もう一人の自分
意識を取り戻したザインが目を覚ましたのは、真っ白な謎の空間。
そこで待っていたのは――自分とまったく同じ構えを取る、人ならざる存在だった。
それは――ザインとまったく同じ構えだった。
足の開き。
腰の高さ。
剣先の向き。
柄を握る両手の位置まで、寸分違わない。
「……俺?」
声が、真っ白な空間へ吸い込まれていく。
返事はない。
目の前に立つものは、人間の輪郭をしていた。
だが、顔も服もない。全身が淡い光によって形作られ、その内側では霞のような魔素が揺らめいている。
背丈も、体格も同じ。
握っている剣の長ささえ、完全に一致していた。
「おい。ここ、どこだ?」
反応はない。
「……喋れねぇのか?」
人影は剣を構えたまま、微動だにしなかった。
警戒を解かず、自分の腹部へ触れる。
傷がない。
フィルの腕に貫かれたはずの場所には、血も痛みも残っていなかった。服に穴はなく、身体にも普段どおり力が入る。
だが、記憶は残っている。
破壊された巨人族の集落。
地面へ叩きつけられたイリス。
目の前に立っていたフィル。
腹部を貫かれ、全身から力が抜けていく感覚。
すべて、はっきりと覚えていた。
「俺……死んだのか?」
答える者はいない。
見渡す限り、どこまでも白い。
空と地面の境界すら見えなかった。立っているはずなのに、足の裏には何の感触もない。
このままでは踏み込めない。
戦うための足場が必要だ。
そう思った瞬間――足裏に硬い感触が生まれた。
「……なんだ?」
足元の白が固まり、平らな地面へ変化している。
確かめるように靴底を擦った。
その一瞬だった。
人影が消えた。
「――っ!」
気づいたときには、目の前にいる。
淡い光の剣が、首へ迫っていた。
反射的に剣を持ち上げる。
刃と刃がぶつかり、甲高い音が白い世界を震わせた。
「ぐっ……!」
受け止めた。
そう思った次の瞬間、重なった剣が僅かに傾く。
刃を外側へ滑らされ、腕に込めていた力の行き先が消えた。体勢が崩れる。
がら空きになった胸元へ、肩が叩き込まれた。
鈍い衝撃。
身体が宙へ浮く。
「がっ!」
硬い地面へ背中から叩きつけられ、肺の空気が一息に吐き出された。
背骨から後頭部まで、痺れるような痛みが駆け抜ける。
「……は?」
何が起きた。
咳き込みながら身体を起こす。
追撃はない。
人影はすでに最初の位置へ戻り、何事もなかったかのように同じ構えを取っていた。
胸へ手を当てる。
確かに肩を受けた。
肋骨まで軋むような痛みがあった。
だが、傷はない。
痛みも急速に薄れていく。
それでも、地面へ叩きつけられた感覚は、身体の奥へ焼きついていた。
「何なんだよ、こいつ……」
剣を支えに立ち上がる。
そのとき、どこからか小さな声が聞こえた。
「簡単に死なない方がいいわよ」
勢いよく振り返る。
「誰だ!」
人影とは反対側。
白い地面の上に、何かが座っていた。
手のひらに収まりそうなほど小さい。長い耳と、身体よりも大きな尾を持っている。
獣のようにも見えるが、何の動物かは分からない。
「……なんだ、お前」
小さな存在は首を傾けた。
「さあ?」
「さあって……自分のことだろ」
「そうだったかしら」
「ふざけてんのか?」
睨みつけても、小さな存在は平然としている。
敵意は感じない。
だが、この正体不明の場所で平然と話している以上、無関係とも思えなかった。
「ここがどこか知ってるのか?」
「知らない」
「嘘つけ」
「どうして?」
「お前だけ普通に喋ってるだろ」
小さな存在は答えず、人影へ顔を向けた。
「とにかく、簡単に斬られないことね」
「傷なら消えたぞ」
「傷はね」
長い尾が、ゆっくりと左右へ揺れる。
「だからって、何度でも死ねるわけじゃない」
表情から苛立ちが消えた。
「……どういう意味だ」
「ここであなたが消えたら、あれが残るわ」
「あれが?」
人影へ目を向ける。
