
刃が肉へ入る瞬間の冷たさが、何度も蘇った。
それでも、立ち上がる。
次は人影の動きを思い出し、先に魔素を移した。
脚。
腰。
肩。
順番だけは正しい。
だが、動き出す前から魔素を集めたことで、攻撃の起点が露わになっていた。
人影の剣先がこちらを向く。
踏み込むより先に、その姿が間合いへ入った。
首を狙う斬撃。
身を沈めると、刃が髪を掠めて通過していく。
直後、胸へ蹴りが入った。
「がはっ!」
肺の空気を吐き出しながら、地面を転がる。
何度も肩を打ちつけ、ようやく止まった。
「見えてんのに……なんでできねぇ」
傷は消えていく。
だが、息は整わない。
斬られるたびに身体が強張り、立ち上がるまでの時間も長くなっていた。
もう一人の自分は、疲れた様子を見せない。
変わらない構えで待っている。
再び剣を握った。
次こそは。
失敗したくない。
斬られたくない。
そう思った瞬間、身体が勝手に慣れ親しんだ方法を選んだ。
魔素が一部ではなく、全身へ広がっていく。
脚も。
胴も。
腕も。
あらゆる場所を、強い光が満たした。
これなら、どこから攻撃されても反応できる。
力を得た安心感が、斬られる恐怖を僅かに押し退ける。
地面を蹴った途端、強すぎる踏み込みが硬い足場を砕いた。
剣を振り抜く。
人影は半歩だけ移動し、刃の軌道から外れた。
また身体が前へ流れる。
背後で、空気が震えた。
振り向くより早く、熱が背中を走る。
「ぐああっ!」
力を失い、地面へ倒れ込んだ。
背中から流れた血が脇腹を伝っていく。
いつものように全身を強化した途端、動きが大きくなった。
止まりたい場所で止まれない。
剣を振り終えたあとも、全身には力が残り続けていた。
それに対し、人影は僅かに動いただけだ。
「見えてんのに……」
痛みに耐え、膝を立てる。
「なんで、同じように動けねぇんだよ」
小さな声が返ってきた。
「身体と力、どっちを先に動かしてるの?」
顔を上げ、睨みつける。
「何が言いてぇ」
「さあ?」
「お前、本当に役に立たねぇな」
長い尾が楽しげに左右へ揺れた。
それ以上、言葉は返ってこない。
身体と力。
どちらを先に動かしている。
今までは、魔素で身体を強引に動かそうとしていた。
脚へ魔素を集め、それから踏み込む。
腰へ魔素を移してから、回転させる。
だが、身体は魔素を使わなくても動く。
剣の振り方を知らないわけではない。
足で地面を蹴る。
腰を回す。
背中から肩へ力を伝える。
腕を伸ばし、手首と指で剣を支える。
数え切れないほど繰り返してきた動きだ。
考えるより先に身体が動くほど、染みついている。
ゆっくりと剣を構える。
魔素を操ることばかり考えるのをやめた。
まずは、いつもどおりに動く。
右足が地面を踏む。
その瞬間だけ、魔素を重ねる。
足裏から返ってくる力に合わせ、腰を回す。
遅れないように魔素を送り込む。
背中。
肩。
腕。
手首。
指。
先に力で身体を引っ張るのではない。
染みついた剣術の動きへ、魔素を重ねていく。
踏み込みに爆発音はなかった。
地面も砕けない。
それでも身体は、白い空間を滑るように前へ出た。
振るった刃を、人影が僅かに身体をずらして躱す。
まだ届かない。
迫る反撃を避けきれず、腕に浅い傷が走った。
「くっ……!」
すぐに距離を取る。
失敗した。
魔素の流れは、完全には噛み合っていない。
それでも、先ほどまでとは違う。
攻撃後に身体が流れていなかった。
踏み込んだ場所で止まり、自分の意思で後ろへ下がることができた。
腕の傷が消えていく。
再び構え、地面を踏む。
剣術へ魔素を重ねる。
脚から腰へ移る光が僅かに遅れ、踏み込みの勢いが一度途切れた。肩から腕への移動も、まだ滑らかとは言えない。
それでも、動きは少しずつ小さくなっていく。
大きく踏み込む必要はない。
強く地面を蹴る必要もない。
必要な距離だけ進めば、剣は届く。
再び刃が交わった。
衝撃に備え、腕へ魔素を集める。同時に、姿勢を支える脚も強化した。
激突した刃から、重い震動が骨まで伝わってくる。
そのまま押し返そうとした瞬間、人影の魔素が目に入った。
腕にあった光は、すでに消えている。
人影は力を残していない。
剣を受けられたと分かった瞬間、押すことをやめていた。
刃の角度を変え、もう次の動きへ移っている。
必要な場所へ流すだけではない。
役目を終えた場所から、すぐに抜いている。
「使うだけじゃねぇ……」
これまで、一度も考えたことがなかった。
より多く。
より強く。
少しでも長く。
力を流すことばかり考えていた。
だが、必要のない場所に残った魔素は、次の動きを邪魔している。
「終わったら、抜いてるのか」
光の剣が迫る。
全身を固めたい衝動を堪えた。
攻撃を受ける腕へ魔素を流す。
同時に、姿勢を支える右脚へ。
刃と刃がぶつかり、重い衝撃が腕から肩へ突き抜けた。
受け止めた瞬間、腕から魔素を抜く。
剣の角度を変えると、押し込んできた力が刃の上を滑り、身体の外側へ抜けていった。
完全には流しきれない。
腕は痺れ、靴底も僅かに地面を擦った。
それでも、両足は地面に残っている。
強張っていた肩から、ふっと力が抜けた。
初めて、人影の攻撃を受けたまま踏みとどまれた。
相手が距離を取る。
胸は激しく上下し、剣を握る手にも細かな震えが残っていた。
傷は消えても、疲労は積み重なっている。
それでも、構えは解かなかった。
もう一人の自分が、再び剣先を向けてくる。
全身を魔素で満たさない。
息を吐き、余分な力を抜く。
先に動いたのは、人影だった。
踏み込みと同時に、剣が走る。
大きく下がらない。
刃の軌道から外れる分だけ、半歩ずれる。
攻撃を受ける瞬間だけ、腕と足を強化した。
互いの剣がぶつかり、甲高い音と共に火花のような光が散る。
押し合わない。
すぐに腕から魔素を抜き、相手の刃を外側へ流した。
人影の身体が僅かに開く。
魔素を脚へ移す。
地面を踏む。
腰。
背中。
肩。
腕。
手首。
指。
一つずつ順番を追うのではない。
これまで繰り返してきた剣術として身体を動かし、その動きへ魔素を重ねる。
反撃の剣が走った。
人影が回避へ移る。
だが、これまでより僅かに遅い。
刃先が、光で形作られた肩口を浅く裂いた。
淡い粒子が宙へ散る。
「……当たった」
思わず動きを止める。
肩口に走った裂け目は、すぐに光で覆われていった。
傷が消える。
人影は倒れない。
痛がる様子も、怒りも見せない。
無言のまま元の位置へ戻り、再び剣を構えた。
「分かったの?」
小さな存在が尋ねる。
荒い呼吸を整えながら、剣を握り直す。
「いや」
魔素の切り替えも、抜くタイミングも、まだ相手には遠く及ばない。
「でも、さっきよりは分かった」
目の前にいる相手と、自分を見比べる。
魔素の量は同じ。
体格も同じ。
剣も、構えも、使っている技も同じ。
違っていたのは、持っている力ではない。
使う場所。
使う瞬間。
そして、必要なくなった力を抜く速さ。
「あいつは俺より強いんじゃねぇ」
全身へ残っていた魔素を静かに鎮める。
今、必要なのは、剣を支える指先と足だけだ。
「俺より――無駄がないんだ」
人影は何も答えない。
ただ静かに、剣を構えている。
身体には痛みが残っていた。
呼吸は乱れ、手足も重い。
それでも、今まで届かなかった剣が、一度だけ届いた。
余分な力を抜く。
切っ先を、もう一人の自分へ向けた。
「もう一度だ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ようやく、ザインの剣がもう一人の自分へ届きました。
しかし、まだ互角ではありません。
次回、ザインは学んだ魔素の使い方を、自分自身の技術として完成させていきます。