「残るって、どこにだ」
「あなたの身体があるところ」
僅かな沈黙が落ちた。
剣を握る手に力が入る。
「……俺の身体に、あいつが戻るってことか」
小さな存在は、また首を傾けた。
「さあ?」
「お前、さっきからそればっかりだな」
「でも、あなたがいなくなれば、今のあなたは二度と戻れない」
初めて、その顔から笑みが消えた。
「それだけは本当よ」
夢ではない。
ここで斬られれば終わる。
死ぬだけではない。
今の自分が消えたあと、自分の身体へ戻るのは――目の前にいる何かだ。
再び、人影へ向き直る。
「だったら――斬られる前に倒す」
地面を蹴った。
今度は不意を突かれたわけではない。
間合いも、構えも見えている。
最短の軌道で、肩口へ剣を振り下ろす。
人影の身体が僅かに横へずれた。
刃が淡い光を掠めた――ように見えた。
しかし、手応えはない。
振り下ろした剣が空を切り、身体が前へ流れる。
無防備になった脇腹へ、光の刃が走った。
「ぐあっ!」
熱い。
肉を裂き、奥深くまで刃が入り込む感覚。
脇腹を押さえながら膝をつく。指の隙間から、鮮血が溢れ出した。
夢の中で感じる曖昧な痛みではない。
傷口が焼けるように熱く、息をするたびに内側から抉られる。
追撃はなかった。
人影は傍らを通り過ぎ、最初の位置へ戻っていく。
同じ構えを取った瞬間、脇腹の傷が光へ溶けるように消えた。
血も消える。
だが、斬られた瞬間の痛みと恐怖は、鮮明に残っていた。
歯を食いしばり、立ち上がる。
「もう一度だ」
正面から踏み込み、横薙ぎに剣を振るう。
人影が後方へ下がった。
その動きを見越し、途中で剣筋を変える。刃を返し、逃げた先へ斬り上げた。
しかし、相手の足はすでに止まっていた。
身体が僅かに沈む。
剣が頭上を通過した。
直後、足を払われる。
崩れた顎へ、剣の柄が突き上げられた。
「がっ……!」
視界が白く弾ける。
背中から地面へ落ちた。
身を起こしたときには、人影は元の位置へ戻っている。
痛みが消える。
また、同じ構え。
次はフェイントを入れた。
視線と肩だけを動かし、踏み込むと見せかけて足を止める。
人影は動かない。
ならばと、本当に踏み込んだ瞬間――先に剣先が伸びてきた。
身体を捻る。
切っ先が肩を掠めた。
そのまま反撃へ転じるが、僅かに身体を開かれただけで刃が空を切った。
攻撃後の隙へ、すぐさま剣が返ってくる。
背中を斬られ、地面へ倒れ込んだ。
使っているのは、すべて知っている動きだった。
受け流し。
足払い。
切り返し。
最小限の踏み込み。
どれも自分が何度も使ってきたものばかりだ。
それなのに、一度も剣が届かない。
「くそっ!」
何度目かの敗北で、地面へ拳を叩きつけた。
傷は消えている。
だが、痛みの記憶は積み重なっていた。
刃が肉へ入り込む感触。
次は致命傷になるかもしれないという恐怖。
それでも人影は、何事もなかったように待っている。
「同じ動きだろうが……」
荒い息を吐きながら、その姿を睨んだ。
「同じ剣で、同じ技を使ってる。なのに、何で届かねぇ」
返事はない。
ただ剣を構え、こちらが立ち上がるのを待っている。
呼吸を整えようとして、ふと身体の内側へ意識を向けた。
そこに魔素がある。
現実の身体と同じように、外から取り込んだ力が全身を巡っていた。
使える。
この身体も、強化できる。
口元が僅かに上がった。
「……なるほどな」
これまでは、ほとんど素の身体で戦っていた。
相手が自分と同じ動きを使うのなら、力で上回ればいい。
より速く。
より強く。
反応する暇も与えない一撃で押し潰す。
体内の魔素を一気に解放した。
力が全身へ流れ込む。
脚へ。
腰へ。
背中へ。
両腕へ。
握り締めた剣の先まで。
足元で、白い地面が僅かに軋んだ。
「だったら、出力上げりゃいいだけだ」
一歩で間合いを消す。
先ほどまでとは比べものにならない速度で、人影へ迫った。
全身の力を乗せた剣を振り下ろす。
捉えた。
そう確信した。
だが、人影は圧倒的な速度で逃げなかった。
大きく跳び退くこともしない。
刃が届く直前。
上体を、僅かに横へずらした。
それだけだった。
剣が肩先を通過する。
全身へ流した力に引かれ、身体が前へ傾いた。
止まらない。
足が地面を踏みしめるより早く、光の刃が横へ走る。
冷たい感触が首筋へ触れた。
死ぬ。
反射的に顎を引く。
直後、首に鋭い痛みが走った。
鮮血が白い地面へ散る。
首を押さえながら後方へ転がった。
指先に、生温かい血が触れている。
もう少し深ければ。
あと一瞬、顎を引くのが遅ければ。
首を断たれていた。
追撃はない。
人影は最初の位置へ戻り、剣を構えた。
首の傷が消える。
それでも、すぐには立ち上がれなかった。
刃が触れた感覚が残っている。
首が落ちる光景を、身体が勝手に想像していた。
「……なんでだよ」
出力は上げた。
速さも、力も、先ほどまでとは違った。
それでも届かなかった。
より強い力で弾き返されたわけではない。
自分以上の速度で逃げられたわけでもない。
ただ、僅かに身体をずらされただけだ。
「また力を増やすの?」
小さな存在が問いかけた。
立ち上がり、人影を睨む。
「あいつ、俺より速い」
「そう?」
「見りゃ分かるだろ。俺が動く前に、もう避けてる」
小さな存在は、大きな尾を足元へ巻きつけた。
「でも、本当にたくさん力を使ってるのは、どっちかしら?」
答えられなかった。
同じ構え。
同じ剣。
同じ体格。
だが、先ほどの攻防で大きく動いたのは自分だけだ。
人影が動いたのは、ほんの僅か。
剣を避けるために必要な距離だけ。
剣を構え直す。
今度は、すぐに倒そうとはしなかった。
足を見る。
腰を見る。
肩を見る。
剣を握る腕と、その重心を見る。
人影の足先が僅かに動く。
踏み込まず、剣だけを振るった。
半歩だけ、相手が移動する。
その動きを追って一歩踏み込む。
だが、人影はすでに次の位置へ移っていた。
剣が空を切る。
反撃の刃が胸元へ迫った。
剣を引き戻し、寸前で受け止める。
衝撃が両腕へ走った。
それでも今度は、吹き飛ばされない。
刃と刃が重なる。
だが、押し込んでこなかった。
こちらが受けたと分かった瞬間には、すでに力を抜いている。
刃を滑らせ、僅かに横へ移る。
続く斬撃が肩を狙った。
身を捻り、切っ先を躱す。
互いの距離が開いた。
人影は再び、最初の構えへ戻る。
「……速いんじゃねぇ」
圧倒的に速いわけではない。
こちらが大きく踏み込むよりも早く動き始め、必要な場所へ、必要な距離だけ移動している。
だから、次の動作へ移るのも早い。
「やっと見始めた」
小さな存在が笑った。
「何がだよ」
「さあ?」
「お前、それ好きだな」
返事を待たず、人影へ目を戻す。
これまで見ていたのは、足や肩、剣の動きだった。
だが、人影の身体は魔素の光で形作られている。
ならば、その内側にあるものも見えるはずだ。
目を凝らす。
人影が剣を構えた。
足元へ集まった光が、一瞬だけ強まる。
次の瞬間には腰へ移った。
腰から肩へ。
肩から、剣を握る腕へ。
光は全身を満たしていない。
必要な瞬間。
必要な場所にだけ。
目の前の光景に、息を呑む。
自分とは違う。
同じ身体で、同じ剣を握り、同じ技を使っている。
それなのに、魔素の流れだけがまるで違っていた。
「……なんだ、これ」
ここまでお読みいただきありがとうございます!
意識を失ったザインが辿り着いた、謎の白い空間。
そこで現れたのは、ザインと同じ身体、同じ剣技を持つ存在でした。
力を上げても、速さを増しても届かない相手。
その戦いの中で、ザインは少しずつ「自分との違い」に気づき始めます。
そして最後に見えた、まったく異なる魔素の流れ。
この違いが何を意味するのか。
次話もよろしくお願いします!




